それから数日後。章人は変わらず俺の傍にいてくれる。優しい章人……俺の心が少しずつ壊れていくのを感じた。
そんなある日、学校中をある噂が物凄い勢いで駆け抜けていく。
「二年の神谷君に、三年の絢瀬さんが告白するらしいよ。先輩が、絢瀬さんがそう話していたのを聞いたって」
「絢瀬さんって、あの校内一の美人で有名な、あの絢瀬さん?」
「そうそう! 男遊びが派手で、狙った男は絶対に逃さないって有名だよね」
「でも、悔しいけどお似合いだなぁ。絢瀬さんに勝てる人なんかいないもん」
その噂を聞いた俺の心がザワザワと、どよめき立つ。
俺も三年の絢瀬先輩のことは知っていた。気が強くてプライドが高いけど、モデルみたいに美人だし、頭だっていい。あの江野なんて足元にも及ばない存在だ。
このまま、章人が絢瀬先輩と付き合ってしまったら……そう考えただけで、いても立ってもいられなくて叫び出したい衝動に駆られる。
男である俺が、あんな可愛らしい人に勝てるはずなんかない。目の前が涙でユラユラと揺れるのを感じる。
でも、嫌だ、嫌だ。章人を誰にも取られたくなんかない。そう思った俺は、ポケットに押し込まれていたスマホを取り出した。
『章人、話があるからいつもの場所にきて』
それだけメールすると、俺は一目散に屋上へ向かい走り出す。涙で目の前が滲んで、普段は何とも感じられない階段がひどく長く感じられて。耐えきれずに肩で息をした。
素直に全部を打ち明けよう。
罰ゲームの話をしたら章人はどんな反応をするだろうか。考えるだけで自然と体が震えてきた。でも、もう自分は逃げない。
屋上の扉を開くと、目の前には、真っ青な空と、真っ直ぐ伸びた飛行機雲が広がっていた。
階段をリズミカルに登ってくる音と、軽く息切れのする声が聞こえてくる。それだけで、その音の主がわかってしまった。
「章人……早く、早くきて……」
心が焦って仕方がない。
一分でも一秒でも早く真実を伝えて。もし章人が怒ってしまったら、許してもらえるまで謝ろう。
それから、自分の本当の思いを伝えよう。俺は、章人のことが好きだって。
「章人……」
少しずつ近付く足音に体が震え出す。怖くて、不安で泣きたくなった。どうしよう、息苦しい。逃げ出したくなる衝動を、必死に堪えた。
「凪」
「あ、章人……」
静かに屋上の扉が開いて、こんなにも待ち侘びていた章人が俺の前に現れる。たったそれだけで、口から心臓が飛び出そうになった。
「凪どうしたんだよ? 突然、話ってなに?」
自分に駆け寄ってきた章人が、心配そうに顔を覗き込んでくる。その整った顔立ちに目がくらみそうだ。やっぱり章人はかっこいいし、こんなにも優しい。
章人、俺は……。
「あのさ、あのさ章人」
「どうした? なんでそんなに必死なんだよ。わかったから凪、ゆっくり話して?」
まるで俺を宥めるかのように優しく頭を撫でてくれる章人。それが気持ちよくて、思わずその手を握り締めた。
「あの、あの……章人、あのさ……」
「——あ、凪、やっぱりここにいたのか! 先生が呼んでだぞ!」
「……あ、優太……」
なんてタイミングが悪いんだろう。気を利かせて自分を呼びにきてくれた優太のおかげで、言うタイミングを逃してしまった。気が張っていた分、一気に脱力してしまう。その場に崩れ落ちそうになったから、章人の腕にしがみついた。
「あれ? まだ凪、罰ゲームやってんの?」
「……優太、待って……」
「あははは! 凪、お前って根は真面目だよな。もう罰ゲーム終わりにしていいよ! てか俺たち忘れてたし。じゃあ、先生が呼んでるから行ってくれよ」
そう言い残した優太は、さっさと行ってしまう。その場には、静けさだけが残された。
どうしよう。章人の顔が怖くて見られない。どうしよう……。
全身の血の気が一瞬で引いて、暑くないのに、冷たい汗がタラタラと流れる。顔さえ上げられずに黙っていると、章人が口を開いた。
「やっぱり罰ゲームだったんだな。いきなり凪が告ってきたから、おかしいと思ったんだ」
「章人、あのさ、確かに最初は罰ゲームだったんだ。でも今は……」
「たかがゲームのために俺とキスまでして。ずっと恋人を演じてたってわけか」
「章人、お願い、聞いて……」
「もういい。もういいよ。最初は疑ってたけど、あまりにも幸せそうに凪が笑うから、信じて大丈夫なんだって思いはじめてた。ずっと好きになったら負けだって思ってたけど、俺は凪が可愛かった」
「章人……」
章人の顔がグシャッと歪み、肩が小さく震えている。その瞬間、自分が取り返しのつかないことをしてしまったという事実を叩きつけられた。
こんなにも章人を傷つけてしまったのに、なんで許してもらえるかも……なんて甘いことを考えたのだろう。
だって俺は、こんなにも章人を傷つけた。
「凪、罰ゲームはこれで終わりにしよう」
「……え?」
「凪の友達だって、もう十分納得したはずだ」
そう話す章人は笑っているのに、その目にはたくさんの涙が浮かんでいた。そんな章人を見て、あぁ綺麗だな……ってボンヤリ思った。
「じゃあ、バイバイ。今までありがとう」
「章人……」
嫌だ、行かないで。章人を追いかけたかったのに、足に根っこが生えてしまったかのように体が動かなくて。屋上から去って行く章人を引き止めることさえできなかった。
いや、引き止める権利が俺にはなかったのだ。
俺は、あんなにも自分を大切にしてくれた章人を、ひどい形で裏切ってしまった。これが、章人を弄んだ俺への罰ゲーム。
泣き喚いて、殴ってくれたほうがスッキリしたのかもしれない。でも優しいあいつが、そんなことをするわけないか……。
「章人ごめん。素直になれなくて、ごめんね」
涙は後から後から溢れ出して、頬を伝う。
でも仕方がない。だって俺は、それだけのことをしてしまったのだから。
目の前に広がる青空と飛行機雲が、涙で滲んで見えなくなった。
◇◆◇◆
それから、当り前だけれど章人とは疎遠になってしまった。
向こうから話しかけてくるわけはないし、かと言って俺から声をかける勇気なんてない。何度もメールを打ってもう一度謝ろうとしたけれど、怖くて送信ボタンを押すことができなかった。 突然隣から章人がいなくなって、心にぽっかりと穴が開いてしまったように感じる。でも、俺には「ごめん」っていう権利さえないのかもしれない。
だって、俺はきっとあいつを深く傷つけてしまったから。
ある日の放課後、体育館に向かって歩いていた。秋が終わると急に日が短くなり、部活が始まる頃には校舎内は薄暗くなっている。でも、今の俺には薄暗いくらいがちょうどいい。大きく息を吐きながら、体育館へと向かう。
持ち慣れているはずのバスケットシューズが、今日はやけに重たく感じられた。
「ん?」
普段誰も来ないような突き当りの廊下。そこはほとんど生徒も寄り付かないような場所。そこから、楽しそうに話す男女の声が聞こえてきた。
その光景を見た瞬間、髪の毛が逆立つんじゃないか、というくらいの怒りを感じてぞわぞわっと鳥肌がたっていく。
「やだぁ、神谷君ったら」
絢瀬先輩が甘ったるい声を出しながら、章人の腕を触る。章人は章人でまんざらでもない、という顔をしていた。
最近噂で聞いた。絢瀬先輩が章人に急接近してるって。よく放課後、二人きりで会ってるらしい。そんな噂で、校内は持ちきりだ。
「あの噂は、本当だったんだ」
唇を噛み締めて俯く。この廊下を通ってしまったことを強く後悔した。
――こんなとこ、見たくなかった。
自分の知らない章人がいた。女の子に向かって微笑みかける章人は、いつもより男らしく見える。美男美女でお似合いではないか。
これでよかったんだ……。そう自分に言い聞かせる。
それでも、自分以外に笑いかける章人を見ていることが辛くなった俺は、踵を返して逃げるようにその場を後にした。
それから数日たっても、あの光景が頭から離れてくれない。
心の中がぐちゃぐちゃだし、章人のことで頭がいっぱいだ。もう、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかも見失い始めていたのかもしれない。
でも、苦しい。苦しくて仕方がない。
そんなとき、突然届いたメール。虚ろな目で画面をタップすれば、送り主は章人だった。
『この前、俺と絢瀬先輩が一緒にいたとき廊下にいたでしょ?』
その文章を見て心臓が飛び跳ねる。気付かれてたんだ……サッと血の気が引いた。
『本当に終わりでいい? 俺に新しく恋人ができても、凪は平気なの?』
嫌だ、そんなの絶対嫌だ。
俺は居ても立ってもいられなくなって走り出す。さっきまで机に突っ伏していた俺が突然走り出したものだから、優太がびっくりして「どうした?」と声をかけてきたけど……。そんなことは関係ない。
――俺は章人に会いたい。
その思いだけで、無我夢中で教室を飛び出した。
そんなある日、学校中をある噂が物凄い勢いで駆け抜けていく。
「二年の神谷君に、三年の絢瀬さんが告白するらしいよ。先輩が、絢瀬さんがそう話していたのを聞いたって」
「絢瀬さんって、あの校内一の美人で有名な、あの絢瀬さん?」
「そうそう! 男遊びが派手で、狙った男は絶対に逃さないって有名だよね」
「でも、悔しいけどお似合いだなぁ。絢瀬さんに勝てる人なんかいないもん」
その噂を聞いた俺の心がザワザワと、どよめき立つ。
俺も三年の絢瀬先輩のことは知っていた。気が強くてプライドが高いけど、モデルみたいに美人だし、頭だっていい。あの江野なんて足元にも及ばない存在だ。
このまま、章人が絢瀬先輩と付き合ってしまったら……そう考えただけで、いても立ってもいられなくて叫び出したい衝動に駆られる。
男である俺が、あんな可愛らしい人に勝てるはずなんかない。目の前が涙でユラユラと揺れるのを感じる。
でも、嫌だ、嫌だ。章人を誰にも取られたくなんかない。そう思った俺は、ポケットに押し込まれていたスマホを取り出した。
『章人、話があるからいつもの場所にきて』
それだけメールすると、俺は一目散に屋上へ向かい走り出す。涙で目の前が滲んで、普段は何とも感じられない階段がひどく長く感じられて。耐えきれずに肩で息をした。
素直に全部を打ち明けよう。
罰ゲームの話をしたら章人はどんな反応をするだろうか。考えるだけで自然と体が震えてきた。でも、もう自分は逃げない。
屋上の扉を開くと、目の前には、真っ青な空と、真っ直ぐ伸びた飛行機雲が広がっていた。
階段をリズミカルに登ってくる音と、軽く息切れのする声が聞こえてくる。それだけで、その音の主がわかってしまった。
「章人……早く、早くきて……」
心が焦って仕方がない。
一分でも一秒でも早く真実を伝えて。もし章人が怒ってしまったら、許してもらえるまで謝ろう。
それから、自分の本当の思いを伝えよう。俺は、章人のことが好きだって。
「章人……」
少しずつ近付く足音に体が震え出す。怖くて、不安で泣きたくなった。どうしよう、息苦しい。逃げ出したくなる衝動を、必死に堪えた。
「凪」
「あ、章人……」
静かに屋上の扉が開いて、こんなにも待ち侘びていた章人が俺の前に現れる。たったそれだけで、口から心臓が飛び出そうになった。
「凪どうしたんだよ? 突然、話ってなに?」
自分に駆け寄ってきた章人が、心配そうに顔を覗き込んでくる。その整った顔立ちに目がくらみそうだ。やっぱり章人はかっこいいし、こんなにも優しい。
章人、俺は……。
「あのさ、あのさ章人」
「どうした? なんでそんなに必死なんだよ。わかったから凪、ゆっくり話して?」
まるで俺を宥めるかのように優しく頭を撫でてくれる章人。それが気持ちよくて、思わずその手を握り締めた。
「あの、あの……章人、あのさ……」
「——あ、凪、やっぱりここにいたのか! 先生が呼んでだぞ!」
「……あ、優太……」
なんてタイミングが悪いんだろう。気を利かせて自分を呼びにきてくれた優太のおかげで、言うタイミングを逃してしまった。気が張っていた分、一気に脱力してしまう。その場に崩れ落ちそうになったから、章人の腕にしがみついた。
「あれ? まだ凪、罰ゲームやってんの?」
「……優太、待って……」
「あははは! 凪、お前って根は真面目だよな。もう罰ゲーム終わりにしていいよ! てか俺たち忘れてたし。じゃあ、先生が呼んでるから行ってくれよ」
そう言い残した優太は、さっさと行ってしまう。その場には、静けさだけが残された。
どうしよう。章人の顔が怖くて見られない。どうしよう……。
全身の血の気が一瞬で引いて、暑くないのに、冷たい汗がタラタラと流れる。顔さえ上げられずに黙っていると、章人が口を開いた。
「やっぱり罰ゲームだったんだな。いきなり凪が告ってきたから、おかしいと思ったんだ」
「章人、あのさ、確かに最初は罰ゲームだったんだ。でも今は……」
「たかがゲームのために俺とキスまでして。ずっと恋人を演じてたってわけか」
「章人、お願い、聞いて……」
「もういい。もういいよ。最初は疑ってたけど、あまりにも幸せそうに凪が笑うから、信じて大丈夫なんだって思いはじめてた。ずっと好きになったら負けだって思ってたけど、俺は凪が可愛かった」
「章人……」
章人の顔がグシャッと歪み、肩が小さく震えている。その瞬間、自分が取り返しのつかないことをしてしまったという事実を叩きつけられた。
こんなにも章人を傷つけてしまったのに、なんで許してもらえるかも……なんて甘いことを考えたのだろう。
だって俺は、こんなにも章人を傷つけた。
「凪、罰ゲームはこれで終わりにしよう」
「……え?」
「凪の友達だって、もう十分納得したはずだ」
そう話す章人は笑っているのに、その目にはたくさんの涙が浮かんでいた。そんな章人を見て、あぁ綺麗だな……ってボンヤリ思った。
「じゃあ、バイバイ。今までありがとう」
「章人……」
嫌だ、行かないで。章人を追いかけたかったのに、足に根っこが生えてしまったかのように体が動かなくて。屋上から去って行く章人を引き止めることさえできなかった。
いや、引き止める権利が俺にはなかったのだ。
俺は、あんなにも自分を大切にしてくれた章人を、ひどい形で裏切ってしまった。これが、章人を弄んだ俺への罰ゲーム。
泣き喚いて、殴ってくれたほうがスッキリしたのかもしれない。でも優しいあいつが、そんなことをするわけないか……。
「章人ごめん。素直になれなくて、ごめんね」
涙は後から後から溢れ出して、頬を伝う。
でも仕方がない。だって俺は、それだけのことをしてしまったのだから。
目の前に広がる青空と飛行機雲が、涙で滲んで見えなくなった。
◇◆◇◆
それから、当り前だけれど章人とは疎遠になってしまった。
向こうから話しかけてくるわけはないし、かと言って俺から声をかける勇気なんてない。何度もメールを打ってもう一度謝ろうとしたけれど、怖くて送信ボタンを押すことができなかった。 突然隣から章人がいなくなって、心にぽっかりと穴が開いてしまったように感じる。でも、俺には「ごめん」っていう権利さえないのかもしれない。
だって、俺はきっとあいつを深く傷つけてしまったから。
ある日の放課後、体育館に向かって歩いていた。秋が終わると急に日が短くなり、部活が始まる頃には校舎内は薄暗くなっている。でも、今の俺には薄暗いくらいがちょうどいい。大きく息を吐きながら、体育館へと向かう。
持ち慣れているはずのバスケットシューズが、今日はやけに重たく感じられた。
「ん?」
普段誰も来ないような突き当りの廊下。そこはほとんど生徒も寄り付かないような場所。そこから、楽しそうに話す男女の声が聞こえてきた。
その光景を見た瞬間、髪の毛が逆立つんじゃないか、というくらいの怒りを感じてぞわぞわっと鳥肌がたっていく。
「やだぁ、神谷君ったら」
絢瀬先輩が甘ったるい声を出しながら、章人の腕を触る。章人は章人でまんざらでもない、という顔をしていた。
最近噂で聞いた。絢瀬先輩が章人に急接近してるって。よく放課後、二人きりで会ってるらしい。そんな噂で、校内は持ちきりだ。
「あの噂は、本当だったんだ」
唇を噛み締めて俯く。この廊下を通ってしまったことを強く後悔した。
――こんなとこ、見たくなかった。
自分の知らない章人がいた。女の子に向かって微笑みかける章人は、いつもより男らしく見える。美男美女でお似合いではないか。
これでよかったんだ……。そう自分に言い聞かせる。
それでも、自分以外に笑いかける章人を見ていることが辛くなった俺は、踵を返して逃げるようにその場を後にした。
それから数日たっても、あの光景が頭から離れてくれない。
心の中がぐちゃぐちゃだし、章人のことで頭がいっぱいだ。もう、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかも見失い始めていたのかもしれない。
でも、苦しい。苦しくて仕方がない。
そんなとき、突然届いたメール。虚ろな目で画面をタップすれば、送り主は章人だった。
『この前、俺と絢瀬先輩が一緒にいたとき廊下にいたでしょ?』
その文章を見て心臓が飛び跳ねる。気付かれてたんだ……サッと血の気が引いた。
『本当に終わりでいい? 俺に新しく恋人ができても、凪は平気なの?』
嫌だ、そんなの絶対嫌だ。
俺は居ても立ってもいられなくなって走り出す。さっきまで机に突っ伏していた俺が突然走り出したものだから、優太がびっくりして「どうした?」と声をかけてきたけど……。そんなことは関係ない。
――俺は章人に会いたい。
その思いだけで、無我夢中で教室を飛び出した。