チョロい自覚は、正直自分でもある。
 一人でいいと思っていたのに、それでもオレについてくる悠真を突き放す事ができない。歩み寄られると拒否もできない。ドロドロに溶かされるような、まっすぐすぎる言葉に刺されるような感覚。
 それをいつからか受け入れている自分がいるのは事実で、思い出すだけでつい肩を落とす。
 こんなの、こんな言葉は知らない。甘い言葉もオレに触れる手も、スイーツとは比べ物にならない。まるでそう、存在自体甘いなにかが、服を着て歩いているような。
 横を見ればいつだっているその存在は、どうやらオレの思っている以上の感情をこちらに向けていたらしい。
「こちら、ブレンドコーヒーと季節のパルフェになります」
 悠真の前にはパルフェ、オレの前にはブレンドコーヒー。アルバイトだろうその人はテーブルに二つを並べると、そそくさとバックヤードの方へ下がって行く。
「……直くん」
「ほら、取り替えるぞ」
 オレまでなんだか面白くて、取り繕う事なく笑いながら目の前のそれを交換する。
 あれから、熱烈な悠真からのアプローチ宣言から数日。なにか変わるわけでもなく、オレと悠真は普段通りの日常を送っている。
 特になにをするでもなく調理実習室に入り浸って、ただオレがお菓子を食い始める。珍しく外に出た今日だって、何気なくオレが言った期間限定スイーツの話がきっかけだった。
「……本当に悠真、コーヒーだけでいいのかよ」
「あぁ、直くんが食べたいものが今日のメインだからな」
 学校から遠い、小さなファミレス。
 ここのパルフェは期間限定で果物が変わると話したら、悠真も興味を示してならばと足を運んだ。外にいたって、結局は校内にいる時と同じ。なにも、なに一つ変わっていないはず。
「……いや」
 ……あぁ、一つだけ嘘だ。
 全部一緒だなんて、そんなわけがない。
 テーブル越しに送られる視線に気づくと、悠真は首をかしげた。
「どうした?」
「……お前めちゃくちゃ見てくるよな」
「前から、だが」
「そうじゃなくて」
 熱を孕んだ視線は、間違いなくオレを突き刺している。
 それだけで脳裏をよぎるのはあの時の記憶で、耳の方まで熱くなっていくのが自分でもわかる。人畜無害な顔しやがって、中身は大型犬みたいだ。
『俺はおそらくだが、たまらなく直くんがほしいんだ』
 優しいはずなのに、飢えたケモノのような。そんな声は、今も鮮明に残っている。
『今返事は要らない……俺が、その気になってもらえるよう頑張るから』
 その気にとは、つまりどういう事か。
 わからないなりにも思春期のお年頃だ、想像して喉を鳴らす。なにも口に含んでいない、なにかを飲み込んだ。
 ずっとあの日から、オレの心臓はバカみたいにうるさい。それも全部、目の前にいるバカ真面目のせいだ。なのに当の本人は普段通り、むしろ普段よりスキンシップを増やしてオレに近づいてくる。
 これが、その気になってもらうの行為なら。そう考えるだけで、オレの方が勝手に意識してしまう。
 悠真本人としては宣誓でしかなかったのだろうそれはオレには立派に機能していて、どれだけ嘘や意地っ張りで隠しても、このうるさい鼓動だけは隠す事ができない。
「……本当にお前、つくづく罪作りだよな」
「……なにか、気を悪くするような事を言ってしまっただろうか?」
 逆だよ、逆。
 けれどもそれを言ってはこいつも調子に乗るだろうから、言葉にはしない。
 今日の目的に意識を向けると、ライトに反射して果物をコーティングするゼリーが輝いていた。小ぶりなグラスだったが中はじゅうぶんなくらいクリームも詰まっていて、つい頬が緩くなる。
「パルフェとパフェ……なにが違うのだろうか」
「いや、厳密には一緒だよ。アイスメインかクリームメインかで変わるって噂もあるけど結局は決まっていないし、店によって呼び名が違うんだ。そもそもパルフェはフランス語、パフェは英語だ」
「詳しいんだな」
「……これくらい、普通だろ」
 行く店によって名前が違った事が気になり昔調べたのは、今のところ黙っておく。
「語源は完璧な、だったか? オレは詳しく知らないけど、語源のコーヒーゼリーが出来上がってからしばらくしてフランス全土で有名になったらしい……そこで作られたのが、パルフェでありパフェの始まり。見た目からは想像できない味は完璧なスイーツってわけだ」
 味に正解はない、終わりだって見えやしない。
 嘘つきなスイーツだって答えは用意されていなくて、一口食べる事に世界が変わっていく気がした。
「なるほど、つまりパルフェは直くんに似ているという事か」
「おう、喧嘩売ってんのか?」
 とらえ方によっては穏やかじゃない発言に顔をしかめたが、悠真は動じる事なく笑っている。
「そんなつもりはないが、そうだな」
 テーブル越し、コーヒーとパルフェの真ん中。
 少し身体を乗り出して伸びてきた手は、そっとオレの頬を撫でていく。
「強くてかっこいいが、中身は甘いものが好き。周りから怖いと思われる事も多いが本当は不器用で優しい……まるで、食べてみないとわからないパルフェのようだ」
 いかにも真面目に向けられた言葉は、言われた方からすれば恥ずかしいこの上ない。あぁ、うう、と言葉にならない言葉を漏らして、深く溜息を零した。
「……お前、本当よく恥ずかしがらずそんな事言えるよな」
 バクバクうるさい心臓をごまかすように憎まれ口を叩くと、悠真はこてんとまた首をかしげる。なにかを考えているようだったが、いや、と言葉を続けてくる。
「そうだろうか、思った事はちゃんと言葉にした方がいいと考えたからだが」
 ド真面目な模範解答すら、オレだけに向けられてなんだかこそばいと思える。
「だから、俺は直くんに思っている事は全部伝えたいと思ったんだ」
「そーかよ……」
 普段はあれだけ甘く感じていたパルフェのクリームが、今はやけに薄く感じた。
 意識をすると、他に考えが持っていかれるような。大好きなはずのクリームが空っぽになるくらい甘みがわからなくなるような、そんな感覚。
 ずっと、オレの勘違いだと思っていた。
 このうるさいだけの心臓の音だって、なにもかも。
 そう思っていたのに、悠真はそんなオレの考えを飛び越えてオレに近づいてくる。それがオレ自身の中で嫌なのかは、正直よくわからない。
「……甘い」
 甘くてドロドロした、そんな感情。
 オレの知らない甘さはずっと近くにあって、どうやら離れそうにない。
 考えてみれば、そう。
 悠真はちゃんと、オレに気持ちを伝えていたのかもしれない。ただ明確ではなく遠回りだっただけで、どれもオレに投げられていた言葉は好意のものだった。
 オレは、その好意に見合うものを返せるのだろうか。
 その感情と同じものが、オレにはあるのだろうか。
 答えはわからなくて、返事はできない。要らないと言われても、このままではだめだとオレ自身が思っていた。そうわかっているはずなのに、答えを出さないオレは狡いのだろうか。
「……あれ、直くん」
 なにかに気づいたように、悠真が手を伸ばす。
「ここ、この前は怪我していなかったはずだが」
「……本当に、オレの事よく見ているよな」
 気づかれていないと思ったから油断したそれに、喉の奥から言葉を絞り出す。前髪を持ち上げられると、擦り傷が顔を出す。
「あぁ、当然だ。直くんの事だからな」
 なんだか自慢げなのが癪だったが、楽しそうだしいいかと思ってしまう。引っかかれたなんて嘘はもう通用しないとわかっているから、諦めて力なく首を横に振った。
「別に、少し絡まれただけだ。これだってかすり傷で大したものじゃねえ」
「かすったものでも、直くんの傷に変わりない」
 有無を言わせないそれに、つい言い返す言葉を失った。
 自分の事のように悲しそうに、そしてどこか怒りを抑えているように。なにかを押し固めたような感情はストレートでオレに投げられて、突き刺していく。
「お前、前から思ってたけどいつもオレの怪我気にするよな」
「それはっ!」
 手を引っ込めながら勢いよく顔を上げたと思えば、すぐ悲しそうに目を伏せる。オレが悪いみたいな気分であまりいいものではなかったが、じっと悠真の言葉を待つ。
「……怪我を、してほしくないんだ」
 聞こえたのは、そんな申し訳なさそうな言葉。
「……いや、なんで」
「……理由は、その」
 そこで、悠真の言葉は詰まる。
 深く息を吐くと、なにか悩んでいるのか言葉を選んでいた。よく見ると若干汗ばんでいて、かなり緊張しているようにも見える。
「怒らねえよ、なに言っても」
 あれだけ重要な事は恥ずかしげもなく言うくせに、どうやら変なところで羞恥があるらしい。表情は変えず目線だけを左右に動かして、あからさまなくらい動揺している。
 そんな仕草をしばらく繰り返したが、すぐ覚悟を決めたようで小さく頷くと直くん、と言葉を落とす。
「……直くんの綺麗な顔に傷がついてしまうのが、俺は耐えられないんだ」
 だから怪我をして欲しくないなんて、やけに自分勝手な言葉を投げられる。
「んな事言われても、オレの勝手だろ」
「もちろん、それはわかっている。ただやはり、大切だと思う相手が傷つくのは嫌なんだ」
 また悠真の発する言葉には、静かな熱を孕んでいた。
 こんなにもまっすぐオレを想っている言葉ばかり与えられて、この先オレはどうなってしまうだろう。場違いに考えて、薄く笑って見せた。グラスの中にあったアイスは、少し溶け始めている。
「――この前聞いただろ、オレだって好きでやってるわけじゃねえ」
 シュウがこいつに話した内容に、嘘はない。
 だから今さらごまかす必要はないと思い言葉を落とすと、悠真はどこか悲しそうな表情をする。オレまで苦しくなって、また視線を逸らした。
 骨の軋む音も、息遣いもすべて。
 好きでやってるものじゃないし、ただ一度のそれが大きくなっただけだ。それがずっと、今までオレの印象として独り歩きをしているだけ。
「ただ、本当にちょっとしたきっかけだったんだ。そしてそのきっかけが、オレの居場所になっただけの話」
 ちょっとクラスの奴を助けただけの、それだけの話。
 後悔はしていないし、今だってこれでいいと思っている。ずっと、そう思っていた。
 そのはずなのにこいつはそれを許してくれなくて、オレなんかよりもずっと苦しく傷ついた顔をしている。
「……居場所」
 悠真はどこか引っかかりを覚えたようで、小さく唸る。
 かと思えば今度はなにかを考えているようで、らしくないしかめっ面をしている。百面相みたいだと思えばなんだか面白くしばらくの間その様子を眺めていると、どうやら答えを見つけたみたいで顔を勢いよく上げた。
「ならば、直くんは俺といれば喧嘩しないという事だな?」
「いや、なんでそんな突拍子もない発想に繋がるんだよ」
 本当に突拍子もない言葉に、あからさまなくらい顔をしかめた。けれどもこうなった悠真を止められない事はすでに経験済みで、さっきまでの縋るような態度はどうしたのか嬉々としていた。ぐいぐい顔を近づけて、空いていたオレの左手を両手で包み込む。
「なら俺は、この先も直くんと一緒にいる。他でもない直くんが、傷つかないために」
「いや、おいバカここ店の中だ!」
 いくら学校から遠い店を選んだからって、人の目は気にしてしまう。
「すまない、しかし今のは名案だと思うんだ」
「そんな言われても、オレは嫌だからな」
 ただでさえ悠真がオレに絡んでくるようになって以来、カツアゲをしているのではとか悠真を舎弟にしたのかなんて、不名誉極まりない話が飛び交っていると噂に聞いた。これ以上疑われる行為はしたくないと思ったのに、その原因の一端にある悠真は事の状況がどうやらわかっていないらしい。
 むしろ数歩大股でオレに近づいてきて、オレの心配を他所に距離を詰めてくる。
「……どうして、そんなにオレに構うんだよ」
 やっと絞り出したのは、何回だって投げた言葉。
 答えが見えているはずなのに、義理堅い悠真は何度だって言ってくれる。その優しさに甘えていると、オレ自身がわかっていた。
「何度でも言うが、直くんがなにかを食べているのを見る事が好きなんだ……そして、そんな直くんの隣にいたいと、今はそう思っている」
 ただ最後に添えられた言葉はなによりも熱烈で、パルフェのスポンジを思わず飲み込む。不意打ちのそれはわざとだったらしく、少し意地悪に微笑んだ悠真は言葉を続けた。
「だからこれは、俺なりのアプローチかもしれない」
 かもしれないって、自分のやってる事だろ。
 肝心なところで強くこれないのも悠真らしくて、それはそれで和む。
 つい頬を緩めると、カチャリ、とコーヒーカップを置く音が響く。
「しかし、直くんも直くんだ」
「は?」
 矛先をオレに向けた突然のカウンターに反応できず目を丸くすると、オレの反応を見た悠真は少しだけ不機嫌そうな顔をわざと作った。慣れていないだろう表情だったが、じゅうぶん怒っているのは伝わってくる。
「直くんこそ、今目の前にいるのがお前に好意を寄せている人間である事を自覚してほしい。俺が直くんに手を出さない保証なんて、どこにもないはずだ」
「それはそうだけど」
 好意を寄せられているなんて、そんなのはとっくに知っている。だからと言って距離を置くのは違うし、第一オレが嫌な気持ちにはならなかったからそれは不要と思っていた。それに、なにより。
「悠真は、オレが嫌がるような事しねえだろ」
 オレがあの時、殴らなかったのと同じ。
 そんな軽い気持ちで投げた言葉はなぜか悠真に刺さったらしく、目元を右手で覆うとふー、と長く溜息をついた。
「本当に、直くんには負けるよ」
 そう言いながらも、悠真の顔は誰がどう見ても幸せそのものだ。悠真が幸せならいいかなんて的はずれな事を考えれば、ツウと悠真の指先がテーブル越しにオレの手を撫でていく。ビクリと肩を揺らすと、悠真はイタズラが成功した子どものような表情をオレに向けていた。
「嫌がる事はしないが、こういった事ならするかもしれないな?」
「お前なぁ……」
 特進コースなのだからド真面目なのはもちろんだが、時折見せる年相応な反応につい心を奪われそうになる。
 好きな人の気を引こうとする、そんな動き。
 一挙手一投足をオレに捧げているようで、それを一身に向けられているこちら側としては心臓まで茹だりそうだ。呼吸をするだけで、喉が焼けそうなくらい熱い。
「やっぱり、お前の行動は時々わかんねえよ」
 クソ真面目でなに考えてるかわからなくて、まるで大型犬みたいな奴。忠犬のようで、時折見せる押しの強さは猛犬に近い。言葉の通りオレの事しか考えてないのかもしれない言動すらわからなくて、オレのどこに魅力を感じたのだろうと思ってしまう。
 そんな、オレの言葉をどう思ったのか。
 悠真は途端にムッとして、直くん、と名前を呼んでくる。
「俺はじゅうぶん、わかりやすいと思っている」
「それは、自分の事だからそう思うんだろ」
 実際、こうして一緒にいる時間を重ねてもいまだにわからない事が多い。嬉しいのか、悲しいのか。苦しいのか、楽しいのか。
 出会った最初よりは出してくれるから、一応オレも心を開いてもらっているとは信じたかった。
「確かに自分でも、感情表現が苦手な自覚はある。しかし、これでも頑張っているつもりだ」
 だって、と続いた声はどちらかと言えば熱いと思った。
「直くんが、なによりも大切だからだ」
 どストレートな言葉が、今度はオレに刺さる。
 嘘偽りのない、淀みがない言葉。向けられた言葉はもはや刃物と思えるくらいに鋭くて、茶化す事も言葉を返す事もできなかった。
「なによりも大切って、そんな大袈裟な」
「いや、直くんが大切なんだ。だから俺は、直くんにその気になってもらえるよう頑張っているんだ」
 じゅうぶんすぎるほど効力を発揮しているその頑張りは、またオレを突き刺す。これ以上こいつが頑張ったら、オレはどうなってしまうのか。
「……いやいや」
 溺れるくらいの言葉じゃ飽き足らないらしい悠真はやる気じゅうぶんで、オレもそれを拒否するのではなく受け入れた時の事を無意識に考えてしまっていた。
 だめだ、これ以上こいつに絆されるな。
 わかっているはずなのに、やっぱりこいつならと思ってしまうオレがいる。
「俺には、隠し事はしないでほしいんだ。直くんには笑っていてほしいから」
 頷く事は、できなかった。
 はぐらかすように零した空返事は、約束なんかとはほど遠い。それでも幸せそうに笑う悠真の手の中で意地を張っても、なにもかも見透かされる気がして。
 パルフェのアイスが、静かに溶ける。
 カラン、とカトラリーの音が、虚しく響いた。