「あのう……」
 大西清子は目の前にいる女におずおずと話しかけた。さきほど突然やってきたときは、なにかのセールスかと思った。丁重に断ろうとすると、「大西隆史さんについてお話があります」と女は述べた。
 そして、おじゃまします、と玄関に入り、さっさと靴を脱いだ。
 その勢いに断りきれず、いま、客間にいる。
 清子の後ろには、何事かと集まった、妹の弥生と紗江もいた。
 女は剛力アラレ、と名乗った。なんだその間抜けな名前は。絶対に本名じゃない。
 アラレはカバンからタブレット端末を出して机に置き、出されたお茶をなにも言わずに飲み干した。
 そして早口で捲し立てた。タブレットの画面を見せながら、わざわざパワポを作ってきて、話しだした。
「ええと」
 アラレの口が止まったのを見計らい、清子は切り出した。「整理させてもらっていいですかね。ちょっと頭こんがらがってて……」
「もう一度お話しましょうか」
 アラレは無表情のまま言った。思い詰めているのはわかるのだけれど、家にきてからずっと、アラレは無表情だった。
 絶対このひと、やばいやつ。
 大西家の女たちは全員顔を見合わすまでもなく、意見が一致していた。
「おっしゃってることがさっぱりよくわからないんですけど」
 話しだしたものの、続かない清子に代わり、弥生が言った。
 長女である清子はおっとりしている。人を疑わないし、危なっかしい。いまどきこんな人いるか? というくらいに善良である。そんなやついるわけないだろ? いや、家族にいた。とにかく一大事だ。自分がしっかりしなくてはならない。
「わたくし、剛力アラレともうします」
 アラレが言った。そこから始まるのかよ、と弥生は舌打ちしそうになった。
「そこのところは、はい」
 背後の弥生が戦闘体制に入っているのを背中に感じ、清子は弥生のほうを向いて頷いた。ここで喧嘩はしないでほしい。殴り合いをするのならば外でやって、と思った。
 殴り合うのはいいのか、という話ではあるが、まあ清子のほうも事態に考えが追いついていない。
「さきほどご説明しました通り、わたしと大西隆史さんはお付き合いさせていただいています」
 アラレは言った。
 まるで世界中が知っていること、くらいに堂々と。何でお前らは知らないの? という謎の蔑視すら感じられた。
「はい、そこも」
 清子が頷くと、背後から弥生が小突いた。
 姉たちが混乱している様子を、末っ子の紗江はぼんやり眺めていた。
「隆史さんのほうから、付き合おう、という言葉はありませんでしたが、わかるじゃないですか、こう雰囲気っていうか、あ、わたしたち付き合うんだな、付き合ってるんだな、みたいなことって」
 アラレは言った。
 絶対これは……。その場にいた女たちは確信した。やばいやつ。よくテレビドラマやニュースに出てくるやつ。
 ああ、説得とか完全に無理。頭にアルミホイル巻くタイプのやつ。
「ええ、まあ、はい」
 清子はとりあえず頷きた。ことを荒立ててはいけない。なんとかしてこの場を諫めて帰ってもらうよりほかない。
「わかるんだ清ちゃんでも」
 紗江が驚いたように言った。
「あんたは黙ってなさい」
 清子は紗江のほうを見ずに言った。珍しく、少々語気が強かったので、紗江は首をすくめた。
「ですが、最近隆史さんがわたしのことを避けているみたいなんです」
 アラレは不本意極まりない、というふうに言った。なんだか妙に芝居がかっていてムカつく。なにかに似ている、そうだ、友人が素人劇団に所属していて、見たくもないけれど義理で行った芝居の俳優たちみたいだ。
「はい」
 と弥生は言った。嘘臭え、と思った。
「ご覧ください」
 アラレがスマートフォンを取り出し、画面を見せた。
「こちらは……」
 三人が覗き込んだ。ラインのやりとりだった。
「既読スルーなんです」
「うわー、尋常じゃない勢いで送ってるわ」
 紗江が言った。スクロールしてみると、百はありそうだ。
『どうしてるの?』『なんで返事をくれないの?』『大丈夫? もしかして病気?』
 疑問系にすりゃ返事がくると思うなよ、と紗江は思った。「とりあえず、ブロックされてはいないのね」
 こんなのさっさとブロックしてしまえばいいのに。
 いったい兄はどういうつもりなのだろうか。
 たしかに兄の隆史はまが抜けているし、清子の善良さとはまた違う意味で善人だ。ぼーっとしている。何を考えているのかわからない。
「黙ってなさい」
 清子が紗江をたしなめた。
「読んだ形跡があるってことは、生きてるってことですよね。でも返事がまったくないんです」
 アラレはため息をついた。
 いや、完全に無視に等しいじゃないか。これ、無理ゲーじゃん。
「そうですか……」
 さすがの弥生も、なんとも言えなくなったらしい。
「弟がすみません……」
 清子が言うと、
「そこ謝るとこじゃなくない?」
 と紗江が言った。
「しっ!」
 清子が紗江を睨んだ。
 話が通じない相手であるのはわかっているんだから、下手な横槍はまずい。こじれたら、警察を呼ばないといけないのだろうか。
「電話をしても全然とってくれなくて。隆史さんのアパートまでいったんですけど」
「うわ……」
 さすがにキモすぎるだろ、と思わず紗江の口から声が漏れた。
 清子が紗江の腿をはたいた。