「別についてこなくっていいって」
 賑やかななかで、ひときわ大きな声が響いた。
「だって三年生の教室だろ一緒にいくよ」
 そして、紗江がドアから顔を覗かせた。その上にひょっこりと森村の顔も出てきた。
「お兄ちゃんいますか」
 かなみたちを見つけて、紗江が近寄ってきた。森村もあとを続いた。
「トイレじゃないかな、稔たちもいないし」
 かなみが周囲を見渡して言った。
「そうですか」
 紗江が肩を落とした。
「なにかあった」
 美保が訊ねると、
「英和辞典貸してもらおうと思って」
 紗江が言った。
「俺が貸すのに」
 そばにいた森村が言った。
「森村くんも授業で使うでしょ。それに森村くんの辞書、なんか汚れてるんだもん」
 紗江が顔をしかめると、
「そんなことないだろ」
 森村が慌てて否定した。べつに辞書が汚れているというのは使い込んでいる、ということなんだから恥ずかしがることもあるまいに。
「お兄ちゃんの辞書、開いたことないくらいに綺麗だから」
 そっちのほうが恥ずかしいではないか。
「なるほど」
 美保が腕を組み、頷いた。
「学校に置きっ放しだし」
 紗江がここにいない兄の汚名に追い討ちをかけた。
「相変わらず、なんていうかキュンキュンするねえ」
 かなみが口を綻ばせた。
「ここまで堂々とされるとむしろ清々しいっていうか」
 愛子が同調し、
「ね。お似合い」
 と美保が言う。
 紗江と森村のカップルは、校内でも評判だった。
 なんとなく、初々しいし、かわいらしいし、少女漫画みたいだ。
 そもそも、幼稚園からずっと一緒で、高校に入ってついに付き合うこととなったという。なんだそれ。都市伝説かなんかか。
 そんなことあるのか? と。
 かなみや愛子からすれば、羨ましくて仕方がない。だって自分の幼馴染って、稔とか昭二である。あいつらとこんなふうになれるわけがない。
 気のいい男の子が幼馴染、なんてチートかなんかしたのか? 前世でよっぽど善行を積んだに違いない。
「違うんです、森村くんがすぐわたしのあとついてくるから……」
 紗江が先輩方を前に慌てていると、
「俺のせい?」
 と森村がおっとりしたふうに言った。
 なんか、こういう感じ、めっちゃええやん。あれ、謎に関西弁になってるし。
 ていうか、この光景を見ているのは、誰?
 そもそも、これって、本当にあった風景なのかな。