(白銀、白銀……!)
 氷に包まれた中で、まだ瑠衣は意識を保っていた。
 身体はピクリとも動かない。呼吸も出来ない。呪力だけで持たせているが、それも長くはないだろう。
 そんな絶望的な状況で、瑠衣は必死に願っていた。
 白銀は人々の願いから生まれた妖だと言っていた。
 今までに、どれほど多くの人々の願いを叶えてきたのだろう。
 健康、豊穣、子宝……そのようなものだけでなく、もっと即物的なものだってあっただろう。お金や、落とし物を見つけたいといった。
 それらの願いや祈りを聞くたびに、白銀の妖力の源となった。
(みんな、願っていますよ)
 妖屋敷の妖達は、白銀の幸せを願っている。瑠衣がその隣で笑っていることを願っている。そこに、瑠衣の呪力のおこぼれをもらいたい。そんな邪な思いがあったとしてもだ。
 美桜だって願っている。白銀を主君と仰ぐ姿は、まるで兄妹のようではないか。
 死なないで、という願いを残したのは舞衣だ。このまま白銀がいなくなってしまえば、自分は間違いなく自死を選ぶ。
 ――そして。
(わたしは、白銀とともにありたいと願いました)
 そうして三度も繰り返したのだ。
 繰り返すたびにその願いは強くなり、今ではどうしようもなく瑠衣の中心に鎮座している。他のものは何を譲ってもいい。けれど、この願いだけは誰にも……白銀にすら譲ることはできない願いだ。
(何より、あなたの嫁のお願いですよ?)
 通りすがりの村人の願いも叶えただろう。
 それなのに、最も大切なはずの者の願いを叶えないとは何事ですか。
 自分は通りすがりの者以下となってしまう。もしも、白銀がその程度しか思っていないのであれば、この空間なんて全て破滅して無くなってしまえばいい。
(叶えてください。わたしの一生のお願いです)
 いくら願っても白銀は黙ったまま。次第に呼吸は苦しくなり、呪力も尽きてきた。このまま果てるしかないのだろうか。
(――お母様……)
 意識を失いかけ、最後に志乃の顔が脳裏に浮かんだ。
 同じ呪力を持ち、それを扱う術を教えてもらった。妖狩りの中では異端だったかもしれないが、瑠衣にとっては偉大な母だった。
(いえ、まだです……!)
 志乃に封じられた最後の力が残っている。その封印こそが、この苦境を抜け出す最後の鍵だと思っていた。白銀ですら見逃した、我が身に掛けられた香。いつも身に纏っていた香と同じ匂いだったからこそ見落とした。
 まだ早い――そう、あの時はまだ早かった。あの歳で全てを捧げるには、まだ。
 必死に意識を繋ぎ留めながら、瑠衣は自分の奥深くへと潜っていく。呪力が湧きだす源とも呼べる心の臓は、禍々しい毒に覆われていた。けれど、その奥に少しだけ感じる匂いで、自分の考えは間違っていなかったと確信する。
(今のわたしなら!)
 最後の呪力を振り絞り、少しずつ毒を浄化していく。その奥から現れた命の源は、春の息吹のような強烈な匂いを放っていた。これだ、これが本当の自分の呪力だ。ただ美味しいだけの呪力ではない。一緒に生きるという願いを届けるための呪力だ。
 これこそ、志乃が封じた一番の理由。今なら理解できる。
 重傷を負っていた白銀が、どうして何も治療をしていないのに傷が癒えたのか。あの時の瑠衣に、そんな治癒の力などなかった。できたのは白銀を隠すことだけ。それにもかかわらず回復したのは、瑠衣が無意識に白銀に呪力を与えたからだ。彼の妖力を増幅させるための呪力を。
 このようなものを妖に見せたら喰らい尽くされるに違いない。たしかに十三の歳ではまだ早かった。けれど、今ならば――自分の覚悟は決まっている。
(白銀、お願いです。目を覚ましてください)
 それをもって白銀へ呼びかける。
 本当に、一生に一度のお願いなのだから。
 そのために全てを捧げる。
 生贄?
 上等ではないか。
 白銀の生贄になれるのであれば本望だ。
(白銀……)
 今度こそ息が続かなくなり、意識が遠のいていく中、瑠衣は一心不乱に願った。
 それは、いつしか光となり、氷ついた二人を暖かく包み込んでいく。瑠衣の中心から滲み出た呪力が、命の輝きのように黒々とした空へ伸びて――