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「どうも、姉がお世話になっております!」
 ぎゃー、とひとしきり白銀が騒いだ後、瑠衣への来客――舞衣を居間に招いていた。瑠衣と白銀が並んで座り、その正面に舞衣が正座をしている。藤の花をあしらった小袖に薄紫色の袴は、妖狩りの身分を示す意匠だ。その横には妖を倒すための刀。「どうぞ~」とお茶と煎餅を美桜が三人の前に出した。
「そういや妹がいるんだっけな。お前が舞衣か」
 茶菓子の煎餅に白銀が手を出した手には、瑠衣の歯形がくっきりついていたりする。
「瑠衣に似て姿勢がいいよな。匂いもそっくりだ。姉ちゃんを妖の嫁にされて心配していただろうが、さっきも見たように、仲良くやれてるから安心してくれ」
「そうですよね。お姉ちゃんの邪魔をしてしまった気がします」
 にやにやとした笑みを向けられ、瑠衣はついっと視線を逸らした。
 誰も見ていないと思っていたからこそ、あんな行動に出られたのだ。二人きりでなければ殴ってでも白銀の腕から抜け出していた。それなのに……よりによって舞衣に目撃されるとは。今こそ時間を戻して舞衣の記憶を消してしまいたい。
「気にすんな。いつもやってることだしな」
「い、いつもではないですから!」
 慌てふためいた瑠衣の反応に、ふぅん、と舞衣が首を傾げる。こほん、と咳ばらいを一つしてから瑠衣は訊ねた。
「それで、舞衣はどうしてここに?」
「うん。お姉ちゃんと話がしたくて。だって、妖のお嫁に行っちゃったんだよ? あたしだって心配してたんだから」
「そうですか……もっと頻繁に文のやり取りをすべきでした」
 二回目と同じ内容で出した、現状を報告するための文。瑠衣の記憶では嫁入り道具と毒が送られてきたはずだった。それなのに、今回は舞衣が派遣されてきた。この違いは何を意味しているのだろうか。
 一人考え込んでいると、舞衣が物問いたげな表情をしていることに気が付いた。ただ、姉の顔を見に来たというだけではないようだ。
「あの、白銀……」
 瑠衣の視線を受けて、白銀も察したようだ。小袖の裾を払いながら立ち上がる。
「久しぶりに姉妹二人で話したいこともあるだろうからな。オレと美桜はしばらく席を外しておくぜ。終わったら呼んでくれ」
「ありがとうございます」
 白銀と美桜が部屋を出て、足音が縁側の向こうへと消えていく。その音が十分に離れたところで、舞衣が身を乗り出してきた。
「お姉ちゃん、何やってんの?」
「なに、とは?」
「さっきの縁側での、演技じゃないよね? これじゃ本当に夫婦みたいじゃん。まさか、本当にあの妖の嫁になるつもり?」
 外には聞こえないように声は小さくしているものの、その調子は相当強い。明らかに怒っている。
「こっちに報告の一つも寄越さないしさ。妖が倒れたって噂もない。お姉ちゃんが妖を上手く騙して、助けを待ってるんじゃないか。文も下手に出せない状況かもしれない。そんな話も出て、会いに行っても怪しくないあたしが派遣されたってわけ」
(……報告がないとは?)
 文は出したはずなのに、と訊ねようとするも、舞衣は相当溜め込んでいたようで、怒涛の如く続けた。
「あたしは嬉しかったんだよ。お姉ちゃんが出発してから、二度と会えないと思ってずっと泣いてたんだから。でも、お姉ちゃんがまだ生きてるってわかってからは、毎日祈ってた。酷い目に遭わされてるかもしれないけど、どうか、命だけは捨てないでって」
「舞衣……」
「だけど、さっきのは何? 完全に篭絡されてるじゃん! どんな優しいことされたの? 美味しいものでもたくさんもらった? そりゃあ、呪力を無くしちゃったお姉ちゃんが、いろいろと溜め込んでいたのはあたしも知ってる。だからって、妖に堕とされたお姉ちゃんなんて見たくなかった!」
「しーっ! 声が大きい!」
 喋っているうちにだんだん興奮してきたのだろう。これでは外に聞こえてしまう、と焦りながら瑠衣は宥めた。
「……とにかく、お姉ちゃん」
 舞衣は気持ちを落ち着けるように、大きく息を吐き出した。
「忘れてないよね? あたしたちのお母様は、妖に殺されたの」
「安心して。それを忘れたりはしないから」
 瑠衣が十三歳の時に母である志乃は亡くなった。詳細な理由は公表されなかったが、妖討伐に赴いて、そこで返り討ちになったと聞かされた。
(お母様……か)
 だが、瑠衣はその事実を密かに疑っていた。
 妖狩りは人々から尊敬を受ける。自らの身を危険に晒して、呪力を持たない者達を守るからだ。そんな妖狩りの中にも序列というものがある。
 強い妖を狩れば、それだけ序列も上がる。高位の序列になれば、妖狩りの中からも尊敬を受けられ、大きな権威と権力を持つことができる。それは、お金では絶対に買えないものだった。
 志乃と政重が若き頃、二人はその座を巡って競争していたと聞く。特殊な呪力ゆえ、志乃が長の座に就くことに難色を示した者もいたらしいが、志乃の成績は抜群で、とうとう長の座を射止めた。負けた政重は大層悔しがっていたらしい。
(わたしはそれを知っている)
 表向きは、殺してしまえという上層部から庇い、生き長らえさせてくれた。しかし、それは政重の野望の一部ではなかったのだろうか。いざという時――要するに今だ――には、毒を埋め込んだ瑠衣を使い妖を倒す。
 そんな政重の本性を見抜いていたからこそ、瑠衣は自ら進んで生贄となったのだ。屋敷で断っていれば、確実に舞衣のほうが犠牲になっていたはずなのだから。
(……あれ?)
 ふと、瑠衣は内心で首を傾げた。どうして二回目の時はこの事実を考えなかったのだろう。あの時思い出していれば、もっと別の方法を取ったはずなのに。
「じゃあ、お姉ちゃん」
 舞衣の低い声に、思考していた瑠衣は我に返った。
「改めて聞くよ。何やってんの?」
 舞衣の瞳は真剣そのものだ。適当なことを言ってはぐらかすこともできないだろう。何より、血の繋がった唯一の相手に、そのような不誠実なことはしたくない。
「先に一つ確認したいのだけど」
 冷静に話し合わなければならない。意識して自分の感情を制御しながら瑠衣は口を開いた。
「わたしは文を一通送っている。それをあなたは読んでないの?」
「ううん。さっきも言った通り、文すら出せない状況なんじゃないかって、妖狩り……政重様はそう思ってる。お姉ちゃんが出したなんて初めて聞いたよ」
「ということは、届いていない……?」
「どうせ、あの妖が勝手に読んで止めたんじゃないの? お姉ちゃんが一人で出したわけじゃないよね」
 吐き捨てるような舞衣へ、瑠衣は反論した。
「それは絶対にない。考えてみて。文の内容がわたしの救助を求めるものだとしたら、わたしはとっくに殺されていたと思わない?」
「それは、そうだけど……どんな内容だったの?」
 瑠衣は文にまとめた内容を舞衣に話した。村の現状や、前の領主が悪事を働いていたこと。白銀はそれを助けようとしていることなどだ。自分の目で見たことを、舞衣にも伝わるよう丁寧に言葉を尽くした。
「――理解した? 村の前の領主が、政重様を騙しているの」
「ふぅん……」
 腕を組んで舞衣はしばらく考え込む。すぐには受け入れられないだろうと思い、瑠衣は辛抱強く待った。熱くなると一直線なところがあるが、頭を冷やしてやれば話してわからない相手ではない。
「……やっぱり納得できないよ」
 たっぷりと悩んでから、舞衣はポツリと呟く。
「どの部分が納得できない? 教えてくれたら説明を……」
「お姉ちゃんが、あの妖が好きなこと」
 ずばりと指摘され、瑠衣は言葉に詰まった。
「それなら戻ってくればいいじゃん。あの妖だって、まともな領主が来れば去るんじゃない? お姉ちゃんだって生贄の身分から解放される。でも、戻ってくる気ないよね?」
「……舞衣。信じられないかもしれないけど」
 これでは説得できない。瑠衣は思い切って把握している現状を伝えてみることにした。
「この空間は繰り返しているの。すでに三度も。一度目はあなたの言う通り、政重様の元に戻った。けれど、白銀を倒さなかったことで、妖に魅入られたとしてわたしは殺されてしまった。だから、死なずに済む方法を探しているのだけど、それが見つからなくて困っているの」
「…………はああ?」
 何を言っているのだとばかりに、舞衣の眉が盛大にひそめられた。
「お姉ちゃん、大丈夫? あの妖に変な術を掛けられてない? 繰り返してるとか意味わからないよ」
「…………」
 予想通りの反応に何も言い返せない。
 やはり、舞衣には一度目や二度目の記憶はないのだ。そして、記憶がなければ、今の話を信じられないのは当然だ。記憶の残っている瑠衣ですら、未だにこれは夢ではないかと疑っているくらいなのだから。
「……とにかく」
 絶対に信じないと、強い意思の籠った瞳で舞衣が睨んでくる。
「妖が人間のために何かするわけがない。お姉ちゃんの心の隙に入り込んで操ろうとしてるだけだよ」
「白銀はそんなことはしないから。舞衣も村に下りてみればわかるはず」
「無駄よ、無駄だから」
 決めつけるように言うと、話は終わりとばかりに舞衣は勢いよく立ち上がった。
「篭絡されたお姉ちゃんにも何を言っても無駄ってこともね。待ってて。あたしが証拠を見つけてあげる。そして、お姉ちゃんをここから助け出してあげるから」
「ま、舞衣!」
 立ち去る背中に呼び掛けるも、舞衣は振り向きもせずに部屋から出ると縁側から下りた。中庭の途中で美桜と会うと、表情だけはにこやかに会釈をして、そのまま表門へと歩いて行く。
(困った……)
 部屋の中で一人、瑠衣は頭を抱えた。説得は完全に失敗に終わってしまった。あ~ん、の場面を目撃されてしまったのが一番痛い。
(いえ、それは違う)
 白銀のせいにしかけて思い直す。彼のことが好きなのはまぎれもない真実なのだ。下手に言い繕って、誤解させるようなことにならなくてよかったのかもしれない。そのほうが後でさらにややこしいことになっていただろう。
「本当に……困った」
「どうした、喧嘩でもしたのか?」
 何度もため息を吐いていると、白銀が部屋へと戻ってきた。
「いえ、ちょっと……」
 ここで言葉を濁しても仕方がない。白銀のことは信じているのだ。不審に思った内容を素直にぶつけた。
「以前、白銀に文を頼んだと思うのですが、きちんと届けていただけましたか?」
「ああ、美桜がやってくれたぞ。あいつのやる仕事に嘘はねえからな」
「そうですか……。中身は読みましたか?」
「はあ? どうして嫁の出す文の中身を読まなきゃいけねえんだ? 瑠衣が妖狩りの娘だからって、信用してないとでも思ったのか」
 少しばかりむっとした表情で白銀が言い返してくる。
 その様子から、嘘はないと瑠衣は判断した。さらには、白銀にもこれまでの記憶はないのだろうとも思った。二度目は文の返事で送られてきた毒を煽って、瑠衣は死ぬ羽目になったのだ。もしも記憶があったのなら、瑠衣の送る文の内容が気になり、目を通しているのではないだろうか。
「そうですよね。すみません……疑っていたわけではないのですが」
 丁寧に謝ってから、舞衣が文の内容を知らなかったことを白銀へと告げた。さすがに本来の目的――今となってはもう過去のことだが――を話すことはできなかったが、喧嘩の原因となったことはそれとなく伝える。
「――なるほどな。要するに、姉ちゃんを取られて面白くないってか」
(ああ、それは考えていなかった)
 白銀の指摘に、やっと瑠衣は腑に落ちた。少々、舞衣が意固地になっているようにも感じていたからだ。
 母が死んでからずっと二人で政重の屋敷で暮らしていた。呪力を失ってからは一人になりがちだった瑠衣だが、舞衣は変わらず接してくれていた。その存在が遠くに行って面白くないのだろう。
「瑠衣との仲を認めてもらうには、舞衣を納得しなきゃいけねぇってか」
 これはやりがいがありそうだ、とばかりに白銀が指をボキボキと鳴らす。
「次にここへ来たらもっと見せつけてやらねえとな。何だったら、あいつの目の前で口づけでも……」
「舞衣はわたしに関しては冗談が通じないので、斬られてしまいますよ?」
 さらりと脅してから、瑠衣は考えていた内容を口にした。
「もうすぐ、わたしたちを祝っていただける宴が村でありますよね。その席に舞衣を呼びたいと思うのですが、それはなりませんか?」
 村中の者が集まると聞いている宴だ。そこで全員から祝福されている姿や、白銀がどんなに慕われているかを見れば、舞衣だって考えを改めると思ったのだ。
「いいぜ。オレが断るわけねえだろ」
 当然、と白銀は頷いた。だが、直後にニヤリとした笑いを見せ、瑠衣を嫌な予感に包ませた。
「嫁の頼みは何でも聞いてやりたいが、頼みかたってもんがあるんじゃねえかなあ?」
「うっ……」
 白銀の手が、手つかずだった煎餅へと伸びた。
「さっきは途中で終わっちまったからな。今度はオレの手に噛みつくなよ?」
 どうやら、あ~ん、からは逃れられないらしい。
(こ、これも舞衣のためだから……!)
 心の中で言い訳を連ねながら、瑠衣は目を閉じると小さく口を開けたのだった。