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 パチリ、パチリ、と縁側で将棋の駒の音が響く。
 瑠衣は眉間に皺を寄せ、腕を組んで難しい顔をしている。自分のほうがかなり厳しい局面。ここから逆転するのは無理かもしれない。それでも、一縷の望みをつなごうと粘る。
 そこから数手進み、相手をしている白銀が、ふっふっふと笑った。駒大の上から金を摘まむと、瑠衣の玉の頭に容赦なく打ち込む。
「よぉし。これで詰みだな」
「……少しくらい、手加減をしてくれてもいいと思うのですけど」
 頬を膨らませながら、瑠衣は横のお茶を手に取った。対局している間にすっかり冷めてしまった。美桜が出してくれたのか、いつの間にかお饅頭の乗ったお皿もあった。
 今日は、二回目に瑠衣が死んだ日。
 結界の修復の目途がついたということで、白銀は朝から屋敷に居た。きっと、瑠衣が彼の仕事の一部を受け持ったことで、白銀の分担が早く終わったということだろう。
 久しぶりに二人の時間ができた。遊ぼうぜー、と白銀が持ってきたのは将棋盤だった。二回目の繰り返しで、一勝一敗で終わったのを覚えていた瑠衣は、決着をつけるべく白銀の要請に応じたというわけだ。
 だが、結果は惨敗。いいところが一つもなかった。白銀が油断していないと、勝負にならないのを思い知らされただけだった。
(もう少し強くならないと、白銀もつまらないかもしれない)
 棋書でもねだろうか、と考えていると、白銀が二人の間から将棋盤を横にずらした。
「さてさて、勝ったほうが何か一つ、願い事を聞いてくれるって約束だったよな」
「……はい? そのような約束をした覚えはありませんが」
 半眼になって白銀を睨む。何を言っているのだ。ただでさえ負けて不機嫌になっているというのに、どうして白銀の願いを叶えてやらないといけない。
「瑠衣こそ甘いな。この屋敷じゃ、そういう決まりになってんだ」
「そんな決まり、美桜にも聞いたことありませんけど?」
「そりゃそうだ。オレが今決めたんだからな!」
 思いっきり胸を張りながら白銀。瑠衣は再び半眼で睨んでやった。まだ村の陳情をまとめる仕事も残っているのに、そんな冗談に付き合っている暇はない。
「意外と瑠衣は負けず嫌いなんだな。気の強さは見た目通りだけどな」
「そんなことは……」
 と、言いかけて、ふと黙り込む。
 呪力では勝てない舞衣に、騙し討ちのようなことをして勝利を収めた。妖から子供を守るために身体を張った。そして、この繰り返しの謎を解くため、一人の力で自分が死なない道を探そうとしている。
(たしかに、そうかもしれない)
 この屋敷では白銀に代わって、掃除や蔵への物資の搬入などで、妖に指示を出したりもしている。白銀から権限を委譲してもらっているとはいえ、瑠衣はただの人間だ。それも呪力すらない。これが三回目の繰り返しとはいえ、普通はこうはいかないだろう。
「ま、今日は瑠衣の意見は聞かねえがな」
「わっ!?」
 考え込んでいると不意に抱え上げられ、白銀の膝の上に乗せられた。
「オレのために、こんないい匂いをさせてるくせによ」
「し、白銀のためでは……」
 不意打ちで香のことを指摘され、瑠衣はおろおろと視線を彷徨わせた。
 志乃からの置き土産を解くために香を焚くようになったが、白銀のためではない。この繰り返しから抜け出すための謎を解きたいがゆえであり、あわよくば自分の呪力の復活を目論んでいるからである。それをいい匂いと称されると困ってしまう。
 白銀はそんな瑠衣の事情を知るわけもなく、彼女を抱いたまま反対の手が皿のお饅頭へと伸びた。それを瑠衣の口に寄せて言う。
「ほれ、あーん」
「あーん……?」
 意味がわからず首を傾げると、もう一度催促してくる。
「食べさせてやるから、口を開けろっつってんだ!」
 どうして言わせるんだ、とばかりに白銀が叫んだ。やっとのことで白銀がやりたいことを理解し、瑠衣の頬が瞬時に赤く染まった。
「こ、子供ではないのですから、一人で食べられます!」
「いいや、将棋に負けたんだから、今日はオレの手で食べてもらう」
 問答無用でお饅頭が近づいてくる。ついでに白銀の整った顔も一緒に近づいてきて、ますます頬が熱くなってしまった。
 時々、白銀はこんなことがある。瑠衣を肉体的にいたぶるようなことはないが、精神的なところで弄んでくるのだ。正直、そちらのほうが苦手な瑠衣は、どうすれば逃れられるのか全く見当がつかない。毎回、首をすくめて困り果てるしかない。
「最近はなかなか遊べず寂しかったんだ。久しぶりに、瑠衣。甘やかせてくれ」
(その言いかたは、ずるい……)
 耳元で切なげに囁かれて、瑠衣の理性は撃沈した。
 たしかに、結界の見回りで白銀はずっと昼間は屋敷を開けていた。夜は夜で、瑠衣のほうが志乃の謎解きで疲れ果てており、白銀の隣でさっさと眠ってしまっていた。
「瑠衣、どうだ?」
「うっ……」
 触れそうなほど近くにある白銀の顔を直視できない。しっかりと抱えられているおかげで、顔を背けるのも許して貰えない。観念して瑠衣はぎゅっと目を閉じた。どうにでもなれとばかりに口を開ける。そこへ、白銀の手の気配が近づいて――
「瑠衣様! お客さまですよ~」
「お姉ちゃん……って、何してるの!?」
 突然聞こえてきた思いもよらぬ声に、動揺してしまった瑠衣は、白銀の手に思いっきりかぶりついてしまった。