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(すっかり紅葉したな)
 庭で箒を使いながら、瑠衣は鮮やかに染まった山を見上げた。屋敷に来た頃は、まだ緑の葉も見えたのだが、今は赤や橙色、黄色など、様々に色づいている。庭へ視線を移すと、こちらも紅葉しており、風が吹くたびに数枚、ゆらゆらと地面へと落ちていた。
 その葉っぱを追いかけて、犬の妖の幼獣が楽しそうに遊んでいる。
 走り回る妖の幼獣に、別の幼獣が参戦して、せっかく掃いた庭の葉っぱが荒らされる。瑠衣はもう一度箒を使って、別の場所に集めた。
(ふふふ、楽しそう)
 夢の中で死んだ日から、五日が経過していた。
 あの日は予想通り、朝まで白銀は離してくれなかった。寝た振りをして粘るも、昼間の妖の件の疲れもあって、そのまま眠りに落ちてしまった。
 朝日を浴びると決心は見事に揺らいでしまった。死ぬとわかっているのに、どうしてそこへ戻れようか。
 こんなのは、妖狩りとしては完全に失格だ。魅入られたと思われても仕方がない。それでも瑠衣にとっては、もはや白銀の元から去る選択肢はない。
 しかし、別の刺客を差し向けられても困る。そこで瑠衣は、手紙で白銀と村の現状をしたためて送っていた。
(白銀様のことも、理解してくれるといいのだけど……)
 箒の手を止めて空を見上げる。
 白銀は結界の修繕に村へ下りている。一緒にどうだと誘われたのだが、政重からの返事が気になるのだ。屋敷の妖が勝手に中を読んだりはしないはずだが、文が届けば一刻も早く内容を確認したいと思っていた。
「――瑠衣様!」
 屋敷の表からの声に、瑠衣は箒を縁側に立てかけると、そちらへと急いだ。門へ着くと、ちょうど美桜が荷車を引いているところだった。返事の文ではなかったのだろうか。
「あら、これはどうしたのですか?」
 瑠衣は後ろから荷車を押してやりながら問いかけた。
「瑠衣様の宛ての荷物らしいですよ。政重とかいう方からです。この前の文の返事もあるようですねー」
「文の返事にしては、この荷物は一体……」
 とりあえず中庭まで荷車を入れてから、瑠衣と美桜は協力して荷物の縄を解いた。
 汚れないように布で包まれた箪笥が鎮座しており、その横に幾つもの木箱が積み上げられている。中を開くと、化粧道具の一式や文房具。立派な着物もある。他にもこまごましたものがたくさんあり、一番重たい箱の中には小判まで入っていた。そして、返事の文が入っているという細長い筒。
「どうしてこのようなものが……」
 うーん、と首を瑠衣は首を捻る。文で催促した覚えはない。美桜も同じように考え込んでいたが、何かを思いついたかのようにポンと手を叩いた。
「政重様って、瑠衣様の育ての親なのでしたっけ? そうだとしたら、これは嫁入り道具だと思いますよ」
「えええっ!?」
 そんな馬鹿な、と思いかけて、すぐに美桜の言う通りかもしれないと思い直した。
 この屋敷に来た時は、瑠衣自身が贈り物……というか、生贄だったから身一つだった。小袖など日々に必要な物は、白銀が全部用意してくれた。それが、本当に嫁として扱われるのであれば、相応の物を持たせてやろうというのだろうか。
「よかったですね、瑠衣様。お家の方も認めてくれたのではないですか?」
 美桜の心からの言葉に、瑠衣は胸がじぃんと熱くなるのを感じた。零れそうになった涙を何とか堪える。瑠衣の説明は伝わったのだ。政重は妖を、正式に輿入れする相手として認めてくれたということだろう。
(これで、白銀様も安全に)
 別の妖狩りが刺客として送られることもないはず。白銀が戻ってきたら、よい報告ができそうだ。
「すみません、美桜様。部屋に入れるのを手伝ってもらえますか?」
「もっちろんですよー! この箪笥を運ぶのは他の妖も呼びましょう。瑠衣様はお部屋で置く場所の指示をだしてくださいね! おーい、みんなー!」
 美桜が叫ぶと、ぞろぞろと屋敷の妖達が集まってきた。
「これ運ぶの手伝ってくださーい! 場所は瑠衣様の指示に!」
 少ない荷物ではなかったが、蔵に入れるような量ではない。屋敷の妖が手伝ってくれると、殺風景だった瑠衣の部屋は、すぐに見違えるようになった。
「これはいい物ばかりですねー。政重様はお金持ちでしたか」
 部屋に並んだ調度品を、一つ一つ調べながら美桜が言う。
「お金持ち……といえば、そうなのでしょうか」
「うんうん。そうですよー! 妖でも人間の持ち物に興味がある輩は、こんなのばっか集めますからねぇ」
 妖狩りが集う大きな屋敷を思い出す。部屋を飾る調度品は煌びやかで、外部の人間を迎える庭も、手入れの行き届いた雅なものだった。奉公人も何人もいた。たしかに、お金持ちと言われればそうかもしれない。
 妖狩りも無料で討伐を受けるわけではない。決して安くはない報酬を受け取っている。自らの身を危険に晒した対価であり、暴利をむさぼっているわけではない。それが証拠に、妖狩りは若くして命を落とすことが多い。
 その中でも政重は、妖狩りの待遇向上のために尽くしてくれていた。
 一つは瑠衣の初めての妖退治が無謀なもので、それが原因で呪力を失ったというのがある。毒を埋め込まれた瑠衣に対してよく、すまないな、と謝ってきた。政重が担当する地域の妖狩りの給与は高く、死んだ家族にも手厚いらしい。瑠衣もまた、彼のおかげで妖狩りのご飯を食べさせてもらえたのだ。
(だけど……いたっ……)
 ずきん。
 頭の奥が疼くような感覚に、瑠衣は顔をしかめた。何か重要なことを見落としている――いや、忘れてしまっている気がする。
「瑠衣様? どうかなされましたか?」
「いえ、少し疲れたみたいですね」
 心配そうにのぞき込んでくる美桜を安心させるように瑠衣は微笑んだ。憂いなんてどこにもないはずだ。
「たくさん動きましたもんね! 白銀様のお戻りまで、ごゆるりとお過ごしください!」
 うんうん、と頷いてから美桜が部屋を出て行く。残された瑠衣は、荷物と一緒に送られてきた木の細長い筒を手に取った。
 嫁入り道具を送ってきたということは、生贄生活は今日で終わりということだろう。ここでの生活が落ち着いたら、白銀に頼んで舞衣に自分の暮らしを見せてやろう。きっと心配しているだろうから。
 そんなことを思いながら、瑠衣は細長い筒の蓋を開けた。中から出てきたのは、文が一通に封印が施された薄紫色の薬袋。
(……これは?)
 胸騒ぎを感じて、急いで文を開いた。
「な、なんということ……」
 文を読み進めるうちに、瑠衣の瞳が驚愕に見開かれていく。
 そこにあったのは、白銀の暗殺計画だった。嫁入り道具を送ったことで、白銀も安心するはず。その隙を見計らい、文と一緒に入れていた薬袋の毒を盛る。上手くやれば瑠衣も生きて政重の屋敷へ戻れるはず。
(そのようなこと、できるはずがない!)
 憤りながら先を読んで、さらに愕然とする。この計画が上手くいかなければ、次は舞衣を派遣するとあったからだ。
(……舞衣では絶対に勝てない)
 妖狩りとして舞衣の呪力が弱いわけではない。白銀が強すぎるのだ。間近で見ていたからこそ、瑠衣はその力を実感している。それこそ、母くらいの呪力がなければ相手にならない。
 白銀によって、氷漬けにされた舞衣の姿が脳裏に浮かんだ。
(いいえ、そんなことはさせない)
 ぶんぶんと強く首を振って、最悪の展開を追い払う。
(話せばきっと白銀もわかってくれるはず)
 前もって知らせていれば、白銀も手加減をしてくれるだろう。その上で、ここで何が起きているかを、舞衣に直接感じてもらう。自分の妹だ。きっと理解してくれるはず。
(だけど、その後は……?)
 舞衣が政重の元へ戻った時のことを考える。夢の中、政重に斬られた自分の姿を思い出す。同じような運命を舞衣が辿ってしまうのではないだろうか。
(わたしのために舞衣が犠牲になってしまう)
 そもそもは、舞衣を守るために妖の生贄になろうと決めたのだ。それが巡り巡って、舞衣を危機に陥らせている。
(わたしはどうすれば……)
 文と薬袋を握りしめたまま、瑠衣はいつまでもその場に座っていた。