最初のホールに戻ると、桐月先生が待っていた。
「皆さん、お疲れ様でした。本日のレッスンはこれで終了です。どうでしたか?」
疲れました、と『サンダルウッド』役の子が言った。
「大変だったでしょう。特にアフレコ授業。キャラクターのラフ画と一言二言の設定だけで、キャラとしてしゃべれなんて無茶ぶりもいいところです。企業で言うところの圧迫面接に近いですね。こんな初回になってしまって、申し訳ありません」
桐月先生が軽く頭を下げる。
「ですが、現場に出たら似たようなことはいくらでもあります。高い対応力、何よりギリギリまで考え続ける粘り強さを要求されます。これから短期間で、それらを培い、伸ばし、よい声優になって頂ければと思います。そのために私は、講師として全力であなたがたにぶつかりましょう」
どうぞよろしく――桐月先生のお辞儀に、わたしたちは姿勢を正し、「よろしくお願いします」を返した。
他の臨時講師の方々も、言葉を送ってくれた。
まずは青井さん。
「はい。お疲れ様です。臨時講師として厳しくするよう要求されたので、遠慮なく行かせていただきました。もう皆さん、最初にあった考えは跡形もなく消えているでしょう? 自分は合格したのだから大丈夫――という『勘違い』です」
寧音ちゃんがこっそり「はい……」と返事した。
次は寿さんだ。
「声優、そして役者というのは本当に奇怪な商売です。僕はこれを職業とは絶対に言えません。なにせ安定しない。はっきり言いましょう。僕たちは日雇い労働者です」
色取さんが継いだ。
「寿さんの言うとおりです。声優はレギュラーアニメが終わると、仕事がなくなります。定期的に、数ヶ月ごとに無職になる生業です。私が昨日も今日も明日も一週間後もスケジュールが埋まっているのは奇跡に近い」
奇跡なのか。武道館でライブをし、リリースしたCDがオリコンに入るほどの人気がある色取さんなのに、『奇跡』なのか。
「自分をコンテンツ化して、時に多くの人々から人間として扱われないことを甘受しているのに、骨折や病気のひとつもすれば一瞬で路頭に迷う。そんな仕事です」
怖いでしょう、と問いかける色取さんに、ゾクリとした。
「実を言いますと、私は昨日新しいアニメのオーディションに落ちました」
(!?)
合格者が全員目を剥く。
「あ、色取さんもですか。私もですー」
「僕もです。舞台と合わせると不合格記録が十に届きそうです」
高遠さんと寿さんはあっけらかんと言うけど、俄に信じられなかった。けれど、他の先生方も「同じく」と手を挙げる。
「生半可な気持ちなら、ここで引くのも手です。それはあなたがたの自由。それだけは覚えておいてください」
色取さんが手持ちマイクを下ろした。
最後に、高遠さん。
「先輩方が色々怖いことを言っちゃいましたね。皆さんは今、すごーく怖くなってると思います。でも」
高遠さんは声も目の色も、深くて、優しかった。
「怖いだけ、ですか? 他にも別の感情が生まれませんでしたか? 胸に手を当ててください。もし熱かったら、――そうですね、嬉しいです。声優の先輩として」
桐月先生も、他の皆さんがうんうん頷く。微笑みさえ浮かべていた。
「いつか同じ現場で会えることを、私は楽しみにしています。それまで私も生き残れるよう頑張りますね!」
高遠さんからのメッセージに、自然と拍手が出た。
手が熱い。
わたしの胸も熱い。
何かが――灯ったみたいに。
課題をもらって、挨拶をして、解散した。更衣室で着替えると、ロビーに合格者の面々が揃った。
寧音ちゃんが言った。
「うち、恥ずかしいわ。無意識でナメとった。オーディションに合格したんだから自分はやれるってまさしく『勘違い』しとった」
「同じく、です。やっぱりプロはすごい」
「ワタシたち、あの領域まで行けるんでしょうか……」
『サンダルウッド』役のマッチョ男子と、『レモングラス』役の小柄な女子がため息をつくと、わたしの隣にいる美少女が言った。『イランイラン』役の子だ。
「アタシ、辞退しようと思う」
「え!?」
「声優になるのが嫌なんじゃない。ドキュメンタリーが……アタシが傷ついたり苦しむ姿をたくさんの人に見られるのは……嫌」
「おれも、自信ない……」
『スペアミント』役の男子が眉をゆがませる。アクセサリーは外したままだった。
みんな、何も言えなかった。そんな余裕が無かった。
別れの挨拶もそこそこに、わたしたちは解散した。
外に出ると、真っ赤な夕陽が空いっぱいに広がっていた。
冷たい空気が火照った頬に心地いい。
「じゃあな、羽鶴ちゃん」
「うん。今日はありがとう」
「なあ、……来月、来る?」
他のメンバーが来ないかもしれないと知った今、寧音ちゃんが不安になるのも分かる。
でも、わたしは、
「もちろんだよ」
きっぱりと言った。
ああ、わたし、こんな気持ちの良い声で返事ができるんだ。
寧音ちゃんは笑って、「またなー!」と手を振って別方向の駅に向かった。
わたしはゆっくり歩いたけど、そのうち走り出した。
息が上がる。身体はヘトヘトだ。けれどわたしは、おなかの底から湧き上がるものがせっつくまま駆けた。
胸が熱い。
体中の血液が循環している。
頭が冴える。
興奮している。
今すぐ叫び出したい!
この感情を言葉にするとしたら、たったひとつだ。
駅に着いた。今から新幹線に乗ることを伝えようと家に電話をかける。
「どうだった?」というお母さんの質問に、わたしははっきり答えた。
「――楽しかった!」
「皆さん、お疲れ様でした。本日のレッスンはこれで終了です。どうでしたか?」
疲れました、と『サンダルウッド』役の子が言った。
「大変だったでしょう。特にアフレコ授業。キャラクターのラフ画と一言二言の設定だけで、キャラとしてしゃべれなんて無茶ぶりもいいところです。企業で言うところの圧迫面接に近いですね。こんな初回になってしまって、申し訳ありません」
桐月先生が軽く頭を下げる。
「ですが、現場に出たら似たようなことはいくらでもあります。高い対応力、何よりギリギリまで考え続ける粘り強さを要求されます。これから短期間で、それらを培い、伸ばし、よい声優になって頂ければと思います。そのために私は、講師として全力であなたがたにぶつかりましょう」
どうぞよろしく――桐月先生のお辞儀に、わたしたちは姿勢を正し、「よろしくお願いします」を返した。
他の臨時講師の方々も、言葉を送ってくれた。
まずは青井さん。
「はい。お疲れ様です。臨時講師として厳しくするよう要求されたので、遠慮なく行かせていただきました。もう皆さん、最初にあった考えは跡形もなく消えているでしょう? 自分は合格したのだから大丈夫――という『勘違い』です」
寧音ちゃんがこっそり「はい……」と返事した。
次は寿さんだ。
「声優、そして役者というのは本当に奇怪な商売です。僕はこれを職業とは絶対に言えません。なにせ安定しない。はっきり言いましょう。僕たちは日雇い労働者です」
色取さんが継いだ。
「寿さんの言うとおりです。声優はレギュラーアニメが終わると、仕事がなくなります。定期的に、数ヶ月ごとに無職になる生業です。私が昨日も今日も明日も一週間後もスケジュールが埋まっているのは奇跡に近い」
奇跡なのか。武道館でライブをし、リリースしたCDがオリコンに入るほどの人気がある色取さんなのに、『奇跡』なのか。
「自分をコンテンツ化して、時に多くの人々から人間として扱われないことを甘受しているのに、骨折や病気のひとつもすれば一瞬で路頭に迷う。そんな仕事です」
怖いでしょう、と問いかける色取さんに、ゾクリとした。
「実を言いますと、私は昨日新しいアニメのオーディションに落ちました」
(!?)
合格者が全員目を剥く。
「あ、色取さんもですか。私もですー」
「僕もです。舞台と合わせると不合格記録が十に届きそうです」
高遠さんと寿さんはあっけらかんと言うけど、俄に信じられなかった。けれど、他の先生方も「同じく」と手を挙げる。
「生半可な気持ちなら、ここで引くのも手です。それはあなたがたの自由。それだけは覚えておいてください」
色取さんが手持ちマイクを下ろした。
最後に、高遠さん。
「先輩方が色々怖いことを言っちゃいましたね。皆さんは今、すごーく怖くなってると思います。でも」
高遠さんは声も目の色も、深くて、優しかった。
「怖いだけ、ですか? 他にも別の感情が生まれませんでしたか? 胸に手を当ててください。もし熱かったら、――そうですね、嬉しいです。声優の先輩として」
桐月先生も、他の皆さんがうんうん頷く。微笑みさえ浮かべていた。
「いつか同じ現場で会えることを、私は楽しみにしています。それまで私も生き残れるよう頑張りますね!」
高遠さんからのメッセージに、自然と拍手が出た。
手が熱い。
わたしの胸も熱い。
何かが――灯ったみたいに。
課題をもらって、挨拶をして、解散した。更衣室で着替えると、ロビーに合格者の面々が揃った。
寧音ちゃんが言った。
「うち、恥ずかしいわ。無意識でナメとった。オーディションに合格したんだから自分はやれるってまさしく『勘違い』しとった」
「同じく、です。やっぱりプロはすごい」
「ワタシたち、あの領域まで行けるんでしょうか……」
『サンダルウッド』役のマッチョ男子と、『レモングラス』役の小柄な女子がため息をつくと、わたしの隣にいる美少女が言った。『イランイラン』役の子だ。
「アタシ、辞退しようと思う」
「え!?」
「声優になるのが嫌なんじゃない。ドキュメンタリーが……アタシが傷ついたり苦しむ姿をたくさんの人に見られるのは……嫌」
「おれも、自信ない……」
『スペアミント』役の男子が眉をゆがませる。アクセサリーは外したままだった。
みんな、何も言えなかった。そんな余裕が無かった。
別れの挨拶もそこそこに、わたしたちは解散した。
外に出ると、真っ赤な夕陽が空いっぱいに広がっていた。
冷たい空気が火照った頬に心地いい。
「じゃあな、羽鶴ちゃん」
「うん。今日はありがとう」
「なあ、……来月、来る?」
他のメンバーが来ないかもしれないと知った今、寧音ちゃんが不安になるのも分かる。
でも、わたしは、
「もちろんだよ」
きっぱりと言った。
ああ、わたし、こんな気持ちの良い声で返事ができるんだ。
寧音ちゃんは笑って、「またなー!」と手を振って別方向の駅に向かった。
わたしはゆっくり歩いたけど、そのうち走り出した。
息が上がる。身体はヘトヘトだ。けれどわたしは、おなかの底から湧き上がるものがせっつくまま駆けた。
胸が熱い。
体中の血液が循環している。
頭が冴える。
興奮している。
今すぐ叫び出したい!
この感情を言葉にするとしたら、たったひとつだ。
駅に着いた。今から新幹線に乗ることを伝えようと家に電話をかける。
「どうだった?」というお母さんの質問に、わたしははっきり答えた。
「――楽しかった!」