「それからこれは、あまり言いたくないんですけど……」

 高遠さんが手を挙げた。のんびりとした癒やし系の声音が、ふいに鋭さを帯びる。

「あなたたちの代わりはいます」

 ボールペンの先が狂った。

「これから、養成所や専門学校と比べものにならないくらい厳しいレッスンと、高いレベルを要求されます。また、ドキュメンタリー番組に出ることで、不特定多数の目に晒されることになります。そうなると、あなたがたの元に批評や批判が容赦なく届きます。時に心無い中傷も。……経験者として言います。必ず心が折れかけます」

 高遠さんの目がふいに遠くなった。
 そういえば、高遠さんはSNSを始めてすぐにやめたんだった。ファンを名乗る人の誹謗中傷がひどすぎて。

「具体的に言うと、男子は『キモい』『ナルシスト』、女子は『ブス』とその他セクハラ発言は必ずぶちかまされるわね」
「同じ人間だと思ってないんでしょうねぇ」

 色取さんと寿さんがさりげなく追加する。ゾッとした。高遠さんが頷く。

「先ほどのあなたたちの姿……私たちに怒られ、指摘され、言葉に詰まる姿は多くの人に晒されます。それは視聴者に楽しんでもらうためです」

 あなたたちは、
 声優のいう名の『コンテンツ』になるのです。

 高遠さんは本当に言いにくそうだった。

 桐月先生が一歩出て、慈愛すら含ませた瞳を向けた。

「その扱いを『苦しい』と思う方は、辞めて頂いて結構です。ご自身を守るためにも。――実はアロサカの合格者には『補欠』がいます。もしも第一合格者が辞退した場合、その人が入れ替わることになります」

 あなたたちの、
 代わりは、
 いくらでもいます。

 もう一度、念を押すように、桐月先生が言い含めた。

「すべてはあなたたちの努力と資質と――運次第です。理不尽と思うやもしれません。けれど声優、ひいては『人と違う生き方』というのは、真っ当ではないのです」

 メモをする手が完全に止まった。
 わたしの足は、今どこに立っているのだろう。

「さて、今日のレッスンを始めましょう。五分で支度してきてください。そして最後は、たぶん皆さんが未経験であろうアフレコを体験してもらいます」
「!」

 驚いた。アフレコは、養成所でも二年近く経たないと学ばさせてもらえないのだ。

「本来なら年単位で修行を積ませてからが望ましいのですが、何せ急ピッチですからね。芸の道にもスピードを求める、なんとも生き急いだ時代です」

 はあ、と桐月先生がため息をついた。
 声優志望なら誰でも待ち遠しいマイク前に立てる。
 でも嬉しさなんか皆無だ。
 ただ、……とんでもない場所に来たと、呆然とした。
 また、何かがひび割れた音がした。そんな感覚を味わう間もなく、次は薄い脚本を渡された。

「そのアフレコ体験で読んでもらうセリフです。掛け合いです」

 わたしの担当する『ジュニパー』は、寧音ちゃんの『ラベンダー』との会話シーンだ。
 旅人のジュニパーは、サーカスに入団するようラベンダーに説得される。
 けれどジュニパーは頑なで、首を縦に振ろうとしない。

【ジュニパー:「僕は、一人でいいんだ」】

 そう言って、ジュニパーはラベンダーから去って行く……そんな場面だ。

(ひとりで、いい……?)

 どうしてそんなことが言えるの。
 独りでいいんだなんて。わたしには言えない。絶対に言えない。

 どうしよう。

 ジュニパーの気持ちが、分からない。