日曜日は晴天だった。
わたしはマスクを着けて、長野駅から新幹線に乗って東京に向かった。交通費は立替だそうで、生まれて初めて領収書というものをもらった。
雛田先輩が修復してくれたプリントを見ながら、スマホを確認する。就也の返信は『OK』のスタンプだけだった。成実のはもう確認しなかった。
まだ新幹線に乗っただけなのに、心臓がドクドクしている。
何度も持ちものを確認する。今日のブラウスとスカートという服装は大丈夫だろうか。練習着は持ってきてあるけど、一応音がしない服装を選んだ。
以前、高速バスを使った時は四時間半くらいかかったけど、新幹線を使うと一時間半で着いた。東京駅の人の多さに圧倒され、身が竦んだ。
そういえば、一人でこんなに遠出するのは初めてだ。
いつも両親や友達と一緒だったから。
スマホのナビとにらめっこして、分からないところは駅員さんに尋ねて……東京駅ってなんでこんなに広くて人が縦横無尽に行き交うんだろう。肩がぶつかっても振り返りもせず、皆が皆が忙しない。
ひとりぼっちだという認識がより濃くなった。こんなに人がいるのに。
人の流れに乗って逆に行ってしまいそうになったり、最寄り駅に停まらない特急に乗りかけたりしたけど、どうにか集合時間三十分前に到着できた。
「ここ……?」
ガラス張りの立派な新築の建物。わたしが通う養成所の何倍も大きい。うちの高校の敷地の半分くらいはあるかも。
銀色の看板には『東京エールアカデミー』とある。
入り口を探していると、背後からポンと肩を叩かれた。
「なーなーお嬢さん、もしかしてアロサカの合格者さん?」
関西訛りの女の子が、人懐っこい笑顔で尋ねてきた。
クセ毛風のショートカット。短めの前髪の下にある、ぱっちりとした瞳が印象的だ。
「そう、ですけど」
「ほんま!? あーよかった、時間早すぎて逆に焦っとってん!」
胸を撫で下ろす、というややオーバーなしぐさをすると、彼女は手を差し出した。
「うち、御園生寧音です。高校一年生。お嬢さんは?」
「小山内羽鶴です。一年生です」
「同い年やん、よろしくー! 羽鶴ちゃんって呼んでええ? うちのことは寧音でええから!」
うん、と頷くと、握手した手を激しくシェイクされた。
ハイテンションな人だ。なんとなく織屋先輩っぽい。
「そんで羽鶴ちゃんは、何役? うちは団長のラベンダー!」
「あ、ジュニパーです」
「ジュニパー!? そら難しい役に抜擢されたなぁ!」
(うっ!)
そうなのだ。
アロサカのキャラクターはまだ発表されていない。今回渡されたのも簡単な資料だけだ。
『ジュニパー』は旅人で、サーカスのメンバーではない。他のキャラクターみたいに、担当演目という名の特技もない。
サーカスの部外者で物語における立ち位置が分からない……つまり、ジュニパーはよく分からないキャラクターなのだ。
寧音ちゃんと歩き回ると、案内の看板を見つけた。中に入り、受付を通る。
吹き抜けの高い天井から、キラキラとした光が降り注ぐ。
送られてきたパンフレットによると、ここは今年の四月から開校する総合メディア芸術専門学校の校舎で、学部もコースも多岐に渡る。
コンサートなどのイベントスタッフを目指すステージ科、歌手などを目指す音響科、作曲家などを目指す音楽科、ゲームクリエイターを目指すゲーム科……そして、声優・演劇科。
設備が充実しており、校舎内にはミニシアターや現代演劇で使われるステージはもちろん、能や歌舞伎などの伝統芸能の舞台を模した劇場もある。少人数制なのに講師は多く、就職のサポートも万全とあった。
少し前のわたしなら単純にスゴいで済ませてただろう。でも今は、
(学費、すごくかかるんだろうな……)
という気持ちが先に出る。
おそるおそるパンフレットの学費のページを開くと、目玉が飛び出そうになった。初年度に納める費用が今の養成所の二倍以上。怖くなって閉じた。
夢を追いかけるには、学ぶ必要がある。
それにはお金がかかる。国の権利としての教育以外のことを学ぼうと願えば、相応の代償がある。
知らなかった、というより考えもしなかったことだらけだ。
成実がわたしをオジョーサマと呼ぶことに反発してたけど、的を射ていた。わたしはお金のことで苦労したことなんてない。
「いやぁ、どこもかしこもキレイやなぁ。こんな所で声優修業ができるなんて、ほんまスゴいで。僥倖ってやつや」
寧音ちゃんが感心しきった声で言った。
「なんや羽鶴ちゃん、顔色悪いなぁ。緊張しとる?」
「うん……」
「でーんと構えときや! なんせうちらは、数千人の中から選ばれたんやで。それ思たら、鬼でも蛇でもキングギドラでもどーん来ぃやって思えへん?」
思えないです。
受付のお姉さんに案内された先は、小劇場めいたホールだった。
正面に舞台、そして左右に花道。どこもかしこも真新しく、客席の椅子はゆったりめでフカフカだ。
しばらく待機していると次々と人が入ってきた。合格者の面々だ。
「おはようございます!!」
「おはようございまーす」
「オハヨウ……ございマス」
俳優ばりのイケメンやアイドル級の美少女もいれば、マッチョな男子とアスリート体型の女子もいて、びっくりするほどハデな格好の子、学校の制服で来た子もいる。
まさしく十人十色、まるでアニメの登場人物みたいに色んなタイプの子が集まった。
グループとして売り出すので、キャラ被りを避けたのだろうか。ならば地味枠はおそらくわたしだろう。
合計十三人。合格者がすべて集まった。自己紹介をしかけたところで、舞台の上手から一人の白髪頭の、七十代くらいの男性が現れた。
ざわめきが起こる。
壇上に上がると、その人は口を開いた。
「皆さん、おはようございます」
嗄れた低音で、マイクも入ってないのに異様によく通る声。
一瞬で名前が浮かんだ。子どもの頃からテレビで何度も聞いた声。
「桐月太郎さんや……講師の中にいるって聞いたけど、いきなりご登場なんて」
隣で寧音ちゃんがつぶやく。桐月さんは大御所中の大御所のベテラン声優だ。
活動は映画の吹替がメインで、お母さんなんか、洋画は桐月さんの出演の有無で観るかどうか決める。わたし的には、『桜もののふ』のマスコットキャラ兼ラスボスの『トーノ』というキャラの中の人だ。
「はい、そうです。ぼくが桐月太郎です」
ドキッとした。今の聞こえてたの?
「今年七十二ですが、職業柄、耳だけはいいんですよ。――さて、アロサカプロジェクトのオーディション合格者の皆さん。どうして挨拶を返さないのですか?」
サッと血の気が引いた。驚きすぎて大事なことを蔑ろにしてしまった。
わたしが「おはようございます!」と言うと、寧音ちゃんが続き、他の人たちも声を張った。
「挨拶は基本です。いついかなる時でも忘れないように」
七福神の恵比寿さんみたいなニコニコとした表情だ。
でも甘さが感じられない。緊張の糸が徐々に引っ張られていく。
「先に紹介しておきたい方々がいます」
どうぞ、と声と共に、上手から十数人の大人の人たちがやってくる。
さらに大きなざわめきが起こった。
……うそ、本物?
(高遠さん……!?)
最後に出てきたのは、わたしが六歳の時から憧れた人だった。
高遠翔香さん。
ゆるく巻いた長い髪に、パンダっぽい垂れがちな目元。雑誌で何度も観た顔。耳の奥で高遠さんの声が蘇る。
心拍数がシャレにならないほど上がった。
「うそやろ。ひかりん……色取陽花里さんもおるで。毎年武道館で単独ライブしてるアイドル声優の」
寧音ちゃんが呆然とつぶやく後ろで、
「夢かな……? 寿海星さんもいる。声優で2.5次元舞台俳優の」
他の人もそうそうたる顔ぶれだ。いま売れているドル箱声優、実力派声優、大御所声優……めまいがする。
もしかして、わたし……えらい場所にのこのこ来ちゃったんじゃ?
「彼ら彼女らがどうしてここに? とお思いになるでしょう? こちらの方々は今日限定の特別講師です。忙しい中、無理を言って来ていただきました」
桐月さん、否、桐月先生がよりいっそう晴れやかに笑った。
次の瞬間に放たれた言葉で、わたしは――わたしたちは凍りついた。
「今日はこの方たちに、あなたたちの『勘違い』を正して頂きます」
わたしはマスクを着けて、長野駅から新幹線に乗って東京に向かった。交通費は立替だそうで、生まれて初めて領収書というものをもらった。
雛田先輩が修復してくれたプリントを見ながら、スマホを確認する。就也の返信は『OK』のスタンプだけだった。成実のはもう確認しなかった。
まだ新幹線に乗っただけなのに、心臓がドクドクしている。
何度も持ちものを確認する。今日のブラウスとスカートという服装は大丈夫だろうか。練習着は持ってきてあるけど、一応音がしない服装を選んだ。
以前、高速バスを使った時は四時間半くらいかかったけど、新幹線を使うと一時間半で着いた。東京駅の人の多さに圧倒され、身が竦んだ。
そういえば、一人でこんなに遠出するのは初めてだ。
いつも両親や友達と一緒だったから。
スマホのナビとにらめっこして、分からないところは駅員さんに尋ねて……東京駅ってなんでこんなに広くて人が縦横無尽に行き交うんだろう。肩がぶつかっても振り返りもせず、皆が皆が忙しない。
ひとりぼっちだという認識がより濃くなった。こんなに人がいるのに。
人の流れに乗って逆に行ってしまいそうになったり、最寄り駅に停まらない特急に乗りかけたりしたけど、どうにか集合時間三十分前に到着できた。
「ここ……?」
ガラス張りの立派な新築の建物。わたしが通う養成所の何倍も大きい。うちの高校の敷地の半分くらいはあるかも。
銀色の看板には『東京エールアカデミー』とある。
入り口を探していると、背後からポンと肩を叩かれた。
「なーなーお嬢さん、もしかしてアロサカの合格者さん?」
関西訛りの女の子が、人懐っこい笑顔で尋ねてきた。
クセ毛風のショートカット。短めの前髪の下にある、ぱっちりとした瞳が印象的だ。
「そう、ですけど」
「ほんま!? あーよかった、時間早すぎて逆に焦っとってん!」
胸を撫で下ろす、というややオーバーなしぐさをすると、彼女は手を差し出した。
「うち、御園生寧音です。高校一年生。お嬢さんは?」
「小山内羽鶴です。一年生です」
「同い年やん、よろしくー! 羽鶴ちゃんって呼んでええ? うちのことは寧音でええから!」
うん、と頷くと、握手した手を激しくシェイクされた。
ハイテンションな人だ。なんとなく織屋先輩っぽい。
「そんで羽鶴ちゃんは、何役? うちは団長のラベンダー!」
「あ、ジュニパーです」
「ジュニパー!? そら難しい役に抜擢されたなぁ!」
(うっ!)
そうなのだ。
アロサカのキャラクターはまだ発表されていない。今回渡されたのも簡単な資料だけだ。
『ジュニパー』は旅人で、サーカスのメンバーではない。他のキャラクターみたいに、担当演目という名の特技もない。
サーカスの部外者で物語における立ち位置が分からない……つまり、ジュニパーはよく分からないキャラクターなのだ。
寧音ちゃんと歩き回ると、案内の看板を見つけた。中に入り、受付を通る。
吹き抜けの高い天井から、キラキラとした光が降り注ぐ。
送られてきたパンフレットによると、ここは今年の四月から開校する総合メディア芸術専門学校の校舎で、学部もコースも多岐に渡る。
コンサートなどのイベントスタッフを目指すステージ科、歌手などを目指す音響科、作曲家などを目指す音楽科、ゲームクリエイターを目指すゲーム科……そして、声優・演劇科。
設備が充実しており、校舎内にはミニシアターや現代演劇で使われるステージはもちろん、能や歌舞伎などの伝統芸能の舞台を模した劇場もある。少人数制なのに講師は多く、就職のサポートも万全とあった。
少し前のわたしなら単純にスゴいで済ませてただろう。でも今は、
(学費、すごくかかるんだろうな……)
という気持ちが先に出る。
おそるおそるパンフレットの学費のページを開くと、目玉が飛び出そうになった。初年度に納める費用が今の養成所の二倍以上。怖くなって閉じた。
夢を追いかけるには、学ぶ必要がある。
それにはお金がかかる。国の権利としての教育以外のことを学ぼうと願えば、相応の代償がある。
知らなかった、というより考えもしなかったことだらけだ。
成実がわたしをオジョーサマと呼ぶことに反発してたけど、的を射ていた。わたしはお金のことで苦労したことなんてない。
「いやぁ、どこもかしこもキレイやなぁ。こんな所で声優修業ができるなんて、ほんまスゴいで。僥倖ってやつや」
寧音ちゃんが感心しきった声で言った。
「なんや羽鶴ちゃん、顔色悪いなぁ。緊張しとる?」
「うん……」
「でーんと構えときや! なんせうちらは、数千人の中から選ばれたんやで。それ思たら、鬼でも蛇でもキングギドラでもどーん来ぃやって思えへん?」
思えないです。
受付のお姉さんに案内された先は、小劇場めいたホールだった。
正面に舞台、そして左右に花道。どこもかしこも真新しく、客席の椅子はゆったりめでフカフカだ。
しばらく待機していると次々と人が入ってきた。合格者の面々だ。
「おはようございます!!」
「おはようございまーす」
「オハヨウ……ございマス」
俳優ばりのイケメンやアイドル級の美少女もいれば、マッチョな男子とアスリート体型の女子もいて、びっくりするほどハデな格好の子、学校の制服で来た子もいる。
まさしく十人十色、まるでアニメの登場人物みたいに色んなタイプの子が集まった。
グループとして売り出すので、キャラ被りを避けたのだろうか。ならば地味枠はおそらくわたしだろう。
合計十三人。合格者がすべて集まった。自己紹介をしかけたところで、舞台の上手から一人の白髪頭の、七十代くらいの男性が現れた。
ざわめきが起こる。
壇上に上がると、その人は口を開いた。
「皆さん、おはようございます」
嗄れた低音で、マイクも入ってないのに異様によく通る声。
一瞬で名前が浮かんだ。子どもの頃からテレビで何度も聞いた声。
「桐月太郎さんや……講師の中にいるって聞いたけど、いきなりご登場なんて」
隣で寧音ちゃんがつぶやく。桐月さんは大御所中の大御所のベテラン声優だ。
活動は映画の吹替がメインで、お母さんなんか、洋画は桐月さんの出演の有無で観るかどうか決める。わたし的には、『桜もののふ』のマスコットキャラ兼ラスボスの『トーノ』というキャラの中の人だ。
「はい、そうです。ぼくが桐月太郎です」
ドキッとした。今の聞こえてたの?
「今年七十二ですが、職業柄、耳だけはいいんですよ。――さて、アロサカプロジェクトのオーディション合格者の皆さん。どうして挨拶を返さないのですか?」
サッと血の気が引いた。驚きすぎて大事なことを蔑ろにしてしまった。
わたしが「おはようございます!」と言うと、寧音ちゃんが続き、他の人たちも声を張った。
「挨拶は基本です。いついかなる時でも忘れないように」
七福神の恵比寿さんみたいなニコニコとした表情だ。
でも甘さが感じられない。緊張の糸が徐々に引っ張られていく。
「先に紹介しておきたい方々がいます」
どうぞ、と声と共に、上手から十数人の大人の人たちがやってくる。
さらに大きなざわめきが起こった。
……うそ、本物?
(高遠さん……!?)
最後に出てきたのは、わたしが六歳の時から憧れた人だった。
高遠翔香さん。
ゆるく巻いた長い髪に、パンダっぽい垂れがちな目元。雑誌で何度も観た顔。耳の奥で高遠さんの声が蘇る。
心拍数がシャレにならないほど上がった。
「うそやろ。ひかりん……色取陽花里さんもおるで。毎年武道館で単独ライブしてるアイドル声優の」
寧音ちゃんが呆然とつぶやく後ろで、
「夢かな……? 寿海星さんもいる。声優で2.5次元舞台俳優の」
他の人もそうそうたる顔ぶれだ。いま売れているドル箱声優、実力派声優、大御所声優……めまいがする。
もしかして、わたし……えらい場所にのこのこ来ちゃったんじゃ?
「彼ら彼女らがどうしてここに? とお思いになるでしょう? こちらの方々は今日限定の特別講師です。忙しい中、無理を言って来ていただきました」
桐月さん、否、桐月先生がよりいっそう晴れやかに笑った。
次の瞬間に放たれた言葉で、わたしは――わたしたちは凍りついた。
「今日はこの方たちに、あなたたちの『勘違い』を正して頂きます」