頭がまっしろになった。
 不意打ちで殴られた気分だ。

「え……でも」

 そういえば、養成所で志倉先生が「合格したからと言って声優になれるわけじゃない」って言って……
 座ってるのに足元が覚束ない感覚がして、膝を抱える。
 雛田先輩が軽くため息をつく。香西先輩は手を挙げて、

「今更で申し訳ないんだけど、アロサカ? のオーディションってそんなに倍率が高いの? アニメなんだよね?」
「アニメっていうより、中の人も売り出すためのビッグプロジェクトっちゅー感じですね」

 織屋先輩が代わりに説明してくれた。

「高校生の声優志望を集めて、次世代のマルチエンターティナーを創るって趣旨です。新しくできる専門学校の校舎でビシバシレッスンして、アニメやらソシャゲやらに出して、生身でステージにも立たせるんだそうです。とにかく合格者が破格の待遇で、規模で言えば雛田パイセンが獲ったテレビ夕陽のシナリオ新人賞にも引けを取りません。アレも人気絶頂のアイドルや俳優、実績のあるスタッフを起用しての映像化が確約されてますし」

 香西先輩は、『破格の待遇』について詳細を聞くと、目をまるくした。

「すごいね。お金の問題がどうしても付きまとう声優や役者志望からしたら、喉から手が出るほどの好待遇だ」
「……自棄になって、魔が差すのも理解できる」

 雛田先輩がつぶやくと、織屋先輩がポンと手を叩いた。

「そういや、〈カナコちゃん〉の自殺の原因も、賞に落選したからなんですよ」

 ギクッとして、織屋先輩の顔を見た。
 ふたりの先輩はいきなり〈カナコちゃんの呪い〉に話が飛んで大いに戸惑ったけど、織屋先輩は気にしないようだ。
 無意識に首筋をさする。
 呪い……ついさっき感じた、足元から這い上がるような寒気がよみがえる。

「昔あった、高校生限定の小説新人賞なんですけどね。あ、今は廃止されてます」
「それに応募したけど落選したから、阿妻叶子は自殺したと?」
「はい。当時のカナコちゃんは三年生で、その賞に参加できる最後のチャンスだったそうです。なんでもずっと憧れてて、それに受賞するために小説を書いてきたのだと豪語したとか」

 ただひとつの賞を獲るために小説を書き続けた……努力を続けた作家志望の女の子。
 ……アロサカのオーディションに合格するために、本気で努力を重ねた成実の姿と重なった。
 あの頃の成実の熱量は凄まじくて、わたしも就也もそれに引き摺られた。
 一度、成実が慢性的な疲労と月経が重なって、保健室送りになったことがある。それでも成実は部活に出ようとした。二人で止めたけど、成実は頑として聞き入れなかった。

 そこまでしたのに、不合格だった。

 ……想像してみた。
 甘ったれなわたしには難しいのだろうけど、それでも想像してみた。

 不合格と知った瞬間、わたしならショックを受ける。そこで生まれた感情は、悲しみとか怒りとかじゃない。
 どこまでもまっくらな感情(もの)だ。見上げた空に分厚くて黒々しい雲が立ちこめるような感覚。光も射さず、風も吹かない世界にひとり放り込まれたような。 

 成実の場合は、加えてわたしのような――言ってしまえば腰巾着が合格したのだ。
 許せない理由は……分かる。

「……くだらねぇ」

 雛田先輩が唸るように言った。
 豚汁を飲み干して、鞄を背負う。話は終わりだとばかりに。

「一度選ばれなかっただけで何をバカなことを。そのカナコってやつも、あの女子も愚かなことだ。仮に最後のチャンスだったとしても、別の賞、別のオーディションに挑めばいいんだよ。割り切って次に行くべきだ。ひとつに執着する必要は無い」

 本当に、どこまでもまっすぐな人だ。
 でも。
 正論ばかりの人だ。

「……先輩の言ってること、正しいです。でも、そんな風にすぐに次って切り替えられないと思います」

 冷ややかな視線がやっぱり怖いけど、わたしはおなかに力を入れた。

「否も応もあるか。切り替えろ」
「すぐ切り替えられる人ばかりじゃない、と思います……」

 声が震えようが、引かない姿勢を見せた。すると、

「私もはづるんの意見に半分賛成でっす」

 織屋先輩が手を挙げる。

「本気であればあるほど、ハイ次ってわんこそばみたいに切り替えるのはムズいですよ。私だって推しのステージのチケット、神社に願掛けとかおやつ断ちまでしたのに、ご用意されなかった時は一週間は浮上できませんもん」
「はぁ?」

(やっぱり喩えが分かりにくいけど、織屋先輩的には死活問題なんだろうな……)

 怪訝そうな顔をする雛田先輩に構わず、織屋先輩は重ねた。

「それに、すぐ切り替えられる人がいつでも切り替えられるってわけじゃない。ってのが私の意見です」

 少し真剣さのある眼差しだった。香西先輩も頷く。

「どんな前向きで強い人でも、後ろ向きで弱くなることがある、ってことだね……」
「そーですそれです」と織屋先輩が首肯する。

 香西先輩は雛田先輩を見上げた。

「雛田だって、本当はその阿妻叶子さんの気持ちは分かるだろう? あの賞を獲って、お祖母さんと同じになりたいって懸命に書いてたじゃないか」

 おばあさん?
 前に就也が言っていた、脚本家の?

「……それとこれとは関係ない」

 断ち切るような物言い。
 そしてわたしを振り返って、「おい」と呼びかけた。

 雛田先輩が吐き捨てて、立ち上がった。