◇
「ただいまー」
時刻は十八時半だった。予想よりもずっと早く帰ってきた陽葵の手にはエコバッグが提げられていて、中には食材の他にも缶ビールやら酎ハイやらつまみやら、酒盛りをするためのアイテムが詰められているようだった。
「おかえり。……陽葵、今から飲む気満々みたいだけどさ、素面のうちに話をしよう」
「なあにー曜ちゃん、怖い顔してどうしたの? あ、お友達さんいらっしゃーい! 桜井陽葵ですよろしくねー」
これから私に厳しい追及を受けることも知らずに、陽葵は人懐こい笑みを浮かべて夏帆に右手を差し出した。
「こんばんは! 日比野夏帆です初めまして! っていうか、顔小っちゃ! 美人! あ、ウザ絡みしてごめんね! なんせあたし、男女問わず超のつく面食いなもので!」
夏帆もまたわざとらしいくらいに愛想良くその手を握り返した。陽葵の反応を確認しながら会話の主導権を握ろうとしていた夏帆だったが、
「えー? 初めましてじゃないよね? 二人とも今日はわたしを付け回していたでしょ? どうだった? なにか収穫はあった?」
見事なカウンターを食らって硬直していた。
「……ど、どうしてわかったの……?」
「だってそうでもなかったら、曜ちゃんから居場所を確認する連絡なんかこないよお。面白そうだと思って写真も送ったし、尾行の参考になったでしょ? でもね、二人とも尾けるの下手すぎ! わたし、すぐに二人に気づいちゃったもん。笑いそうになるのを必死で我慢してたんだよ?」
陽葵は全く怒っている様子など見せずに笑みを浮かべていた。私も多少は動揺したが、尾行という後ろめたい行為をしたからといって下手に出る必要はないと思い、奴の大きな瞳と向き合った。
「それじゃ、単刀直入に聞く。今日見ていた限りだと陽葵は複数の男と付き合いがあるみたいだけど、じいちゃんの遺産目当てで近づいてきたの?」
「違うよって言っても信じてもらえないでしょ? だから何も言わない。わたしのことビッチだと思うならそれでいいよ」
「陽葵が信用できないような行動を取るからだよ。いろんな男と遊び歩いているくせに信じてほしいだなんて、都合が良すぎる。……別に陽葵の男関係にうるさく口を出すつもりはないけどさ、私はじいちゃんが大好きなんだよ。だからイラつく私の気持ちもわかってほしい」
「今日遊んでいた男の子の一人は友達で、もう一人はわたしのことが好きな人。付き合ってるわけじゃないし、わたしは彼らのことを恋愛対象として見てないよ。ただわたしを楽しくしてくれたりお腹を満たしてくれたり、お金をくれる人。でも、太ちゃんは違う。……ねえ、これも嘘に聞こえるんでしょ? だったらもうこの話は終わりにしようよ、時間の無駄だよ」
いかにも面倒臭そうに答えた陽葵の態度は、私の怒りに油を注いだ。
「そういう態度が腹立つんだって! じいちゃんを侮辱しているみたいでさあ!」
「曜ちょっと落ち着いて!」
頭に血が昇っていた私は、夏帆に制止されるまで自分が大きな声を出していたことに気づかなかった。やはり私は気性が荒い。口元の笑みを崩さない陽葵とは違って、すぐに苛立って感情を顕わにし、正面から言葉をぶつけてしまう。
悔しくなった私は、どうにかして心を落ち着かせようと深呼吸をして目を瞑った。
「……仕事も住処もないわたしがこの家に居続けるためには、曜ちゃんのご機嫌を取るのが手っ取り早いってことくらい馬鹿なわたしでもわかるよ? でもわざわざ嘘を吐いてまで、太ちゃんの愛情を否定したくない」
悲しげな陽葵の声を聞いて目を開けた。このとき見た陽葵の表情は、いつも笑っている彼女が初めて見せた声色通りのものだった。
「それに……端から信じてもらえないのって、結構辛いんだよ?」
その言葉で、会社員時代の記憶がフラッシュバックした。
――デザインしたのお前だろ? 女が作る靴なんて信用ならん。今からでも男に描き直させた方がいいんじゃねえのか?
今でも思い出しては歯噛みするあの堪え難い侮辱を、私は無意識のうちに陽葵にも与えていたというのか。
「ごめんね陽葵さん。あなたを尾行しようって提案したの、あたしなんだ。好奇心から尾けてしまったこと、すごく失礼だった。とても反省しています。本当にごめんなさい」
姿勢を正した夏帆はゆっくりと頭を下げた。このタイミングでの謝罪は、私が続きやすくするための夏帆なりの優しさだろう。私も夏帆に倣って姿勢を正し、陽葵の視線と向き合った。
「……陽葵のこと、最初から疑ってかかったことについては、謝る。ごめん。……でも、さっきも言ったけど私はじいちゃんのことが大好きだから、男と親しげに一緒にいる陽葵を見て不快な気持ちになったってことは、やっぱり陽葵にもわかってほしい」
正直、納得いかない点もある。だけど陽葵を傷つけてしまったことについては、誠意を込めて謝罪した。
「……うん、わかった。……でも太ちゃんの孫だからじゃなくて、曜ちゃんが普通にヤキモチ焼いたって言ってくれたら嬉しかったのになあ」
「……はい?」
再び顔を上げると、人をからかう気満々の笑顔を浮かべる陽葵がいた。
「わたし、嫉妬深い人って嫌いじゃないよ」
「いや、なに言ってんの?」
「え? 曜、どういうこと? 否定してたけど、やっぱり陽葵さんとは親密な関係だったりするの? 昔から女の子にモテていたけど頑なに興味を示さなかったあんたも、陽葵さんの色気についに陥落した?」
「違うから! 夏帆、わかってるくせにイジるのやめて! 陽葵も誤解を与えるような発言は控えて!」
三人でギャーギャーと騒いでいるうちに私たちの間にあった重い空気は消え去り、部屋の中は同い年の女が取るに足らない会話を繰り広げるだけの、ファミレスや居酒屋でよく見るありふれた光景に変わっていった。
「ねえコレ、皆で飲もうと思って買ってきたんだあ。ぬるくなる前に、早く飲も?」
私たちが和解する決定打となったのは、陽葵が白い歯を見せながら袋の中から取り出した缶ビールだった。
◇
日付が変わる頃までアルコールを摂取しながら語らい、それなりに楽しい時間を共にした私たちだったが、夏帆には申し訳ないけれど気持ち良く爆睡されてしまっては困る。
私と夏帆はほとんど寝ないまま、居間のテーブルの上に置いたノートパソコンを充血した目で睨みつけていた。
「んー……ここは駅からの距離も賃料も申し分ないんだけど……うーん、やっぱやめとく。適度に閑静で駐車場があるっていう条件は譲れない」
「そんなこと言ってたらいつまで経っても決まらないじゃん。どこかで妥協しておかないと、この先どんどん自分の首を絞めていくことになるよ?」
「拘りのない職人なんてなんの魅力もないじゃん。自分の店だよ? 一つだって妥協なんてしたくない」
夏帆に相談しながら店を構えるための物件を検索しているものの、かれこれ三時間はこんな感じで話が進まず、次第に夏帆は妥協という言葉を多く口にするようになった。
夏帆の言い分はわかっているつもりだが、私にとっては長年の夢を詰め込める大切な自分の城になるわけで、立地も内装もとことん拘り抜いた店にしたいという気持ちを曲げることができず話し合いは平行線だった。
「って言ってもさー、これまでに出した候補の中から絞るしかないよ。嫌ならもっと遠くの市まで範囲を広げないといけないけど、曜は笹森市内が希望なんでしょ? リストアップした物件は印刷しておくから、後でもう一回考え直してみなよ。いい?」
素直に首肯できないまま、プリンターから出てきた紙に目を落として唸った。
「で、次は曜が仮で作ったホームページだけど……ちょっとね、これはないわ。素人が作ったのがバレバレで安っぽいんだよね。あたしだったらこれよりはマシな物は作れるとは思うけど、ここはケチんないでちゃんとしたプロに頼んだ方がいいと思う」
「ぐっ……やっぱりダメか……作っていても、全然しっくり来なかったしなあ……」
「広告のセンスがないのって自営業者にはデメリットが多い気がするけど大丈夫? まあ、お金があれば外注できるからいいけどさ」
歯に衣着せぬ夏帆の指摘によって、私にセンスがない事実を容赦なく突きつけられた。眉間に寄った皺を揉んでいると、
「曜ちゃん、夏帆、おはよぉー。二人して朝から何してるのー?」
すっぴんで髪の毛もボサボサの陽葵が居間に現れた。上下ともにユニクロのTシャツとハーフパンツという陽葵の寝間着姿は、女子力の高い女は皆ジェラピケのパジャマを着ているという私の偏った先入観を大いにぶち壊している。
「おはよー! って、もうお昼だけどね。ねえ、陽葵もちょっとこれ見て。曜が作ったホームページなんだけど、率直な意見を聞かせてほしくて」
二人は一晩で随分と親しくなり、今や互いにタメ口で名前を呼び捨てにする仲にまでなっていた。
「あ、これがホームページ? シンプルでいいと思うけど……わたしには良し悪しはよくわかんないや。ごめんね?」
陽葵は具体的な意見を述べることはせず、困り顔で手を合わせた。
「ううん、あたしこそ急に振っちゃってごめん。ねえ曜、思ったんだけどさ、いっそのことホームページ制作をやめちゃうのも手じゃない? 看板一つ掲げて、地域の住民の口コミからコツコツ人気店にする方が職人感出るかもだし」
夏帆の提案に、私は今日何度目になるかわからない唸り声を出した。
「うーん……私も考えたことはあるけど、実績ゼロの靴職人がいる店に口コミだけで注文が来るか不安だからやめておく。あ、アカウント作ってSNSで宣伝するのはありだよね?」
「それはかなり効果的だよ? ただし、上手く使えるならの話ね。あたしには曜が上手に活用できるとは思えないんだよねー。あんた口悪いし短気だし、煽りにすぐ反応してめっちゃ炎上しそう」
悔しいがその予想はかなり的確だと思った私は、反論の言葉を呑み込んだ。
「……あの、曜ちゃん。難しいことは全然わかんないんだけど、わたしにも何かお手伝いできることあるかな?」
「いや、大丈夫。もうしばらくはうるさくするかもしれないから、陽葵は外に出てもらった方がいいかもしれない」
夏帆は今日の十八時仙台発の新幹線で東京に帰る。それまでに相談しておきたいこと、やっておきたいことは山積みだ。昨日の尾行や酒盛りで潰れた時間を考えると、一分一秒でも時間が惜しい。
陽葵はあからさまに寂しそうな顔をしていたが、私と目が合うとすぐに笑顔を作った。
「じゃあわたし、二人にお昼ごはんを作るね! 待ってて!」
そう言って陽葵が作ってくれたふわふわのオムライスは驚くほどに美味で、朝食をコーヒーで済ませた私と夏帆の胃袋と心を温かく満たしてくれた。夏帆なんかお代わりを要求した挙句、作り方を教えてもらっていたくらいだ。
昼食をとった後は折込チラシの制作と配布計画を中心に相談した。ああだこうだと自分の意見を主張する私と、客観的な意見を述べてくれる夏帆。白熱した話し合いの時間はあっという間に過ぎ、気がつけばもう夏帆を駅まで送らなければいけない時刻になっていた。
「ただいまー」
時刻は十八時半だった。予想よりもずっと早く帰ってきた陽葵の手にはエコバッグが提げられていて、中には食材の他にも缶ビールやら酎ハイやらつまみやら、酒盛りをするためのアイテムが詰められているようだった。
「おかえり。……陽葵、今から飲む気満々みたいだけどさ、素面のうちに話をしよう」
「なあにー曜ちゃん、怖い顔してどうしたの? あ、お友達さんいらっしゃーい! 桜井陽葵ですよろしくねー」
これから私に厳しい追及を受けることも知らずに、陽葵は人懐こい笑みを浮かべて夏帆に右手を差し出した。
「こんばんは! 日比野夏帆です初めまして! っていうか、顔小っちゃ! 美人! あ、ウザ絡みしてごめんね! なんせあたし、男女問わず超のつく面食いなもので!」
夏帆もまたわざとらしいくらいに愛想良くその手を握り返した。陽葵の反応を確認しながら会話の主導権を握ろうとしていた夏帆だったが、
「えー? 初めましてじゃないよね? 二人とも今日はわたしを付け回していたでしょ? どうだった? なにか収穫はあった?」
見事なカウンターを食らって硬直していた。
「……ど、どうしてわかったの……?」
「だってそうでもなかったら、曜ちゃんから居場所を確認する連絡なんかこないよお。面白そうだと思って写真も送ったし、尾行の参考になったでしょ? でもね、二人とも尾けるの下手すぎ! わたし、すぐに二人に気づいちゃったもん。笑いそうになるのを必死で我慢してたんだよ?」
陽葵は全く怒っている様子など見せずに笑みを浮かべていた。私も多少は動揺したが、尾行という後ろめたい行為をしたからといって下手に出る必要はないと思い、奴の大きな瞳と向き合った。
「それじゃ、単刀直入に聞く。今日見ていた限りだと陽葵は複数の男と付き合いがあるみたいだけど、じいちゃんの遺産目当てで近づいてきたの?」
「違うよって言っても信じてもらえないでしょ? だから何も言わない。わたしのことビッチだと思うならそれでいいよ」
「陽葵が信用できないような行動を取るからだよ。いろんな男と遊び歩いているくせに信じてほしいだなんて、都合が良すぎる。……別に陽葵の男関係にうるさく口を出すつもりはないけどさ、私はじいちゃんが大好きなんだよ。だからイラつく私の気持ちもわかってほしい」
「今日遊んでいた男の子の一人は友達で、もう一人はわたしのことが好きな人。付き合ってるわけじゃないし、わたしは彼らのことを恋愛対象として見てないよ。ただわたしを楽しくしてくれたりお腹を満たしてくれたり、お金をくれる人。でも、太ちゃんは違う。……ねえ、これも嘘に聞こえるんでしょ? だったらもうこの話は終わりにしようよ、時間の無駄だよ」
いかにも面倒臭そうに答えた陽葵の態度は、私の怒りに油を注いだ。
「そういう態度が腹立つんだって! じいちゃんを侮辱しているみたいでさあ!」
「曜ちょっと落ち着いて!」
頭に血が昇っていた私は、夏帆に制止されるまで自分が大きな声を出していたことに気づかなかった。やはり私は気性が荒い。口元の笑みを崩さない陽葵とは違って、すぐに苛立って感情を顕わにし、正面から言葉をぶつけてしまう。
悔しくなった私は、どうにかして心を落ち着かせようと深呼吸をして目を瞑った。
「……仕事も住処もないわたしがこの家に居続けるためには、曜ちゃんのご機嫌を取るのが手っ取り早いってことくらい馬鹿なわたしでもわかるよ? でもわざわざ嘘を吐いてまで、太ちゃんの愛情を否定したくない」
悲しげな陽葵の声を聞いて目を開けた。このとき見た陽葵の表情は、いつも笑っている彼女が初めて見せた声色通りのものだった。
「それに……端から信じてもらえないのって、結構辛いんだよ?」
その言葉で、会社員時代の記憶がフラッシュバックした。
――デザインしたのお前だろ? 女が作る靴なんて信用ならん。今からでも男に描き直させた方がいいんじゃねえのか?
今でも思い出しては歯噛みするあの堪え難い侮辱を、私は無意識のうちに陽葵にも与えていたというのか。
「ごめんね陽葵さん。あなたを尾行しようって提案したの、あたしなんだ。好奇心から尾けてしまったこと、すごく失礼だった。とても反省しています。本当にごめんなさい」
姿勢を正した夏帆はゆっくりと頭を下げた。このタイミングでの謝罪は、私が続きやすくするための夏帆なりの優しさだろう。私も夏帆に倣って姿勢を正し、陽葵の視線と向き合った。
「……陽葵のこと、最初から疑ってかかったことについては、謝る。ごめん。……でも、さっきも言ったけど私はじいちゃんのことが大好きだから、男と親しげに一緒にいる陽葵を見て不快な気持ちになったってことは、やっぱり陽葵にもわかってほしい」
正直、納得いかない点もある。だけど陽葵を傷つけてしまったことについては、誠意を込めて謝罪した。
「……うん、わかった。……でも太ちゃんの孫だからじゃなくて、曜ちゃんが普通にヤキモチ焼いたって言ってくれたら嬉しかったのになあ」
「……はい?」
再び顔を上げると、人をからかう気満々の笑顔を浮かべる陽葵がいた。
「わたし、嫉妬深い人って嫌いじゃないよ」
「いや、なに言ってんの?」
「え? 曜、どういうこと? 否定してたけど、やっぱり陽葵さんとは親密な関係だったりするの? 昔から女の子にモテていたけど頑なに興味を示さなかったあんたも、陽葵さんの色気についに陥落した?」
「違うから! 夏帆、わかってるくせにイジるのやめて! 陽葵も誤解を与えるような発言は控えて!」
三人でギャーギャーと騒いでいるうちに私たちの間にあった重い空気は消え去り、部屋の中は同い年の女が取るに足らない会話を繰り広げるだけの、ファミレスや居酒屋でよく見るありふれた光景に変わっていった。
「ねえコレ、皆で飲もうと思って買ってきたんだあ。ぬるくなる前に、早く飲も?」
私たちが和解する決定打となったのは、陽葵が白い歯を見せながら袋の中から取り出した缶ビールだった。
◇
日付が変わる頃までアルコールを摂取しながら語らい、それなりに楽しい時間を共にした私たちだったが、夏帆には申し訳ないけれど気持ち良く爆睡されてしまっては困る。
私と夏帆はほとんど寝ないまま、居間のテーブルの上に置いたノートパソコンを充血した目で睨みつけていた。
「んー……ここは駅からの距離も賃料も申し分ないんだけど……うーん、やっぱやめとく。適度に閑静で駐車場があるっていう条件は譲れない」
「そんなこと言ってたらいつまで経っても決まらないじゃん。どこかで妥協しておかないと、この先どんどん自分の首を絞めていくことになるよ?」
「拘りのない職人なんてなんの魅力もないじゃん。自分の店だよ? 一つだって妥協なんてしたくない」
夏帆に相談しながら店を構えるための物件を検索しているものの、かれこれ三時間はこんな感じで話が進まず、次第に夏帆は妥協という言葉を多く口にするようになった。
夏帆の言い分はわかっているつもりだが、私にとっては長年の夢を詰め込める大切な自分の城になるわけで、立地も内装もとことん拘り抜いた店にしたいという気持ちを曲げることができず話し合いは平行線だった。
「って言ってもさー、これまでに出した候補の中から絞るしかないよ。嫌ならもっと遠くの市まで範囲を広げないといけないけど、曜は笹森市内が希望なんでしょ? リストアップした物件は印刷しておくから、後でもう一回考え直してみなよ。いい?」
素直に首肯できないまま、プリンターから出てきた紙に目を落として唸った。
「で、次は曜が仮で作ったホームページだけど……ちょっとね、これはないわ。素人が作ったのがバレバレで安っぽいんだよね。あたしだったらこれよりはマシな物は作れるとは思うけど、ここはケチんないでちゃんとしたプロに頼んだ方がいいと思う」
「ぐっ……やっぱりダメか……作っていても、全然しっくり来なかったしなあ……」
「広告のセンスがないのって自営業者にはデメリットが多い気がするけど大丈夫? まあ、お金があれば外注できるからいいけどさ」
歯に衣着せぬ夏帆の指摘によって、私にセンスがない事実を容赦なく突きつけられた。眉間に寄った皺を揉んでいると、
「曜ちゃん、夏帆、おはよぉー。二人して朝から何してるのー?」
すっぴんで髪の毛もボサボサの陽葵が居間に現れた。上下ともにユニクロのTシャツとハーフパンツという陽葵の寝間着姿は、女子力の高い女は皆ジェラピケのパジャマを着ているという私の偏った先入観を大いにぶち壊している。
「おはよー! って、もうお昼だけどね。ねえ、陽葵もちょっとこれ見て。曜が作ったホームページなんだけど、率直な意見を聞かせてほしくて」
二人は一晩で随分と親しくなり、今や互いにタメ口で名前を呼び捨てにする仲にまでなっていた。
「あ、これがホームページ? シンプルでいいと思うけど……わたしには良し悪しはよくわかんないや。ごめんね?」
陽葵は具体的な意見を述べることはせず、困り顔で手を合わせた。
「ううん、あたしこそ急に振っちゃってごめん。ねえ曜、思ったんだけどさ、いっそのことホームページ制作をやめちゃうのも手じゃない? 看板一つ掲げて、地域の住民の口コミからコツコツ人気店にする方が職人感出るかもだし」
夏帆の提案に、私は今日何度目になるかわからない唸り声を出した。
「うーん……私も考えたことはあるけど、実績ゼロの靴職人がいる店に口コミだけで注文が来るか不安だからやめておく。あ、アカウント作ってSNSで宣伝するのはありだよね?」
「それはかなり効果的だよ? ただし、上手く使えるならの話ね。あたしには曜が上手に活用できるとは思えないんだよねー。あんた口悪いし短気だし、煽りにすぐ反応してめっちゃ炎上しそう」
悔しいがその予想はかなり的確だと思った私は、反論の言葉を呑み込んだ。
「……あの、曜ちゃん。難しいことは全然わかんないんだけど、わたしにも何かお手伝いできることあるかな?」
「いや、大丈夫。もうしばらくはうるさくするかもしれないから、陽葵は外に出てもらった方がいいかもしれない」
夏帆は今日の十八時仙台発の新幹線で東京に帰る。それまでに相談しておきたいこと、やっておきたいことは山積みだ。昨日の尾行や酒盛りで潰れた時間を考えると、一分一秒でも時間が惜しい。
陽葵はあからさまに寂しそうな顔をしていたが、私と目が合うとすぐに笑顔を作った。
「じゃあわたし、二人にお昼ごはんを作るね! 待ってて!」
そう言って陽葵が作ってくれたふわふわのオムライスは驚くほどに美味で、朝食をコーヒーで済ませた私と夏帆の胃袋と心を温かく満たしてくれた。夏帆なんかお代わりを要求した挙句、作り方を教えてもらっていたくらいだ。
昼食をとった後は折込チラシの制作と配布計画を中心に相談した。ああだこうだと自分の意見を主張する私と、客観的な意見を述べてくれる夏帆。白熱した話し合いの時間はあっという間に過ぎ、気がつけばもう夏帆を駅まで送らなければいけない時刻になっていた。