◇
駅のロータリーに車を停めて西口から出てくる人々を注視していると、小さめのキャリーバッグを持った日に焼けた女がきょろきょろと首を振りながら姿を現した。東京の友人がこの地にいる新鮮な光景にむず痒さを覚えながら、窓を開けて彼女に声をかけた。
「夏帆!」
私の声に反応した夏帆は笑顔で駆け寄ってきて助手席のドアを開けた。再会の挨拶もそこそこに、夏帆がシートベルトを締めたのを確認してすぐに車を発進させた。
「曜が車買ったの意外だったなー。東京じゃずっとペーパーだったじゃん」
スピードを上げていった車の速度が一定になった頃、夏帆はからかうように言った。
「こっちじゃ必需品だからね。でも運転はまだ慣れなくてさ、ハンドルを握っているときはいつも手汗がやばい」
「ガチガチなのは見ていてすぐわかるって。だから最初は静かにしてたじゃん」
さすが付き合いが長いだけある。自分をさらけ出せる開放感を感じながら、近くのイタリアンレストランに入店した。
「遠いのにわざわざ来てくれてありがとね。最近は頭から煙が出そうな日々が続いてたから、久々にリラックスできてる感じがするわ」
「礼なんかいらないって。でもあたし正直、笹森ってもっと田舎だと思ってたわ。電車は二時間に一本くらいで、歩いていればカブトムシを発見して夜は蛍を鑑賞できちゃうような。でも電車は十五分に一本は来るし、駅周辺は結構栄えてるね」
ナポリタンのケチャップを口の端に付けながら、夏帆はフォークを進める手を止めない。まだ笹森に来て日の浅い私がすでに贔屓にしているこの店を夏帆もお気に召したようだ。
「いや、田舎だと思う……カブトムシや蛍はしょっちゅう見るわけじゃないけど、虫の数には驚かされたし。まあそれより驚いたのは、じいちゃんに若い女がいたことなんだけどね」
あえて淡々と告げてみると、夏帆はナポリタンでむせていた。この反応が見たかった私は声を出して笑った。
水を飲んで一呼吸置いた夏帆は、目を爛々とさせて聞いてきた。
「なにそれどういうこと!? ちょっと、詳しく教えなさいよ!」
私はじいちゃんの彼女だと名乗る女、陽葵と同居している現状の一部始終を説明した。夏帆は相槌を打ったりオーバーリアクションをとったりしながら、まずは私の話を聞くことに徹していた。
「……まあ、こっちに来てからはそんな感じ。開店の準備を進めなきゃいけないのに、余計なことで神経減らしてる」
食事と説明で渇いた喉をジンジャエールで潤すと、話を聞き終えた夏帆は白い歯を見せた。
「よし、その女を尾行しよう!」
予想外の提案に私は思わず「はあ?」と感じの悪い返事をしてしまった。
「嫌だよ。なんで悪いことしてない私がコソコソしなきゃなんないの?」
「曜はじいちゃんの女の素性が気にならないの? あたしだったら彼女に顔を知られてないし、上手くやれる自信あるよ!」
「ちょっと落ち着いて。来る前にも伝えたと思うけど、夏帆には物件探しとホームページ制作の相談に乗ってほしいんだよ。遊んでいる暇はないんだけど」
「遊び? 違う! これは曜のこれからの生活に関わる大事なことだよ? 店の準備に集中するためにも不安要素はここでなくしておかないと! さあ! 早速その子に連絡して!」
「……夏帆が楽しみたいだけでしょ。顔に『こんな面白そうなことスルーできない!』って書いてある」
否定しない夏帆に溜息を吐きながらも、得体の知れない陽葵のことを知っておきたい気持ちは確かにある。言われるままに動くのは癪だが、夏帆の好奇心に背中を押される形で私はついに陽葵の正体を暴くための行動を開始した。
別に彼氏でもないのに陽葵に『今どこにいるの?』だなんて束縛男みたいなメッセージを送ると、『隣町のリオンだよ。なになに? わたしに会いたくなっちゃった?』と自撮りの写真付きで返信がきた。メッセージを見た夏帆は目を見開くと同時に小首を傾げた。
「うわ! すんごい美人じゃん! ……でもさ、あんたらって実は付き合ってるの? この子わざわざ自撮りまでして、一人で来てますアピールしてるけど」
「違う、この子なりの変な冗談なんだよ。意味わかんないっしょ?」
否定するために口を開いても夏帆は面白がって冷やかすばかりだったので、私は口の端についているケチャップを指摘しないことに決めた。
◇
隣市にあるショッピングモール『リオン』はこの辺りでは最も大きな商業施設で、笹森市民も頻繫に訪れるらしい。東京とは違って遊ぶ場所が限られている笹森市では、リオンに行くと知り合いとのエンカウント率が非常に高いと高久のおば様は言っていた。
だけど今日みたいな土曜日の日中はたくさんの人でごった返していて、この中から陽葵一人を見つけることは相当に困難な気がした。陽葵を探し始めてからおよそ一時間が経過し、買い物と家族サービスに疲れ切ったパパ達に混ざって休憩用の椅子に腰掛けた私は、通り過ぎる人々をじっと観察する夏帆に提言した。
「メッセージ来てからもう二時間は経ってるんだし、移動したんでしょ。探し出して尾行するなんてやめて、私らも普通に買い物しようよ」
「わざわざ地方に来て服とか買ってもしょうがないじゃん! 曜、もっとやる気出してよ! さっき送ってもらった写真もう一回見せて!」
好奇心の権化である夏帆はこうなったらもう止められない。溜息を吐いて陽葵の写真を見せつつ、スマホの画面越しからでも伝わってくる陽葵の美しさを再確認した。
大きくて睫毛の長い瞳は女子高生からすれば羨望の対象だろうし、ふっくらとして艶のある唇で触れられたら大抵の男は瞬殺されるだろう。陽葵はフランクで距離感も近いし、多くの男が勘違いして容易に落ちるのだろう。……というか、じいちゃんがその男の中の一人か。
「とりあえず、もう一回専門店街回ってみよう!」
今日東京から来た足でよくこんなに動けるものだと、同い年の夏帆の体力に驚く。広いショッピングモールをもう一度回ることにげんなりしつつ、捜査を再開すること十五分。夏帆の熱意が天に届いたのか、ついに尋ね人の姿を見つけた。
「いた! え!? 男といるじゃん!」
「は!? どこ!?」
夏帆に引っ張られて遠目から陽葵の様子を窺ってみると、奴は背の高い男を連れて種類の違うスカートを二着手に持ち、ショッピングを楽しんでいた。
男は金色に近い茶髪でパーマをかけていて、企業勤めのサラリーマンには見えなかった。美容師だろうか、それともスタイルがいいからモデルだろうか。……いや、もしかしたら陽葵が一方的に惚れ込んでいるホストという可能性だってある。
男の正体が誰であれ、二人は微笑み合ったり時折肌を触れ合わせたりして、傍目からだとカップルにしか見えなかった。陽葵には他に男がいてもおかしくないと思っていたのに、こうして別の男と一緒に笑っている姿を目の当たりにすると腹が立って仕方がなかった。
「やっぱりじいちゃんの金目当てだったってことだよね? ちょっと問い詰めてくる」
「落ち着きなよ。じいちゃんはもういないんだしさあ、彼女は別に浮気しているわけじゃないでしょ?」
そんなの理性ではわかっていても、不快なものは不快だ。何度かの押し問答を経て渋々夏帆に従って大人しく尾行を続けていると、男が電話で席を外した。
一人になった陽葵も誰かに電話をかけていたので夏帆が接近して聞き耳を立てた。夏帆の報告によると「さっきとは違う男と食事をする日について話しているみたいだった」とのことだ。
眉を顰めて尾行を続ける私のことなど露知らず、戻ってきた男と仲睦まじくリオンを出て笹森駅まで車で送ってもらった陽葵は、家には帰らずにカフェに入ってスマホを触っていた。
「あの茶髪男、陽葵を家まで送らないんだ。陽葵ならどんな男も選り取り見取りっぽいのに、案外甲斐性なしと付き合ってるんだね」
「いや違うっしょ。あれは男に家を知られたくないか、今から別の男と会うから適当な理由をつけて陽葵さんの方から駅で降ろしてって頼んだんでしょ」
夏帆の推測は見事に当たった。ジャケットを着こなす四十代前半くらいの男と合流した陽葵は、男と腕を組んで駅近のオイスターバーに入っていった。
「……なんだあいつ。おい夏帆、帰るぞ。陽葵の素性はもう十分にわかった」
よくもまあ平気な顔で男を取っ替え引っ替えできるものだと、一周回って感心すら覚える。
陽葵の交友関係に口を出すつもりはないが、こんな生活をこれからも続けるのであれば冗談でもじいちゃんの彼女だなんて言わないでほしかった。
駅のロータリーに車を停めて西口から出てくる人々を注視していると、小さめのキャリーバッグを持った日に焼けた女がきょろきょろと首を振りながら姿を現した。東京の友人がこの地にいる新鮮な光景にむず痒さを覚えながら、窓を開けて彼女に声をかけた。
「夏帆!」
私の声に反応した夏帆は笑顔で駆け寄ってきて助手席のドアを開けた。再会の挨拶もそこそこに、夏帆がシートベルトを締めたのを確認してすぐに車を発進させた。
「曜が車買ったの意外だったなー。東京じゃずっとペーパーだったじゃん」
スピードを上げていった車の速度が一定になった頃、夏帆はからかうように言った。
「こっちじゃ必需品だからね。でも運転はまだ慣れなくてさ、ハンドルを握っているときはいつも手汗がやばい」
「ガチガチなのは見ていてすぐわかるって。だから最初は静かにしてたじゃん」
さすが付き合いが長いだけある。自分をさらけ出せる開放感を感じながら、近くのイタリアンレストランに入店した。
「遠いのにわざわざ来てくれてありがとね。最近は頭から煙が出そうな日々が続いてたから、久々にリラックスできてる感じがするわ」
「礼なんかいらないって。でもあたし正直、笹森ってもっと田舎だと思ってたわ。電車は二時間に一本くらいで、歩いていればカブトムシを発見して夜は蛍を鑑賞できちゃうような。でも電車は十五分に一本は来るし、駅周辺は結構栄えてるね」
ナポリタンのケチャップを口の端に付けながら、夏帆はフォークを進める手を止めない。まだ笹森に来て日の浅い私がすでに贔屓にしているこの店を夏帆もお気に召したようだ。
「いや、田舎だと思う……カブトムシや蛍はしょっちゅう見るわけじゃないけど、虫の数には驚かされたし。まあそれより驚いたのは、じいちゃんに若い女がいたことなんだけどね」
あえて淡々と告げてみると、夏帆はナポリタンでむせていた。この反応が見たかった私は声を出して笑った。
水を飲んで一呼吸置いた夏帆は、目を爛々とさせて聞いてきた。
「なにそれどういうこと!? ちょっと、詳しく教えなさいよ!」
私はじいちゃんの彼女だと名乗る女、陽葵と同居している現状の一部始終を説明した。夏帆は相槌を打ったりオーバーリアクションをとったりしながら、まずは私の話を聞くことに徹していた。
「……まあ、こっちに来てからはそんな感じ。開店の準備を進めなきゃいけないのに、余計なことで神経減らしてる」
食事と説明で渇いた喉をジンジャエールで潤すと、話を聞き終えた夏帆は白い歯を見せた。
「よし、その女を尾行しよう!」
予想外の提案に私は思わず「はあ?」と感じの悪い返事をしてしまった。
「嫌だよ。なんで悪いことしてない私がコソコソしなきゃなんないの?」
「曜はじいちゃんの女の素性が気にならないの? あたしだったら彼女に顔を知られてないし、上手くやれる自信あるよ!」
「ちょっと落ち着いて。来る前にも伝えたと思うけど、夏帆には物件探しとホームページ制作の相談に乗ってほしいんだよ。遊んでいる暇はないんだけど」
「遊び? 違う! これは曜のこれからの生活に関わる大事なことだよ? 店の準備に集中するためにも不安要素はここでなくしておかないと! さあ! 早速その子に連絡して!」
「……夏帆が楽しみたいだけでしょ。顔に『こんな面白そうなことスルーできない!』って書いてある」
否定しない夏帆に溜息を吐きながらも、得体の知れない陽葵のことを知っておきたい気持ちは確かにある。言われるままに動くのは癪だが、夏帆の好奇心に背中を押される形で私はついに陽葵の正体を暴くための行動を開始した。
別に彼氏でもないのに陽葵に『今どこにいるの?』だなんて束縛男みたいなメッセージを送ると、『隣町のリオンだよ。なになに? わたしに会いたくなっちゃった?』と自撮りの写真付きで返信がきた。メッセージを見た夏帆は目を見開くと同時に小首を傾げた。
「うわ! すんごい美人じゃん! ……でもさ、あんたらって実は付き合ってるの? この子わざわざ自撮りまでして、一人で来てますアピールしてるけど」
「違う、この子なりの変な冗談なんだよ。意味わかんないっしょ?」
否定するために口を開いても夏帆は面白がって冷やかすばかりだったので、私は口の端についているケチャップを指摘しないことに決めた。
◇
隣市にあるショッピングモール『リオン』はこの辺りでは最も大きな商業施設で、笹森市民も頻繫に訪れるらしい。東京とは違って遊ぶ場所が限られている笹森市では、リオンに行くと知り合いとのエンカウント率が非常に高いと高久のおば様は言っていた。
だけど今日みたいな土曜日の日中はたくさんの人でごった返していて、この中から陽葵一人を見つけることは相当に困難な気がした。陽葵を探し始めてからおよそ一時間が経過し、買い物と家族サービスに疲れ切ったパパ達に混ざって休憩用の椅子に腰掛けた私は、通り過ぎる人々をじっと観察する夏帆に提言した。
「メッセージ来てからもう二時間は経ってるんだし、移動したんでしょ。探し出して尾行するなんてやめて、私らも普通に買い物しようよ」
「わざわざ地方に来て服とか買ってもしょうがないじゃん! 曜、もっとやる気出してよ! さっき送ってもらった写真もう一回見せて!」
好奇心の権化である夏帆はこうなったらもう止められない。溜息を吐いて陽葵の写真を見せつつ、スマホの画面越しからでも伝わってくる陽葵の美しさを再確認した。
大きくて睫毛の長い瞳は女子高生からすれば羨望の対象だろうし、ふっくらとして艶のある唇で触れられたら大抵の男は瞬殺されるだろう。陽葵はフランクで距離感も近いし、多くの男が勘違いして容易に落ちるのだろう。……というか、じいちゃんがその男の中の一人か。
「とりあえず、もう一回専門店街回ってみよう!」
今日東京から来た足でよくこんなに動けるものだと、同い年の夏帆の体力に驚く。広いショッピングモールをもう一度回ることにげんなりしつつ、捜査を再開すること十五分。夏帆の熱意が天に届いたのか、ついに尋ね人の姿を見つけた。
「いた! え!? 男といるじゃん!」
「は!? どこ!?」
夏帆に引っ張られて遠目から陽葵の様子を窺ってみると、奴は背の高い男を連れて種類の違うスカートを二着手に持ち、ショッピングを楽しんでいた。
男は金色に近い茶髪でパーマをかけていて、企業勤めのサラリーマンには見えなかった。美容師だろうか、それともスタイルがいいからモデルだろうか。……いや、もしかしたら陽葵が一方的に惚れ込んでいるホストという可能性だってある。
男の正体が誰であれ、二人は微笑み合ったり時折肌を触れ合わせたりして、傍目からだとカップルにしか見えなかった。陽葵には他に男がいてもおかしくないと思っていたのに、こうして別の男と一緒に笑っている姿を目の当たりにすると腹が立って仕方がなかった。
「やっぱりじいちゃんの金目当てだったってことだよね? ちょっと問い詰めてくる」
「落ち着きなよ。じいちゃんはもういないんだしさあ、彼女は別に浮気しているわけじゃないでしょ?」
そんなの理性ではわかっていても、不快なものは不快だ。何度かの押し問答を経て渋々夏帆に従って大人しく尾行を続けていると、男が電話で席を外した。
一人になった陽葵も誰かに電話をかけていたので夏帆が接近して聞き耳を立てた。夏帆の報告によると「さっきとは違う男と食事をする日について話しているみたいだった」とのことだ。
眉を顰めて尾行を続ける私のことなど露知らず、戻ってきた男と仲睦まじくリオンを出て笹森駅まで車で送ってもらった陽葵は、家には帰らずにカフェに入ってスマホを触っていた。
「あの茶髪男、陽葵を家まで送らないんだ。陽葵ならどんな男も選り取り見取りっぽいのに、案外甲斐性なしと付き合ってるんだね」
「いや違うっしょ。あれは男に家を知られたくないか、今から別の男と会うから適当な理由をつけて陽葵さんの方から駅で降ろしてって頼んだんでしょ」
夏帆の推測は見事に当たった。ジャケットを着こなす四十代前半くらいの男と合流した陽葵は、男と腕を組んで駅近のオイスターバーに入っていった。
「……なんだあいつ。おい夏帆、帰るぞ。陽葵の素性はもう十分にわかった」
よくもまあ平気な顔で男を取っ替え引っ替えできるものだと、一周回って感心すら覚える。
陽葵の交友関係に口を出すつもりはないが、こんな生活をこれからも続けるのであれば冗談でもじいちゃんの彼女だなんて言わないでほしかった。