瀬川さん夫妻の結婚式当日は雲一つない晴天だったというのに、翌日の今日は打って変わってぐずついた空模様だった。
夕方から本格的に降り出した雨は次第に強まり、日付が変わる頃にはどしゃ降りとなった。
この古い木造の家は、雨風の音を耳にダイレクトに響かせる。豪雨に加えて強風まで発生している今、うるさすぎる自然音に眉を顰めて布団の中で寝返りを打った。
今日が月曜日――すなわち、定休日で本当に良かった。
昨日、恵梨香さんのウエディングシューズを式場に届けた後も通常営業で店を開けていた私は、夕方を過ぎると急にどっと疲れが押し寄せてきた。帰宅してシャワーを浴び、おでんを食べながらそのまま眠りこけてしまったのだ。
目が覚めたらすでにお昼を過ぎていたのにもかかわらず、焦るどころか二度寝をしてしまって今日の休みは完全に寝て過ごした。
何度目になるかわからない寝返りを打って溜息を吐いた。もう深夜二時を回っている。早く寝ないと明日の仕事に差し支えるというのに、日中眠りすぎて目が冴えていた私は、この激しい雨と風の音も手伝ってなかなか寝つけずにストレスを感じていた。
眠くなるまで本でも読もうかと考えていると、襖の向こう側に人の気配を感じた。
「……曜ちゃん、起きてる?」
雨音にかき消されそうな控えめな陽葵の声を聞いて、体を起こした。
「起きてるよ。どうした?」
「ちょっと眠れなくて……あの……そ、そっちに行ってもいい?」
陽葵の声色はいつもと違っていた。
「いいよ。ちょうど私も寝られなかったところ」
おずおずと部屋に入ってきた陽葵は、私の隣に座った。オレンジ色の常夜灯の下でも陽葵が着ているグレーのスウェットは毛玉だらけだとわかる。ボロボロのトレーナーの上に高校時代のジャージを着込んでいる私といい勝負だった。
「どうする? 居間に行って何か飲む?」
「ううん。ここがいい。暗くて狭い場所の方が、落ち着く」
「ハムスターか。よし、ハルキじゃなくハムキと呼ぼう」
たとえどんなにつまらない冗談でも、いつもの陽葵なら何かしらの反応を見せるのに、今日は完全にスルーされた。
「……子どもみたいで恥ずかしいんだけど、わたし、強い雨風が怖いんだよね。十歳のとき、家族でキャンプに行って……急な嵐が来て遭難っぽくなって、救助隊に助けられたことがあって」
初めて知った事実に息を呑んで、陽葵を見つめた。
なんでもないように話しているつもりかもしれないが、寄り添った体の震えから抱えているトラウマの大きさが伝わってくる。だから私はただそっと、陽葵の手を握った。その手はひどく冷たかった。
「……なにそれ、イケメンだね。抱いて」
「アホか。追い出すよ」
陽葵は震える体をさらに私に寄せて、小さな声で話し始めた。
「……太ちゃんとキャバクラで出会ったのは本当だよ。だけど、恋人だったっていうのは嘘なんだ」
雨音にかき消されそうになりながらも、その告白はしっかりと私の耳に届いた。
「太ちゃんはね……お金にも男にも、どうしようもなくだらしなかったわたしを……なんとかしてくれようとした恩人なんだ」
「……まあ、じいちゃんはお節介焼きだったからね」
もしも陽葵と出会った頃の私なら、恋人だったことが嘘なのだと告白された時点で陽葵をどうにかして家から追い出そうと躍起になっていたに違いない。
だけど陽葵のことは嫌いになれないと確信している今は、こんな夜が来るたびに眠れなくなっているであろう彼女のことが、ただただ心配で仕方がなかった。
「二年前、ちょうどゴールデンウイークが終わった頃にね……わたし、そのとき付き合っていた男に騙されて、借金を背負っちゃったんだよね。それで人生どうでもいいやって自暴自棄になっていたときに、太ちゃんがお客様としてウチの店に来たの」
懐かしむように語る陽葵の声は穏やかで優しく、元々の澄んだ声も相まって不思議な心地良さを感じた。
「あの人ね、凄いの。わたしは普段通りに接客していたつもりだったんだけど、わたしがおかしなことを考えているって表情とか喋りで気づいたらしくて。店が終わって外に出たらわたしのこと待ってて、家に来いって誘ってきたの。そのときは下心丸出しで気持ち悪いって思ったんだけど、何もかもどうでもいいと思ってたからついていったんだ。家に着いて何をされるのかと思ってたら、『空いている部屋を使っていいから、落ち着くまで好きなだけいなさい』って言われて。しかも、三食賄い付き。初対面だよ? 信じられる?」
「……陽葵と恋人同士だったってことの方が、信じられなかったからね。むしろ、じいちゃんの性格を考えればこっちの方が信憑性は高いくらいだよ」
「太ちゃんの名誉のために言っておくとね、あの人はわたしに指一本触れてこなかったよ。わたしって単純だからさ、弱っているときに無償の愛とか与えられちゃうと、すぐに心を許しちゃうんだよね。だからすごく仲良くなった。一緒にごはんを食べたりたわいもないお喋りをしたりして……太ちゃんが入院する直前まで、この家で一緒にいたんだよ」
そう言って遠くを見つめる陽葵の瞳にはきっと、私の知らないじいちゃんが映っている。
「……いや、ちょっと待って。私、笹森に引っ越してくる前に何度かこの家の下見に来たし、それ以前にも家族と一緒に何度も出入りしたけど……陽葵が住んでいる形跡なんて微塵も見られなかったよ?」
「わたしたちの関係がご家族に知られたら、太ちゃんと会えなくなると思って……隠すのに必死だったの。曜ちゃんたちが来るって事前にわかっているときは家に寄らないようにしたし、荷物も常に持ち出せるようにキャリーバッグ一つに収めていたもん。……太ちゃんが死んじゃってからも隠し通すつもりでいた。でも……」
じっと私の顔を覗き込んだ陽葵は、真剣な瞳をしていた。
「こっそり立ち寄ったお葬式で太ちゃんと雰囲気が似てる曜ちゃんを見てからずっと、曜ちゃんのことが気になってた。……曜ちゃんがここに引っ越してくると知って、一緒に住みたいと思った。だからわたしは今、ここにいるんだよ」
完全に虚を突かれた私は、わかりやすく動揺していた。
「……そ……そっか……」
「曜ちゃんのこと前から知っていたなんて……正直に言ってしまえば、わたしのこと気持ち悪いって思うでしょ? それが嫌だったから今まで言えなかった。ごめんね」
自然と発生した沈黙の中で、私と陽葵は互いの顔を見つめ合いながら、何を考えているのか探り合っていたように思う。
だけど私はいつだって、陽葵の本当の気持ちを読み取れない。愚鈍な私を置きざりにして、陽葵は私からふいと目を逸らして遠くを見つめた。
「確実に言えるのは……今こうしてわたしが平穏に生きているのは、太ちゃんのおかげだってこと。それなのに……まだお礼も伝えきれていないのに、あっという間に死んじゃった。わたしは太ちゃんに救われたのに、わたしは太ちゃんにとって、疫病神みたいなものだったのかもしれないな……」
なんて声をかけていいのかわからなかった。上辺だけの薄っぺらい言葉では、陽葵の心に触れることなんてできやしないと思ったのだ。
ただ、オレンジ灯に照らされる陽葵の横顔は本当に綺麗だと思った。見慣れた自室の中で異次元の物質かのように存在する陽葵は、憂いを帯びた表情をしていてもなお、見惚れるほどに美しかったのだ。
じいちゃんは陽葵のこんな表情を見て、放っておけなかったのだろう。
「……ごめん。辛い気持ちを吐き出されても、私には何もしてあげられない。でも陽葵のことをもっと知りたいと思った。同居人だっていうのに、私はまだ陽葵のことを何も知らないから。……教えてくれる?」
陽葵は目を瞬かせてから、ふっと笑みを零した。
「……ふふっ。わたしのことを知りたいだなんて、嬉しいこと言ってくれるんだね? もしかして口説いてる?」
「まだ眠気も降りてこないし、暇つぶしだよ」
それからしばらく私たちは雑談をした。陽葵の地元は東海地方にあり、陽葵は高校卒業後は名古屋にある美容系の専門学校に通っていたそうだ。しかし在学中に「これは自分が本当にやりたいことではない」と考えるようになり、一年生の夏休み前には辞めてしまったらしい。
特に夢も目標もなかった陽葵は給料に惹かれてキャバ嬢として働いていたが、二十二歳のときに付き合っていた社会人の彼氏の転勤についていくことに決め、縁もゆかりもない笹森市にやって来た。
田舎で不便なところもあるが隣市まで行けば大体必要なものは揃うし、人と治安が良く住みやすいことが気に入って、彼氏と別れた後も笹森に住み続けているとのことだ。
一緒に住んでいても私は陽葵のことを何も知らなかったし、陽葵も私のことを何も知らなかった。
陽葵にせがまれる形で私もじいちゃんとの思い出や東京に住んでいた頃の暮らし、前の職場のことを語った。会話の内容はなんてことのないものだったけれど、雨風の音をBGMに互いの顔を見ながら過ごしたこの時間は、じいちゃんというたった一つの繋がりが結んだ私たちの関係が、はっきりとした輪郭を形作っていくために必要な儀式だったように思う。
四時半を回るとようやく雨風の音も弱くなってきて、握っていた陽葵の手は大分温かくなっていた。そろそろ寝ようかと打診しようとしたそのとき、
「曜ちゃんはどうして、靴職人になろうと思ったの?」
これまで聞かれなかったことが不思議なくらい、今更感のある質問をされた。
この手の質問をされることは頻繫にあったが、今までは誰に問われても「靴が好きだから」「手に職をつけたかったから」と奇をてらわない無難な回答をしてきた。
だけど、陽葵には本当のことを話したいと思った。
夕方から本格的に降り出した雨は次第に強まり、日付が変わる頃にはどしゃ降りとなった。
この古い木造の家は、雨風の音を耳にダイレクトに響かせる。豪雨に加えて強風まで発生している今、うるさすぎる自然音に眉を顰めて布団の中で寝返りを打った。
今日が月曜日――すなわち、定休日で本当に良かった。
昨日、恵梨香さんのウエディングシューズを式場に届けた後も通常営業で店を開けていた私は、夕方を過ぎると急にどっと疲れが押し寄せてきた。帰宅してシャワーを浴び、おでんを食べながらそのまま眠りこけてしまったのだ。
目が覚めたらすでにお昼を過ぎていたのにもかかわらず、焦るどころか二度寝をしてしまって今日の休みは完全に寝て過ごした。
何度目になるかわからない寝返りを打って溜息を吐いた。もう深夜二時を回っている。早く寝ないと明日の仕事に差し支えるというのに、日中眠りすぎて目が冴えていた私は、この激しい雨と風の音も手伝ってなかなか寝つけずにストレスを感じていた。
眠くなるまで本でも読もうかと考えていると、襖の向こう側に人の気配を感じた。
「……曜ちゃん、起きてる?」
雨音にかき消されそうな控えめな陽葵の声を聞いて、体を起こした。
「起きてるよ。どうした?」
「ちょっと眠れなくて……あの……そ、そっちに行ってもいい?」
陽葵の声色はいつもと違っていた。
「いいよ。ちょうど私も寝られなかったところ」
おずおずと部屋に入ってきた陽葵は、私の隣に座った。オレンジ色の常夜灯の下でも陽葵が着ているグレーのスウェットは毛玉だらけだとわかる。ボロボロのトレーナーの上に高校時代のジャージを着込んでいる私といい勝負だった。
「どうする? 居間に行って何か飲む?」
「ううん。ここがいい。暗くて狭い場所の方が、落ち着く」
「ハムスターか。よし、ハルキじゃなくハムキと呼ぼう」
たとえどんなにつまらない冗談でも、いつもの陽葵なら何かしらの反応を見せるのに、今日は完全にスルーされた。
「……子どもみたいで恥ずかしいんだけど、わたし、強い雨風が怖いんだよね。十歳のとき、家族でキャンプに行って……急な嵐が来て遭難っぽくなって、救助隊に助けられたことがあって」
初めて知った事実に息を呑んで、陽葵を見つめた。
なんでもないように話しているつもりかもしれないが、寄り添った体の震えから抱えているトラウマの大きさが伝わってくる。だから私はただそっと、陽葵の手を握った。その手はひどく冷たかった。
「……なにそれ、イケメンだね。抱いて」
「アホか。追い出すよ」
陽葵は震える体をさらに私に寄せて、小さな声で話し始めた。
「……太ちゃんとキャバクラで出会ったのは本当だよ。だけど、恋人だったっていうのは嘘なんだ」
雨音にかき消されそうになりながらも、その告白はしっかりと私の耳に届いた。
「太ちゃんはね……お金にも男にも、どうしようもなくだらしなかったわたしを……なんとかしてくれようとした恩人なんだ」
「……まあ、じいちゃんはお節介焼きだったからね」
もしも陽葵と出会った頃の私なら、恋人だったことが嘘なのだと告白された時点で陽葵をどうにかして家から追い出そうと躍起になっていたに違いない。
だけど陽葵のことは嫌いになれないと確信している今は、こんな夜が来るたびに眠れなくなっているであろう彼女のことが、ただただ心配で仕方がなかった。
「二年前、ちょうどゴールデンウイークが終わった頃にね……わたし、そのとき付き合っていた男に騙されて、借金を背負っちゃったんだよね。それで人生どうでもいいやって自暴自棄になっていたときに、太ちゃんがお客様としてウチの店に来たの」
懐かしむように語る陽葵の声は穏やかで優しく、元々の澄んだ声も相まって不思議な心地良さを感じた。
「あの人ね、凄いの。わたしは普段通りに接客していたつもりだったんだけど、わたしがおかしなことを考えているって表情とか喋りで気づいたらしくて。店が終わって外に出たらわたしのこと待ってて、家に来いって誘ってきたの。そのときは下心丸出しで気持ち悪いって思ったんだけど、何もかもどうでもいいと思ってたからついていったんだ。家に着いて何をされるのかと思ってたら、『空いている部屋を使っていいから、落ち着くまで好きなだけいなさい』って言われて。しかも、三食賄い付き。初対面だよ? 信じられる?」
「……陽葵と恋人同士だったってことの方が、信じられなかったからね。むしろ、じいちゃんの性格を考えればこっちの方が信憑性は高いくらいだよ」
「太ちゃんの名誉のために言っておくとね、あの人はわたしに指一本触れてこなかったよ。わたしって単純だからさ、弱っているときに無償の愛とか与えられちゃうと、すぐに心を許しちゃうんだよね。だからすごく仲良くなった。一緒にごはんを食べたりたわいもないお喋りをしたりして……太ちゃんが入院する直前まで、この家で一緒にいたんだよ」
そう言って遠くを見つめる陽葵の瞳にはきっと、私の知らないじいちゃんが映っている。
「……いや、ちょっと待って。私、笹森に引っ越してくる前に何度かこの家の下見に来たし、それ以前にも家族と一緒に何度も出入りしたけど……陽葵が住んでいる形跡なんて微塵も見られなかったよ?」
「わたしたちの関係がご家族に知られたら、太ちゃんと会えなくなると思って……隠すのに必死だったの。曜ちゃんたちが来るって事前にわかっているときは家に寄らないようにしたし、荷物も常に持ち出せるようにキャリーバッグ一つに収めていたもん。……太ちゃんが死んじゃってからも隠し通すつもりでいた。でも……」
じっと私の顔を覗き込んだ陽葵は、真剣な瞳をしていた。
「こっそり立ち寄ったお葬式で太ちゃんと雰囲気が似てる曜ちゃんを見てからずっと、曜ちゃんのことが気になってた。……曜ちゃんがここに引っ越してくると知って、一緒に住みたいと思った。だからわたしは今、ここにいるんだよ」
完全に虚を突かれた私は、わかりやすく動揺していた。
「……そ……そっか……」
「曜ちゃんのこと前から知っていたなんて……正直に言ってしまえば、わたしのこと気持ち悪いって思うでしょ? それが嫌だったから今まで言えなかった。ごめんね」
自然と発生した沈黙の中で、私と陽葵は互いの顔を見つめ合いながら、何を考えているのか探り合っていたように思う。
だけど私はいつだって、陽葵の本当の気持ちを読み取れない。愚鈍な私を置きざりにして、陽葵は私からふいと目を逸らして遠くを見つめた。
「確実に言えるのは……今こうしてわたしが平穏に生きているのは、太ちゃんのおかげだってこと。それなのに……まだお礼も伝えきれていないのに、あっという間に死んじゃった。わたしは太ちゃんに救われたのに、わたしは太ちゃんにとって、疫病神みたいなものだったのかもしれないな……」
なんて声をかけていいのかわからなかった。上辺だけの薄っぺらい言葉では、陽葵の心に触れることなんてできやしないと思ったのだ。
ただ、オレンジ灯に照らされる陽葵の横顔は本当に綺麗だと思った。見慣れた自室の中で異次元の物質かのように存在する陽葵は、憂いを帯びた表情をしていてもなお、見惚れるほどに美しかったのだ。
じいちゃんは陽葵のこんな表情を見て、放っておけなかったのだろう。
「……ごめん。辛い気持ちを吐き出されても、私には何もしてあげられない。でも陽葵のことをもっと知りたいと思った。同居人だっていうのに、私はまだ陽葵のことを何も知らないから。……教えてくれる?」
陽葵は目を瞬かせてから、ふっと笑みを零した。
「……ふふっ。わたしのことを知りたいだなんて、嬉しいこと言ってくれるんだね? もしかして口説いてる?」
「まだ眠気も降りてこないし、暇つぶしだよ」
それからしばらく私たちは雑談をした。陽葵の地元は東海地方にあり、陽葵は高校卒業後は名古屋にある美容系の専門学校に通っていたそうだ。しかし在学中に「これは自分が本当にやりたいことではない」と考えるようになり、一年生の夏休み前には辞めてしまったらしい。
特に夢も目標もなかった陽葵は給料に惹かれてキャバ嬢として働いていたが、二十二歳のときに付き合っていた社会人の彼氏の転勤についていくことに決め、縁もゆかりもない笹森市にやって来た。
田舎で不便なところもあるが隣市まで行けば大体必要なものは揃うし、人と治安が良く住みやすいことが気に入って、彼氏と別れた後も笹森に住み続けているとのことだ。
一緒に住んでいても私は陽葵のことを何も知らなかったし、陽葵も私のことを何も知らなかった。
陽葵にせがまれる形で私もじいちゃんとの思い出や東京に住んでいた頃の暮らし、前の職場のことを語った。会話の内容はなんてことのないものだったけれど、雨風の音をBGMに互いの顔を見ながら過ごしたこの時間は、じいちゃんというたった一つの繋がりが結んだ私たちの関係が、はっきりとした輪郭を形作っていくために必要な儀式だったように思う。
四時半を回るとようやく雨風の音も弱くなってきて、握っていた陽葵の手は大分温かくなっていた。そろそろ寝ようかと打診しようとしたそのとき、
「曜ちゃんはどうして、靴職人になろうと思ったの?」
これまで聞かれなかったことが不思議なくらい、今更感のある質問をされた。
この手の質問をされることは頻繫にあったが、今までは誰に問われても「靴が好きだから」「手に職をつけたかったから」と奇をてらわない無難な回答をしてきた。
だけど、陽葵には本当のことを話したいと思った。