しばらくして、ぼくは志村先輩の部屋に呼ばれた。稲葉先輩も神妙な顔つきで背後から見ていた。
「相部屋やめる?」
 志村先輩は言った。
「はむかったからですか」
 ぼくは言った。いくらなんでも、うざかったとはいえ先輩に向かって自分もひどいことを言った。あれのとき、肩を落として三船先輩が部屋から出ていった。
「じつは、その提案をしたのは宮口だ」
 その名前にびっくりした。
「なんで?」
「同居している先輩と諍いになったら暮らすが辛いだろう、ってね。でもじゃあ木村はどこで暮らすんだって聞いたら、自分の部屋で一緒に過ごせばいいって」
 だって、ぜんぜんぼくは宮口と話していない。なんでだ?
 志村さんは続けた。
「そうしたら、今度は加藤が出てきて、だったら、自分が引き取ってもいいって名乗りでた。誰をって言ったら、自分が宮口と相部屋になるって、臭いからやだとか、謎の喧嘩に発展して、なんだかわけわかんなくなったんで、とりあえず彼らの提案は受け入れなかった。そもそも本人がいないところで決めるのはよくないってね。いい友達だね。今年の新入生は人情派が揃ってるな」
 志村さんは笑った。
「なんで、そんな気にかけてくれてるんですか」
 だって、べつに、まだそこまで打ち解けているわけでもないのに。
「友達でも仲間でも、言い方はなんでもいいけど、そういうもんだって思ってるんだろ」
「美しく言えばね」
 稲葉さんが付け加えた。
「どうする?」
「謝ります、ぼくが三船さんに」

 消灯時間になっても三船さんは帰ってこなかった。あの人はどうやら、決まりを破ってもいい上級国民……寮生らしい。まもなく日が変わる頃、ドアが開いて人が入ってきた。
 ぼくのベッドの横にへたりこんだ気配があった。
「サクさっきは、すまなかったな」
 三船さんだった。
「キムサクじゃないんですか」
 ぼくは布団を被ったまま言った。
「長いからもっと短縮した」
 なんかよお、あんなふうに詰めることはねえだろって思うんだよ、やっぱよくよく考えてみても、と三船さんは言った。
「頼まれたふりかけ買ってくるのわすれました」
「べつにいいよそんなの」三船さんが笑った。「それにしてもなんだよなあ、あの姉ちゃん、けっこうすげえな。昔っから尻敷かれてたんだろ」
 三船さんは立ち上がり、部屋のあかりをつけた。
「どれが姉ちゃん?」
 写真立てを見ているらしかった。
「昔っからじゃないです」
 ぼくは言った。
「なに、急にあんなふうになるの? 進化?」
「ぼくは途中からだから」
「よくわかんないんだけど。行間読めねえし」
「繋がってません」ぼくは、言った。言わなくてもいいのに。でも、本気で庇ってくれた三船さんに対する礼儀だと思った。「血は繋がってないんです」
「そうか」
「木村の家に男の跡取りがいないから、遠い親戚だったぼくが、木村の家に養子で入ったんです」
「ごめんな」
「なんで謝ってるんですか」
「なんだよ」
「謝る理由ないですよ。ぼくはべつに謝ってほしいなんて思っていないし。三船先輩がかばってくれて」
 謝るのは自分のほうだった。優しさをうざいと言い放った。
「相手が謝らなくっていいっていっても謝りたくなるときは謝っとくもんだろ」
「自分勝手だ」
 ぼくはベッドから顔を覗かせた。ぼくのほうが、ごめんなさい、と謝ろうとしたときだ。
「ごめんな」
 三船さんがぼくのベッドに入ってきて、抱きしめた。狭いベッドに二人は、きつい。離れようとすると壁に当たる。狭い場所で二人、だったら、二人がぎゅっとしがみつきあうしかないじゃないか。
「なにしてんですか」
 ぼくは言った。鼻声だった。
「可愛かったから」
 三船さんはぼくの頭を撫で、それからあたまのてっぺんに唇を寄せた。吸いつかれているのがわかった。
「昔家で飼ってた犬に似てる。ペロっていうんだけど」
「ペロ」
 犬かよ、犬種は、と訊く余裕はない。
「ペロって名前つけたのに、まったくペロペロしなかったから、俺のほうがしてたんだ」
 お前の頭、子供みたいな匂いがするな、と三船さんは言い、ぼくらはそのままベッドでじっとしていた。
 ぼくは、謝ることができなかった。