食後に作り置きの無限ピーマンをつまみながら、ソファで二人、ビールを飲む。
 部長が思い出したように、離婚の報告をするため何年ぶりかに専業主婦の友人に会ったときのことを話してくれた。

「私が『子どもを持つ人生を選べたらよかった』って言ったときにね、友人が言ったの。
『子どもを持つ私から見れば、みどりは自由に生きててうらやましい。今の私は絶対に子どもの存在から逃げられなくて、家事と子どもに振り回されて自分がないことに悶々としているから』って」
「こちらのことは、向こうからはそう見えてるんですね。
 意外でした」
「そう。
 だからお互い、ないものねだりで生きているんだなって、そのとき分かったの。
 隣の芝生は青いってことよね」
「そうですね」

 わたしは、わたしで。
 他の誰にもなれないし、他の誰かが取って代わることもできない。

 自分の選ばなかった人生のことを考え始めたら、きりがない。
 そしてそれを考えることは、とてつもなく不毛なことだ。
 今から選び直せるわけでもないし、今選んでいる人生を結果的に自分で否定することになるから。

 MIKEさんが出雲旅行で言っていた言葉を思い出す。

「自己否定は殺人と一緒ですよ」

 それぐらいしてはいけないことだし、すべてを無に帰す行為。
 簡単に、無意識にしてしまえるからこそ、怖い行為。
 そしてそれは結局、外側の声に惑わされて、自分の幸せを見失うことに繋がっていく。

「そうだとすると、今の人生をめいっぱい楽しむのが一番いいですね」
「そう、ないものねだりは私たちのするべきことじゃない」
 部長が力強く宣言するように言って、グラスのビールをごくごく飲んだ。

 わたしは、今のわたしのすべてを肯定して生きていく。
 それをすることが、わたしの幸せだから。

「よし、今日はもう一杯ビール飲んじゃいます!」
「私のもお願い!」
「了解!」
 わたしはキッチンの冷蔵庫に元気よく缶ビールを取りに行った。