夕飯は大変豪華で、蟹あり、海老あり、蕎麦あり、のどぐろあり、島根和牛ありの、海の幸山の幸何でも尽くしだった。
 ひとつひとつのメニューを噛みしめながら食べる。

 ご飯を食べながら、ひとりずつ近況報告をすることになった。

 わたしは、空き巣が入ったことから始まり、部長の家に居候することになり、結果的に正社員登用が決まったことを報告する。
 打診があったとき、自信がなくてすぐには返事ができなかったことも含めて。

 MIKEさんがわたしの話にコメントしてくれた。
「いいものとかご縁とか自分が願っていたものを受け取っていいと自分に許可できているのって、すごく大事な土台なんですよ。
 それができていないと、いくら願ってても叶わないし、せっかくやってきた現実を手放さないといけなくなってしまうから。
 だから、けろっこちゃんは素敵な部長さんがそばにいてくれてよかったですよね」

 同期のメンバーの現状報告は続き、ナツさんは祖母が認知症になって自分のことが分からなくなったことをまだ受け止めきれずにショックを受けて泣いていたし、りささんは突然無職になったけど頑張ってこの同窓会に参加したようだった。

 その中で、あいかさんが泣きながら現状報告した内容はとても短かったが、わたしの胸を強く打つものだった。

「私は、性同一性障害で、性転換手術を受けて女性になりました。
 このことを今日どうしてもみんなに伝えたくて、この同窓会に参加しました」

 あいかさんは、外資系の会社で働いていて、日本語はもちろん、10か国語を自在に操れるバリキャリウーマンだった。
 カミングアウトを受けるまでまったく気づかなかった。
 でも、あいかさんはあいかさんだ。
 わたしの知っているあいかさんは、長期講座でもハキハキと物怖じせず発言して、人見知りをせずにぐいぐい色んな人と仲良くなっていく、そんな人だった。
 わたしはそんなあいかさんが大好きだし、もちろん他のメンバーのことも大好きだ。
 ただそれだけだった。

 この講座生のメンバーは、わたしの中で友達という簡単な言葉では括れないような存在だった。
 ある程度長い期間付き合いのあるような親友とも違うし、まさしく同志と呼ぶのにふさわしいのかもしれない。
 講座中の3か月は濃密だったけど、すべてのメンバーと深く交流できていたわけではない。
 今日参加できなかったメンバーの中にも、顔と名前が一致しない人がひとりだけではなかった。

 それでも、同じ価値観というか、同じものの考え方ができるというだけで、こんなにものびのびと自由でいられる関係性が今のわたしにあるということが、雲間から射す一筋の光のように、心を照らす。