ぐずっ……。ぐずっ……。
 
 川沿いの遊歩道から少し土手を下り、橋脚の陰になるようなところに潜んで俺はひとりで声も出さずに泣いている。ここならまず人は来ないし、目立たないところに行きたかったから。
 さすがにDKが号泣してたら気持ち悪いだろうし、もうちょっとだけ気持ちをしずめてから電車に乗って帰ろうと思っていた。

 浅宮は告白したかな……。
 有栖はなんて答えたんだろう……。

 いや、浅宮はああ見えて恋愛に奥手なようだからまだかもしれない。
 いやいや、ここまで準備してきたんだ。一世一代のチャンスは逃さないっていうタイプじゃないか?
 
 はぁ、もう自分が嫌になる。さっきから考えるのは浅宮のことばかり。忘れなきゃって思ってるのに……。

 こんなことになったのも俺の恋愛経験値が低すぎたせいだ。だからちょっと浅宮に誘われたくらいで勘違いしてすぐに好きになっちゃったんだ。チョロいにも程がある。
 でも、浅宮はかっこいい。ビジュアルは完璧だし、実は優しいし、たまに変な奴。
 浅宮がかっこよすぎるのがいけないんだ。やっぱり俺のせいじゃない。



 土手から眩しいくらいの夕日を見ていたら、いつかの浅宮のことを思い出した。あの時は、浅宮と色んな話ができて楽しかったな。

 涙も落ち着いてきたし、そろそろ帰ろうか。

「三倉ーっ!!」

 遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。声のするほうを振り返ると、自転車を遊歩道に止めて、こっちに向かってくる浅宮の姿がある。

「えっ! なんで?!」

 駄目だろ浅宮。お前は有栖と一緒にいなくちゃ。それともさっさと告白成功させて、俺に報告しにきたのか?!

「みっ、三倉っ! 良かった会えた。お前、川のほうに走っていったから、もしかしたらって思って……」

 息を切らしてどうしたんだよ。俺に急ぎの用なんてないだろ。

「浅宮なんでここに来たんだよっ! 有栖は? 一緒じゃないの?!」

 浅宮は乱れる呼吸を整えつつ「一緒じゃない。あれからすぐに帰ってったよ」と答えた。

「ばっ、駄目だろ? せっかく俺がふたりきりにしてやろうと協力したのに。怖気付いたのか?!」

 だらしがないな、浅宮は。あんなチャンスをふいにしたのか?!



「怖気付いてなんかないっ! だからここに来たんだよ!」

 なんだよ、どういうことだ……? まさかまだ俺に練習に付き合えとか言うんじゃないだろうな。それならもう無理だ。本気になっちゃったんだから、浅宮と恋人ごっこなんてできないよ。

「三倉。お前が俺に興味なんかないって、わかってる。でも当たり前だ。俺は男だし、お前も、男だし……」

 浅宮は神妙な面持ちだ。

「でもさ、三倉はなんだかわからないけど俺が好きなのは有栖だって勘違いして『協力してやる』なんて言うからさ、ああ、それを理由にすれば三倉は俺と一緒にいてくれるんだって思ったんだ」

 ん……? 勘違い……? 浅宮は有栖のことが好きなんじゃなかったのか?

「そういうことにしておけば、最強のライバルの有栖に三倉を取られる心配もなくなるとも思ったし」

 なんだよ、その発想。有栖は親友だ。俺と有栖がどうこうなんてあり得ないのに。

「三倉を誘うのに最初からデートだなんて言ったら断られるに決まってるけど、練習だって言えば気のいいお前は俺に付き合ってくれたしさ」

 浅宮がデートしたかったのは、俺……? 練習っていうのは俺を誘う口実だったってことなのか。

「俺、なんとか三倉の気を引きたかったんだ。三倉に振り向いて欲しくて、頑張ったんだけど……」

 まさか。そんなことあるわけないよな。そんな都合のいいこと——。

「ごめん。付き合ってもないのにキスなんかして……。あの時の三倉、びっくりしてた。練習なんだからまさか本当にされるなんて思ってなかったんだよな? それなのに俺は本当にバカで、三倉とキスできると思ったら、気持ちが抑えられなくなって……」

 浅宮も、俺とそういうことしたかったのか……?

「三倉は泣いて帰っちゃうしさ、それから学校で俺と目も合わせてくれない。LINEも通じない。せっかく仲良くなれたのに、三倉はもう俺のこと……」

 浅宮が泣いてる。なんで泣いてるの? 俺に嫌われたと思ったから……?
 泣くなよ。せっかく涙がひいたのに、浅宮につられてまた泣けてくるから。

「だから全部、本当のことを言う。俺が好きなのは有栖じゃない。三倉、お前なんだ」

 涙を拭って浅宮は俺に真っ直ぐに気持ちをぶつけてくる。俺を苦しそうな表情で見つめてくる。

「ま、まさか。浅宮が……? だってお前、あんなに有栖のこと熱っぽい目で見てたじゃないか」
「違う。俺が見てたのは有栖の隣にいる、三倉だよ」
「えっ?! 俺っ?!」

 あの視線。有栖に向けられたものじゃなかったのか?!

「三倉。俺のために、たくさん協力してくれてありがとう。でもごめん。それ全部、実は無駄だったんだ。俺が三倉と一緒にいる理由をかこつけたかっただけ。三倉は優しいからそう言うといつも俺をそばにいさせてくれたから」

 待って待って。ヤバいぞ。まさかの展開に頭と気持ちが追いつかない。

 浅宮が俺を好き? 浅宮はどんな理由でもいいから俺と一緒にいたかった? じゃあ俺は浅宮を好きなままでもいいの……?

「三倉。俺とのキスはどうか忘れて。あんなのはただのもらい事故だと思ってよ。三倉にはいつか好きな人と本当のキスをした時にそれを最初のキスだって思って欲しいんだ」

 なんでそんなこというんだよ。あれは俺から言い出したことなんだから。俺が、浅宮とキスしたかったんだから。

「ごめん。俺は三倉に迷惑ばかりかけた。三倉と一緒にいたいっていう俺の我儘に、三倉を巻き込んで、振り回して、最低なことをした。三倉が怒って俺を無視するのは当然だと思う。男に好かれるなんて迷惑でしかないよな? キモくてごめん。三倉の気が晴れるなら、学校で言いふらしてもいいよ。全部本当のことだから」

 浅宮は、自分の言いたいことだけ言って「じゃあ」と立ち去ろうとする。

 駄目だ。
 浅宮、行かないで。

 俺は気がついたら飛び出していた。いなくなろうとする浅宮に、その大きな背中に、必死でしがみついた。

「三倉?!」

 浅宮は俺が追いかけてきたことに驚いている。
 でも浅宮、このまま行っちゃうなんてひどくないか。お前が一方的にペラペラ喋るだけで、終わりだなんて。俺も、俺の気持ちも全部置き去りにするなんて。

「浅宮……行かないで」

 いやだ。このまま行かせるもんか。

「三倉、どうして……」

 浅宮が困惑してる。俺も全然、浅宮の気持ちに気が付かなかったけど、浅宮にも俺の気持ちは伝わってなかったんだ。

「浅宮。俺の話も聞いてくれる……?」

 俺は浅宮の身体から両腕を離して、浅宮の顔をじっと覗き込む。

「三倉の話ならいつだって聞くけど……」

 そう言ってくれてるけど、浅宮はまだ俺の話の内容にピンときていないようだ。

「お、俺は最初浅宮のことはいい友達だなって思ってたんだけど……」
「うん」
「気がついたら、俺、浅宮のことそういう意味で好きになってて……」
「…………っ!」

 浅宮が息を呑んだ。

「でも、その……浅宮は有栖が好きだと思ってたから、俺、お前の近くにいるのがつらくなって……お前の恋の応援もできなくなって……」
「まっ、えっ? うそ?!」

 嘘じゃない。俺だってよくわかんないうちに浅宮に惹かれたんだ。気がついたらこんなに泣くほどお前のことを好きになってたんだよ。

「でも、さ、さっき浅宮は俺に言ってくれただろ? あれって浅宮は俺でいいってことだよね……?」

 信じられないから、浅宮に確認したい。誰がどう見ても好かれるのは有栖だ。俺が誰かに好かれる要素なんて1ミリもないよ。実際、人に好きだなんて言ってもらったの、初めてだし……。

「うん。俺は三倉のこと大好きだよ。みっ、三倉こそ俺でいいの……?」
「うん。浅宮がいい。俺、浅宮とキスできて嬉しいと思ったんだよ。嬉しくて泣けてきて、でも浅宮の気持ちは俺にないから諦めなくちゃって思って……。それで浅宮を避けるようなことをして……本当ごめん……」




「俺、三倉に完全嫌われたと思ってたのに……」

 浅宮がそっと俺の腕に触れてきた。俺は惹かれるように浅宮に身体を寄せる。
 浅宮はそのまま優しく俺を抱きしめてきた。
 距離が近すぎてドキドキする。自分でも信じられないくらいに鼓動が早いから、浅宮にも伝わってしまうかもしれない。

 その時、ビビーッ! と車のクラクションが聞こえて浅宮とふたりでビクッとして思わず身体を離す。
 そうだ。ここって外だ。浅宮とこんなことしてるのを通りすがりの人に見られたら……。


「三倉っ! こっち!」

 浅宮が俺の手を引いて走り出した。俺はそのまま浅宮に連行される。
 浅宮が連れてきたのはさっきまで俺が隠れていた橋脚の陰。そこに浅宮とふたりで隠れるようにしゃがみ込む。

「こういうの、楽しいな」

 俺のすぐ隣にしゃがむ浅宮はかくれんぼしている子どもみたいに楽しそうだ。鬼なんかいないのにきょろきょろ辺りを確認して、何をしてるんだか。

「ここなら見つからない。周りには誰もいない」

 浅宮が俺を見る。すごく近い。浅宮は本当にキレイな顔をしてるよな。こんな近くで見ても悪いところひとつ見つからない。
 浅宮がさらに迫る。そのかたちの整った唇を俺の唇に近づけてくる。
 俺が目を伏せると、浅宮はそのままキスをした。

 ああ。これって、本当のキスだ。

 もう浅宮とこういうことをするのに、いちいち理由なんか要らないんだ。

 そっと目を開けると浅宮が愛おしそうに俺を見つめている。

「三倉。俺と付き合って」

 嘘みたいだ。浅宮に告白されるなんて。

「うん」

 俺が頷くと浅宮が口角を上げ、なんだか嬉しそうだ。

「ありがと三倉。大好きだよ」

 浅宮が俺を力強く抱きしめてきた。浅宮に抱きしめられるのは嬉しいけど、ぎゅっと締められすぎて苦しいな……。

「ぎゅっとしていい?」

 浅宮はさらに強く抱きしめてくる。浅宮の力が強すぎて息も絶え絶えギブ寸前だ。
 いや、待って。浅宮、お前力強いな!
 ちょっとこれ以上は……っ!

「三倉をぎゅっとできて俺は幸せだ……」
「うっ……!」

 ちょっとだけ離してっ! 浅宮の気持ちはわかったから!


 ——完。