特殊方技部の横浜方面支部、新しい宿舎に遥香たちは引っ越した。ということは、稲荷も同居なのだった。

「……なんだ、これは」
「コレじゃないもんッ! おじいちゃん、とうふこぞうもしらないの?」

 宿舎の座敷で豆腐小僧とにらめっこになったのは、遥香の祖父、弘道。豆腐小僧は胸を張り、ふるふるする豆腐もつややかに、ふんすと立っている。

「とうふちゃんは、ずっと前から私の友だちなんです」

 怒鳴られるのを覚悟しながら遥香は白状した。
 方技部の面々と弘道がひとつ屋根の下に暮らすなら、もう妖怪の友人のことを隠し続けるわけにいかない。豆腐小僧も水乞も、大切な仕事の協力者。ふらりとあらわれては喜之助と遊んでいったりするのだ。これはいっそ弘道と引き合わせるしかないと判断し、ご対面となっている。

「……豆腐小僧、とは妖怪か」
「そう、です……」
「妖怪が友だちだと……」
「ねえねえ、お爺さまったら私のことは知らん顔なの?」

 すねてみせたのは水乞だ。今日は遥香と同い年ほどの娘姿になって喜之助の隣にくっついている。ごく普通の女のようにも見えるので、弘道が怪訝な顔をしたのも無理はなかった。

「私も妖怪なんだけど。水乞のみっちゃんでーす」
「なに?」

 並んで座る喜之助も、やや後ろで見守る彰良も頭をかかえたくなった。「妖怪です」と名乗る妖怪ってなんだ。困惑する弘道に同情する日がくるとは。
 水乞はずずいと弘道の前に膝をすすめると、とんとんと畳を示し豆腐小僧も座らせる。笠をぬぎ、盆を置いた豆腐小僧は行儀よく正座した。

「私たちね、ハルカのお手伝いをして怪異とたたかう、良い妖怪なの! ま、そうなったのは妖怪にもやさしいハルカの人徳なんだけど。そういうわけだからお爺さまも、これからよろしくね」

 うふん、と小首をかしげてみせる水乞を凝視し、弘道は硬直していた。すぐには事態をのみ込めなくて当たり前、喜之助は申し訳なさそうに頭をかいた。

「あー、ええっと弘道さん、すみません黙ってて。こんなことになってるんすよ」
「……軍として、これでいいのか」
「軍っつーか。俺らは名目だけで、ほぼ別組織なんで」
「いい、んだな……」

 弘道は深く呼吸し、気を落ち着けているようだった。

「ならば、何も言うまい。ここでは居候の身だ」
「あ、おじいちゃん……」

 妖怪二人を見ないようにして立ち上がると、弘道は引っ込んでしまう。たぶん現実逃避だ。ガタン、と大きくふすまの音がして、おじいちゃん倒れてないかしらと遥香は心配になった。

「なんだよう。きもったま、ちいさい!」

 豆腐小僧はいきどおるが、それはちょっと弘道に厳しい見方だ。孫娘が妖怪と力を合わせて怪異を祓っているなんて言われてすぐに納得できるものじゃない。
 ――なのでまだ弘道には、彰良が狼の半妖だということも秘密にしていた。もちろん彰良と遥香がともに生きる決意を固めたことだって伝えていない。話そうとすると彰良の素性に言及しないわけにもいかないからだ。
 想い合っていると本人同士は確かめたものの、遥香の身内をあざむいていると思うと彰良は心苦しかった。

 新しい宿舎は広い家だ。庭には木の香も清々しく新しい社が鎮座し、赤い鳥居も奉納されている。山代一家がまだ帝都から越してきていないのもあって、とても静かに感じた。
 彰良と喜之助が一階の居間の奥の部屋で寝るのは前と変わらない。山代家は離れを弘道と遥香にゆずり、二階で暮らすことにした。だが弘道は自分は間借り人だと言い張って下男部屋に入ってしまい、そうなると遥香もこれまでのように下女部屋でいいと言い出して離れはからっぽだった。
 台所の片隅には、水乞専用の蓋つき湯呑が常に置かれている。いつでも飲みにきてね、という遥香の配慮で朝晩に新しくお茶を淹れてあるのだが、仏壇か、と喜之助は笑ってしまった。でもそれを飲むおかげで水乞はいつもぷるぷるだ。

「みっちゃん、今日は子どもじゃないんだね」
「あら喜之助さん、いっしょにビヤ酒を飲んだ仲じゃないの。冷たいわ。私なるべく大人でいようかなって」

 水乞に流し目をおくられて喜之助は顔を赤らめた。何があったんだ、と彰良は眉をひそめる。絹子のことはいいのだろうか。
 彰良が遥香に想いを告げたあの時、喜之助は「ビアホールの下見に行ってくる」とこじつけて官舎を出てくれていた。誰かが近くにいては彰良が心の内を吐露できるはずがない。
 煮詰まった二人のようすに業を煮やし、彰良の尻を蹴とばしてくれたことには感謝するしかない。だがその夜、ふわりとあらわれた水乞につかまって、そのまま一緒に飲んできたというからあきれてしまう。

「ビヤ酒って美味しいかった? みっちゃん」
「ん-。ほろ苦い、オトナの味よ。ハルカには早いかしらねえ」

 ふふ、と余裕のほほえみの水乞は、やはり大人っぽかった。




「――天音(あまね)という狐は、遠峰(とおみね)の因縁の妖狐だったか。よく調べた、悟」

 帝都東京市本郷区にある特殊方技部本部、連隊長執務室。芳川中佐は息子の悟の報告を受けて難しい顔だった。そうもなる。遠峰とはつまり――彰良の父親である狼だ。

「遠峰を怒らせた女狐とは」
「彰良にしてみれば直接恨んでも仕方のない相手です。あの遥香という半妖はその娘。彰良とともに置いていてよいものか」
「そこは彰良がどう思うかだ。まあ天音の所業があったからこそ彰良が生まれたともいえるわけで、私としては感謝したいぐらいのものだが」
「また父さんは、彰良に甘い」

 目を細める芳川中佐に悟は渋い顔だ。
 義理の弟、彰良は狼の血による異能と生真面目な性格で役に立つ男だが、父に甘やかされすぎだと思う。しかし中佐にしてみれば、厳しくするような我がままを彰良が言わなかっただけだ。

「あれは自制心が強い。そうなるようにきちんと育てたつもりだぞ」
「自制できないようでは、子どものうちに祓うしかありませんでしたからね」

 悟はむっすりと吐き捨てる。
 彰良の異能は芳川家にとって得難いもの。だから引き取って大事に養育してきたのだが――手に負えない行動に出るようなら、中佐手ずから殺す覚悟だった。それを彰良は感じ取っていたのかもしれないと中佐は考えている。幼いころからきちんと一線を守れる子どもだった。

「それが彰良の生存本能だろうて」
「芳川家に従い役に立つのなら、少々の甘ったれはかまわなかったのですが」

 だが母親の不幸の原因ともいえる妖狐と、その娘のことを知って彰良が冷静でいられるのか。もしそこで取り乱すようなら、それも利用するしかないと悟は計算していた。
 そう。政府を動かすには帝都の人々の耳目を集めるような事件が起こらなければならない。都合よくそんなことがあるわけはないのだから、いつかこの手でそう仕向けなければならないのだ。
 妖狐。その娘。そして彰良。
 ――駒がそろったのではないだろうか。