「――クロル……それ………」
目の前の光景に、リリアが掠れた声をもらします。
リュックを取り払ったクロルの背に……羽が生えていたのです。
夜の空より暗い、漆黒の羽が。
クロルは、悲しげな笑みを浮かべ、
「……ごめんね。これが、僕なんだ」
そう言いました。
リリアは、顔をくしゃっと歪めて尋ねます。
「どうして……どうして、隠していたの? 同じ羽を持っていたこと……」
「……同じ?」
彼女の言葉に、クロルは自嘲するように返します。
「これのどこが同じなの? 君のは白い"天使の羽"。僕のは黒い"悪魔の羽"。それだけで、世間の目がどんなに違うか……君にはわからないよね」
今までとは違うクロルの雰囲気に、リリアは喉が詰まるような気持ちに襲われました。クロルが続けます。
「……知りたいのなら教えてあげるよ。僕がどんなことを考え、どんな風に生きてきたのか」
そしてクロルは、笑みを浮かべたまま……
立ちつくすリリアに、語り始めました。
「僕はね、この羽のせいで、母親に棄てられたんだ。生まれた街を追われて、クレイダーに乗って、様々な街を廻ったけれど……みんな僕のことを『悪魔』と呼んで遠ざけた。でも、このリュックで羽を隠すだけで、世界は驚くほどに優しくなるんだ。君も言っていただろう? こんな羽、なくしてしまった方が自由に生きられるって。本当に、その通りなんだよ」
そう言われて、リリアは自分が"麗しの街"で言った言葉を思い出します。
『この羽のせいで……私も他とは違う扱いを受けてきた。だから、この羽をなくすつもりでいる。そうすれば"普通の人間"として、見た目のことなんか気にせず、住むところを自由に決められるでしょ?』
リリアが口を閉ざしていると、クロルが諦めたように笑います。
「……僕はずっと、君が絶望すればいいのにって思っていたんだよ。この世界は、異質な存在に対して、あまりにも非情で冷酷だ。運転手になってからも、『異端だ』と街から追い出され、傷付きながらクレイダーに乗ってきたお客さんを何人も見てきた。ここは、そういう世界。君も僕と同じように、その羽のせいで様々な街の人から異端として扱われ、絶望すればいいって思っていた。……たぶん、仲間が欲しかったんだ。一緒に絶望を分かち合っくれる仲間が」
その声は、少し震えているようにも聞こえて。
リリアは、胸の前できゅっと拳を握ります。
「なのに……君は絶望するどころか、とても楽しそうだった。初めて見る外の世界の何もかもを、楽しんでいた。……羨ましかったよ。羨ましくて、妬ましくて………なのに」
クロルは、泣き出しそうな目でリリアを見つめ、
「なのに、いつの間にか、そんな君のことが…………好きになっていた」
……振り絞るようなその言葉に。
リリアは、息を止めました。
クロルは笑みを向けて、こう続けます。
「……君といるとね、なんだかこっちまで真っ白になれる気がするんだ。真っ直ぐで、嘘がなくて、思ったことを素直に言葉にできる……本当に強くて素敵な女の子だ。僕も君みたいに生きられたら、どんなによかっただろうって……ずっと思っていた」
そう言って、クロルは一度息を吐き、沈黙しました。
突き付けられた真実に、リリアは胸が痛いくらいに締め付けられ、唇を噛み締めます。
しかし、黙っているわけにはいかないと……自分も伝えなければと、口を開きます。
「……クロルは、クロルだよ」
「……え?」
クロルが聞き返すと、リリアはバッと顔を上げ、
「……その羽も含めて、クロルはクロルだよ。いつか私に、そう言ってくれたよね。あの言葉があったから……クロルがこの羽を好きだって言ってくれたから、私はここまでこられたんだよ?」
「それは……君が羽を残すことで、絶望すればいいと思って……」
「それでも!」
リリアは、クロルの言葉を遮るように叫び、
「それでも私は、クロルに救われたの。このままの自分でもいいかもしれないって、好きになってもいいかもしれないって……そう思わせてくれたのは、クロル。あなたなんだよ?」
心の底から振り絞るように、リリアは言葉を紡ぎます。
「私が知っているクロルは……頭が良くて、勇気があって、『ごめんね』が口癖で……相手の気持ちをいつも思いやってくれる優しい人だった。なのに、ずっと羽を隠さないと生きられないくらい辛い思いをしていただなんて……私、全然気付けなかった」
そして、クロルの右手をそっと握り、
「私は、クロルにしてもらったことも、クロルにもらった言葉も、嘘だったなんて思わないよ。偽物だったなんて思わない。だってクロルは、私に……」
――ぽろっ。
と、その目から、涙を零しながら、
「……私に、人としての名前をくれた。あの花と同じ、真っ白で綺麗な名前。あの時初めて、私は人になれた。人として生きることを許された。だから私は、ありのままの自分でいられたの。クロルが好きになってくれた私は、クロルが作ったんだよ? だから、どうか……クロルも、自分のことを好きになってよ。私だって、こんなに……っ、こんなに、クロルのことが……好きなのに……っ」
……その瞬間。
クロルは、リリアの身体を、強く抱き締めていました。
『あなたのことが好き』
それは、魔法のような言葉でした。
心を護るために作った"嘘"で塗り固めた壁が、温かに溶けていく魔法。
溶け出した心の壁は涙となって、クロルの目からとめどなく溢れました。
「……ごめんね」
リリアを抱き締めながら、クロルは言います。
「僕、酷いことを言ったのに……君を騙していたのに……『好き』って言ってくれて、ありがとう」
その声は、小さな子どものようにか細くて。
リリアは胸がいっぱいになりながら、ぎゅっと抱き締め返し、言います。
「……何を言っているの? 先に『好き』って言ってくれたのはクロルの方だよ。いつもそう。気付いていないかもしれないけれど……クロルは、たくさんのものを私にくれた。本当に……ありがとう」
そうして二人は、抱き合ったまま、互いの鼓動を感じました。
クロルの鼓動と、リリアの鼓動。
その音は小さくて、世界にかき消されてしまいそうな程に不確かで……でも、確かにそこにありました。
僕たちは、生きている。
そんな当たり前のことに今さら気付いたような気持ちになり、クロルは生まれて初めて、命を愛おしく思いました。
そして……自分自身のことも、少しだけ愛おしいと思うことができたのです。