「――私、ずっと気になっていたんだけど……」

 "猫の街"を出発した、その晩。
 一両目の、いつものテーブルで。

 ポックルの「(さかニャ)が食べたい」というリクエストに「そんな高級品、そうそう買えるわけないでしょ」とクロルが返しつつ作ったチーズリゾットを食べながら、リリアがそう切り出します。

「え? 何が?」

 それに、熱々のリゾットをふーふーしながら、クロルが聞き返します。

「クロルってさ、ずーっとそのリュック背負ってるじゃない? ご飯を作っている時も、食べている時も。でも、そこから何かを取り出したり、何かを入れたりはしていないよね? 鞄として使っていない、と言うか……最初はそういうものなのかな、と思っていたけど、他の人たちを見ているとずーっと背負ってるだけの人っていないみたいだから、不思議に思って。ねぇ、中身は何なの?」

 その問いに、中身を知っているポックルはドキッしてから、そっとクロルの方を見ます。


『このことは…………リリアには内緒だよ?』


 あの時のクロルの、氷のように冷たい瞳を思い出し、ポックルは身震いしますが……
 当のクロルは全く動揺せず、さっぱりとした表情でこう答えました。

「ああ、これね。実は、クレイダーの運転手がずっと背負っていないといけないものなんだ。中には非常時にだけ使う物が入っているから、普段は使わないんだよ」

 淀みなく発せられたその言葉が嘘であることを、ポックルは知っています。
 クレイダーの運転手は、セントラルの紋章が入ったキャスケット帽と緑色のつなぎが目印。指定の非常用リュックなど、存在しないのです。

 それに……リュックの中に入っているものは…………

「ひじょうじ? って何?」

 真実を知る由もなく、リリアが続けて問いかけます。
 クロルは「うーん」と考える素振りをしてから、

「列車が故障して止まるとか、大きな自然災害が起こるとか、そういう緊急事態のことだよ。運転手と乗客がこの列車の中で二、三日過ごすことになってもいいように、水や非常食、タオルやランタンが入っているんだ」

 そうつらつらと話す彼を見て、ポックルは思いました。クロルはいつかこう聞かれることを想定し、嘘の答えを用意していたのだ、と。

「ふーん、そうなんだ。普段は使わないものを背負っていないといけないなんて、大変だね」
「もう慣れっこだけどね。逆に無いと落ち着かないくらい」

 クロルが穏やかに笑って、それでこの話はおしまいになりました。リリアも疑問に感じることなく、納得したようです。

「ところで――ポックル」

 突然クロルに話かけられたポックルは、ビクッと体を震わせます。

「ニャニャニャ、ニャんだ……?」
「明日着く街のことなんだけど……もしかしたら君が気に入るかも、と思っているんだ。一緒に降りてみない?」

 微笑むクロルの目を、ポックルはじーっと見つめます。
 そこには深い意図や悪意はなく、単に提案しているだけだということが、なんとなくわかりました。

「……わかった。物は試しニャ。降りてみるとしよう」
「わーい! 新しい街、楽しみだねー!」

 リリアが無邪気に喜びます。
 ポックルは街を出て早々、こんなに気を揉むとは思っていなかったので、

「うみゃ……は、早く降りたいニャ……」

 と、こっそりと呟きました。


 
「――それじゃあ、おやすみ」

 クロルが客室の明かりを消し、一両目の自室へと戻って行きます。

「うん、おやすみー」

 リリアはそれを見送ってから、いつもの右側下段のベッドに入りました。
 ポックルは反対の左側、上段のベッドに陣取っています。

「明日着く街、楽しみだね。クロルは『着いてからのお楽しみ』って言ってたけど……ポックルが気に入りそうな街って、一体どんな街だろう?」

 ワクワクした声音で、リリアが言います。
 ポックルはベッドの中央に丸くなりながら、

「さぁニャ。ニンゲンがいるニャらどの街も似たり寄ったりだと思うが」
「えー、そうかなぁ? 今まで見てきた街は、それぞれ全然違ったけど……"猫嫌いの街"なんかもあるかもよ?」
「ハハ、それは願ったり(かニャ)ったりだニャ」

 ポックルが乾いた笑い声を上げ、リリアが「冗談だよー」と続けます。

「クレイダーに乗ってまだ一週間だけど……それぞれの街が、そこに住む人たちの"好きなものや考え方を共有したい"って気持ちで出来ていることがわかってきたんだ。だからみんな、生き生きしてて楽しそうだった。もちろん中には、ポックルみたいに悩んでいる人もいるんだろうけど……」
「おれの場合は、自分であの街を選んだわけではニャかったからニャ。たまたまあそこで、ボスとして生まれただけニャ」
「うん、私もそうだった。たまたま生まれた街があそこだっただけ。だから今度は、自分が納得できる場所を、自分で選べるといいよね」
「お前は……リリアは、どんニャ街に住みたいんだ?」
「んー……そうだなぁ」

 聞かれてリリアは、真上にある二段目のベッドの裏側を見つめながら考えます。

「……私ね、最初はこの羽を取って、普通の人間として生活したい、って思っていたの。でも最近は……このままでもいいのかな、って気持ちになってきた。どの街の人もこの羽を珍しがるけど、みんな私と対等に接してくれた。私が思っているよりも世界にはいろんな人がいて、羽が生えていることも、そんなに珍しくないのかもしれなくて……」

 お喋りできる猫までいる世界だしね。
 と、心の中で付け加えながら。

「だから今は、どんな街に住みたいか……って考えると、みんなみたいに"好きなことや共感できる考え方"で街を探したいって思い始めている。けど、自分の好きなものが何かもわかっていないから……そこから探さないといけないのかなぁ」

 そう言って、彼女は自分の"好きなもの"について考えます。

 元いた街ではよく本を読んでいましたが……それは他に情報を収集できる手段がなかったからで、読書が好きかと言われると違う気がします。
 クロルと観た映画は面白かったのですが、何しろその一本しか観ていないので、好きかどうか判断し兼ねます。

 あと、好きなことで思いつくのは……食べることと、寝ること? でもそれは、単なる生活の一部だし……

「――ねぇ、ポックルはさ」

 何が好きなの?
 そう聞こうと思い、向かいのベッドの上段を見上げます。
 するとポックルは、既に寝息を立て、夢の世界へと旅立っていました。

「……もう、自分から聞いたくせに」

 リリアは、小さく笑ってから、

「――おやすみ、ポックル」

 おやすみが言える相手が増えたことに少しくすぐったさを覚えながら、静かに目を閉じました。



 * * * *



 ……そんな穏やかな夜のことが、嘘だったかのように。


 ――ダダダダダダダダッ!!


 翌日。
 リリアの頭上では、サブマシンガンがけたたましく唸っていました。

「チッ、一旦引いたな。このまま詰めるぞ。リリアちゃんは俺と来い!」

 言いながら、迷彩柄の服に身を包んだ筋肉質の男性が、同じく迷彩柄の服と帽子を身につけたリリアを小脇に抱えます。
 その横で、やはり迷彩服を着込んだクロルが、

「僕とポックルは回り込んで、裏取りを狙います」

 そう言い残し、ポックルと共に腰を低くしたまま走って行ってしまいました。
 リリアを抱えた男性は「ああ、頼んだ」と返すと、

「よーし、リリアちゃん! 流れ弾に当たらないように気を付けるんだぞ!!」

 楽しそうに笑いながら走り出すのですが、それにリリアは目に涙を溜めて、

「な……なんでこんなことにぃぃぃ!?」

 弱々しい声を上げながら、この街に来た経緯を振り返りました――