最近、以前とは比べものにならないほど学校が楽しいと思える。


 話せる人が増えてクラスに居やすくなったのも大きいが、いちばんは月と会うのが楽しみなのだ。


 明日は月とどんなことを話そう。もっと彼のことを知りたいと思ってしまう。


 前は一緒にいることもいやだったのに。


 充実してきたかに思えた高校生活だったが、ひとつ心に引っかかっていることがある。


 その心の引っかかりをどうにかしたくて、今、私は学校帰りに桜舞公園を歩いている。


 学園祭の前から、急に姿を見せなくなった悠さんが気になるのだ。


 もう一度会いたい。学校生活で落ち込んでいた私は、悠さんのおかげで心が救われた。


 会ってお礼が言いたい。私こんなふうに少しづつだけどクラスメイトと話せるようになったよと、今度は愚痴ではなく楽しい話を聞かせたい。悠さんのあたたかい笑顔が思い浮かんだ。


 それに、きっと私は…、好きな人ができた。


 でも、そんな経験を今までしたことがないので、どうしたらいいかわからない。


 そのことも相談したかった。


 私は月曜日と水曜日になると、日が暮れるまで桜舞公園で悠さんを探すようになった。


 しかし、今日も悠さんの姿は見当たらない。そろそろ帰ろうと思っていたとき、うしろから声をかけられた。


 「なんでお前がここにいんだよ」


 振り返るとスケボーを持った月が驚いた顔をして立っている。


 「月こそなんでここにいるの?」


 私もびっくりして思わず訊ねた。


 「んー、俺は人探し。お前は?」


 「実は私も人を探してるの」


 「ふーん」と、月が言ったきり会話が途切れた。


 月とふたりきりで公園にいると思うと、変に緊張して、私はその間に耐えきれず話題を探す。


 月が手に持っているスケボーが目に入る。


 「ねえ、月の探してる人って前に言ってた公園でスケボーを教えてくれるって人?」


 「おう。その人に火曜日と木曜日の夕方はここでスケボー教えてもらってたんだ。学園祭の前から急に姿を見せなくなっちゃって。今日は違う日ならいるかなって探しにきたんだよ」


 「月って、たしかその人に職場体験の保育園を紹介されたって言ってたよね?」


 「そうだけど。そう言えば朝陽も公園でギター弾いてる人に職場体験の保育園を紹介されたんだよな?」


 こんな偶然があるだろうか。同じ公園で出会った人に私たちは職場体験先の保育園を紹介されている。


 「ねえ、その人って、もしかして…」


 『犬塚悠さん』と、ふたりとも同時に言った。


 「まじか!朝陽も悠さんと知り合いだったなんて、すげえ偶然だな」


 「私も驚いてる」


 「あ、思い出した。悠さんが前に言ってた、月曜日と水曜日に会いに来る。晴さんに似てる女子高生って、朝陽、お前のことだったのか!?」


 え、晴さんに似ている女子高生?それは私のことなのだろうか。


 でも月曜日と水曜日来るということは、単純に私である可能性が高い。


 こんな私が晴さんと似ているのだろうか。容姿のこと?性格のこと?一体、なにが似ているのだろう。


 私は理想通りにはならない現実に打ちひしがれて、とうとう保育士という幼い頃からの夢さえ諦めかけてしまっているのに。


 月はもう晴さんと会ったのだろうか。


 「実は、私、悠さんの奥さんの晴さんって人と会ってみたいの。きっと、その人に私は幼い頃、助けられたんだけど。その話をすると悠さんいつも話を変えたり帰っちゃうのよ」


 そう言ってから、月を見ると唖然とした表情で目を見開いている。


 そして「お前、知らないのか」と小さく月が呟いた。


 「え、なに…?」と私はすぐに訊ねる。


 「いや、悠さんが伝えてないなら、知らなくていいのか」


 月の表情が険しい。ただ事ではないと私はすぐに悟る。


 一体、私はなにを知らされていないのだろう。いやな予感がする。


 「お願い教えて、なんのことなの?私は晴さんと会っちゃいけないの?会えない理由でもあるの?」


 「いや、それは悠さんがお前に言ってないなら知らなくていいことだと思う」


 「私、悠さんになにも知らずに酷いことを言ってしまってるかもしれない。これからも言ってしまうかもしれない。そんなのいやなの。月、お願い教えて」


 必死に頼み込むと月の重たい口が開く。


 「…んだんだ…」


 声が小さくて「ごめん、聞こえなかった、もう一度言って」と私は聞き返す。


 「晴さんは、死んだんだ…。二年前に病気で」


 一瞬で頭が真っ白になる。そんな…、そんなことって。


 「悠さんが社会人なのに、毎日、夕方の公園にいることを不思議に思わなかったのか?」


 「それは保育園の仕事を休職してるって」


 「晴さんが亡くなってから休職してんだよ。んで気分転換にスケボーやギターをやってたんだ」


 頭の中で思考が完全に止まる。


 「そうだったんだ」と、なんとか言葉を返してから「ごめん。ちょっと気分悪くて帰るね」と、ぽつりと呟いて私はその場を立ち去る。


 どうやって今知った真実を受け止めていいかわからない。


 私が背を向けたとき、月が心配そうな顔をしているのが目に入った。


 なぜ悠さんは月に晴さんのことを話して、私には話さなかったのだろう。少し考えたらすぐに答えは出た。


 気を遣われたのだ。いちばんショックで立ち直れないはずの悠さんに、私は気を遣われたのだ。


 優しい悠さんのことだ。晴さんに憧れを抱く私がショックを受けないように配慮したのだろう。


 でもその配慮が悠さんの気持ちを考えると、胸が引き裂かれるほど私は辛い。


 罪悪感が鋭い刃物のように心に突き刺さる。


 金白駅の交差点で悠さんに助けられたとき、薬指の指輪とふたりぶんのあんバターを見て、私は奥さんにお土産ですかと訊いた。そのとき悠さんは悲しそうな表情をした。


 私が保育士になりたい理由を話したときは、昭彦さんが晴さんの名前を出すと不自然に悠さんが話を変えた。


 職場体験が終わったあと、無神経に、私が晴さんに会いたいと悠さんに伝えたら、悠さんは桜舞公園に来なくなった。


 全部全部、私のせいじゃないか。私は取り返しのつかないことをした。


 思い返すといつも自分の話ばかりして、悠さんの話を一度も聞いたことがない。


 あぁ、私は最低だ。消えてなくなりたい。理想の自分にもなれず、誰の役にも立てず、大切な人を傷つけるだけ、それが現実の私。


 私なんて…、いないほうがましだ。


 次の日から、私は学校に行けなくなった。