職場体験、三日目。今日が最終日。
保育実習が始まった一日目は、子どもたちとなにを話せばいいか、なにをして遊べばいいか、全部がわからなかったけれど、今ではほんの少しだけどうすればいいかわかるようになった。
トラブルがあったときもぱっとは動けないけれど、最初ほど頭がパニックになってしまうこともなくなった。
私だって少しづつだけど成長しているんだ。
でも、この職場体験でひとつだけ心残りなことがある。
それは一日目にブロックのお城を私がまちがえて壊してしまってから、話してくれなくなってしまった健太君のことだ。
わだかまりを残したまま職場体験が終わってほしくない。
そう思っていたとき、園内のホールで鬼ごっこをやっている私の目の前で、健太君と柚木ちゃんがケンカを始めた。
このふたりは仲は良いけどお互いに我が強く、意見が食いちがってしまうとすぐにケンカをしてしまうことがこの三日間の職場体験でよくわかった。
「健太君のずるー!タッチしたのになんで捕まらないの!?」と、柚木ちゃんが地団駄を踏んで激怒する。
「だからバリアしたんだよ」と、健太君もケンカ腰で答えた。
「バリアなしのルールだった」
「いや、バリアありのルールだった」
今にも手を出してしまいそうなふたりの間に、咄嗟に私は身体をいれて割って入る。
「待って待って。ケンカしちゃだめだよ」
「うるさいっ。朝姉ちゃんには関係ないっ」と、健太君。
「朝姉きいて。健太君がずるしてるの」と、柚木ちゃん。
「いきなり怒って。柚木ちゃんのほうがずるしてる。バリアはありだった」
「なしだった!」
なんとかケンカを止めに入ったけど、私はなにも言えなくなってしまった。
なぜなら、私がここで自分の意見を言ってしまうと、どちらかの味方をしていることになってしまうと思ったからだ。
タッチされてからバリアのルールがありだったなんて、急に言われてもわかるわけがない。と、私が思ったことを言えば柚木ちゃんの味方をしていることになる。
それでは健太君は納得しない。
どうすればいいのだろう。必死で考えたが名案など出てこない。
そのとき「ちょっと落ち着いて。健太君、柚木ちゃん」と、騒ぎを聞きつけてやってきた理依奈先生の声がした。
「そんなときは、みんなにも相談してみよう。みんなでやっていた鬼ごっこだよ。みんなはどう思う?」と、理依奈先生がふたりのケンカを見ていた他の子どもたちに問いかける。
すると他の子どもたちはあれやこれやと意見を出す。他の子どもたちもただ傍観していただけではないのだ。
「タッチされたあとにバリアありって言うのは、ずるだと思う」
「私は足が遅いからバリアありがいい」
「でも、バリアなんてしたら鬼が変わらないじゃん」
「じゃあ、マットの上だけバリアにすれば?」
「ずっと、マットから出てこない子がいたら鬼が不利だよ」
「じゃあ、なん秒マットの上でバリアできるか決めよ」
子ども同士で話し合いを進めて、どんどんルールが決まっていく。
最終的にマットの上で十秒だけバリアしても良いというルールに決まると、健太君も、柚木ちゃんも、みんなで決めたルールに納得し、楽しく鬼ごっこをして遊ぶことができた。
鬼ごっこはなんとかなったけど、私は最後まで、健太君に話しかけることができずに職場体験の最終日が終わってしまった。
この三日間のお礼を理依奈先生に言って、かえでのは保育園を出たあと、なんだか家に帰る気分にならなくて、私はM区運動公園に立ち寄った。
ふとブランコに座って空を眺める。
太陽が西の空に沈み、茜色の水平線を作っている。空も雲も街も綺麗に染め上げる太陽は、いつも美しく明るくみんなを照らす。
幼い頃、母さんに自分の名前にはどんな意味があるのかを聞いたことがある。
母さんは朝日のようにあたたかく人を照らす、そんな存在になってほしいという願いを込めて名前をつけた。
そう教えてくれた。
その頃から桜舞公園で助けてくれた女性に強く憧れを抱いていたので、私にぴったりの名前だと純粋無垢に喜んだ。
しかし、果たして今の私はみんなを照らすような存在になっているだろうか。
学校では委員長をやっているがみんなの役にも立たない、リーダーシップのない私の話など誰も聞かない。
月は私のことが弱くてきらいだと言った。張りぼてとも、偽善者だとも言った。
その言葉は真実で、私は弱くて悲しいことがあるとすぐに泣くし、みんなのためとか言って、本当は断ったらなにを言われるかわからない、クラスで自分の立場を悪くしたくないというだけで委員長をやっている。
そんなやつがみんなを照らす朝日だと言えるだろうか。ちゃんちゃら可笑しい。
なんで親はそんな名前をつけてしまったのか。やっぱり朝陽という自分のこの名前がきらいでしょうがない。
極め付けは今回の職場体験。
散々やりたいと言っていた保育士のお仕事。私になにかひとつでもできたことはあっただろうか。
健太君のブロックのお城を壊して怒らせてしまい。柚木ちゃんのリボンもなくしたことを気づいてあげられなかった。今日の健太君と柚木ちゃんのケンカだって、私にはどうすればいいかわからなかった。
悔しくて情けない。
そう思ったとき、私の目からは涙が止まらなくなっていた。手でふいてもふいてもあふれてくる。
なんで私ってこんなにもだめなんだろう。
もう、いやだ。
ふいに、うしろから声をかけられた。