花盛り

 二藍から紅藤にグラデーションになる長髪も、透き通るような白い肌もほったらかしで、白緑の瞳を赤くするまで泣き腫らす乙女がいた。
「陛下……新しい番が来まし」
「来ないで!もう嫌!私に番なんて……いらないんだから……もう誰も愛してくれない……誰も信じない……」
 乙女は完全に気が伏せてしまい従者も手に負えない。その理由は前の番にあった。

 花の女王は一八になると人間から番を取り花の力を維持する。乙女もその一人であった。乙女と番の仲は至って良好だった。しかし、それは番の表の顔だった。二度目の開花式の前日、乙女は番がメイドと体を重ねているところを見てしまった。番の本性、それは女を犯すクズ。乙女はすっかり心を閉ざしてしまった。しかし、不幸にも乙女と前番との子供がいなかったため、新しい番は選ばれてしまった。ちなみに、元番の男と妾のメイドの行方はそれ以来不明だという。

「誰も……私なんて……愛してくれないわよ……」
 閉め切って日光も入らない部屋で一人泣き続ける乙女は鬱になっていた。ドアは内側から鍵がかかっていて誰も入れない。外は長雨が続いていた。
「気が向いたらで構いません。僕はずっと、待っていますからね。」
 優しい男の声だった。
「番として参りました。寛樹(ひろき)と申します。僕は隣の部屋にいますから、いつでも来てくださいね。」
「…………」
 乙女から返事は無かった。それを気にも止めず寛樹はドアの前から去った。

 次の日から寛樹は毎日乙女にドアの外から声をかけた。いつの頃からか、初めこそ無かった返事も少しずつ増えていった。

「おはようございます、陛下。今日はとても良い天気ですね。お食事はもう食べられましたか?」
 寛樹は無理に干渉してこなかった。だからこそ、乙女は少しずつ心を開いていった。
「まだ……」
「少しでもいいので食べてくださいね。それじゃあまた、」
 乙女はいつしか寛樹と話すことが楽しみになっていた。
「待って……」
 乙女はドアの近くに立っていた。会う勇気はないが、話したいと思っていた。
「どうかなさいましたか?」
「その……寛樹さんは……何を……食べたの……?」
 その時乙女は初めて寛樹に質問した。
「陛下……僕はコーンスープとバケットを頂きました。陛下もそれにしますか?」
「……うん。」
 寛樹はメイドに頼んでコーンスープとバケットを持ってきた。
「お部屋の前に置いておきますね。」
「……ありがとう。」
 寛樹は柔らかく笑った。
「これくらい構いません。」
 乙女は少しずつ寛樹に寄り添いたいと思うようになった。

 その日の夜、メイドは乙女に入浴の声掛けをした。
「陛下、お風呂の準備が整いましたがどうなさいますか?」
 乙女は部屋から出たがらないため数日に一度、一人で入浴していた。
「私……寛樹さんに会いたい……綺麗な姿になりたい……お風呂、手伝ってくれる……?」
 乙女を世話するメイドにとってこの上なく嬉しいことだった。
「かしこまりました……!」

 次の日、寛樹は日課のように乙女の部屋を訪れた。ドアを叩いた。
「陛下、おはようございます。お変わりありませんか。」
「寛樹さん……あの……その……」
 乙女は勇気を振り絞って一歩一歩ドアに歩み寄る。ドアの眼の前まで来ると一回深呼吸をして鍵を開けた。それは寛樹にも分かった。
「陛下……?」
「お部屋で……お話しませんか……?」
 果てしなく自信がない乙女はドアの向こうで震えていた。乙女は後退りベッドに戻ろうとする。その時、ドアノブが回った。乙女は走ってベッドに戻り、布団に包まった。
「失礼しますね……へ、陛下……?」
「好きに座っていいから……私はこのままで……」
 乙女を察した寛樹は窓際にあった椅子をベッド横まで動かして座った。
「せっかくですから、一緒に朝食にしませんか?お話しましょう?」
「寛樹さん……」
 乙女は目だけ布団から出して寛樹を見つめた。
「お初にお目にかかります、陛下。うふふ、可愛らしいお瞳ですね。」
 寛樹が乙女の頭を撫でると、乙女は照れてまた布団に潜った。寛樹はベッドから離れ朝食の用意をした。
「陛下、朝食の準備が整いましたよ。」
 寛樹は椅子に座っていた。乙女は寛樹の様子を窺いつつ布団から出てきた。腰まであった長い髪はボブにまで切られて内側に緩くカールしている。乙女自身とても小柄で女性らしい体つきをしていた。初めて見る乙女の姿に寛樹は惹かれた。
「いただきます。」
「……いただきます……あ、あの……今までご迷惑をおかけして……申し訳ありませんでした……」
「いえいえ、そんな迷惑だなんて。謝らないでください。むしろ、こうして会っていただけるなんて嬉しいです。」
 乙女は紳士的で物腰柔らかな寛樹に好感を持っていた。
「そういえば……お名前をお聞きしていませんでしたね。聞いてもよろしいですか?」
「わ、私達に名前はないのです……ですから……その……///お好きにお呼びください……///」
 寛樹は少し驚いたが、食事の手を止めて考え始めた。
「では……紫雨(しう)様とお呼びしますね。」
「紫雨……紫雨……///ありがとうございます……///あ、あの……様だなんて付けないでください……私は、その……もっと寛樹さんと仲良くなりたいです……///」
 すぐに照れて涙目になる紫雨を見て、寛樹は微笑んだ。
「分かりました。では、これからは紫雨さんと呼びますね。」
「……はい……///」
 その日はそれきり二人は話さなかった。

 ある日の夜中、紫雨は悪夢を見て飛び起きた。前の番の不倫現場を見たときの記憶だ。紫雨はその夢を頻繁に見ていた。悪夢を見たら最後、恐怖のあまり眠れない。その日の悪夢はあまりに鮮明で独りでいることさえ無理だった。
 紫雨は部屋を駆け出し寛樹の部屋のドアを叩いた。
「寛樹さん……!寛樹さん!」
「はい……どうしましたか……?っ……!」
「ぅう……!ふぇ……ぅあぁぁんっ!!」
 泣きつく紫雨に驚いたが、寛樹は理由も聞かず紫雨を部屋に招いた。ベッドに腰掛けると紫雨が落ち着くまで抱き寄せ背中を撫でた。涙が落ち着くと紫雨は夢の全てを話した。
「ごめんなさい……こんな……夜更けに……」
「大丈夫ですよ。気にしないでください。紫雨さんこそ落ち着きましたか?」
「お陰様で……」
 寛樹は紫雨に紅茶を出した。紫雨の手が震えてることに気付くと優しく手を握った。
「大丈夫ですよ。僕がいますからね。」
「寛樹さん……なんで寛樹さんってそんなにお優しいのですか……?」
 紫雨は言ったそばから頬を赤らめた。
「優しいだなんて、ありがとうございます。ですが、好きな人に対して優しくするのは当たり前ですよ。」
「……え……///!」
 紫雨は寛樹の余裕さに振り回された。寛樹は紫雨の様子に安心した。
「眠れるまでお話しましょうか。もっと紫雨さんのことが知りたいです。」
 二人は紫雨が眠れるまでベッドに横になって話した。
「紫雨さんは一九歳なんですね。僕の方がだいぶ年上です。僕は今年二五になるので。」
「そうなのですね……!通りで、その……安心感が……///」
「紫雨さんはすぐ照れちゃいますね。可愛い……」
 照れ隠しでそっぽ向いた。しかし、寛樹は紫雨の小さな身体を抱きしめた。
「紫雨さんが安心してくれるなら、僕は何だってします。」
 紫雨は自分の鼓動が速くなったのが分かった。寛樹の腕の中はとても安心した。また寛樹に向き合うと寛樹の胸に顔を埋めた。そのまま紫雨は眠りにつけた。悪夢は見なかった。

 それから、紫雨は長い月日をかけて少しずつ寛樹との距離を縮めた。
「寛樹さん……///」
「はい、どうしましたか?」
 寛樹は紫雨を気遣ってあまり話しかけない。紫雨は自分のタイミングで寛樹に話しかけるのだ。
「今日も……///」
「もちろんですよ。おいで。」
 すっかり寛樹に心を許した紫雨は寛樹の膝の上に座って胸に顔を埋めた。それが紫雨にとって精神安定剤になっていた。
「今日も一緒に寝ますか?」
 紫雨は小さく頷いた。寛樹はそんな紫雨の頭を撫でた。
「こんなに心を許してくれるなんて、嬉しいです。」
「だ、だって安心するから……」
「そうですか。……俺が、前の番みたいなクズだとは思わないのか?」
 紫雨は寛樹の顔を見上げた。紫雨がまるで知らない男がニヤリと笑っていた。焦りと恐怖で冷や汗をかいたが、なぜかこの男から離れられない。紫雨の頬に涙が流れた。
「ししし、紫雨さん……!すみません……!少しからかうつもりで……」
 寛樹は紫雨をいつもより少し強く抱きしめた。体温が紫雨の身体に染み込む。
「泣かないでください……」
「寛樹さん……私は、貴方を信じてもいいですか……?」
 寛樹が優しい笑みで頷いた。紫雨は寛樹からあの男のような恐怖を感じなかった。その夜も紫雨は寛樹の胸の中で眠りについた。

 寛樹は紫雨が眠ったのを確認すると起こさぬようにベッドから出た。
「ふぅ……」
 ひとつため息をつくと瞳に瞼が重くのしかかった。静かに着替え部屋を出ると城の地下に向かった。コケとカビの匂いが充満した城の地下、そこは牢獄だった。牢には一人の囚人がいる。
「よう。兄さん。元気してるか?」
「ひ、寛樹……!助けに来てくれたのか!」
 浮気男こと紫雨の前の番は、寛樹の実兄だった。
「はっ、!笑わせるな。一家の恥が。」
 二人の実家は由緒ある家だった。しかし、名誉にも紫陽花の番に選ばれた兄が不祥事を起こしたことで一家は没落してしまった。
「今日ここに来たのはお前の最期を見届けるためだ。」
 城の兵士が兄を連れ出すと、別室に連れてかれ、また拘束される。寛樹は兵士から大斧を受け取った。
「ひ、寛樹……?」
「最後の情だ。楽にしてやるよ。じゃあな、兄さん。」
 寛樹は大斧を振りかぶると兄が叫ぶより前に首目がけて振り下ろした。

 寛樹が紫雨のもとに来て一年が経とうとしている頃、開花式を迎えようとしていた。紫雨は上から下にかけて青紫から赤紫のグラデーション、まさに紫陽花色ののベルラインドレスを着こなしていた。
「とても綺麗ですよ、紫雨さん。」
「あ、ありがとうございます…///」
 紫雨のあまりに初心な反応に寛樹の大人な心をくすぐった。
「そんなことしてるとまた昨夜みたいにしますよ。」
「ひぅっ…///!」
 顔を赤らめて寛樹の胸に飛び込んだ。
「からかわないでください……///」
 上目遣いで訴えてくる紫雨をからかう気しか起きない寛樹であった。