柑子色の癖の目立つ襟足の長い髪に、鶸萌黄の少し垂れた瞳を持つ乙女……いや青年である。本日、金木犀の戴冠式かあり、新しい王が誕生する。金木犀は異例により、代々王が金木犀の開花式を行ってきた。
青年の父である王の頭から王冠が外され、青年の頭に乗る。王冠には王の印である金木犀の装飾がされていてなんとも美しい。己の色のフロックコートを身にまとい、気高さを感じる青年の姿はまさに王そのものだった。
「新王様、番が到着しました。」
「分かった。」
ホールの入口が開き、金木犀の色のローブを被った番が入ってきた。見るからに小柄で、比較的大柄な青年とは一◯センチ以上も差があるようだ。
「フードを取るが良い。」
祭司の言葉で番はフードを取った。白、いや銀というべき短髪に、青柳の丸く可愛らしい瞳の持ち主だ。
「お初にお目にかかります、新王様。貴方様の番であります、悠月と申します。」
顔や体躯こそ幼く見えるが、しっかりした口調で話している。
「もう下がって良い。長旅で疲れているだろう。ゆっくり休むと良い。」
「ありがとうございます。」
その後も恙無く式は終わり、青年は宮殿に戻った。
その日の夜、青年が廊下を歩いていると、番の部屋から声が聞こえた。
「父様、母様、兄様、僕は晴れて金木犀の王の番になれました。まだお話できていませんが、明日はしたいと思います。おやすみなさい。」
誰にも届きやしないのに彼は届くと信じて言っているようだった。シーツが擦れる音がして少しで寝息が聞こえてきたので、青年はそこを後にした。
次の日の朝になって、食卓に悠月の姿がないのを心配し、二人分の食事を持って彼の部屋に向かった青年である。
「失礼する。起きているか?」
「っ?!王様!は、はい、起きています。」
急な訪問に驚いたようで、言葉を噛んでいる。
「食事に顔を出さなかったが、調子でも悪いのか?」
「あ……すみません。ご心配おかけしました。僕のような者に食事があると知らず、自分で用意してしまいました。」
「自分で……これを?」
「はい。王様方の料理で余ってしまった物を頂いて簡単に調理しただけです。」
青年は悠月の前に座り、食事を渡した。
「お前の分だ。残しても構わない。」
「わぁ……!ありがとうございます。ちゃんと食べます。」
手を合わせて挨拶すると、綺麗な仕草で食べ始めた。口調といい所作といい、良い育ちのようだ。
「悠月と言ったな。悠月……悠月か、いい名前だな。」
「王様のお名前をお聞きしても?」
「好きに呼ぶといい、俺に名前はない。」
悠月は少し悩んで「まこと様」と言った。
「まこと?」
「そう。真実の真の……昔の方で眞様。金木犀の花言葉から取ったんだんです。」
「眞か……うん。気に入った。たが、様はやめろ。」
「そうですか……分かりました。では、眞さん。」
悠月は柔らかい綿のように笑った。
「悠月は幾つだ?」
「今年で一五になりますが、小柄なのでよく若く見られます。」
「あぁ、お前の言葉を聞いた時驚いたぞ。」
「ふふっ!眞さんの番として、教養は身につけるよう言われてきましたから。」
悠月は至って珍しいほうだ。番は主を嫌う傾向がある。理由は多々あるが、大半が「人生台無しだ!」と嘆くという。
「悠月はどこか誇らしそうだな。」
「誇らしいに決まってます。今までこの痣を信じて、貴方様のためだけに生きてきました。こうして正式に番になれたこと、本当に嬉しいです。僕は貴方様のものなのです。好きに使ってくださいね。」
自己犠牲ともとれる言葉の数々に眞は少し不思議に思ったが、何も言わないことにした。
ある昼下がり、眞は剣技の鍛錬に励んでいた。
「…………あっ、眞さん……!」
「ん、?悠月か。どうした?こんなところに。」
「お茶にしようと思って眞さんの部屋に訪ねたらいらっしゃらなくて、聞いたらここにいるって。」
「そうか。面倒をかけたな。」
悠月はしきりに剣に目を移した。
「気になるか?」
「す、少し……眞さんは護身のために?」
「あぁ。持ってみるか?」
「いいのですか?ありがとうございます。」
王冠と同じ金木犀の装飾が施されたサーベル。よく手入れされているが、年季も感じる。
「かっこいい……」
「悠月もやってみるか?」
「そ、そんな!僕は、初心者ですし、眞さんのお手を煩わせるのは……心外です……」
「一緒に練習するのも悪くない。煩うも何もない。どうだ?」
右を見て左を見てしばらく考えたあと、強く剣を握った。
「……やりたいです。いつかは眞さんを守れるようになりたい。」
「ふっ、ははははっ!それは楽しみだ。」
眞は珍しく声を上げて笑い、悠月の頭を撫でた。
それ以来二人は一緒に食事して、剣を磨いた。悠月の飲み込みが早いのか、はたまた眞の教えが上手なのか、いや両方かもしれない。悠月は格段に剣技の腕を上げた。
悠月が来て数ヶ月が経とうとしてる頃のこと。いつものように二人は朝食を取っていた。
「悠月、今日街に行ってみないか?」
毎日毎日同じような事ばかりでつまらないのでは、と思った眞なりの気遣いだった。
「街に、ですか。」
「あぁ、街は嫌いか?」
「いや、そうじゃないんです。ただ……嬉しくて///」
悠月は少し頬を赤らめて言った。
「眞さんとお出かけ……楽しみです。」
「そうか。俺も楽しみになってきた。」
馬車に乗り街へ出る。平民のフリをして雑貨を見たり、本屋に入ったり、シュークリームを食べたり、普通の休暇の如く楽しんだ。
「ふふふっ!」
「楽しそうだな。」
「はい。またいつか来ましょうね、眞さん。」
「っ……!あぁ、また来よう。」
気に入った雑貨を買い、街の外れに待たせてている馬車まで歩いてる時だった。
「眞さん、明日のお茶に、っ!」
「悠月?っ!?!悠月!!悠月!!」
気配はなかった。少し目を離した隙に隣にいた悠月が攫われたのだ。細い路地に入ったのは誤算だった。当たりを見渡しても何も無い。王政の反対派の輩はよく番を狙う。番がいなければ、次代はない。そうやって花は絶滅する。
「クソっ…………」
探す宛もない。探す宛もなく探し続けた。
ふと香る金木犀の香り……いや、それより甘く、鼻にまとわりつく香りだ。
「これは……」
少し先の地面に零れる金木犀の蜂蜜。香りの元はこれだった。そしてそれは悠月が買ったものと同じだった。行先を示すように線状に零れている。
眞は確信した。悠月が自分に居場所を教えるためにあえて零したものだと。柄にもなく思いっ切り走った。
(無事でいてくれ……!悠月……!!)
(眞……さん……気づいてくれたかな……)
「おらっ!よそ見すんな!!」
「っ!っぅ……!!」
錆臭い廃工場の中で鋭い音が響く。縄で縛られ身動きの取れない悠月の顔や身体には無数の鞭の痕がある。酷いものからは血が流れ、端が裂けていった。
痛くて痛くて、寒くて、辛くて、死ぬのが怖くて、でも泣くことはしなかった。
「こ、こんな、もんですか?これくらいじゃ、僕は死にませんよ。」
気丈に振る舞い、悪い笑みを浮かべた。今ここで泣いたら、眞の権威に傷を付けると思ったのだ。それでいくら鞭で叩かれようと、眞のためなら耐えられた。
「おらっ!おらっ!くそっ!」
「っ!あ゛っ!くぅっ……!はぁ……はぁ……はぁ……」
攫われていくら時間が経っただろうか。朦朧とする意識の中、鋭い痛みが体中を走り起こされる。
悠月の頭の中は眞のことでいっぱいだった。悠月に家族はいない。社長だった父親が不慮の事故で亡くなり、箱入り娘の母親が女手一つで息子二人を育ててくれたがまもなく病気で亡くなった。自分を守ってくれた兄も悠月がここに来る二年ほど前に別の花の番として出ていってしまった。不幸中の幸いか、祖父母に引き取られ二年を過ごし、今に至る。まぁ祖父母も仕方なくという所で、最低限の衣食住程度だった。
眞に出会って、本当に幸せだった。誰かと一緒に食事するのも、体を動かすのも、買い物をするのも、久しぶりで、どこか新鮮で、楽しかった。眞を心の底から慕っていた。いつかは彼に抱かれたかった。それももう叶わなそうだ。
(眞……さん……まこ……と……さ……ん……)
ただただ彼を想って目を瞑る……瞬間。
入口の方が眩しく、瞳を閉じるのをやめた。錆びて壊れかけのドアが鈍い音を立てて開く。
「はぁはぁ……!悠月!!!」
恋しい、冷たくも甘くも感じる、彼の声。
「金木犀の王だ!やっちまえ!!」
眞は憤っていた。愛する悠月が傷つけられたことに、我を忘れて熱くなった。数にして敵一〇〇人が彼にかかっていったが、一〇分と持たずに全滅した。
「遅くなって済まない……!今縄を解いてやる!」
酷い傷は破った布でキツく縛り、ローブをかけて抱く。
「ま……こと……さ……」
「話すな!今は自分ことだけ考えて」
震える力ない悠月の手が眞の頬に触れる。
「また……あえた…………」
ほんのり微笑む瞳から一つ二つと涙が零れた。
「どこに行ったって見つけてやる……!だから……!そんなこと言うな……」
眞の瞳にも涙が浮かぶ。少し驚いてまた笑って、安心したのか悠月は静かに眠りについた。
悠月が次に目を覚ましたのは、事件から三日後だった。
「眞さん、僕はもう大丈夫ですから、」
「いや、ダメだ。」
「眞さんも休んでください。ずっと僕の看て仕事して。ちゃんと寝てますか?」
「仮眠は取ってる。」
「仮眠じゃダメです!」
傷が開くから大声を出すな、と言い悠月を寝かせる。
「むぅ……僕のこと寝かせたいなら、眞さんも隣で寝てください。」
「何を言ってる。怪我人の隣で寝るなど」
「じゃあ起きます。」
「悠月、お前図々しくなったな……仕方ない。」
呆れた眞は悠月の隣に寝転ぶ。悠月は眞の胸に納まると、どこか悲しそうな顔をした。
「蜂蜜、せっかく買ってくださったのに無駄にしてごめんなさい。」
「あれくらいまた買ってやる。むしろあれが無ければ俺は……」
眞の手が悠月の頭を撫でる。
「でも、どこに行ったって見つけてくれるんですよね?」
「っ!っふふ、見つけてやる。」
「ありがとうございます、眞さん。大好きですよ。」
「っ……///!俺も……だ……///」
悠月は不思議に思って眞の顔を見ると、耳まで赤くして顔を背けていた。
「聞こえなかったのでもう一回お願いします。」
「はぁ?……俺も悠月が……好き……だ……///」
「ふふふっ!照れてる眞さん可愛いですね。」
「悠月のほうが何倍も可愛い。」
さっきまでの悲しい顔はなく、元気に笑う悠月の姿があった。
悠月が来て初めての秋、眞にとって初めての開花式前夜。悠月は眞の部屋に来ていた。
「本当に良いんだな……?」
「勿論です。というか、待ちくたびれちゃいました。」
眞が手を差し伸べると、そっと手を取り、そのまま引き寄せる。悠月は背伸びをして、口付ける。深く熱く蕩けるようなキス。悠月は途中で腰を抜かし、眞にしがみついていた。
「はぁ……♡はぁ……♡」
眞は軽々と悠月を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
「手加減しないからな。」
「はい……♡」
この夜、二人は月が西に傾くまで愛し合っていた。
次の日、眞は万全の状態で開花式に臨んだ。
「お衣装、とてもお似合いです。」
「悠月!疲れているのだから寝ていて良いと言ったのに。」
「ふふっ!僕なら大丈夫です。それより旦那様の晴れ姿を見届けたいのです。」
旦那様、という言葉にふと気恥ずかしくなる。
「旦那、か……///」
「て、照れないでください///!こっちまで恥ずかしくなります……///」
新婚のように互いの言葉で照れる姿を使用人たちは見ていた。
「ほ、ほら!時間ですよ!」
「あ、あぁ。行ってきます。」
「行ってらっしゃいませ。」
その年、地球では各地で見事に金木犀が咲いたという。
青年の父である王の頭から王冠が外され、青年の頭に乗る。王冠には王の印である金木犀の装飾がされていてなんとも美しい。己の色のフロックコートを身にまとい、気高さを感じる青年の姿はまさに王そのものだった。
「新王様、番が到着しました。」
「分かった。」
ホールの入口が開き、金木犀の色のローブを被った番が入ってきた。見るからに小柄で、比較的大柄な青年とは一◯センチ以上も差があるようだ。
「フードを取るが良い。」
祭司の言葉で番はフードを取った。白、いや銀というべき短髪に、青柳の丸く可愛らしい瞳の持ち主だ。
「お初にお目にかかります、新王様。貴方様の番であります、悠月と申します。」
顔や体躯こそ幼く見えるが、しっかりした口調で話している。
「もう下がって良い。長旅で疲れているだろう。ゆっくり休むと良い。」
「ありがとうございます。」
その後も恙無く式は終わり、青年は宮殿に戻った。
その日の夜、青年が廊下を歩いていると、番の部屋から声が聞こえた。
「父様、母様、兄様、僕は晴れて金木犀の王の番になれました。まだお話できていませんが、明日はしたいと思います。おやすみなさい。」
誰にも届きやしないのに彼は届くと信じて言っているようだった。シーツが擦れる音がして少しで寝息が聞こえてきたので、青年はそこを後にした。
次の日の朝になって、食卓に悠月の姿がないのを心配し、二人分の食事を持って彼の部屋に向かった青年である。
「失礼する。起きているか?」
「っ?!王様!は、はい、起きています。」
急な訪問に驚いたようで、言葉を噛んでいる。
「食事に顔を出さなかったが、調子でも悪いのか?」
「あ……すみません。ご心配おかけしました。僕のような者に食事があると知らず、自分で用意してしまいました。」
「自分で……これを?」
「はい。王様方の料理で余ってしまった物を頂いて簡単に調理しただけです。」
青年は悠月の前に座り、食事を渡した。
「お前の分だ。残しても構わない。」
「わぁ……!ありがとうございます。ちゃんと食べます。」
手を合わせて挨拶すると、綺麗な仕草で食べ始めた。口調といい所作といい、良い育ちのようだ。
「悠月と言ったな。悠月……悠月か、いい名前だな。」
「王様のお名前をお聞きしても?」
「好きに呼ぶといい、俺に名前はない。」
悠月は少し悩んで「まこと様」と言った。
「まこと?」
「そう。真実の真の……昔の方で眞様。金木犀の花言葉から取ったんだんです。」
「眞か……うん。気に入った。たが、様はやめろ。」
「そうですか……分かりました。では、眞さん。」
悠月は柔らかい綿のように笑った。
「悠月は幾つだ?」
「今年で一五になりますが、小柄なのでよく若く見られます。」
「あぁ、お前の言葉を聞いた時驚いたぞ。」
「ふふっ!眞さんの番として、教養は身につけるよう言われてきましたから。」
悠月は至って珍しいほうだ。番は主を嫌う傾向がある。理由は多々あるが、大半が「人生台無しだ!」と嘆くという。
「悠月はどこか誇らしそうだな。」
「誇らしいに決まってます。今までこの痣を信じて、貴方様のためだけに生きてきました。こうして正式に番になれたこと、本当に嬉しいです。僕は貴方様のものなのです。好きに使ってくださいね。」
自己犠牲ともとれる言葉の数々に眞は少し不思議に思ったが、何も言わないことにした。
ある昼下がり、眞は剣技の鍛錬に励んでいた。
「…………あっ、眞さん……!」
「ん、?悠月か。どうした?こんなところに。」
「お茶にしようと思って眞さんの部屋に訪ねたらいらっしゃらなくて、聞いたらここにいるって。」
「そうか。面倒をかけたな。」
悠月はしきりに剣に目を移した。
「気になるか?」
「す、少し……眞さんは護身のために?」
「あぁ。持ってみるか?」
「いいのですか?ありがとうございます。」
王冠と同じ金木犀の装飾が施されたサーベル。よく手入れされているが、年季も感じる。
「かっこいい……」
「悠月もやってみるか?」
「そ、そんな!僕は、初心者ですし、眞さんのお手を煩わせるのは……心外です……」
「一緒に練習するのも悪くない。煩うも何もない。どうだ?」
右を見て左を見てしばらく考えたあと、強く剣を握った。
「……やりたいです。いつかは眞さんを守れるようになりたい。」
「ふっ、ははははっ!それは楽しみだ。」
眞は珍しく声を上げて笑い、悠月の頭を撫でた。
それ以来二人は一緒に食事して、剣を磨いた。悠月の飲み込みが早いのか、はたまた眞の教えが上手なのか、いや両方かもしれない。悠月は格段に剣技の腕を上げた。
悠月が来て数ヶ月が経とうとしてる頃のこと。いつものように二人は朝食を取っていた。
「悠月、今日街に行ってみないか?」
毎日毎日同じような事ばかりでつまらないのでは、と思った眞なりの気遣いだった。
「街に、ですか。」
「あぁ、街は嫌いか?」
「いや、そうじゃないんです。ただ……嬉しくて///」
悠月は少し頬を赤らめて言った。
「眞さんとお出かけ……楽しみです。」
「そうか。俺も楽しみになってきた。」
馬車に乗り街へ出る。平民のフリをして雑貨を見たり、本屋に入ったり、シュークリームを食べたり、普通の休暇の如く楽しんだ。
「ふふふっ!」
「楽しそうだな。」
「はい。またいつか来ましょうね、眞さん。」
「っ……!あぁ、また来よう。」
気に入った雑貨を買い、街の外れに待たせてている馬車まで歩いてる時だった。
「眞さん、明日のお茶に、っ!」
「悠月?っ!?!悠月!!悠月!!」
気配はなかった。少し目を離した隙に隣にいた悠月が攫われたのだ。細い路地に入ったのは誤算だった。当たりを見渡しても何も無い。王政の反対派の輩はよく番を狙う。番がいなければ、次代はない。そうやって花は絶滅する。
「クソっ…………」
探す宛もない。探す宛もなく探し続けた。
ふと香る金木犀の香り……いや、それより甘く、鼻にまとわりつく香りだ。
「これは……」
少し先の地面に零れる金木犀の蜂蜜。香りの元はこれだった。そしてそれは悠月が買ったものと同じだった。行先を示すように線状に零れている。
眞は確信した。悠月が自分に居場所を教えるためにあえて零したものだと。柄にもなく思いっ切り走った。
(無事でいてくれ……!悠月……!!)
(眞……さん……気づいてくれたかな……)
「おらっ!よそ見すんな!!」
「っ!っぅ……!!」
錆臭い廃工場の中で鋭い音が響く。縄で縛られ身動きの取れない悠月の顔や身体には無数の鞭の痕がある。酷いものからは血が流れ、端が裂けていった。
痛くて痛くて、寒くて、辛くて、死ぬのが怖くて、でも泣くことはしなかった。
「こ、こんな、もんですか?これくらいじゃ、僕は死にませんよ。」
気丈に振る舞い、悪い笑みを浮かべた。今ここで泣いたら、眞の権威に傷を付けると思ったのだ。それでいくら鞭で叩かれようと、眞のためなら耐えられた。
「おらっ!おらっ!くそっ!」
「っ!あ゛っ!くぅっ……!はぁ……はぁ……はぁ……」
攫われていくら時間が経っただろうか。朦朧とする意識の中、鋭い痛みが体中を走り起こされる。
悠月の頭の中は眞のことでいっぱいだった。悠月に家族はいない。社長だった父親が不慮の事故で亡くなり、箱入り娘の母親が女手一つで息子二人を育ててくれたがまもなく病気で亡くなった。自分を守ってくれた兄も悠月がここに来る二年ほど前に別の花の番として出ていってしまった。不幸中の幸いか、祖父母に引き取られ二年を過ごし、今に至る。まぁ祖父母も仕方なくという所で、最低限の衣食住程度だった。
眞に出会って、本当に幸せだった。誰かと一緒に食事するのも、体を動かすのも、買い物をするのも、久しぶりで、どこか新鮮で、楽しかった。眞を心の底から慕っていた。いつかは彼に抱かれたかった。それももう叶わなそうだ。
(眞……さん……まこ……と……さ……ん……)
ただただ彼を想って目を瞑る……瞬間。
入口の方が眩しく、瞳を閉じるのをやめた。錆びて壊れかけのドアが鈍い音を立てて開く。
「はぁはぁ……!悠月!!!」
恋しい、冷たくも甘くも感じる、彼の声。
「金木犀の王だ!やっちまえ!!」
眞は憤っていた。愛する悠月が傷つけられたことに、我を忘れて熱くなった。数にして敵一〇〇人が彼にかかっていったが、一〇分と持たずに全滅した。
「遅くなって済まない……!今縄を解いてやる!」
酷い傷は破った布でキツく縛り、ローブをかけて抱く。
「ま……こと……さ……」
「話すな!今は自分ことだけ考えて」
震える力ない悠月の手が眞の頬に触れる。
「また……あえた…………」
ほんのり微笑む瞳から一つ二つと涙が零れた。
「どこに行ったって見つけてやる……!だから……!そんなこと言うな……」
眞の瞳にも涙が浮かぶ。少し驚いてまた笑って、安心したのか悠月は静かに眠りについた。
悠月が次に目を覚ましたのは、事件から三日後だった。
「眞さん、僕はもう大丈夫ですから、」
「いや、ダメだ。」
「眞さんも休んでください。ずっと僕の看て仕事して。ちゃんと寝てますか?」
「仮眠は取ってる。」
「仮眠じゃダメです!」
傷が開くから大声を出すな、と言い悠月を寝かせる。
「むぅ……僕のこと寝かせたいなら、眞さんも隣で寝てください。」
「何を言ってる。怪我人の隣で寝るなど」
「じゃあ起きます。」
「悠月、お前図々しくなったな……仕方ない。」
呆れた眞は悠月の隣に寝転ぶ。悠月は眞の胸に納まると、どこか悲しそうな顔をした。
「蜂蜜、せっかく買ってくださったのに無駄にしてごめんなさい。」
「あれくらいまた買ってやる。むしろあれが無ければ俺は……」
眞の手が悠月の頭を撫でる。
「でも、どこに行ったって見つけてくれるんですよね?」
「っ!っふふ、見つけてやる。」
「ありがとうございます、眞さん。大好きですよ。」
「っ……///!俺も……だ……///」
悠月は不思議に思って眞の顔を見ると、耳まで赤くして顔を背けていた。
「聞こえなかったのでもう一回お願いします。」
「はぁ?……俺も悠月が……好き……だ……///」
「ふふふっ!照れてる眞さん可愛いですね。」
「悠月のほうが何倍も可愛い。」
さっきまでの悲しい顔はなく、元気に笑う悠月の姿があった。
悠月が来て初めての秋、眞にとって初めての開花式前夜。悠月は眞の部屋に来ていた。
「本当に良いんだな……?」
「勿論です。というか、待ちくたびれちゃいました。」
眞が手を差し伸べると、そっと手を取り、そのまま引き寄せる。悠月は背伸びをして、口付ける。深く熱く蕩けるようなキス。悠月は途中で腰を抜かし、眞にしがみついていた。
「はぁ……♡はぁ……♡」
眞は軽々と悠月を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
「手加減しないからな。」
「はい……♡」
この夜、二人は月が西に傾くまで愛し合っていた。
次の日、眞は万全の状態で開花式に臨んだ。
「お衣装、とてもお似合いです。」
「悠月!疲れているのだから寝ていて良いと言ったのに。」
「ふふっ!僕なら大丈夫です。それより旦那様の晴れ姿を見届けたいのです。」
旦那様、という言葉にふと気恥ずかしくなる。
「旦那、か……///」
「て、照れないでください///!こっちまで恥ずかしくなります……///」
新婚のように互いの言葉で照れる姿を使用人たちは見ていた。
「ほ、ほら!時間ですよ!」
「あ、あぁ。行ってきます。」
「行ってらっしゃいませ。」
その年、地球では各地で見事に金木犀が咲いたという。