――次のニュースです。昨日、午後二十一時頃、長野県卯田郡矢代村の公園で、中学生と見られる男女の三人の遺体が見つかりました。現場には、被害者のものと思われる血痕のついた刃渡り十五センチの包丁が残されていて、警察は身元の確認を急ぐとともに、被害者が何らかの事件に巻き込まれたとして、捜査を続けています――。

 ◆

 職員室から見えるイチョウの葉は黄色へ、紅葉は赤色へと、すっかり変色した。その色味は視覚で秋を連れてくる。
 大森拓也が中学校の教師になって迎える、二度目の秋だった。
 季節は巡り、あんなにも鮮やかな風景が広がっているというのに、心のつかえが取れることはない。拓也は、一人の生徒のことを考えていた。
 吉田誠司。
 拓也の担任をするクラスの生徒だ。彼は引っ込み思案で気弱、口数も少なく影も薄い。新たなクラスになって半年以上が経ったが、教室で他の生徒と話しているところを見かけたこともなかった。
 経験豊富な教師だったら、上手く対処できるのだろうか――思わずそう考えたことも、少なくはなかった。
 当然、教師としての務めを果たすべく、拓也はそれなりの行動をした。吉田の得意科目で質問を答えさせたり、グループの輪ができているところへ、さりげなく彼を誘ったりもした。
 でも、どれも上手くはいかなかった。結局のところ、自発的に行動しなければ、何も変わらないのだと拓也は思った。
 しかし、そうも言ってはいられない事態が起きた。風の噂で耳にしたのだ。
 吉田が、いじめを受けていると。
 この話を聞いたのは、今回が初めてというわけではない。拓也がこのクラスの担任を持つと決まる前にも、どこからともなく、そんな話は流れてきていた。
 どうして、このような生徒ばかりが対象になってしまうのか。やることの多い学校生活で、何故いじめに走ってしまう。
 思わず、ため息が漏れた。
 目の前で黄色と赤の葉が交差するように舞っていく。あの葉のように、吉田もクラスのみんなと上手く混ざってくれれば良いのに。
 その時、拓也はあることを思いついた。
 そうか。いっそのこと、混ぜてしまえば良い――。
 拓也は自席に戻ると、急いでペンと紙を取り出し、思いのままにペンを走らせる。どれだけ生意気な口を聞こうとも、いくら大人ぶった態度をとろうとも、彼らはまだまだ中学生だ。
「席替えをする」と聞いて、喜ばない者はいないだろう。宣言するのだ。年頃の生徒にとって一大イベントと言っても過言ではない席替えを、これから毎月実施することを。
 ただ、それだけでは意味がない。持たせる。そこに〝制度〟を。
 真っ白だった紙は、瞬く間に拓也の乱雑な字で埋め尽くされていった。

 予想通りと言っていいだろう。生徒からの反響は、目を見張るものがあった。どんな席になるか、ではなく、席を移動するという行為に、心を躍らせているのだ。
 その反応を十二分に堪能したあと、拓也は自ら考案した制度について、黒板に書き記した。
『優先ポイント制度』
 それが、この席替えに設けられた制度である。
 大きなルールはただ一つ。
「良いことをすればポイントが貰える」
 それだけだった。
 与えられたポイントの高い上位三名は、席替え恒例の「くじ引き」を行うことなく、好きな席を決めることができる。
 より真剣に、集中して授業に取り組めるよう教卓の前を選ぶも良し、程良く気を抜ける後ろの席を選ぶも良し、友達とともに上位三名に入ることができれば、隣同士の席にするも良し。
 中学生相手とあって、シンプルかつ、ゲーム制の高い制度を設けたことも功を奏した。生徒の目は確実に輝き、やる気に満ち溢れている。
 但し、この制度には幾つかの制約も存在した。
 制約条件は以下の通り。

 ・申告は全て「自己申告」とする。
 席替えを行う前日までの間、拓也が目の当たりにした、あるいは耳にした「良いこと」を「優先ポイントチャンス」として帰りのホームルームで話題に挙げる。話題に対して「それを行ったのは私です」と拓也に伝えれば一ポイント、一緒に行った者がいた場合は、それぞれ一ポイントとする。
 ・申告者がいない場合は、ポイントは誰にも付与されるはない。
 あくまで自己申告を基準とする。
 ・「特別ポイント」が存在する。
「良いこと」の中でも特に優れたものと判断された場合は、その状況に応じたポイントが加算される。
 ・申告には「二名以上の証人者」を必要とする。
「二名以上の証人者」を設けることで、不正防止策を促すことを目的とする。なお、「証人者」がいない場合は拓也への「伝達者」と拓也の推薦を持って、一ポイントを加算する。
 ・「伝達者」とは、自身が見た「良いこと」を拓也に報告をする者を指す。
「伝達者」の任命は拓也が行うものとし、「伝達者」は「証人者」がいない場合に限り「証言者」の役割も担う。他の者は「伝達者」の詮索をしてはならない。
 ・申告を尊重する。
 申告があった場合は、一人の人間としてその意見を尊重する。
 ・判断基準は全て、拓也とする。
 ゴミ拾いを良いことと思う人もいれば、それは当然と捉える人もいるように、「良いこと」の判断は人それぞれである。従って、制度の秩序を保つため、全ての判断は拓也を基準とする。なお、「特別ポイント」の判断も、これに倣う。

 以上が生徒に伝えた制約の詳細だった。ゲーム制を楽しみながら、人としての成長を促す。ひとつの目的を与えることで、いじめをするということから、目線を変えさせる。
 そんな思惑を、拓也は抱いていた。
 なにより、これで少しずつでも吉田が自分の意見を伝えられるようになれば、いじめの根本的な解決にも繋がるだろう――そうも思った。
 それから毎月の頭、拓也の受け持つ二年三組では席替えが実施された。回数を重ねるうち、生徒からの自己申告は目に見えて増えていく。目立ったいじめの話も、影を潜めていた。
「今日のホームルームでは、『優先ポイントチャンス』があります」
 その言葉に、三組は「おぉー!」と熱狂の渦に包まれる。拓也は吉田にも視線を向けたが、時折黒板の方をチラチラと見るだけで、口を閉ざしたまま一人静かに教科書を読んでいた。
 今日も混ざる気はないか――。
 拓也は小さく息をつき、他の生徒に目を移した。
 とはいえ、吉田が席替えに興味がないというわけではなさそうだった。席替えの日が近づくにつれ、心なしか表情は明るくなる。
 いつも「自己申告」は行わず、くじ引きに運命を委ねている。だが、近いうちに手を挙げてくれると、拓也は思っていた。
 拓也の目には、吉田は勉強に集中したがっているように見える。しかし、これまでの席替えではことごとく惨敗し、席はいつも後ろ、周りはクラスの中でも騒がしい部類の生徒に囲まれ、教師の声が聞こえないのか、眉間に皺を寄せながら授業を聞くことが日常茶飯事だった。
 幸か不幸か、この状況を打破するのに『優先ポイント制度』はうってつけだ。自分の殻さえ破れれば、理想の席を掴み取ることができる。あまり一人の生徒に肩入れしてはいけないとわかっていても、どうしても吉田には殻を破ってほしいと強く願わずにはいられなかった。
 そのため拓也はこっそりと、数回に一度、「優先ポイントチャンス」の中に吉田が行ったと拓也が把握しているものも紛れ込ませるようにしていた。この日の話題もまさにその一つで、該当者が吉田ということを、拓也は知っている。
「今日の『優先ポイントチャンス』は……、体育館にある、自動販売機の横に設置したゴミ箱。あのゴミ箱が空のペットボトルで一杯になっていたんだが、誰かがビニール袋を交換して、ゴミはゴミ捨て場に運んでいてくれたらしい。該当者はこのクラスにいるか?」
 拓也はまるで人から聞いた話だと言わんばかりに、大袈裟に辺りを見渡した。該当者は吉田なのだから、手を挙げる者はいない。が、当の本人である吉田までも、手を挙げる素振りすら見せることはなかった。
 今回も難しいか――拓也は口元で笑みを浮かべると、早々にホームルームを切り上げようとした。
 しかし、思わぬところから声が上がる。
「先生。それ、俺だったわ」
 清宮慎。このクラス一番の問題児で、悪い噂が絶えない生徒だ。ただいつも決定的な証拠がないため罰することもできず、常に平然と、教師をバカにするような口調と態度で接してくる。
 最近では吉田が清宮のいるグループに入ったという噂まで耳にし、拓也は気になっていた。
「清宮……お前、だったのか?」
 拓也は清宮ではないことを知りながらも、この「自己申告」を尊重する形を取る為に聞き返す。
「何? もしかして、俺のことを疑ってんの? ひでー教師だな。おい、琢磨、理沙。俺がやったの見てたよな?」
「あぁ。確か昼休みの終わりくらい? 慎一人でやってたな」
「理沙も見たー。柄にもなく良い奴になってた」
 佐野琢磨に仲町理沙。二人はいつも清宮と一緒に行動している、いわゆる不良グループだ。この「優先ポイント制度」を導入してからは度々、三人それぞれが「証人者」になりあってポイントを取得していた。
 今の席も、三人はこのやり方によって稼いだポイントで隣同士になっている。
 なにより残念なことに、そのすぐ前の席に、吉田は座っている。
「それ、俺がやったんだけど?」
 拓也は、見ていたなら手伝ってやれよと思いながら、どこまで目を瞑るか、じっと堪えながら考えていた。
「そうか、また二人が見ていたのか……」
 何気なしに拓也がそう言うと、清宮の冷たい言葉が教室を駆け抜ける。
「『また』ってなんだよ、先生。まるで俺らが、ズルしているみたいな言い方じゃねーか」
 そう言って、慎、琢磨、理沙は顔を合わせて笑った。クラス全体に「口出ししてはいけない」という、重たい空気が流れた。
「あー、悪かったな。謝るよ。じゃあ今回は清宮に一ポイントだ。これからも頑張れよ」
 そんな空気を壊すように、拓也は笑顔を作ってホームルームを締めた。一人、また一人と教室を後にする。クラスの半分以上が帰ったところで、拓也も教室を出た。
 職員室へ向かう階段を下りていると、俯きながら歩く、吉田の姿を見かけた。
「おーい、吉田」
 拓也は小走りで階段を駆け下り吉田へ近づくと、小さな声で囁いた。
「この前の〝伝達〟、サンキューな」
「い、いえ。お役に立てたのなら俺はそれで……」
「いやー、お前は本当に頼りになるよ。お前からの伝達ほど、このクラスで信憑性の高いものはないからな」
 制約の中に定めた「伝達者」を吉田にすることは、端から決めていたことだった。吉田は言葉を発することなく、ペコペコと頭を小刻みに下げている。
 当然ながら、三組の生徒は誰一人として、このことを知らない。この時点で既に大きく吉田に肩入れをしていることになるのだが、一つのいじめが無くなるきっかけになるのであれば、それはそれで良いと拓也は思っていた。
「そろそろお前も、ちゃんと『自己申告』をする側になれよ。先生、期待してるぞ」拓也は手に持っていた日誌で、吉田の背中を軽く小突いた。
 吉田も不慣れな笑顔を見せて応える。
「先生……。俺もちゃんと、いつかは参加できるように……頑張るよ」
 返事の代わりに軽く微笑むと、「じゃあ、気を付けて帰れよ」と片手を挙げて吉田を見送った。
 今思えば、ここで話すには軽率な内容だったのかもしれない。
 その日を境に、「優先ポイントチャンス」では奇妙なことが起こり始めた。
「先生、それ、俺だわ」
「先生! それ理沙―!」
「それ、俺がやった」
 吉田からの伝達内容に基づいた「良いこと」で、ことごとく清宮たちのグループから該当者が出るようになったのだ。
 何より不思議だったのは、証言者が必ず「このグループ以外の生徒」となったことだった。それも一人、二人ではなく、必ず複数人が清宮らの行った「良いこと」を目撃していた。
 彼らがポイント欲しさでむやみやたらに自己申告をしているのであれば、それは当然問題視しなくてはならない。だが、そういうわけではないのだ。
 不自然なほどに証言者は、その都度違っている。清宮が目に見えない力で他の生徒を縛り付けている可能性も考えたが、清宮のグループとは相まみれないような、大人しい生徒までもが証言者になることもあり、拓也は疑うことを許されない状況に陥っていた。
「自己申告は尊重する」という制約を定めた手前、清宮たちを問い詰めることもできない。自分の言葉が自分の首を絞めている感覚すらも芽生えてしまう。
 そんな状況が半月以上続いたある日、拓也は吉田を呼び出すことにした。
「急に呼び出して悪かったな。そこ、座ってくれ」
 俯き加減で教室に入った吉田は小さく「失礼します」と言って、拓也と向かい合う形で席につく。呼び出された意味を理解しているのか、目を合わせることなく下を向く。
 拓也は吉田を追い込むことのないよう、できる限り優しい口調を心掛けて言う。
「実は今日ここに呼んだのはな、お前からの……『伝達』についてなんだ」
 吉田は一瞬肩を震わせ、更に下を向いた。
「やっぱりそうか……」
 吉田の反応を見て、拓也は全てを理解した。
「お前の『伝達』は、清宮たちに利用されているんだな?」
 返事はないが、吉田の身体は震えている。それが答えとみて、間違いなさそうだった。
「お前がクラスの人間の目に付くところで、一時的に清宮たちに『良いこと』をさせる。クラスの人間がいなくなった後は、お前が残りの処理をしている……そんなところなんだろ?」
 拓也の言葉に反応するように、吉田の顔が上がる。すると、彼の首元に痣のようなものが見えた。
「お前、その首……、もしかして清宮たちに――」
「大丈夫です! あと少しで席替えですよね? 俺、ちゃんと先生の期待に応えるから!」
 言葉を遮るように、吉田は勢い良く話し始めた。涙が滲み、血走ったその目には、様々な感情が交じり合っている。
「俺にだってできる……。こうやって人に頼られるのは、生まれて初めてなんだから……」
 吉田は焦点の定まらない目で、自分だけの世界で、独りごちるように呟いた。
 自発的にならなければ、何も変わることはない。これが正解がどうかはわからないが、本人がやる気になっている以上、教師としては、黙って見守ってあげるべきなのかもしれない。
 彼が助けを求めた時は、なによりも彼を優先に動けるようにしておこう。
「……わかったよ。但し、何かあった時は迷わず俺に相談すると約束してくれ」
 しばらく視線を合わせた後、吉田は俯くように頷いた。

 次の席替えまで残り数日。あれから吉田の相談こそ無かったが、代わりに、清宮たちグループからの自己申告もピタリと止んだ。
 だがそれは、決して喜べるものではないと、拓也は感じていた。
 なぜなら、今月の「優先ポイント」も清宮、佐野、仲町の三人が独走する結果となっているからだ。何かを率先するタイプでもない三人からしてみれば、意味を持たない善行など不要なのだろう。
 それを裏付けるかのように、三人は今日も揃って欠席している。
「えー、今日の『優先ポイントチャンス』だが……」
 拓也がそう言った瞬間、がしゃん、と乱暴に三組の扉が開いた。
「大森先生! 今すぐ、職員室に来て下さい!」
 拓也の視線の先には、真っ青な顔で息を切らした教頭が立っていた。どう見ても、ただ事でないことは明らかだった。
 拓也は生徒に一時待機を命じると、職員室へ急いだ。
「これ! このニュース!」
 静けさ漂う職員室では、すべての教師がニュースを食い入るように見つめている。拓也も画面の見える場所へと移動する。
 そこには見覚えのある公園が映っていた。
「こ、これって……」
 そこからの記憶は曖昧だった。頭の整理ができないまま、ふらふらとした足取りで教卓の前に立った。
「みんな……、落ち着いて、聞いてくれるか……」
 異様な雰囲気を感じ取ったのか、教室は息を呑むほどに静かで冷たい。普段であれば一人ひとりの顔色を窺う立場であるはずの拓也も、この時ばかりは、生徒の顔を確認することもしなかった。
「今、ニュースで報道されていたんだが……。昨日、清宮と佐野、それから仲町が……」
 詰まりながらも、必死に伝えようと言葉を探す。頭の中には、原稿を読み上げた女性アナウンサーの声が繰り返されている。
 その時だった。
「先生!」
 教室の後方で、誰かの声が静寂を切り裂いた。
 感情が高ぶったような、少なくとも場違いだと思えるその声は、教室中に響き渡る。

「それ、俺なんだけど――……!」