これは、わたしと悠が付き合うことになった日の思い出話。
春に桜舞公園で悠に告白をされてから、病気という事情があるわたしは、彼とは付き合うことはできないけど、一緒にカフェ巡りをする仲になっていた。
今日も、以前からわたしが見つけてずっと行きたかったカフェにふたりで来ている。
彼はとても素直な性格で会話中に、すぐわたしに好きバレをしてしまう。
たまに、ぽろっと「可愛い」とか「好き」とか内言を言ってしまうのだ。
悪い気はしないけれど彼はあっけらかんとしているのに、わたしだけ変に意識してしまい、それが恥ずかしい。
そんな素直で正直者な悠は、よく人助けをして自分が失敗してしまうことがある。
正直者はバカをみるという言葉があるが、それを体現しているのが悠だ。
でも、わたしは彼のそういうところに惹かれている。
ちょうど昨日、悠はわたしを含め保育園のみんなに大迷惑をかけたばかりだ。
「昨日は本当に悠のせいで大変だったんだから」
愚痴をこぼしながら、わたしは珈琲を一口飲んだ。
「本当に反省してる。ごめん」と言って、テーブルの対面に座っている悠がしょぼんと頭を下げる。
最初、悠は年上のわたしに対して敬語を使っていたけれど、他人行儀でいやだったので、ふたりで会うときは敬語じゃなくていいとわたしから言ってある。
「普通さ、実習生が芋掘り遠足の日に遅刻してくる?」
「ううう…。ごめん」
そう言って謝ったきり悠はぐうの音も出ない。
昨日はわたしが担当する四歳児クラスが芋掘り遠足だというのに、悠は四十分以上も遅刻してきたのだ。
保育士、二名。子ども、二十名。実習生、一名。で電車とバスに乗ってT市にある園長先生の実家の畑まで、芋掘り遠足に行く計画になっていた。
その遠足に悠も実習生としてついてくることになっていた。
T市のバスは乗り遅れると、なかなか次が来ないので時間厳守。
それなのに待っていても、いつまで経っても悠が保育園にやって来ない。そのうえ連絡の電話ひとつもない。
わたしたちは仕方なく悠を置いて芋掘り遠足に出発した。しかし悠を待っていたせいでバスには乗り遅れ、計画していた時間とは大幅にずれて、なんとか保育園に帰ってきたときには、子どもも保育士もくたくただった。
「悠が遅刻した事情をあとから園長先生に聞いたけど、おじいさんに道案内をしていたんだってね」
わたしは仏頂面をしたまま、珈琲を一口飲んでから言った。
「うん、そうなんだよ。説明しずらいところでさ。連れてってあげたんだけど、おじいさん足が悪くって思ったより時間がかかってしまったんだ」
「しかも、スマホを家に忘れて保育園にも連絡ができなかったと」
わたしは悠をじろりと睨む。
「めんぼくない」と、小さく言った悠の目線が下がる。
わたしは呆れた。人助けをしていたとしても、保育士が、ましてや実習生が子どもたちの園外活動に支障をきたすなどあってはならない。園外活動は危険を伴う、普通だったら評価は落第で実習のやり直しだ。
実習記録にも担当の保育士から辛辣なコメントを書かれ、悠を実習に出した専門学校側からも、実習指導の先生が保育園に頭を下げに来るような出来事だ。
「おじいさんをさぁ、べつに悠が助けなくても良かったんじゃない?おじいさんだって他の人に場所を聞けたと思うよ」
「そうなんだけどさ、あとからおじいさん大丈夫かなとか、助ければ良かったって後悔しちゃいそうでさ、手を貸さずにいられなかったんだ」
「そうだとしても悠は実習生なんだよ。実習評価は悪くなるし、落第すればやり直しだよ」
「あー、それなら俺は評価悪くなってもいいし、やり直せばいいと思ってる。でも保育園のみんなに迷惑をかけたことは本当にごめんって思ってる」と、悠は頭を下げて言った。
「そんなん、普段悠が頑張ってるのに勿体無いじゃん」
心配するわたしをよそに、悠は「あー、いいのいいの。また頑張るから」と能天気に笑っている。
「じゃあさ、悠は人を助けたけど、自分は助けられない選択をしたわけだね」
「まぁ、そうなるなぁ」
お人好しなんだけど、どこまでも能天気な悠にわたしはわざと意地悪なことを言った。それは世の中はそれで渡っていけるほど甘くない、そんなんじゃいつか悠が困ってしまうよ、という注意を伝えたかったからだ。
「ふーん、じゃあさ。保育では二者択一を迫られる場面はいくらでもあるけど悠ならどうする?」
「たとえば?」と言って、悠が首を傾げる。
「たとえば、クラスの子どもたちを慣れていない広い公園に遠足で連れて行かなければならない。連れて行ったその公園で、迷子になり泣いている知らない子がいた。悠はクラスの子を守るためにその場を動けない。さぁ、どうする?」
「それってクラスの子を守るか、迷子の子を守るか、二者択一じゃないとだめー?とりあえずクラスの子を見ながら、迷子の子を保護して落ち着かす。一緒に遊んだり、親を探したり、交番に連れて行く、でいいじゃん」
「親を探したり交番に連れて行けばバスの時間に遅れて帰れなくなる。だったらどうする?」
わたしの質問に対し、悠は即答した。
「バスに遅れるー。だって遅れてもどうにかなるっしょ。バスが来なくてもタクシーを何台か呼んで帰ってもいいし。どうにかするんだよ、どうにか!二者択一と考えず、自分が正しいと思ったことを…。あれ、あれなんだっけ?キソウテンガイみたいな融通を利かすこと」
「臨機応変ね」
せっかく良いことを言っているのに締まらないなぁと、呆れながらわたしはくすりと笑った。
「そうそう。それっ。それして良い方向にどうにかするんだよ」
「そうだね。保育って臨機応変の連続だからね」
たしかにと思いながらわたしはうなずいた。そのあと、また悠に質問をつづける。
「でも保護者は我が子が帰って来なかったら心配するし、クレームだって来るよ」
「そうなったら全力で謝る。頭下げる」
「悠は悪いことしてないのに?そんな大人な対応できる?」
「心配な気持ちにさせてしまったことが申し訳ないし、悪いと思ったことを素直に謝ったり、困った人を助ける、そんな大人の背中を子どもたちに見てまっすぐ育ってほしいもん」
「へぇー、立派じゃん。見直した。でも昨日は散々迷惑かけられたけどー」
そう言ってわたしは残りの珈琲を飲み切った。
「う…、そのことは、ごめんなさい」
悠のさっき言った言葉が、わたしの心に深く残る。
二者択一と考えず、臨機応変に良い方向になんとかする。
わたしの人生はそれができるだろうか。
最近、わたしはこう考えている。
自分の気持ちに正直になり悠と付き合って、最後に彼を傷つけてしまうか。
悠とはこのまま付き合うことなく気持ちに蓋をして、自分の運命をひとり受け入れるか。
悲しい思いを彼にさせたくない。でも、わたしはこの先、自分の運命をひとりきりで受け入れる自信などない。
そんなできた強い人間などではない。こんなことをいつまでも考えて、わたしは葛藤しているのだ。
でも悠と一緒なら、わたしひとりではたどり着くことができない、臨機応変で良い方向にどうにか向かっていけるのかもしれない。
わたしは、そんな気がしてならないのだ。
そのとき、若い女性店員がとなりのテーブルを片付けていて、マグカップを落として割ってしまった。
悠はさっと立ち上がって、床に散らばった破片を集めて拾った。
わたしも自分の足元に飛んできた破片を屈んで拾う。
破片を集めて渡すと、店員が「お客様、大変申し訳ありません。ありがとうございます」と頭を下げた。
そして「本当に優しくて素敵な彼氏さんで、彼女さんが羨ましいです」と、店員はにっこり笑って言った。
ははは、と悠はなんとも言えない表情で苦笑いを浮かべる。
その表情を見て、店員も察し「あ、すみません。仲が良さそうだったので、わたしてっきり…」と慌てた。
そのとき、咄嗟にわたしはこう言った。
「そうなんです。わたしたちカップルじゃないんです」
そして、わたしはこう付け足して微笑んだ。
「これから、なるんですよ」
そう言ってからとなりを見ると、悠が呆気にとられたような顔をして目をぱちぱちさせている。
「え、嘘じゃないよな、夢じゃないよな」
「なんて、間抜けな顔してんのよ」
「晴、今のもっかい言ってよ」
「いーやーよー」と、わたしは保育園の子どもの真似をして答える。
「お願いっ」と手を合わせ懇願する悠に、「いーやーだよー」とわたしは笑って言った、今日の秋晴れの空のように。
バカをみて失敗してもいい。
悠と一緒なら後悔はない。
わたしは自分の想いに、せいいっぱい正直に生きたい。
春に桜舞公園で悠に告白をされてから、病気という事情があるわたしは、彼とは付き合うことはできないけど、一緒にカフェ巡りをする仲になっていた。
今日も、以前からわたしが見つけてずっと行きたかったカフェにふたりで来ている。
彼はとても素直な性格で会話中に、すぐわたしに好きバレをしてしまう。
たまに、ぽろっと「可愛い」とか「好き」とか内言を言ってしまうのだ。
悪い気はしないけれど彼はあっけらかんとしているのに、わたしだけ変に意識してしまい、それが恥ずかしい。
そんな素直で正直者な悠は、よく人助けをして自分が失敗してしまうことがある。
正直者はバカをみるという言葉があるが、それを体現しているのが悠だ。
でも、わたしは彼のそういうところに惹かれている。
ちょうど昨日、悠はわたしを含め保育園のみんなに大迷惑をかけたばかりだ。
「昨日は本当に悠のせいで大変だったんだから」
愚痴をこぼしながら、わたしは珈琲を一口飲んだ。
「本当に反省してる。ごめん」と言って、テーブルの対面に座っている悠がしょぼんと頭を下げる。
最初、悠は年上のわたしに対して敬語を使っていたけれど、他人行儀でいやだったので、ふたりで会うときは敬語じゃなくていいとわたしから言ってある。
「普通さ、実習生が芋掘り遠足の日に遅刻してくる?」
「ううう…。ごめん」
そう言って謝ったきり悠はぐうの音も出ない。
昨日はわたしが担当する四歳児クラスが芋掘り遠足だというのに、悠は四十分以上も遅刻してきたのだ。
保育士、二名。子ども、二十名。実習生、一名。で電車とバスに乗ってT市にある園長先生の実家の畑まで、芋掘り遠足に行く計画になっていた。
その遠足に悠も実習生としてついてくることになっていた。
T市のバスは乗り遅れると、なかなか次が来ないので時間厳守。
それなのに待っていても、いつまで経っても悠が保育園にやって来ない。そのうえ連絡の電話ひとつもない。
わたしたちは仕方なく悠を置いて芋掘り遠足に出発した。しかし悠を待っていたせいでバスには乗り遅れ、計画していた時間とは大幅にずれて、なんとか保育園に帰ってきたときには、子どもも保育士もくたくただった。
「悠が遅刻した事情をあとから園長先生に聞いたけど、おじいさんに道案内をしていたんだってね」
わたしは仏頂面をしたまま、珈琲を一口飲んでから言った。
「うん、そうなんだよ。説明しずらいところでさ。連れてってあげたんだけど、おじいさん足が悪くって思ったより時間がかかってしまったんだ」
「しかも、スマホを家に忘れて保育園にも連絡ができなかったと」
わたしは悠をじろりと睨む。
「めんぼくない」と、小さく言った悠の目線が下がる。
わたしは呆れた。人助けをしていたとしても、保育士が、ましてや実習生が子どもたちの園外活動に支障をきたすなどあってはならない。園外活動は危険を伴う、普通だったら評価は落第で実習のやり直しだ。
実習記録にも担当の保育士から辛辣なコメントを書かれ、悠を実習に出した専門学校側からも、実習指導の先生が保育園に頭を下げに来るような出来事だ。
「おじいさんをさぁ、べつに悠が助けなくても良かったんじゃない?おじいさんだって他の人に場所を聞けたと思うよ」
「そうなんだけどさ、あとからおじいさん大丈夫かなとか、助ければ良かったって後悔しちゃいそうでさ、手を貸さずにいられなかったんだ」
「そうだとしても悠は実習生なんだよ。実習評価は悪くなるし、落第すればやり直しだよ」
「あー、それなら俺は評価悪くなってもいいし、やり直せばいいと思ってる。でも保育園のみんなに迷惑をかけたことは本当にごめんって思ってる」と、悠は頭を下げて言った。
「そんなん、普段悠が頑張ってるのに勿体無いじゃん」
心配するわたしをよそに、悠は「あー、いいのいいの。また頑張るから」と能天気に笑っている。
「じゃあさ、悠は人を助けたけど、自分は助けられない選択をしたわけだね」
「まぁ、そうなるなぁ」
お人好しなんだけど、どこまでも能天気な悠にわたしはわざと意地悪なことを言った。それは世の中はそれで渡っていけるほど甘くない、そんなんじゃいつか悠が困ってしまうよ、という注意を伝えたかったからだ。
「ふーん、じゃあさ。保育では二者択一を迫られる場面はいくらでもあるけど悠ならどうする?」
「たとえば?」と言って、悠が首を傾げる。
「たとえば、クラスの子どもたちを慣れていない広い公園に遠足で連れて行かなければならない。連れて行ったその公園で、迷子になり泣いている知らない子がいた。悠はクラスの子を守るためにその場を動けない。さぁ、どうする?」
「それってクラスの子を守るか、迷子の子を守るか、二者択一じゃないとだめー?とりあえずクラスの子を見ながら、迷子の子を保護して落ち着かす。一緒に遊んだり、親を探したり、交番に連れて行く、でいいじゃん」
「親を探したり交番に連れて行けばバスの時間に遅れて帰れなくなる。だったらどうする?」
わたしの質問に対し、悠は即答した。
「バスに遅れるー。だって遅れてもどうにかなるっしょ。バスが来なくてもタクシーを何台か呼んで帰ってもいいし。どうにかするんだよ、どうにか!二者択一と考えず、自分が正しいと思ったことを…。あれ、あれなんだっけ?キソウテンガイみたいな融通を利かすこと」
「臨機応変ね」
せっかく良いことを言っているのに締まらないなぁと、呆れながらわたしはくすりと笑った。
「そうそう。それっ。それして良い方向にどうにかするんだよ」
「そうだね。保育って臨機応変の連続だからね」
たしかにと思いながらわたしはうなずいた。そのあと、また悠に質問をつづける。
「でも保護者は我が子が帰って来なかったら心配するし、クレームだって来るよ」
「そうなったら全力で謝る。頭下げる」
「悠は悪いことしてないのに?そんな大人な対応できる?」
「心配な気持ちにさせてしまったことが申し訳ないし、悪いと思ったことを素直に謝ったり、困った人を助ける、そんな大人の背中を子どもたちに見てまっすぐ育ってほしいもん」
「へぇー、立派じゃん。見直した。でも昨日は散々迷惑かけられたけどー」
そう言ってわたしは残りの珈琲を飲み切った。
「う…、そのことは、ごめんなさい」
悠のさっき言った言葉が、わたしの心に深く残る。
二者択一と考えず、臨機応変に良い方向になんとかする。
わたしの人生はそれができるだろうか。
最近、わたしはこう考えている。
自分の気持ちに正直になり悠と付き合って、最後に彼を傷つけてしまうか。
悠とはこのまま付き合うことなく気持ちに蓋をして、自分の運命をひとり受け入れるか。
悲しい思いを彼にさせたくない。でも、わたしはこの先、自分の運命をひとりきりで受け入れる自信などない。
そんなできた強い人間などではない。こんなことをいつまでも考えて、わたしは葛藤しているのだ。
でも悠と一緒なら、わたしひとりではたどり着くことができない、臨機応変で良い方向にどうにか向かっていけるのかもしれない。
わたしは、そんな気がしてならないのだ。
そのとき、若い女性店員がとなりのテーブルを片付けていて、マグカップを落として割ってしまった。
悠はさっと立ち上がって、床に散らばった破片を集めて拾った。
わたしも自分の足元に飛んできた破片を屈んで拾う。
破片を集めて渡すと、店員が「お客様、大変申し訳ありません。ありがとうございます」と頭を下げた。
そして「本当に優しくて素敵な彼氏さんで、彼女さんが羨ましいです」と、店員はにっこり笑って言った。
ははは、と悠はなんとも言えない表情で苦笑いを浮かべる。
その表情を見て、店員も察し「あ、すみません。仲が良さそうだったので、わたしてっきり…」と慌てた。
そのとき、咄嗟にわたしはこう言った。
「そうなんです。わたしたちカップルじゃないんです」
そして、わたしはこう付け足して微笑んだ。
「これから、なるんですよ」
そう言ってからとなりを見ると、悠が呆気にとられたような顔をして目をぱちぱちさせている。
「え、嘘じゃないよな、夢じゃないよな」
「なんて、間抜けな顔してんのよ」
「晴、今のもっかい言ってよ」
「いーやーよー」と、わたしは保育園の子どもの真似をして答える。
「お願いっ」と手を合わせ懇願する悠に、「いーやーだよー」とわたしは笑って言った、今日の秋晴れの空のように。
バカをみて失敗してもいい。
悠と一緒なら後悔はない。
わたしは自分の想いに、せいいっぱい正直に生きたい。