講堂の裏ではお祭り騒ぎにも似た、大勢の生徒たちが放つ圧倒的なエネルギーの渦に流され、半ば非常事態であるということを忘れていた。

 でも、保健室で漣里くんの治療を見守っている間に、私の心はすっかり冷静を取り戻した。

 右頬を覆う大きなガーゼ、左目の下の絆創膏、消毒を終えたとはいえ血が滲んだままの唇。
 できるだけはたいて土を落としたけど、制服の汚れは残ったまま……あの汚れは暴行の痕だ。

 隣で廊下を歩いている漣里くんの姿を見ていると、胸が塞ぐ。
 私は保健室を出てからずっと、彼と目を合わせることなく、俯いていた。

「……大げさだよな、これ」
「全然大げさじゃないよ。酷い怪我だよ」
 重い空気を和らげるために言ってくれた台詞なんだろうけれど、私の気持ちを晴らすには全然足りない。

 むしろ逆効果だ。
 手当てをしてくれた養護教諭も、漣里くんの顔を見て絶句してたもの……。

 葵先輩も他の生徒たちも野田たちに制裁を加えてくれた。
 あの場にいたほとんど全員が漣里くんを守ると言ってくれたし、もうこれ以上の被害に遭うことはないはずだ。
 でも――そもそもこの事態を防ぐ手立てはなかったのか、他にもっと自分にできることがあったんじゃないかという思いが頭から離れず、泣きたくなってくる。

 廊下の窓から差し込む西日の光がオレンジ色に変わり、私と漣里くんの影が長く伸びている。
 もうこんな時間なんだ……でも、何時だろうとどうでもいい。

 窓の外の景色が夕陽に照らされて美しく輝いていようと、私の心の中は真っ暗だ。
 カラスの鳴き声も、生徒たちの話し声も、誰かが廊下を歩く足音も、全てが等しく雑音にしか聞こえない。

 好きな人が傷ついて、それでも笑えるほど、私は強くなんてない。

「……どうしてこんなことになったの?」
 周囲に誰もいなかったため、私は立ち止まって聞いた。
 漣里くんも足を止めて、私を見る。
 その視線から逃げるように、私は視線を床に落とした。

「……野田曰く、ATMが金を出さなくなったから責任取れ、だって」
「……ATM?」
 意味がわからなかった。

「小金井は過去の虐めの事実を口外しないっていうことと、それから俺に報復しないっていう二つの約束を取り付けて、野田たちに金を払ってたらしいんだ」
「え」
 ってことは、小金井くん……四月からいままでずっと、お金を巻き上げられてたの!?
 信じがたい事実に目を丸くする。

 同時に、改めて野田の最低なやり口に怒りが沸いた。

 暴力で同級生をねじ伏せ、さらに何ヵ月もお金を巻き上げるなんて、人間の屑としかいいようがない。