「無理に話さなくていい」
「え」
 その声に、私は顔を上げた。
 漣里くんは相変わらず、私のほうを見ずに言葉を続ける。

「俺は先輩を送り届けるためにいるだけで、会話するために来たわけじゃないから」
「……そ、そうだよ、ね……」
 うーん、確かにそうだろうとは思うけど。

 これは、話したくないってことなのかな。
 うるさい黙れって遠回しに言われてる?
 それはそれでショックだ……。

 落ち込みかけて、はたと気づいた。

 ううん、ちょっと待って。
 漣里くんは『無理に』話さなくていいって言ったよね?

 つまり、話しかけたいなら話しかければいいし、黙りたいなら黙っていればいい。
 気を遣う必要はない。
 言葉数が少ないからわかりにくいだけで、彼はそう言いたいんじゃないのかな?

「何?」
 黙って見ていると、漣里くんがやっと私を見た。
 突き刺すような視線だけど、棘はない。
 そうだ、彼に敵意はないんだよ。
 私が感じてる溝なんて、最初からなかったんじゃないのかな?

「話しかけられるのは嫌?」
「別に」
「そう」
 やっぱり、物凄くわかりにくい人だけど。
 嫌じゃないなら、それでいいんだよね?

 私は微笑み、背後で手を組んだ。
 少しだけ緊張が解けて、肩の力が抜けるのを感じながら。



 しばらく歩いて、私の家に着いた。
 二階建ての自宅の隣には父が祖父母から引き継いだお店がある。
『深森食堂』という大きな木の看板を見て、漣里くんは任務完了と思ったらしい。

「じゃあ」
「待って!」
 私に鞄を渡して帰ろうとした漣里くんの腕を、とっさに掴む。

「まだ何か用事?」
「うん。超特急で部屋を片付けるから、五分だけ待ってて。自転車はあそこに置いてくれたら大丈夫だから」
「は?」
 自宅の自転車置き場を指すと、漣里くんは怪訝そうな顔をした。

 うん、予想通りの反応だ。
 私だって男子を部屋にあげたことはないから、これでも物凄く緊張してるんだよ。

 めいっぱい頑張って平静を装ってるんだよ。
 察してください!

「暑い中、わざわざ送ってくれたんだから、お礼をさせてほしい。ジュースでも飲んでいかない?」

 だって、ねえ?
 こんなに暑い中、家まで送り届けてもらったのに。
 家に着いたから、はいさよなら、なんて、私の主義に反する。
 礼には礼を尽くすべきだ。

「もちろん無理にとは言わないけど……できたら、私の気が済むと思って、付き合って欲しい。このまま別れるなんて、申し訳ないの。お礼をさせて!」
 私はぱんっと目の前で両手を打ち鳴らし、拝んでみせた。

「……先輩がそうしたいなら」
 ややあって、漣里くんが口にしたのは、了承の言葉。

「うん!」
 私はぱあっと表情を明るくさせた。
「日陰で待ってて。準備ができたら迎えに来るから」
 私は鞄を肩にかけて、大急ぎで玄関の鍵を開けた。