あ、危なかった……ほんとに怖かった。
 ばくばくと跳ね回る心臓が落ち着くまでしばらくかかったけれど、私は深呼吸して無理矢理に気を取り直した。

 校舎をさまようこと三十分、私はついに漣里くんを見つけ出した。
 漣里くんがいたのは一年棟の屋上だった。
 なんのことはない、一年三組の教室を後にしてすぐ階段を上っていれば、そこに彼はいたんだ。

 そうとは知らず、図書室やら空き教室やら、色んなところを回っちゃったよ。

 捜索にかけた三十分の間に太陽は傾き、視界はすっかり秋のオレンジに染まっていた。
 給水塔や鉄柵の影が長く伸びている。

 彼は給水塔の影に隠れるようにして、座って本を広げていた。
 オレンジ色の光に照らされた彼の輪郭はとても美しいけれど、物悲しい。

 校舎の中も外も、文化祭準備に浮かれる生徒たちの笑い声に満ちているのに、ここだけ世界から切り離されたかのように静か。

 給水塔に背中を預け、本に目を落としている漣里くんはまだ、離れて立っている私の存在に気づかない。

 ぱら、とページを戻す音が聞こえた。
 続きを読むのではなく、読み返すための動作。
 目は文字を追っているのに、内容が頭に入ってこない、そんな感じだった。

 彼が小さくため息をつく。
 そんな音すらも届くほどの――耳が痛いほどの、静謐。
 漣里くんはいま、何を考えてるんだろう。

 クラスメイトから疎外されて。
 賑やかな喧騒から追い出されて。
 ため息をついた彼の心境はわからない。
 私は彼本人ではないんだから、わかるわけがない。

 でも、私は。

「…………」
 私は、悲しい。
 収まったはずの涙の衝動が、ここにきてぶり返した。

 視界が滲み始める。
 この光景が、彼が独りでいる光景が、堪らなく悲しくて、悔しい――。

「真白?」
 目元を覆った直後、驚いたような声が聞こえた。
 見れば、驚きと困惑の混ざった顔で、漣里くんが立っていた。

 足元には閉じた本。タイトルはヘミングウェイの『老人と海』。
 こんな本も読むのか、と少しだけ意外に思った。

「どうした? 何があった? 誰かに何かされたのか?」
 漣里くんは慌てたように歩み寄ってきた。

 彼の心配は私のことばかりだ。
 いつだってそう。
 付き合っていることを隠そうとしたのも、全部、私の身を案じてのことだ。
 私が嫌な目に遭わないように、私のことを気遣って。

 でも、違う。
 違うんだよ、漣里くん。
 そんな気遣いされても、私は嬉しくないんだよ。
 私のことじゃなくて、もっと自分のことを心配してよ。

「私は……」
 言葉が喉につっかえる。

「私は、漣里くんが独りでいるのが悔しい……」
 呆けたような顔をする漣里くんから視線を落とし、私は泣いた。

「付き合ってることを隠したくなんてない。他の人に何を言われたって、本当に、どうだっていいの。ただ漣里くんの傍にいられたらそれでいいんだよ」
 私は泣きながら、彼の手を取り、強く握りしめた。

 手のひらに思いを伝える力があるのなら――ああ、どうか、お願いだから。