**無職66日目(11月5日)**
心太朗は今日も立ちっぱなし大作戦の元、立ちながらも熱心に「采配」を読んでいる。この本を書いたのは、あの落合博満。彼の「オレ流」に惹かれて、心太朗はふと思ったのだ——自分も「オレ流」を築きたいと。
落合博満とは、バットを握ればホームランを量産し、監督になれば「守りの鬼」と呼ばれる男。攻撃よりも守備を重視し、試合を堅実に支配した。その冷静すぎる戦術は、時には「もうちょっと攻めてもいいんじゃない?」とファンを焦らせたが、結果的に彼のスタイルが成功を収めた。
「俺も野球が好きだし、落合に学ぶことは多いに違いない」と鼻息荒くページをめくる。落合はバッター出身だが、監督時代には「守りの野球」を徹底していた。理由は簡単だ。攻撃は運が絡むからだ。点を取るには、点と点を繋げて線にする必要がある。時には爆発的な得点が取れる日もあるが、逆にどれだけ努力してもゼロで終わる日もある。この運任せの展開を考えると、無理に攻めるよりも「守り」を徹底したほうが勝つ確率が上がるという理論だ。
心太朗はページを読み進めながら、ふと「これ、俺の人生にも通じるのでは?」と考えた。心太朗はよく気分が落ち込むタイプで、「よし、今日は頑張って気分を上げよう!」と無理にテンションを上げようとする。だが、これがまた思い通りにいかない。空回りした挙句、余計に落ち込むハメになる。心太朗は「お前の精神面も運任せか!」と自分にツッコミを入れつつ、落合の守りの考え方を試してみる気になった。
桜井章一と藤田晋の共著「運を支配する」という本にも似たようなことを書いていた。
桜井章一と藤田晋は麻雀界の無敗王と、ビジネス界のカリスマ。桜井は「勝たない麻雀」で知られ、相手をじわじわと追い詰める一方、藤田はインターネット業界で急成長を遂げた男。二人が共著で書いた本は、麻雀とビジネスの両方で「攻めずに勝つ」極意を伝授する、まさに戦略の達人コンビ。
この本を読んでいると、負けというものの本質が自滅にあるという言葉にガツンとやられる。そう、無敗の雀士である桜井が言うには、「負け」というのはチャンスでもないところで焦って攻めに出た結果、自滅してしまうから起きるのだと。
「なるほど、攻めなくても勝つことができるのか」と、心太朗は膝を叩くように納得する。勝つために必要なのは、負けぬように耐えること、つまり「守り」なのだ。
ふと歴史の話が頭をよぎる。戦国時代に天下を統一したのは、織田信長でもなく豊臣秀吉でもなく、徳川家康だった。家康のスタンスといえば「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」。心太朗はそのフレーズをつぶやいてみる。「なるほど、待つのも立派な戦略だよな…」
信長が「殺してしまえホトトギス」、秀吉が「鳴かせてみせようホトトギス」と、積極的に攻めた結果、天下統一に近づいたが、その後の安定には繋がらなかった。真の勝者はじっと待ち、300年も安定をもたらした家康だったのだ。心太朗の中で「守り」の哲学が強まる。
「守りの生活…つまり、無理をせずに現状を維持しながらじっとチャンスを待つことか。これって、実は人生のあらゆる場面で応用できるんじゃないか?」心太朗は目を輝かせながら考えた。お金、恋愛、人間関係、仕事——どれも守りを重視すれば、必要以上に消耗せずに済むのでは?
「そうだ、今日は『いい日にする』じゃなくて、『悪い日にしない』を目指そう!」と決意を新たにする。「たとえ何も成し遂げられなくても、これ以上悪くならなければいいじゃないか。無理な力みを抜けば、案外悪い日を防げるんじゃないか?」と自問自答し、自己防衛戦に突入。
「つまり、俺は無理せず、待つという戦略を実践してるってわけか…これはサボりじゃない、守りなんだ!」
そう言い聞かせながら、怠惰を肯定する理由としては十分すぎる口実ができたのだ。
下手くそながら守りの人生で勝利を収めてやろう!