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倫太郎は帰ってこなかった。いや、倫太郎じゃない誰かだ。
あんなひどい言葉を投げつけられたというのに、まだ「嘘」と言って何事もなく帰ってくるのではないか、と甘い期待をしている自分もいる。とんだ善人だ。
つまり、自分は倫太郎に似たやつとに心をひらいて、そのうえ、身体を許した、ということである。
なんてことだろう。そのときの感触も蘇り、自分がわからない。
いや、そもそも自分のことをわかっていたことなんてあったのだろうか。
「なんだそんな暗い顔して」
ぼくを見ておじいちゃんが言った。
なにせ、ぼそぼそと飯をまずぞうに食っている。不思議というより心配されている。
「ぜんぜん、夕方に内緒で買い食いしたからおなかへってなかった」
ぼくは箸を置いて言った。
買ったハンバーガーは部屋の隅にまだあった。
「だったらいいけど、倫太郎が急に帰ったから寂しくでもなったか」
「そんなことないよ」
倫太郎は急に用事ができたって言って慌てて帰ってしまった、とおじいちゃんには話していた。
「なに、またくる。一度これたなら、次に来るのは簡単だ」
おじいちゃんは慰めるように、そして確信を持っているらしく、はっきりと言った。
「そうかな」
「そうだ。これまで戻ってきたくても、戻って来れなかったんだろう。えいと飛び込んじまえばもう簡単だ。みんな踏み出すことに時間がかかる。そもそもあいつはこの村でひどい目に遭ったんだ。一生こないでもいいくらいだ。なのに、来た。つまり、お前に会いたかったんだよ」
口数が少なく、急に怒りだしても怒る意味がわからない……そんな癇癪持ちのおじいちゃんが、めずらしいことを言ったものだから、
「そうだね」
と頷きながら笑ってしまった。
「なんだ、さっきまで泣いてたカラスが」
おじいちゃんが笑った。
「泣いてないし」
泣くことすらできなかった。
倫太郎を死ぬほど嫌いな、倫太郎にそっくりな男。
まったくわからない。
倫太郎の兄弟、レン。
そのとき、ふと思いついてスマホを手にした。
「食事中にそんなもの見るな」
おじいちゃんが咎めた。
「ちょっと、駅のほうまでいってくる」
ぼくは茶碗に残った米をかきこみ、味噌汁を一気に飲んだ。慌ただしく立ち上がって食器を台所へもっていった。
「なんで」
おじいちゃんが眉をひそめた。
「ここ、電波が悪いから」
ぼくは最後まで言う前に玄関から飛びだした。
電車は一時間に一回だけ、まもなく最終がくる頃だった。誰もいない改札前のベンチにぼくは座った。
やるべきか否か、でも、飛びこむしかない、と思った。このままなかったことになんてできない。倫太郎が心配だから? レンが一体何者かつきとめたいから? そもそも身体を許してしまったから?
理由はひとつだけでなく、全部であり、まだまだ見つからない要素だってあった。
「テルちゃんなにしてんだ?」
木戸さんが近づいてきた。面倒臭い。ぼくは無視した。
「なに? 検索してんの? エッチなの?」
木戸さんの言葉を無視して、ぼくは名前を打ち込んだ。
まずは、倫太郎の名前を検索した。数年前に一度試して、なにもヒットしなった。やはりとくになにも出てこなかった。
次に、壁井レンを検索した。
「そういやさ、夕方テルちゃんの友達がすげえ顔して電車に乗っていったぞ」
木戸さんが言った。
「電車?」
「モンハンいつすんだよ、って言ったら、次って。家どこ、って言ったら、東京に行くって言ってたけど。家出か? って聞いたら東京にも家があるからとか。だったら次きたとき、金払うからプラモ買ってきてくれって」
「東京って言ったんですか」
ぼくはスマホを見たまま訊ねた。
「ああ、どこにも行けないとかなんとか言ってたけど、そりゃまあ、こんなとこで暮らしてたらわけえもんはそんな感じになるよなあ
「あ」
本名のSNSが出てきた。SNSに個人情報を書くなて、学校で言われなかったんだろうか。プロフィール欄に三軒茶屋とある。これだ。
「なに見てんの?」
木戸さんが覗きこんだ。
最終電車がやってくるアナウンスが聞こえた。
どうする?
倫太郎ではない倫太郎、レンは村に飛びこんできた。いままでぼくは、県外に出たことがない。
踏み出すことに時間がかかる。
でも、えいと飛び込んじまえば簡単だ。
電車が到着しても、誰も降りてくることはない。
ぼくは立ち上がり、改札に入った。
「テルちゃん?」
木戸さんの声を無視して、ぼくは車内に入り、ドアが閉まろうとした。
「なにやってんだ!」
あと少しのところで木戸さんがドアをこじ開け入ってきた。
「なにやっての!」
「こっちのセリフだ!」
一度開いたドアが、また閉まった。
「あ」
ぼくらを乗せた最終電車が走り出した。
明かりのない外の景色。遠くに見える星。
そのときぼくは、銀河鉄道に乗っている、と思った。
「やべ〜!」
背後で木戸さんが叫んだ。
このひとはカンパネルラじゃない、とぼくは慌てふためく木戸さんを冷めた目で眺めた。
カンパネルラを探しに東京にいくんだ。
倫太郎は帰ってこなかった。いや、倫太郎じゃない誰かだ。
あんなひどい言葉を投げつけられたというのに、まだ「嘘」と言って何事もなく帰ってくるのではないか、と甘い期待をしている自分もいる。とんだ善人だ。
つまり、自分は倫太郎に似たやつとに心をひらいて、そのうえ、身体を許した、ということである。
なんてことだろう。そのときの感触も蘇り、自分がわからない。
いや、そもそも自分のことをわかっていたことなんてあったのだろうか。
「なんだそんな暗い顔して」
ぼくを見ておじいちゃんが言った。
なにせ、ぼそぼそと飯をまずぞうに食っている。不思議というより心配されている。
「ぜんぜん、夕方に内緒で買い食いしたからおなかへってなかった」
ぼくは箸を置いて言った。
買ったハンバーガーは部屋の隅にまだあった。
「だったらいいけど、倫太郎が急に帰ったから寂しくでもなったか」
「そんなことないよ」
倫太郎は急に用事ができたって言って慌てて帰ってしまった、とおじいちゃんには話していた。
「なに、またくる。一度これたなら、次に来るのは簡単だ」
おじいちゃんは慰めるように、そして確信を持っているらしく、はっきりと言った。
「そうかな」
「そうだ。これまで戻ってきたくても、戻って来れなかったんだろう。えいと飛び込んじまえばもう簡単だ。みんな踏み出すことに時間がかかる。そもそもあいつはこの村でひどい目に遭ったんだ。一生こないでもいいくらいだ。なのに、来た。つまり、お前に会いたかったんだよ」
口数が少なく、急に怒りだしても怒る意味がわからない……そんな癇癪持ちのおじいちゃんが、めずらしいことを言ったものだから、
「そうだね」
と頷きながら笑ってしまった。
「なんだ、さっきまで泣いてたカラスが」
おじいちゃんが笑った。
「泣いてないし」
泣くことすらできなかった。
倫太郎を死ぬほど嫌いな、倫太郎にそっくりな男。
まったくわからない。
倫太郎の兄弟、レン。
そのとき、ふと思いついてスマホを手にした。
「食事中にそんなもの見るな」
おじいちゃんが咎めた。
「ちょっと、駅のほうまでいってくる」
ぼくは茶碗に残った米をかきこみ、味噌汁を一気に飲んだ。慌ただしく立ち上がって食器を台所へもっていった。
「なんで」
おじいちゃんが眉をひそめた。
「ここ、電波が悪いから」
ぼくは最後まで言う前に玄関から飛びだした。
電車は一時間に一回だけ、まもなく最終がくる頃だった。誰もいない改札前のベンチにぼくは座った。
やるべきか否か、でも、飛びこむしかない、と思った。このままなかったことになんてできない。倫太郎が心配だから? レンが一体何者かつきとめたいから? そもそも身体を許してしまったから?
理由はひとつだけでなく、全部であり、まだまだ見つからない要素だってあった。
「テルちゃんなにしてんだ?」
木戸さんが近づいてきた。面倒臭い。ぼくは無視した。
「なに? 検索してんの? エッチなの?」
木戸さんの言葉を無視して、ぼくは名前を打ち込んだ。
まずは、倫太郎の名前を検索した。数年前に一度試して、なにもヒットしなった。やはりとくになにも出てこなかった。
次に、壁井レンを検索した。
「そういやさ、夕方テルちゃんの友達がすげえ顔して電車に乗っていったぞ」
木戸さんが言った。
「電車?」
「モンハンいつすんだよ、って言ったら、次って。家どこ、って言ったら、東京に行くって言ってたけど。家出か? って聞いたら東京にも家があるからとか。だったら次きたとき、金払うからプラモ買ってきてくれって」
「東京って言ったんですか」
ぼくはスマホを見たまま訊ねた。
「ああ、どこにも行けないとかなんとか言ってたけど、そりゃまあ、こんなとこで暮らしてたらわけえもんはそんな感じになるよなあ
「あ」
本名のSNSが出てきた。SNSに個人情報を書くなて、学校で言われなかったんだろうか。プロフィール欄に三軒茶屋とある。これだ。
「なに見てんの?」
木戸さんが覗きこんだ。
最終電車がやってくるアナウンスが聞こえた。
どうする?
倫太郎ではない倫太郎、レンは村に飛びこんできた。いままでぼくは、県外に出たことがない。
踏み出すことに時間がかかる。
でも、えいと飛び込んじまえば簡単だ。
電車が到着しても、誰も降りてくることはない。
ぼくは立ち上がり、改札に入った。
「テルちゃん?」
木戸さんの声を無視して、ぼくは車内に入り、ドアが閉まろうとした。
「なにやってんだ!」
あと少しのところで木戸さんがドアをこじ開け入ってきた。
「なにやっての!」
「こっちのセリフだ!」
一度開いたドアが、また閉まった。
「あ」
ぼくらを乗せた最終電車が走り出した。
明かりのない外の景色。遠くに見える星。
そのときぼくは、銀河鉄道に乗っている、と思った。
「やべ〜!」
背後で木戸さんが叫んだ。
このひとはカンパネルラじゃない、とぼくは慌てふためく木戸さんを冷めた目で眺めた。
カンパネルラを探しに東京にいくんだ。