「これじゃ俺ら、猿みたいじゃん」
 倫太郎が起き上がった。
 布団の横にある目覚まし時計を見ると、もう昼過ぎになっていた。
「なにそれ」
 寝たままぼくは言った。
「気持ちいいとわかったらずっとしちゃうんだよ、猿って」
 そう言って手を握ったかたちにして上下に振った。
 倫太郎の顔を見上げると、笑っているのかと思ったら、どこか張り詰めた表情をしていた。
 あれから、ずっとぼくらは布団のなかにいて、二度目の昼を迎えた。便所にいくのと、ときどき腹を減らしては冷蔵庫を開けるだけだった。布団は湿っていて、汗臭かった。
 裸のまま襖をあけた。ぼくらしかいないのだから、服を着ていなくても誰も咎めるものはいない。
「どこ行くの」
「便所、あと水」
 そう言って倫太郎は出ていった。
 ぼくも起き上がった。
 なんだか自分の部屋が全く見知らぬものになってしまったような気がした。薄暗い部屋。カーテンの隙間からさす光。熱気のこもった、少し澱んだ空気。身体を動かしただけで、まるで水のなかにいるみたいに感じた。
 遠くでトイレの水を流した音がした。
 ほんとうだったんだ、と思った。日付がわからない。いや、わかっている。明日の夕方、おじいちゃんが帰ってくる。
 なんとなく、倫太郎はこのままいなくなってしまうんではないか、と思った。このままいなくなってしまったとしても、悲しいけど受け入れられるような気がした。しちゃうってのは、こういうことなのか、と気だるい気持ちになっていた。まるで新しい遊びを覚えた子供みたいに無邪気な気分と、あるいは大人に止められていたことを破ってしまったみたいな開放感がまぜこぜになっていた。
 襖が開き、倫太郎がほれ、とペットボトルの水を投げてよこした。
「冷たいね」
 ぼくは水をひとくち飲んで言った。
「なに当たり前なこと言ってんだよ」
 倫太郎がぼくの隣に座った。腿が触れあった。ふたりとも、すね毛が薄かった。
「水ちょーだい」
 と倫太郎が身を寄せ、ぼくはペットボトルを渡した。
「雰囲気でないな、こういうときは口移しとかすんじゃないの?」
 倫太郎は笑ってふたをあけた。
「ドラマの見過ぎじゃない?」
「参考にするもんだよ、そういうの」
「わかった。する」
 ぼくはペットボトルをひったくり、水を飲んだ。
「ばか」
 倫太郎は軽く頭を叩いて、ぼくの口から水がこぼれた。布団を濡らしてしまった。
「あーあ、ほら、乾かさないと」
 そう言って倫太郎はぼくを起き上がらせた。
「お母さんみたいだ」
 思ってもいないのにふてくされているみたいに、ぼくは言ってしまった。
「ウケる」
 倫太郎は笑った。
「なんか裸でうろうろしてると開放感あるよな」
「露出したいの?」
「そういう趣味もあるのかもしんねえなあ。山の中で素っ裸になったときも最高だったし。ここで新しい扉が開いたのかも」
 なんて軽口を叩きながら、布団を持っていってしまった。
 まもなく留守番はおしまいだ。なんとなく、もう倫太郎とは会えないような気がしていた。
 じゃあ、バイバイ、とあとくされもなく去っていってしまいそうだった。こんなふうになってしまったことで、取り残された自分はどうしたらいいんだろう、と思った。
 初めてじゃないし、という言葉だってひっかかっていた。そりゃそうだろうけど、もしかして、誰かがいるのかもしれない、と思った。
 だったら、すんなよ、と思った。なのに、終わっても終わってもひっついて、離れようとしなかった自分がいた。
 こう言う自分がいたのか、と驚くというよりも呆れてしまった。
 始まってしまったら、もう歯止めがきかなくなってしまっている。このまま倫太郎と二人でいることができたらいい、なんて夢みがちなことを何度も思った。
 倫太郎のほうは、何のそぶりもない。
 あれだけいろいろあったっていうのに、平気でパンを焼いて、裸で食っている。
「裸でめしを食うのが一番うまいっていうから、やってみたかったんだ」
 そう言ってパンを飲みこみ、しゃっくりを起こした。
「誰が言ったの。それ」
「小説であったんだよ」
「小説なんて読むんだ」
「なめんなよ」
 パンを喉に詰まらせ、しゃっくりしながら凄むのがおかしかった。
「じいちゃん帰ってくんの。いつくらいかな」
「明日の夕方かな」
「盆になったらここの兄貴ズも帰ってくるんだろ」
「たぶん帰ってこないよ。上のにいちゃんは子供が小さいし、下の兄ちゃんはなんか仕事が忙しすぎて社畜の鑑って会社で言われてるらしい」
「みんなすげえな」
「昔、みんなで釣りしに行ったよね」
 はるか昔の出来事だった。
「そんなんあったっけ? 忘れた」
 倫太郎はしばらく遠くを見るような目をしていた。