「おーい。出口のテルちゃん」
 背後から呼ばれて、嫌々振り向くと、自転車に乗った木戸さんがやってきた。
 倫太郎は帽子を目深に被った。
「なに、友達?」
 あいかわらずずけずけと割り込んでくる木戸さんにむかつきながら、
「はい」とぼくは答えた。
「なにくん?」
「壁井です」
 倫太郎は答えた。一瞬戸惑い、そうか、もう倫太郎の名字は「壁井」なんだ、と思った。
「へえ、学校の友達?」
「まあ、そんなとこ」
 ぼくは言った。
「テルちゃん、学校に友達いたんだ。よかったなあ」
 とナチュラルに失礼なことを木戸さんは言った。「寄り道しないで帰ってくるから心配してたんだよ」
「もしかして、木戸さん、ぼくに友達がいないと思ってウザいくらいに話しかけてくれてるとか?」
 返答次第ではもう絶対に口をきいてやんねえ、と思いながら訊ねた。
「そんなこと考えたこともねーよ。俺ら友達だろ?」
 木戸さんはあっけらかんと言い、背中を叩いた。
「そら、どーも」
 ぼくは無表情で答えた。おまわりさんと友達なんて、安全でありがたいことだ。
「なあ、壁井くん、モンハンやる?」
「まあ、できますけど」
 倫太郎が言った。
「もしよかったら、こんど一緒にやろうぜ」
 と木戸さんは自転車に乗って去っていった。
「うっざ」
 ぼくはつぶやいた。
「いい人っぽいけどな」
 木戸さんの背中を見送りながら、倫太郎は言った。
「それは否定しない」
「ていうか、あのオジーー」
「いや、オジさんてほどでも」
 とぼくがいちおうフォローすると、
「テルのこと好きなんだなあ」
 と倫太郎は言った。
「は?」
「なにびっくりしてんだよ」
「いや、好きとか急に言うから」
「まんざらでもないのか? ていうか、好きってあれか、ラブとかって思ったか」
 倫太郎にからかわれ、
「違うって!」
 ぼくは叫んだ。
「ほら、早く山まで案内してくれよ、あちいし」
 そう言って倫太郎はぼくの尻を叩いて急かした。
 倫太郎はどんどん山道を進んでいく。ぼくはその背中を追った。
 そして川に到着すると、
「ここかあ」
 と目を輝かせた。ひさしぶり、というより初めての景色に感嘆しているみたいだった。倫太郎はすぐにTシャツを脱ぎ、ハーフパンツを下ろした。
 ぼくは目を逸らした。
 思い切りよく下着も脱ぎ捨て、川に入っていく。そして思い切り水の中に沈んで、浮かんだ。
 手足にくらべて白い尻を水面に浮かべたたりした。
「ああ、気持ちいいっ」
 飛沫をあげて倫太郎は起き上がり、ぼくのほうを見て笑った。「早くこいよ」
 そんなふうに言われても、ぼくは躊躇した。
 思ったよりも立派な胸板と、くっきり浮かぶ腹筋。ぎゅっと逆三角形になっている上半身と、しっかりと盛り上がった尻から腿にかけての太さに目を見はり、そしてずっと見てはいけない、と顔を下に向けた。たしかにシャツから出ている腕の太さや浮き上がった血管に、その魅力は気づいていたけれど、すっかり倫太郎は変わってしまっていた。自分の身体が倫太郎よりひどく劣っていると思えてて脱ぐことができなかった。
 無邪気なまでに魅力的な身体を曝け出して、ぱしゃぱしゃと川を弾く倫太郎がまぶしかった。
 それに……。
「なにぐずぐずしてんだよ」
 急かされ、ぼくも覚悟を決めてシャツを脱いだ。下着をおろすと、風もないのに少しだけすっとした。ゆっくりと川に入っていった。心地よい水の感触が全身を包んだ。
「懐かしいだろ?」
 倫太郎は無邪気に笑い、
「うん」とつられてちょっとだけぼくも笑った。身体同様に成長した下腹部を見ないようにしながら。
「ほれ」と倫太郎に思い切り押され、
「ちょっ、待って、待って」
 うまく立っていることができず、どぼん、と川に入ってしまった。全身が水につかると、頭が急に冴えた。
「ほら」と倫太郎がぼくを立ち上がらせ、そのまま抱きついてきた。
「なにやってんの」
 ぼくは驚いて震えた。
「なあ、立ってんじゃん」
 イタズラっぽく耳元でささやき、倫太郎が握ってきた。そしてふたたび思い切り押され、ぼくは水に沈んだ。
 なにも考えられない。ただ、自分のその部分が熱く固くなっていることだけはわかる。
「ほら、冷やせ冷やせ」
 恥ずかしくてたまらず、お互いをがむしゃらに水をかけあった。
 あのときと同じことが起こるなんて思わなかった。倫太郎はどういうつもりなんだろう。

 その晩、蚊帳の中で寝息を立てている倫太郎を、暗闇のなかでぼくは見ていた。
 のんきないびきをかいていた。
 もうこれ以上、不幸なことなんてなければいい、と思った。
 あれは、なにもかもがでたらめで、間違っている。
 倫太郎がいなくなって、しばらくしてみんなあのことを話しもしなくなった。
 いなくなってしまったら、忘れてしまうのだ。