3
倫太郎は昼過ぎまで寝ていた。
ぼんやりとスマホをいじりながら昼飯を食べたあとは、おじいちゃんと将棋をして、三回負けると急にぼくを誘ってぶらぶらと村を散歩した。
「うわあ、駄菓子屋とか、やば」
昔はよく通っていたのに、そんなふうにいちいち驚いていた。懐かしいというよりも、新鮮な反応だった。
店のおばちゃんは、成長期の子供(しかも金髪になっている)を倫太郎だとわかっていないらしかった。集落の人々も、あれだけの騒ぎがあったことを忘れてしまっているようだった。
「学校の友達?」と店の人やご近所さんに声をかけられると、「はい」と倫太郎が先に笑顔で答えた。きっと倫太郎だと知られたくないのだろうと、ぼくも合わせた。
「なんかさ、ほんとなんもないな」
倫太郎はあたりを見回しながら言った。なにもかもが新鮮に映る目をしていた。
「前からなかったじゃん」
「今、二十一世紀だぞ? こんな田舎で畑すらない土地が余ってるんだから、ショッピングモールでもあっていいんじゃん?」
「だって、ここに作ったって儲からないよ」
こんな不便な場所、しかも人も少ないところに、いったいどんな店を作るのか。
「そりゃそうか」
倫太郎は納得したように頷いた。
「倫太郎はどこに住んでたの?」
昨夜まったく聞くことができなかったことを訊ねた。
「東京って言ったじゃん」
「東京のどこ?」
「サンチャ」
倫太郎はぶっきらぼうに答えた。
「へえ」
「ていうかさ、テルは高校卒業したらどうすんの?」
急に進路のことを聞かれ、ぼくは黙ってしまった。
なんとなくふらふらと歩いてから、
「ぜんぜんわかんない」
と正直に答えた。
進路相談のときも、「もう少し将来のことを真剣に考えないと」と先生に呆れられた。
「どっか別のところで暮らすんだろ」
昨日は久しぶりで楽しいなんて言っていたけれど、将来の話をするなんて、すでに飽き飽きし始めているのかもしれない。
「どうなんだろ」
例えば、自分が東京に住んで、どう生きるのか、わからなかった。おじいちゃんだって、いつ老け込むかわからないし、正直わからない。近所のお婆ちゃんは一度転んで足を折ってしまってから、出歩くのが億劫になったと言っていた。年寄りと暮らすというのはいつだって、先のことを考えてしまうことだった。
「だってさ、ここなんもないじゃん」
同意するしかなかったけれど、ちょっとだけムッとした。そして、そうか、なんもない場所だと自分でも思っているけれど、その「なにもなさ」を自分はそんなに嫌いじゃないんだ、と気づいた。
「まあ、しばらく留守番をしなくちゃなんねえし、隅々まで探検しよっかな」
そうなのだ、しばらく倫太郎はここにいる。
昨日の晩飯で、おじいちゃんが、
「暇だったら三日テルと一緒に留守番してくれないか」
と酔った勢いで提案した。
週末から町内会の旅行があった。おじいちゃんは面倒だから行かないといつも断っていたが、お兄ちゃんたちがいたときは出かけたから、孫一人にするのが心配なのかもしれない。また夢を見て、不安がったりするのではないか、と。終業式以来、夢は見ていなかった。夢のことだって、おじいちゃんに話していなかった。もう自分は、あわてずに一人で処理できる。
「そんないきなり。それにもう定員とか決まっちゃってるでしょ」
ぼくが驚いて言うと、
「そんなんどうとでもなるだろ。長年貢献してきたんだから、わがまま言っても許されるくらいの権力はある」
弾むように言って、意気揚々と町内会の会長に電話をかけ、追加で行くと宣言してしまった。
「ぜんぜんいいっすよ、暇だし」
倫太郎は平然として言い、その状況にあわてているのがぼくだけというおかしな事態になってしまった。
ほんとうはおじいちゃんだって旅行したかったんだな、と思った。
なくなってしまった両親のかわりに、ぼくらを育ててくれていたおじいちゃん。たまにはわがままを言ってもいいと思った。孫二人を立派に成人させ、あとは一番面倒な末っ子が残っているだけ。おじいちゃんの人生は、育ててばかり。畑を育て、息子を、そして孫を育てる。
「そうかな、めちゃめちゃいいとこってわけじゃないけど、でもいいところだよ」
ぼくは歩きながら言った。
「ああ、秘密の川とか?」
鼻で笑うように倫太郎は言った。
「そこ?」
ぼくは笑った。
やっぱり覚えていたんだな、と思い、ぼくは顔を伏せた。
「うん、ここも思ってたよりいいな。山も落ち着くし、それに川があるのがいい」
とわざとらしく深呼吸する倫太郎に、
「そんなに気に入ってたっけ」
とぼくは心の内を隠すように言った。
自分が会っていない間にいろいろな変化があるんだろうと思った。東京は息が詰まるのかもしれない。高校の修学旅行は風邪をひいてしまい、結局東京に行くことができなかったから、想像の世界なだけだけど。なんとなくみんなくたびれているんだろうな、なんて思った。
倫太郎は昔は川遊びにあまり興味がなかったというのに、川のことを言い出すなんて。
「あー、なんかまた行きたくなってきた」
倫太郎が言った。「俺たちの秘密の場所にさ」
倫太郎は昼過ぎまで寝ていた。
ぼんやりとスマホをいじりながら昼飯を食べたあとは、おじいちゃんと将棋をして、三回負けると急にぼくを誘ってぶらぶらと村を散歩した。
「うわあ、駄菓子屋とか、やば」
昔はよく通っていたのに、そんなふうにいちいち驚いていた。懐かしいというよりも、新鮮な反応だった。
店のおばちゃんは、成長期の子供(しかも金髪になっている)を倫太郎だとわかっていないらしかった。集落の人々も、あれだけの騒ぎがあったことを忘れてしまっているようだった。
「学校の友達?」と店の人やご近所さんに声をかけられると、「はい」と倫太郎が先に笑顔で答えた。きっと倫太郎だと知られたくないのだろうと、ぼくも合わせた。
「なんかさ、ほんとなんもないな」
倫太郎はあたりを見回しながら言った。なにもかもが新鮮に映る目をしていた。
「前からなかったじゃん」
「今、二十一世紀だぞ? こんな田舎で畑すらない土地が余ってるんだから、ショッピングモールでもあっていいんじゃん?」
「だって、ここに作ったって儲からないよ」
こんな不便な場所、しかも人も少ないところに、いったいどんな店を作るのか。
「そりゃそうか」
倫太郎は納得したように頷いた。
「倫太郎はどこに住んでたの?」
昨夜まったく聞くことができなかったことを訊ねた。
「東京って言ったじゃん」
「東京のどこ?」
「サンチャ」
倫太郎はぶっきらぼうに答えた。
「へえ」
「ていうかさ、テルは高校卒業したらどうすんの?」
急に進路のことを聞かれ、ぼくは黙ってしまった。
なんとなくふらふらと歩いてから、
「ぜんぜんわかんない」
と正直に答えた。
進路相談のときも、「もう少し将来のことを真剣に考えないと」と先生に呆れられた。
「どっか別のところで暮らすんだろ」
昨日は久しぶりで楽しいなんて言っていたけれど、将来の話をするなんて、すでに飽き飽きし始めているのかもしれない。
「どうなんだろ」
例えば、自分が東京に住んで、どう生きるのか、わからなかった。おじいちゃんだって、いつ老け込むかわからないし、正直わからない。近所のお婆ちゃんは一度転んで足を折ってしまってから、出歩くのが億劫になったと言っていた。年寄りと暮らすというのはいつだって、先のことを考えてしまうことだった。
「だってさ、ここなんもないじゃん」
同意するしかなかったけれど、ちょっとだけムッとした。そして、そうか、なんもない場所だと自分でも思っているけれど、その「なにもなさ」を自分はそんなに嫌いじゃないんだ、と気づいた。
「まあ、しばらく留守番をしなくちゃなんねえし、隅々まで探検しよっかな」
そうなのだ、しばらく倫太郎はここにいる。
昨日の晩飯で、おじいちゃんが、
「暇だったら三日テルと一緒に留守番してくれないか」
と酔った勢いで提案した。
週末から町内会の旅行があった。おじいちゃんは面倒だから行かないといつも断っていたが、お兄ちゃんたちがいたときは出かけたから、孫一人にするのが心配なのかもしれない。また夢を見て、不安がったりするのではないか、と。終業式以来、夢は見ていなかった。夢のことだって、おじいちゃんに話していなかった。もう自分は、あわてずに一人で処理できる。
「そんないきなり。それにもう定員とか決まっちゃってるでしょ」
ぼくが驚いて言うと、
「そんなんどうとでもなるだろ。長年貢献してきたんだから、わがまま言っても許されるくらいの権力はある」
弾むように言って、意気揚々と町内会の会長に電話をかけ、追加で行くと宣言してしまった。
「ぜんぜんいいっすよ、暇だし」
倫太郎は平然として言い、その状況にあわてているのがぼくだけというおかしな事態になってしまった。
ほんとうはおじいちゃんだって旅行したかったんだな、と思った。
なくなってしまった両親のかわりに、ぼくらを育ててくれていたおじいちゃん。たまにはわがままを言ってもいいと思った。孫二人を立派に成人させ、あとは一番面倒な末っ子が残っているだけ。おじいちゃんの人生は、育ててばかり。畑を育て、息子を、そして孫を育てる。
「そうかな、めちゃめちゃいいとこってわけじゃないけど、でもいいところだよ」
ぼくは歩きながら言った。
「ああ、秘密の川とか?」
鼻で笑うように倫太郎は言った。
「そこ?」
ぼくは笑った。
やっぱり覚えていたんだな、と思い、ぼくは顔を伏せた。
「うん、ここも思ってたよりいいな。山も落ち着くし、それに川があるのがいい」
とわざとらしく深呼吸する倫太郎に、
「そんなに気に入ってたっけ」
とぼくは心の内を隠すように言った。
自分が会っていない間にいろいろな変化があるんだろうと思った。東京は息が詰まるのかもしれない。高校の修学旅行は風邪をひいてしまい、結局東京に行くことができなかったから、想像の世界なだけだけど。なんとなくみんなくたびれているんだろうな、なんて思った。
倫太郎は昔は川遊びにあまり興味がなかったというのに、川のことを言い出すなんて。
「あー、なんかまた行きたくなってきた」
倫太郎が言った。「俺たちの秘密の場所にさ」