FINAL
空はどこまでも広がっている。その先には東京もあるし、もっと先まである。先へ先へと向かっていったら、自分の背中にたどり着く。
駅に着くと、茉莉が立っていた。
「遅いよ!」
と茉莉が駆け寄ってきた。
「ごめん、って急に電話してきたのそっちじゃん」
「わざわざきたんだから、ちょっとは気を遣ってよ」
ぼくらは改札前のベンチに座った。
「はい、これ」
ぼくは文庫本を茉理に渡した。
「ありがと」
と茉莉は文庫本をぱらぱらとめくった。「今度は『注文の多い料理店』か。懐かしい」
「もう読んだんなら、べつによかったじゃん」
「ふふ、やはり名作は再読しないとね。なにが面白かった?」
ぼくらは小説の話をした。ぼくが感想を述べると、「ああ、知ってる知ってる」と茉莉がうんうんと頷く。なにを言っても、すぐに返してくるので、だったら別に聞かなくてもいいじゃないか、と思った。
「お、テルちゃんじゃん、お友達?」
自転車に乗った木戸さんが、駅の前までやってきた。
「学校のクラスメートです」
ぼくが言うと、
「なんだよ、デートかよ」
と相変わらずの空気が読めないダル絡みをしてきた。
「違います」
と茉莉がぴしゃりと言ったので、逆にぼくが驚いてちょっとのけぞった。「男と女が離していたらデートって言われるの、すっごく不愉快」
「ああ、ごめんなさい」
木戸さんが恐縮して謝った。
「電車がくる待っているんで」
茉莉が腹を立てながら言い、それに気押されたのか、木戸さんはさっさと派出所のほうへ逃げていった。
「なんなの、ああいうのが雰囲気を壊すんだよねえ」
「雰囲気?」
ぼくが聞き返すと、
「別に。で、いまはなにを読んでいるの?」
と茉莉が話をそらした。
「いま読んでいるのは」
と青い表紙の文庫を見せた。
「又三郎か。いつ読み終わる?」
「わかんないって。それにこれだって読んだんじゃないの?」
「再読の機会をありがとう」
と茉莉はおどけてお辞儀をした。
電車の到着のアナウンスが聞こえてきた。
「いやー、怖い怖い」
茉莉が電車に乗って去っていき、ぼくも帰ろうとしたとき、木戸さんが派出所から顔を覗かせた。
「怖くしたの木戸さんじゃないですか」
ぼくはうんざり気味に言った。
「ほんと、気をつけなくちゃいけないねえ」
腕を組み頷く木戸さんを、ぼくはじっくりと眺めた。
「なんだよ」
ぼくに気づいて木戸さんが言った。
「いや、別に」
東京へ向かおうとした夜のどきりとしたことなんて、なんにもなかったみたいだった。で、あるのに、なんとなく木戸さんの見え方に変化があるのは、子供じみているくせに大人の雰囲気があることを発見したことと、そしてテツさんのことがあったからだろう。
あの一連の出来事で、ぼくの周囲への見方が変わった。
帰り際、テツさんが「まあ達者でな、って言っておいて」と言い、そばで聞いていたタクミさんが「達者かどうか自分の目で確認してくればいいんじゃないか」とにやにやしながら言っていた。
ぜったいに、きてください、とぼくは言った。なんにもないですけど、なんにもなさすぎて逆に珍しいかもしれないし、と。
テルくんに会いにいくわ。木戸はついでで、とテツさんは言ったが、もちろんぼくのほうがおまけ、適当な理由に決まっている。
待ってますね、と言ってぼくらは別れた。
「木戸さん」
目の前の木戸さんにぼくは言った。
「なんだよ」
「テツさん、ぼくのこと疑ってましたよ」
「なにを疑ってるっていうんだ」
「初めて会ったとき、ぼくくらいの年だったんでしょ」
「あいつ、なにを喋った?」
木戸さんの顔が歪むのが面白かった。
「べつになんにも。でもテツさん、めちゃ仲良しの人がいたな」
「誰だよ」
「小説家って言ってたな」
「小説家にろくなやつがいるわけねえだろ」
と木戸さんが腹を立てた。
「でもかっこいい人だったしな」
「ふーん、どんなやつ? 俺と比べて上? 下?」
「はるか上かもしれない」
「はあ? そんなやつが存在するわけないだろ!」
存在。たしかに、現実味のない人ではあった。
なんだかはるか昔の出来事のようにも思える。
そして、あの夜、去っていってしまったレンはどうしているんだろうか、と考えると、悲しくなった。
もう夢は見ていない。
倫太郎たちに何か起きてやしないかと、検索をしてみても、とくに事件は起こっていなかった。
レンは、消えてしまった。
でも、ぼくはまた会えると思っていた。
なぜか、確信していた。
電車の到着のアナウンスがした。
とくに誰も降りてこないだろう、とふと改札を見たとき、
「レン」
ぼくに気づくと、レンは、顔をそらした。
「あ、友達じゃん。今日はたくさんくるなあ」
木戸さんが呑気に言った。
レンがぼくらに近づいてきた。
「おかえり」
ぼくは言った。
その言葉に、顔をぽかんとさせたものの、
「ただいま」
とレンは言った。
「なあ、モンハンやろうぜ、友達!」
木戸さんが言って、派出所に入っていった。
「行こう」
ぼくはレンの手を引っ張った。
「いいの? あれ」
派出所のほうを見て、レンが言った。
「いつだってできるだろ」
ぼくは言った。
「うん、だな」
レンが少し照れたみたいに笑った。
「さて、どうしようかな」
「なにが」
「おじいちゃんにレンのことをどう言おうかなって。倫太郎ってことにする?」
「なんであんなやつのフリしなきゃなんねえんだよ」
「最初そうやってきたくせに」
ぼくが言うと、レンが頭をかいた。
「だな」
「家に帰るまでにどうすべきか考えなくちゃな」
「そうだな」
レンが少しだけ沈んだ表情になった。
「レン」
「なんだ」
「その前に、二人だけの秘密の場所に行こうか」
ぼくをレンが見て、そして、
「いいけど」
と言った。
遠くでぼくらのことを呼ぶ木戸さんの声がした。
ぼくらは誰もいない一本道を、並んで歩いていった。
まだまだ夏休みは続く。
そして、夏休みが終わっても、続くものがある。
ぼくらはここで、生きていく。
サイワイのあるところで。
だから、なにもかも、大丈夫なのだ。
了
空はどこまでも広がっている。その先には東京もあるし、もっと先まである。先へ先へと向かっていったら、自分の背中にたどり着く。
駅に着くと、茉莉が立っていた。
「遅いよ!」
と茉莉が駆け寄ってきた。
「ごめん、って急に電話してきたのそっちじゃん」
「わざわざきたんだから、ちょっとは気を遣ってよ」
ぼくらは改札前のベンチに座った。
「はい、これ」
ぼくは文庫本を茉理に渡した。
「ありがと」
と茉莉は文庫本をぱらぱらとめくった。「今度は『注文の多い料理店』か。懐かしい」
「もう読んだんなら、べつによかったじゃん」
「ふふ、やはり名作は再読しないとね。なにが面白かった?」
ぼくらは小説の話をした。ぼくが感想を述べると、「ああ、知ってる知ってる」と茉莉がうんうんと頷く。なにを言っても、すぐに返してくるので、だったら別に聞かなくてもいいじゃないか、と思った。
「お、テルちゃんじゃん、お友達?」
自転車に乗った木戸さんが、駅の前までやってきた。
「学校のクラスメートです」
ぼくが言うと、
「なんだよ、デートかよ」
と相変わらずの空気が読めないダル絡みをしてきた。
「違います」
と茉莉がぴしゃりと言ったので、逆にぼくが驚いてちょっとのけぞった。「男と女が離していたらデートって言われるの、すっごく不愉快」
「ああ、ごめんなさい」
木戸さんが恐縮して謝った。
「電車がくる待っているんで」
茉莉が腹を立てながら言い、それに気押されたのか、木戸さんはさっさと派出所のほうへ逃げていった。
「なんなの、ああいうのが雰囲気を壊すんだよねえ」
「雰囲気?」
ぼくが聞き返すと、
「別に。で、いまはなにを読んでいるの?」
と茉莉が話をそらした。
「いま読んでいるのは」
と青い表紙の文庫を見せた。
「又三郎か。いつ読み終わる?」
「わかんないって。それにこれだって読んだんじゃないの?」
「再読の機会をありがとう」
と茉莉はおどけてお辞儀をした。
電車の到着のアナウンスが聞こえてきた。
「いやー、怖い怖い」
茉莉が電車に乗って去っていき、ぼくも帰ろうとしたとき、木戸さんが派出所から顔を覗かせた。
「怖くしたの木戸さんじゃないですか」
ぼくはうんざり気味に言った。
「ほんと、気をつけなくちゃいけないねえ」
腕を組み頷く木戸さんを、ぼくはじっくりと眺めた。
「なんだよ」
ぼくに気づいて木戸さんが言った。
「いや、別に」
東京へ向かおうとした夜のどきりとしたことなんて、なんにもなかったみたいだった。で、あるのに、なんとなく木戸さんの見え方に変化があるのは、子供じみているくせに大人の雰囲気があることを発見したことと、そしてテツさんのことがあったからだろう。
あの一連の出来事で、ぼくの周囲への見方が変わった。
帰り際、テツさんが「まあ達者でな、って言っておいて」と言い、そばで聞いていたタクミさんが「達者かどうか自分の目で確認してくればいいんじゃないか」とにやにやしながら言っていた。
ぜったいに、きてください、とぼくは言った。なんにもないですけど、なんにもなさすぎて逆に珍しいかもしれないし、と。
テルくんに会いにいくわ。木戸はついでで、とテツさんは言ったが、もちろんぼくのほうがおまけ、適当な理由に決まっている。
待ってますね、と言ってぼくらは別れた。
「木戸さん」
目の前の木戸さんにぼくは言った。
「なんだよ」
「テツさん、ぼくのこと疑ってましたよ」
「なにを疑ってるっていうんだ」
「初めて会ったとき、ぼくくらいの年だったんでしょ」
「あいつ、なにを喋った?」
木戸さんの顔が歪むのが面白かった。
「べつになんにも。でもテツさん、めちゃ仲良しの人がいたな」
「誰だよ」
「小説家って言ってたな」
「小説家にろくなやつがいるわけねえだろ」
と木戸さんが腹を立てた。
「でもかっこいい人だったしな」
「ふーん、どんなやつ? 俺と比べて上? 下?」
「はるか上かもしれない」
「はあ? そんなやつが存在するわけないだろ!」
存在。たしかに、現実味のない人ではあった。
なんだかはるか昔の出来事のようにも思える。
そして、あの夜、去っていってしまったレンはどうしているんだろうか、と考えると、悲しくなった。
もう夢は見ていない。
倫太郎たちに何か起きてやしないかと、検索をしてみても、とくに事件は起こっていなかった。
レンは、消えてしまった。
でも、ぼくはまた会えると思っていた。
なぜか、確信していた。
電車の到着のアナウンスがした。
とくに誰も降りてこないだろう、とふと改札を見たとき、
「レン」
ぼくに気づくと、レンは、顔をそらした。
「あ、友達じゃん。今日はたくさんくるなあ」
木戸さんが呑気に言った。
レンがぼくらに近づいてきた。
「おかえり」
ぼくは言った。
その言葉に、顔をぽかんとさせたものの、
「ただいま」
とレンは言った。
「なあ、モンハンやろうぜ、友達!」
木戸さんが言って、派出所に入っていった。
「行こう」
ぼくはレンの手を引っ張った。
「いいの? あれ」
派出所のほうを見て、レンが言った。
「いつだってできるだろ」
ぼくは言った。
「うん、だな」
レンが少し照れたみたいに笑った。
「さて、どうしようかな」
「なにが」
「おじいちゃんにレンのことをどう言おうかなって。倫太郎ってことにする?」
「なんであんなやつのフリしなきゃなんねえんだよ」
「最初そうやってきたくせに」
ぼくが言うと、レンが頭をかいた。
「だな」
「家に帰るまでにどうすべきか考えなくちゃな」
「そうだな」
レンが少しだけ沈んだ表情になった。
「レン」
「なんだ」
「その前に、二人だけの秘密の場所に行こうか」
ぼくをレンが見て、そして、
「いいけど」
と言った。
遠くでぼくらのことを呼ぶ木戸さんの声がした。
ぼくらは誰もいない一本道を、並んで歩いていった。
まだまだ夏休みは続く。
そして、夏休みが終わっても、続くものがある。
ぼくらはここで、生きていく。
サイワイのあるところで。
だから、なにもかも、大丈夫なのだ。
了