ホテルの庭園が見えるティールームでは、人々が楽しく談笑している。ここにいる人たちはべつに宿泊している人たちではないらしい。
「ま、そこらへんのカフェよりはくつろげるし、ちょっと生真面目な話もできるしね」
 とタクミさんが話していた。
 たしかに、倫太郎の家は、あんなに豪華でなにもかもあるしお手伝いさんもいるというのに、わざわざこんなところで婚約者との顔合わせをするわけだし、そういう場所なんだろう。
 タクミさんは、一番見晴らしのいいリザーブ席の、そばで呑気にコーヒーを飲んでいるように見えた。
「悪いけど、きみはレンってやつに顔を知られているからね」
 と言われた。
 もしレンがやってきたら、タクミさんが止める。でも、倫太郎たちのテーブルに近づく前に見つけて、ぼくが止める、となっている。
 ホテルを一人で高校生がうろついていると、声をかけられてしまう、というわけで、ぼくとテツさんは、フロントそばにあるソファで待機していた。
「お客さま、なにかご用は?」
 とさっきホテルのスタッフがやってきて、ぼくらに話しかけた。
「ちょっと待ち合わせ」
 とテツさんが平然と答えた。スタッフは去っていったけれど、マークされている。そりゃそうである。
「きた」
 テツさんが言った。
 倫太郎と、あと二人、年齢的にお父さんとお母さんがやってきた。
 お父さんは白髪で、隣にいる新しいお母さんは、年をとっているものの美しい人だった。なんとなく、仲の良い家族。実際は、倫太郎は愛人の子供で、お母さんは後妻だ。不思議なものだ。内情を知らない人たちは、そんなふうには思いもしないだろう。
 そしてぼくとテツさんは、目的不明の面倒臭いやつ、である。
 倫太郎のテーブルに、家族連れが近づいてきた。
「別で待機してたわけね」
 倫太郎たちが立ち上がり、挨拶をして、そしてそれぞれが着席した。
「ほら、元カレのことじーっと見てちゃダメだって」
 テツさんが言った。
「元カレじゃないです」
「みたいなもんでしょ」
 あくまで自分の発言を撤回しようとしない。「なんならきみが、あの金持ちのおぼっちゃんを奪ってもいいんだよ」
「なにを言ってるんですか」
「きみ、図らずも『けんかはやめて』の主人公になってるし」
「どういうことですか」
「竹内まりや、知らない?」
「ごめんなさい勉強不足で」
 とそのとき、テツさんのスマホに、タクミさんから連絡があった。
『金持ちくさいいけすかない会話してやがる』
 一読してテツさんは、そういうのいらない、とアプリを閉じた。
 ぼくは倫太郎たちのテーブルを見た。
 楽しそうな顔をしていた。なごやかで、なにも不幸の影はない。
 内面はどうあれ、そう見えることと、その世界で生きていくことを選んだ、覚悟がみなぎっているように思えた。
 さよなら、倫太郎、とぼくは遠くで、これから先、これまでみたいな、そしていま以上に不幸なことがおきませんように、と祈った。
 倫太郎の過酷な人生と、これから先の、未知の厳しさが、少しでも和らげられますようにと。
 過去はきっと更新できるから。
 遠くになればなるほど、見方が違ってくるから。
 それでも悪くない、と思ってほしい、と願った。
 そのとき、テツさんのスマホが鳴り、タクミさんが立ち上がった。
「きた。庭に行こう」
 とテツさんがぼくを促した。
 夕陽が落ちかけていた。
 ぼくらは庭のほうへ向かった。木陰に隠れるようにして、誰かがいた。
「レン」
 ぼくは声をかけた。
 レンが、ぼくのほうを振り向く。ぼくのことを認識して、驚いて、すぐに顔をしかめた。
「なんでお前がいるんだよ」
 レンは邪魔者がいることに、苛立っていた。
「会いにきた」
「は? なんだ、またやってほしくて追いかけてきたってのか」
「うん」
 ぼくは言った。「そうだよ、会いたかったから、きた」
「倫太郎にだろ」
「うん、ずいぶん変わっちゃったね」
 ぼくは庭から、ティールームを見た。新しい家族が生まれようとしている、楽しげな場が見えた。
 ほんとうは、倫太郎のいた場所に、レンがいるはずだった。なんで片方は嘘をついて笑顔を浮かべているのか、そしてもう一人はそんな姿を憎んでいるのか。
 誰が悪いのか。
 突き詰めれば、父親、だった。わかりやすい落とし所だ。でも、レンは父親を最後まで憎むことができず、倫太郎こそが自分の幸いを阻む張本人だと思っている。
 全員が、それぞれ裁かれるべき存在だった。
 愛人を囲っていた父親。
 レンを排除することにした倫太郎。
 ここにはいない、怒りにまかせて倫太郎のお母さんを刺した、レンの母親。
 倫太郎のお母さんだって、レンたちのことをわかっていながら、妻帯者の妾になった。
 そんな二人の女の存在を知りながら、新たに妻となった人。
 そして、いまから倫太郎も罪に手を染めようとしていた。
 こんなふうに、連鎖してしまう。
「レン、ぼくはきみが好きみたいだ」
 ぼくは言った。できるだけ自然に伝えたかったけれど、少し震えていたし、その言葉はどんなに気を遣っても芝居じみていた。
「おまえ、チョロすぎるだろ。やった相手のことをいちいち好きになってんじゃねえよ」
 レンはぼくを見ず、倫太郎たちを見ていた。
「ねえ、一緒にぼくの家で暮らそうよ」
 その言葉を聞いて、レンが振り向いた。
「はあ? なに言ってんだ」
「居心地がいいって言っていたよね。だったら、一緒に住もう。おじいちゃんも話せばぜったい納得してくれる」
「そんなわけねえだろ。夢みてえなこと言ってんなよ」
「夢みたいなことをしたくて、生きてるんじゃないの、みんな」
 ぼくは言った。自分でも、そんなことを口にするとは思わなかった。「そうでなくっちゃ、生きる意味ないでしょ」
「ずっと夢見てろよ」
 レンが踏み出したとき、
「ストップ」
 とタクミさんとテツさんが立ちはだかった。