12
その店は入り組んだ路地に建つ雑居ビルの三階にあった。まったく見つからず、うろうろしてしまった。
夜だというのにわりと人がいて、みんながじろじろとお互いを見ていた。あちこちからカラオケの音や陽気な騒ぎ声が聞こえてくる。
一人で高校生がほっつき歩くような場所ではなかった。
「あった」
ぼくは蛍光看板をみつけて声をあげてしまった。
恐る恐る、ぼくは狭い階段をあがっていった。
ドアまでたどり着いて、一瞬躊躇したけれど、もう進むしかない。重いドアをあけると、薄暗い店内から、大騒ぎの声が聞こえてくる。
狭い店内に、人がぎっしりと詰まっていた。たぶんアイドルの歌を、おじさんたちが楽しげに歌っていた。
「ほらほら、テッちゃん、お客さん〜」
とそばにいたおじさんが声をあげると、奥にいたテツさんが顔を覗かせた。
「は? きみ、なんできた?」
テツさんが耳に手を当てて言った。
ぼくは、困ってしまって、
「大人になっちゃいました」
と言った。なってないけど、なろう、って思っています、と伝えたかった。
「えーなになに? テッちゃんのお手つき〜?」
どこかのお客が囃すと、
「そう! だからあんたら絶対に触れるな!」
と叫んだ。
テツさんがぼくのほうまで人をおしのけやってきた。
「よくわかったね、ここ」
「タクシーの人に近くまで来てもらったんだけど、迷いました」
「だろうね」
まあとにかく、カウンターのほうにおいで、と酒が並ぶ壁側にぼくをこさせ、折りたたみ椅子に座らせた。
「ちょっとちょっと〜紹介して〜」
誰かの声に、
「教えなーい」
とテツさんは下を出した。
ちょうど歌が終わり、盛大な拍手が起こった。
「はいはーい、よく聞け〜」
とテツさんがタンバリンを振った。「今日は店閉めるわ」
え〜っ、と言う声があちこちから上がった。
「うっさいうっさい、もうおしまい」
「なにー。この子といまからお楽しみ〜?』
「そうだよ、ガンガンやる」
「え〜、混ぜてよ〜」
「複数したいならヤリ部屋行きな」
さあ早く早く、帰った帰った! とてきぱきとテツさんは勘定を始めた。
ぶつぶつ言いながら、男たちがぞろぞろと帰っていった。
「よし」
ドアを閉め、かかっていた音楽の音量を下げるとテツさんが出てきてよし、とぼくに言った。
「大丈夫なんですか」
ぼくが言うと、
「きみがきたってことは、きみが大丈夫じゃないんだろ」
とテツさんが言った。「あいつらは俺の魅力と、そしてさんざん酒を飲ませてアル中に仕上げているから、またくる」
「ひでえなあ」
とくすくすと誰かの笑い声が聞こえた。奥の席に、男の人がいた。
ぼくはじっと見てしまった。
きれいな顔をしていて、俳優さんかと思った。やっぱりリュウちゃんは無理かもしれない。
「ああ、タクミはまあ、きみに害を与えるタイプじゃないし、うちの店の文化人枠だから」
とテツさんが言った。
「はあ」
「気にしないで」
とタクミさんはぼくに笑いかけ、そしてとくに話しかけようともせずに、タバコを吸っていた。
「で、なんでここにきた。兄貴たちに窒息するほど抱きしめてもらったんじゃないの」
グラスを片付けながら、テツさんが言った。
「なんか、サクちゃんもリュウちゃんも大変だし、迷惑かけられないなあ、って」
「わざわざ田舎からやってきた弟に優しくしてやれないほどに大変なことってなんだよ。死体でも片付けてんのか。借金に追われてんのか」
「そういうのではないです」
「なんだそいつら、兄貴なんだろ?」
「怒るな」
遠くでタクミさんが言った。
「この子の代わりに怒ってる! 兄貴の風上にも置けない!」
「べつに代わりに怒ってほしいなんて言ってないよね?」
タクミさんがぼくに言った。
「いや、はい、でもい、ありがとうございます」
じっとタクミさんに見られて、ぼくは動揺した。その人は、なんとなく目に憂いがあり、妙に色っぽい人だった。
「だってさ」
タクミさんがテツさんを見て頷いた。「小津安二郎だね」
「は? なに言ってんの?」
怒りが収まらないらしいテツさんが吐き捨てると、
「『東京物語』だよ」
とタクミさんはまったく気にせずに言った。
「この子が笠智衆に見える? 目が腐ってんじゃないの。インテリはそういうのを引き合いに出せば、場が収まるとでも思ってんのかい」
ブツクサ言いながら後片付けをした。そして、ぼくの前にオレンジジュースを出した。「ほら。お腹は?」
「大丈夫です」
「きみはまだ育ち盛りなんだから食いなさい」
有無を言わさずに、どん、と皿に柿ピーやポテトチップを盛った。
「それ、どう考えても余りもんだろ」
タクミさんがおかしそうに言った。
「捨て犬には残飯与えるもんでしょ」
けっこうなことをテツさんは言ったけれど、
「いただきます」
とぼくはその残り物のお菓子をつまんだ。飲み込んで、自分が空腹だったのだ、と気づいた。
「ともかく、うちにきなさい」
ある程度片付いてから、テツさんがため息をついた。
「きみ、かわいいね」
急にタクミさんが言った。「テツのとこなんかより、ぼくのうちにおいでよ」
「いや」
ぼくが困惑していると、
「タクミなんかのとこに行ったら、有無を言わさず貞操をめちゃくちゃにされる。あげくに小説にされちゃうから。この人、自分が寝た相手のこと小説にするの得意だから」
「ええと、小説家さんなんですか」
「売れてないけどね。読まなくていいよ。刺激が強すぎるから」
テツさんが腹を立てながら言った。
「べつに誰のことでも書くわけじゃない。寝てない相手のことだって書く。そういえば、きみのことはまだ書いていないよな」
とタクミさんが、意味深なことを言うと、テツさんが目を細めて、
「そもそもあんたに話すの警戒してるから」
と切り捨て、舌を出した。
なんとなく、安心した。
「つまり、マスターはガードが硬いからいま口説いてるとこ」
タクミさんがぼくを見て笑った。
「嘘こけ」
テツさんは満更でもなさそうである。「ほら、帰るよ。子供はさっさと寝ないと身長伸びないから」
「また今度、話を聞かせてね」
タクミさんも立ち上がった。
その店は入り組んだ路地に建つ雑居ビルの三階にあった。まったく見つからず、うろうろしてしまった。
夜だというのにわりと人がいて、みんながじろじろとお互いを見ていた。あちこちからカラオケの音や陽気な騒ぎ声が聞こえてくる。
一人で高校生がほっつき歩くような場所ではなかった。
「あった」
ぼくは蛍光看板をみつけて声をあげてしまった。
恐る恐る、ぼくは狭い階段をあがっていった。
ドアまでたどり着いて、一瞬躊躇したけれど、もう進むしかない。重いドアをあけると、薄暗い店内から、大騒ぎの声が聞こえてくる。
狭い店内に、人がぎっしりと詰まっていた。たぶんアイドルの歌を、おじさんたちが楽しげに歌っていた。
「ほらほら、テッちゃん、お客さん〜」
とそばにいたおじさんが声をあげると、奥にいたテツさんが顔を覗かせた。
「は? きみ、なんできた?」
テツさんが耳に手を当てて言った。
ぼくは、困ってしまって、
「大人になっちゃいました」
と言った。なってないけど、なろう、って思っています、と伝えたかった。
「えーなになに? テッちゃんのお手つき〜?」
どこかのお客が囃すと、
「そう! だからあんたら絶対に触れるな!」
と叫んだ。
テツさんがぼくのほうまで人をおしのけやってきた。
「よくわかったね、ここ」
「タクシーの人に近くまで来てもらったんだけど、迷いました」
「だろうね」
まあとにかく、カウンターのほうにおいで、と酒が並ぶ壁側にぼくをこさせ、折りたたみ椅子に座らせた。
「ちょっとちょっと〜紹介して〜」
誰かの声に、
「教えなーい」
とテツさんは下を出した。
ちょうど歌が終わり、盛大な拍手が起こった。
「はいはーい、よく聞け〜」
とテツさんがタンバリンを振った。「今日は店閉めるわ」
え〜っ、と言う声があちこちから上がった。
「うっさいうっさい、もうおしまい」
「なにー。この子といまからお楽しみ〜?』
「そうだよ、ガンガンやる」
「え〜、混ぜてよ〜」
「複数したいならヤリ部屋行きな」
さあ早く早く、帰った帰った! とてきぱきとテツさんは勘定を始めた。
ぶつぶつ言いながら、男たちがぞろぞろと帰っていった。
「よし」
ドアを閉め、かかっていた音楽の音量を下げるとテツさんが出てきてよし、とぼくに言った。
「大丈夫なんですか」
ぼくが言うと、
「きみがきたってことは、きみが大丈夫じゃないんだろ」
とテツさんが言った。「あいつらは俺の魅力と、そしてさんざん酒を飲ませてアル中に仕上げているから、またくる」
「ひでえなあ」
とくすくすと誰かの笑い声が聞こえた。奥の席に、男の人がいた。
ぼくはじっと見てしまった。
きれいな顔をしていて、俳優さんかと思った。やっぱりリュウちゃんは無理かもしれない。
「ああ、タクミはまあ、きみに害を与えるタイプじゃないし、うちの店の文化人枠だから」
とテツさんが言った。
「はあ」
「気にしないで」
とタクミさんはぼくに笑いかけ、そしてとくに話しかけようともせずに、タバコを吸っていた。
「で、なんでここにきた。兄貴たちに窒息するほど抱きしめてもらったんじゃないの」
グラスを片付けながら、テツさんが言った。
「なんか、サクちゃんもリュウちゃんも大変だし、迷惑かけられないなあ、って」
「わざわざ田舎からやってきた弟に優しくしてやれないほどに大変なことってなんだよ。死体でも片付けてんのか。借金に追われてんのか」
「そういうのではないです」
「なんだそいつら、兄貴なんだろ?」
「怒るな」
遠くでタクミさんが言った。
「この子の代わりに怒ってる! 兄貴の風上にも置けない!」
「べつに代わりに怒ってほしいなんて言ってないよね?」
タクミさんがぼくに言った。
「いや、はい、でもい、ありがとうございます」
じっとタクミさんに見られて、ぼくは動揺した。その人は、なんとなく目に憂いがあり、妙に色っぽい人だった。
「だってさ」
タクミさんがテツさんを見て頷いた。「小津安二郎だね」
「は? なに言ってんの?」
怒りが収まらないらしいテツさんが吐き捨てると、
「『東京物語』だよ」
とタクミさんはまったく気にせずに言った。
「この子が笠智衆に見える? 目が腐ってんじゃないの。インテリはそういうのを引き合いに出せば、場が収まるとでも思ってんのかい」
ブツクサ言いながら後片付けをした。そして、ぼくの前にオレンジジュースを出した。「ほら。お腹は?」
「大丈夫です」
「きみはまだ育ち盛りなんだから食いなさい」
有無を言わさずに、どん、と皿に柿ピーやポテトチップを盛った。
「それ、どう考えても余りもんだろ」
タクミさんがおかしそうに言った。
「捨て犬には残飯与えるもんでしょ」
けっこうなことをテツさんは言ったけれど、
「いただきます」
とぼくはその残り物のお菓子をつまんだ。飲み込んで、自分が空腹だったのだ、と気づいた。
「ともかく、うちにきなさい」
ある程度片付いてから、テツさんがため息をついた。
「きみ、かわいいね」
急にタクミさんが言った。「テツのとこなんかより、ぼくのうちにおいでよ」
「いや」
ぼくが困惑していると、
「タクミなんかのとこに行ったら、有無を言わさず貞操をめちゃくちゃにされる。あげくに小説にされちゃうから。この人、自分が寝た相手のこと小説にするの得意だから」
「ええと、小説家さんなんですか」
「売れてないけどね。読まなくていいよ。刺激が強すぎるから」
テツさんが腹を立てながら言った。
「べつに誰のことでも書くわけじゃない。寝てない相手のことだって書く。そういえば、きみのことはまだ書いていないよな」
とタクミさんが、意味深なことを言うと、テツさんが目を細めて、
「そもそもあんたに話すの警戒してるから」
と切り捨て、舌を出した。
なんとなく、安心した。
「つまり、マスターはガードが硬いからいま口説いてるとこ」
タクミさんがぼくを見て笑った。
「嘘こけ」
テツさんは満更でもなさそうである。「ほら、帰るよ。子供はさっさと寝ないと身長伸びないから」
「また今度、話を聞かせてね」
タクミさんも立ち上がった。