居間で見知らぬ男が麦茶を飲んでいた。
「よっ」
 ぼくに気づいて男は手をあげて微笑んだ。誰だ、こいつ、と思いながら目をこらした。わからん。
 あまりにもわからなさすぎて、返事もせずにじっくりと眺めた。
 眉毛や目の形に、もしや、と思った。そんな急に現れるわけがない、と頭で拒否して、でも我慢できずにその名前を口走った。
「倫太郎?」
 恐る恐る、ぼくは訊ねると、男は口の端を曲げて笑い、
「だよ、うん」
 まるで途中からやってきたもののために、改めて乾杯するみたいに、持っていた麦茶を掲げた。
「なんで?」
「だって、夏休みじゃん」
 倫太郎は平然と答えた。
 たしかに、面影は残っているけれど、ずいぶん変わってしまっていた。そりゃそうかもしれない。五年会っていない。そもそも、髪の毛が金髪になっている。
 ぼくはリュックを畳に置いて、ちゃぶ台の向かいに座った。
 そして、何から言ったらいいのかわからず、じろじろと眺めた。
「なんだよ」
「いや、倫太郎は倫太郎なんだけど、でもやっぱり久しぶりすぎて」
 すごく会いたかったというのに、なにかぼくのなかでおびえがあった。緊張して、他人行儀になってしまう。
「大きくなったな〜」
 なんて言われ、
「それはお互い様じゃないかな」
 とぼくは苦い顔をして答えた。むしろ倫太郎のほうが、座っていてもぼくより身長が高いのがわかる。昔はおなじくらいの背丈だったっていうのに。
「でも、どうしたの? なんで戻ってきたの?」
「だって、約束したじゃん」 
 約束、という言葉にびっくりして、ぼくは狼狽えた。
「ああ、うん、でも」
「連絡してこなかったから、キョドってるかんじ?」
「そういうわけでは」
 あったけど、ぼくは首を振った。やはりまだどきどきしてしまった。会いたかったっていうのに。
「さっき、じいちゃんが、しばらく泊まってもいいっていってくれた」
 そう言って、倫太郎は玄関のほうを見た。
「え?」
 たしかに、どこに泊まるんだろうと思っていた。もう倫太郎の家は、ない。
 倫太郎は、小学五年生の終わりに引っ越していってしまった。そのとき、「おちついたら手紙とか書くし、スマホ買ったらすぐ番号教える」と言っていた。手紙がくるのをいつでも待っていて、家に帰るたびにポストをあけ、玄関に入った途端に「なにかきた?」とおじいちゃんに聞くのが習慣になっていたけれど、それもいつのまにかしなくなった。
 もうこんな場所のことは思い出したくもないのかもしれない、と思った。
 あのときの倫太郎が置かれた立場は、ひどいものだった。友達だったのに、なにも寄り添うことができなくて、それが心残りになっていた。
 それ以上に、倫太郎がいなくなってしまったことが、ぼくにとってショックだった。
 あのときにうまく伝えることができなかったもやもやとした気持ちは、どういう名前がつくものなのか、もう自覚していた。
「なんかさあ、もっとくだけてくんないかな?」
「あ、ごめん」
 べつに責められているわけでもなく、親しみをこめて言われたけれど、ずっと恐縮しっぱなしだった。
 もともとの面影はあるけれど、やっぱり会わなかったあいだに、ずいぶんと変わってしまったのかもしれない。だって、金髪だし。それにあぐらかいてるし。
 倫太郎は、もう少し保守的というか、落ち着いていたので。おぼっちゃん刈りで、我が家にきたときは正座していた。
「おじいちゃんは?」
 ぼくは訊ねた。
 早め早めに行動するおじいちゃんは、いつもだったらこの時間には晩飯の支度をしているのに、台所のほうにもいなさそうだった。
「なんか急にテンションあがって、買い物してくる、とかいって出ていった。留守番してろ、って。なんか不用心だなあ」
 倫太郎は不思議そうに言った。
「いやこのあたりはみんなそうじゃん」
「そうなの?」
 驚いた顔をする倫太郎に、ぼくは笑ってしまった。
「そうだったでしょ」
 そのとき、言うんじゃなかった、と思った。不用心だったから、倫太郎は。
「なんだよ」
「ごめん」
「なにが?」
 不思議そうにしているので、自分が思いついたことを、倫太郎は気にしていないのだ、と慌てて、
「なんでもない」
 と答えた。
「へんなの」
 倫太郎は麦茶をついだ。そして「テル、やっぱ面白いなあ」と言った。
「べつに普通だよ」
「いや、かわいいじゃん」
「は?」
 ぼくが顔を引き攣らせらせると、倫太郎が笑った。