10
「お前らはなんなんだ」
 阿佐ヶ谷の改札前に、リュウちゃんは立っていた。
「ごめん」
 ぼくは頭を下げた。
「じいちゃんはいきなり電話かけてきて『テルがお前がちゃんと暮らしてるか見にいくからちゃんと相手してやれ』とか恫喝するし、そもそも今日はサクにいのとこ泊まるんじゃなかったのかよ」
 リュウちゃんは口をとがらせた。
「うん、明日帰るから、リュウちゃんにも会っておかないとおじいちゃんに怒られるから」
 とぼくが言うと、
「マジでジジイ元気すぎたわ。お前苦労してんなあ」
 と笑った。「なんか飯食った?」
「うん、あっちでご飯たべてお風呂入った」
「だったら寝るだけか」
 とリュウちゃんは歩き出した。
「ごめんね、それでね」
 さっっき美鈴さんが言っていたように、急にきても泊める用意なんてないのはわかっていた。なので、「あの、どこかホテル泊まろうかな、って思って、お金あるからリュウちゃん保護者ってことでお願いしてもらっていい?」
「そんなのもったいないじゃん。何言ってんだよ。お前べつに畳に雑魚寝でもいいだろ。そんな金あるなら俺によこせ」
 と言った。
 リュウちゃんは、高校を卒業してから、大阪の鍼灸マッサージの専門学校に通った。卒業すると、働き口あるから、と学校の紹介で東京の整体院に勤務している。朝から晩まで人の疲れとって、自分が疲れてるわ、とあるときやってきて口をこぼしたのを覚えている。たしかあのとき、ちょっと金を貸して、とおじいちゃんに無心していた。
「ぼく、少しあるけど」
 と財布を出そうとすると、
「いや、さすがに弟にたかったのがバレたらジジイにぶち殺されっから、いいよ」
 と止めた。「最後に帰ったのは、はるか昔だなあ」
 とリュウちゃんが歩きながら言った。
「うん、帰ってきてよ。おじいちゃんをそのゴッドハンドで癒して」
「やばいのか?」
 リュウちゃんが驚いてぼくを見た。
「いや、全然元気だけど」
「なんだよ、びびらせんなよ」
「でも、きっとリュウちゃんに会いたがってるよ」
 もちろん、サクちゃんも、そして美鈴さんとキュウちゃんにも、だ。別々の家族、違う生活を送っているとしても、つながりは消えない。
 そのとき、つながりを断ち切ったレンのことを思った。
 事情はわからない。いや、悪く言ってしまえば、倫太郎が乗っ取ったのだ。
「あ」
 いま気づいた。
「なんだよ」
「いや、なんか、わかったって」
 自分の母親が、愛人を刺して精神を病み、そしてそのまま愛人と腹違いの兄弟がやってきたって、とんでもないことじゃないか。
 倫太郎の話を聞いて、倫太郎の辛さを思って心を痛めたけれど、レンだって。
 どちらも悪くはない。
 悪いのは、倫太郎とレンの父親であることは間違いではない。
 けれど、愛人を囲い、遠い場所に住まわせた、財界人である人もまた、倫太郎を守るため、そしてみんなの生活を守るためだったのかもしれない。
 そんな物分かりのいいことを考えても、当人たちは納得しないだろう。
 決してわかりあうことはないかもしれなかった。
 赤の他人だから、それぞれに心痛めているだけだった。
 それが伝わることで、なにかが変わるわけでもないだろう。傷は傷のまま、深くなるか、それともゆっくり癒えていくのか。
「なにぼーっとしてんの」
 リュウちゃんが心配そうに言った。
「ごめん」
「俺昔っから、お前がぼーっとしてるの見るたんびに、絶対こいつエロいこと考えてんだろうな〜、むっつりすけべに違いない、って思ってた」
「考えてないよ!」
「ほらそういう態度、ぜったいそれじゃん」
「違うよ!」
 なぜかぼくらはお互いをタックルしながら、阿佐ヶ谷の商店街を歩いていた。
 道ゆく人がじろじろと見たけれど、気にならなかった。
 リュウちゃんの住むアパートは、暗いところで見ても、おんぼろ、とわかった。
「まあ気にすんなよ」
 と部屋に入ったときだ。
「ばあ」
 といきなりシーツを被った人が、お化け屋敷の幽霊みたいに脅かしてきた。ぼくはびっくりして、尻餅をついた。
「あら」
 シーツをおろすと、女の人が不思議そうにぼくを見下ろした。「誰?」
「誰って、弟」
 あとから入ってきたリュウちゃんが、むすっとしながら言った。
「あらー、ごめんね。リュウを脅かすつもりだったのに」
 と女の人が電気をつけた。
「どなた様ですか」
 ぼくは心臓をばくばくさせながら、なんとか訊ねた。
「あたし、リュウと同じ劇団の早瀬」
「劇団?」
「バカ、お前……」
 リュウちゃんが頭を抱えていた。
「まあ秘密ってのはいつかバレるもんだから」
 早瀬さんはまったく悪びれずに言った。
「ええと、つまり小さいお兄ちゃんの」
 ひとまず座り、話を伺うことになった。
「小さいお兄ちゃんってリュウ呼ばれてんの? かーわいい」
 とほろ酔い気味の早瀬さんが、リュウちゃんを突ついた。
「あ、リュウちゃんの彼女さん、ですか」
 と聞くと、
「ぜんぜん。なんでこんな貧乏人と付き合わなくちゃなんないのよ」
 早瀬さんはけらけらと笑った。
「悪かったな、貧乏人で」
 不貞腐れるリュウちゃんを見て、
「なによ、小さいお兄ちゃん」
 と早瀬さんはにやにやと笑っている。
「いいからお前帰れよ」
 リュウちゃんが渋い顔をして早瀬さんに言った。
「だって、もう帰れないって、わたし埼玉のど田舎なんだから」
「だったら夜職なんてすんなって」
「いつもだったら泊めてくれるじゃん」
 なんだかぼくの前で二人はいちゃいちゃし出した。
「今日はひさしぶりに弟がきたんだから、兄弟水入らずで過ごすんだよ!」
「えーっ、わたしもいていいよね?」
 早瀬さんがぼくに言った。
「あ、はい」
「おい、テルはわりとなんでも受け入れちゃうタイプなんだよ。俺たちがそういうふうにしつけたから」
 リュウちゃんが言った。
 と、いうか、ゲンコで頭を殴る大きいお兄ちゃんと、プロレス技をかけてくる小さいお兄ちゃんのせいで、そうならないよう未然に防いでいたら、兄たちに絶対服従みたくなってしまっただけだ。
「でも、せっかくなんだしわたしもいろいろ知りたいなあ、リュウが昔どんなだったか」
「バリバリのヤンキーです。田舎道を爆音でバイク走らせて、近所に迷惑かけてました」
 ぼくは素直に答えた。
「おい!」
「やばー、ウケる」
 早瀬さんは腹を抱えて笑い転げた。
「あの、リュウちゃんは、いま劇団員さんなんですか」
 ぼくはリュウちゃんでなく、早瀬さんに訊ねた。そのほうが手っ取り早い気がした。
「まだ有名じゃないけど『ざねり座』っていう劇団で。そうそう、リュウが入ってきたとき面白かったなあ、整体つらすぎてやめて変な芸能事務所に入ってレッスン料ばっか取られて、そこやめてうちにきたんだよねえ」
 その、東京にきてからのリュウちゃんの人生の要約版は、さすがに「それは、やばいんでは」と思った。
「そうなんですね」
「まあ、いまはいちおう俳優になるべく頑張ってるとこだから。あれだ、テレビにも最近出たんだぞ」
 リュウちゃんがごほん、と一度咳払いをしてから言った。
「なに言ってんのよ、通行人のエキストラじゃん、しかもオンエア見たらぼやけてて映ってなかったし」
 と早瀬さんがリュウちゃんを哀れんだ。
「出たことには変わりねえだろ」
「あのさあ、アイドルのそばにいたとか興奮しちゃって、完全に俳優じゃなくて素人の自慢でしたよ」
 なにもかもをぶっちゃけられ、リュウちゃんは頭を抱えた。
「テル」
 まじめな顔でぼくのほうを向いた。
「なに」
「絶対にじいちゃんに言うなよ、あとサク兄にも」
「うん」
 言えるわけがない。
「弟に気を使わせて、だめな兄貴だなあ、おい」
 早瀬さんは缶ビールを新たに開けた。
 いつも忙しいのは、劇団のお稽古以外はバイトに明け暮れている、ということだった。
「でも、べつにサクちゃんはいろいろ言うかもしんないけど、おじいちゃんはべつにとくに怒らないんじゃないかなあ」
「あのさあ、整体の学費払ってもらっておいて、もうやってません、なんて言えないだろ」
「でもあんた、国家資格持ってるんだし、俳優だめだったらそっち行けばいいじゃん」
 早瀬さんの横槍にむっとしたらしく、
「とにかく俺は、有名になるまでは内緒にしておくの」
 とリュウちゃんは言った。
「弟から見て、こいつ売れると思う?」
 早瀬さんが言った。
「わかんないけど、お芝居って、いろんな顔の俳優さん出るし」
 ぼくができるだけ傷つけず、当たり障りのないことを言うと
「ブサイクだってさ」
 と早瀬さんが爆笑した。
 このアパート壁が薄そうだけど、こんなに騒いで大丈夫なのか、とぼくはひやひやした。
「悪いふうにとるんじゃねえよ。男は味がありゃいいんだよ、なあ」
 リュウちゃんがぼくのほうを見た。これはいつものやつ、「俺の言うことをはいと言え」である。
「うん」
 ぼくは頷いた。
「リュウ、あんたしょうもなさすぎ」
 と早瀬さんが言った。