屋敷から出て、あたりを見回しても、テツさんはいなかった。どこかにでかけてしまったのかもしれない。
 夕方の時間だったけれど、まだ日が照っていた。
 頭がくらくらした。そして、東京へ来て初めて、一人になった、と思った。大豪邸から離れて、自動販売機で缶コーヒーを買って飲んでいると、さっきの倫太郎の肌を思い出した。あまり日に焼けていなくて、綺麗で繊細だった。
 もう会うこともないだろうな、と思ったら、一回くらい思いを遂げてみても良かったのではないか、と思ったけれど、ダサ過ぎるな、と頭を振った。
 わりと自分は余裕かもしれない。
 けれど、レンの手がかりはなにもなかった。
 レンのSNSは止まったままだったし、もうこれ以上東京にいる意味もないと思った。
 倫太郎とも別れて、そしてレンも完全に見失った。
 まるで放り出されてしまったような心持ちで、それなのにどこか、やたらとでかい可能性のなかで自分は生きているように思えてきた。
 倫太郎の家もまったく馴染むことができなかったけれど、東京も、ぼくにとってはたいして楽しいものでもなかった。
 それがよくわかった、と思った。
 ぼくはべつになにか買いたいものがあるわけでもなかったし、たとえば旅行に出かけて、見たことのない景色を目に焼き付けたいとも思わない。
 欲望の足りない、そこらへんにいるただの餓鬼だ。
 でも人とは出会いたい。
 自分も、そして誰かも、お互いが好きで、一緒にいたい。
 それだけだった。
 東京で暮らしたなら、毎日何千人という人とすれ違う。
 それはとても魅力的に思えた。
 もしかして、気の合う人と出会うことができるかもしれない。
 みんな田舎のことをとにかく悪く言うけれど、きっとそれはデパートがないとか遊ぶ場所がないという話じゃないんだろう。仕事がないことよりも、多分。
 人は、人と新たに出会いたいんだ。
 平日の昼間の三軒茶屋の路上で、人が歩いていく。
 暑そうにして通り過ぎるおばさんや、大騒ぎしながら駆け抜けていった子供たちをみていて、ふと思った。
 そして地元の景色を急に思い出し、やっぱりあそこは悪くないと思った。たしかにあそこにいたら出会いがないけれど、それ以上に、いつもいる人たちの存在が、とても大きく感じられた。
「帰ろうかな」
 とぼくはつぶやいた。
「あ、いたいた」
 そう言って遠くからテツさんが駆け寄ってきた。手にはなにやらビニール袋を下げている。買い物してきたらしい。
 笑いながら。
 そうか、こういうことなんだ、ほんとうに、と思った。
 それよりも素晴らしいことなんてないな、と笑顔でやってくるテツさんを見て、思った。
 これは、どこかで誰かがもっと的確に、すぱっと言葉にしているかもしれなかったけれど、腹の底から気づいたものだった。
「どうしたの、なんかあった?」
 テツさんが不思議そうに言った。
「なんか変ですか?」
 ぼくは缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に捨てた。
「いや、なんか、言い方違うかもしんないけど、なんか一皮剥けたって感じ?」
「急に?」
 ぼくは笑った。
「友達と一発やってきましたって感じの清々しい顔してるよ」
「最悪な想像」
 でも、似たようなものかもしれなかった。
「どう、友達とは和解できた」
「はい」
「ならよかった。もう役目は済んだかな」
 テツさんが笑った。
「ありがとうございます」
 いや、結局見つかりませんでした、とは言えなかったし、これ以上迷惑をかけることはできなかった。
「どうする? まだ時間あるし、今日はお兄さんのところに泊まるの?」
 テツさんがスマホで時間を確認して言った。
「夜に、大きいお兄ちゃんのとこに行こうかなって」
「なら時間あるね。ちょっと東京タワーかスカイツリーにでも登る? あ、そうだ、二人なら」
「なんですか」
「浅草で人力車のれるなあ、イケメンと憩うか」
 完全にダシにしてませんか、と言いそうになると、
「そうそう、三茶ってね、いいパン屋がたくさんあるんだよ。三軒回って買ってきたから、好きなものを食べていいよ」
 とビニール袋の中身を広げて見せた。