「つまりきみは、喧嘩した友達に謝りにわざわざ東京までやってきた、ってことでいいの?」
 電車の吊り革につかまりながらテツさんが言った。
「まあ、はい」
「ふーん。大事なんだな」
 興味なさそうにテツさんは言った。
 そうです、大事なんです、とは言えなかった。自分でも、なんでこんなことになっているのか。混雑した車内、そして窓の向こうのビルばかり見える景色と遠い空を見ながら、急に疲れがどっとでてきて、あくびを噛み殺した。
「なに、昨日は寝なかったのか」
「そんなことないです」
 急に、昨日は木戸さんと一緒に寝たんだよな、と体温や匂いが呼び起こされ、ぼくは下を向いた。
「なあ、木戸ってさ、ちゃんと働いてんの?」
 テツさんが言った。
「ああ、プラモ作ったりゲームしたり、あとよくわからない私服でぶらぶらしてたりしてます」
「悪意しかねえな、その暴露」
 テツさんがニヤニヤした。「変わんねえな」
「やっぱりそうだったのか」
「どこにいたって楽しく過ごせるやつだからね」
「羨ましい」
「きみは、どこにたって楽しくないの?」
 と問われ、どきりとした。
「そんなことはないです」
「そう。まあ地元って、どうしても居心地が悪くなるときあっからな」
「テツさんは、東京にずっといるんですか」
「まあね、シティボーイなもんで」
 この格好で? とぼくは思ったが、さすがに言わなかった。
「そうなんですね」
「でも実家にはまったく帰ってないな、ていうか勘当されたから」
「かんどう」
「うん、親がけっこう厳格でね、馬が合わなかったし、そもそもぼくのやることなすことすべてダメだって言われちゃってさ。だったら好きにしますんで、っていって飛び出すことになった。きみみたいに」
「ぼく別にそういうわけでは」
 なにか誤解をしているのかもしれない、と思った。
「木戸はよかった?」
 テツさんは笑顔で訊ねた。
「よかった、とは」
 なにを言っているのかわからなかった。
「かわいいだろ。なんか一生懸命で、いつだって汗をかいて。下にいるとぽたぽた汗が落ちて、なんか妙に可愛く思えるよね、ただのでっかい餓鬼としかいつもなら思わないのに」
「なにを、おっしゃっているんですか」
 いや、なんとなくピンクっぽいことを言っていることはわかるんだけれど、この人、もしかして。
「え、まだなの?」
 テツさんが驚いて、「ごめんいまの無し」
 と言った。
 いや、聞いちゃったし。しかもなんかとんでもない秘密を暴露してるし。ていうか昼間の電車の中で、なにを言っているんだ。あたりを見回しても、人々はぼんやりしているか、スマホを見ていて、誰もぼくらの話になんて聞き耳を立てていないんだ、と思おうとしたのだが、どこか疑わしく思えた。ぼくは、ああ、はい、と言ったものの、昨晩の木戸さんを思いだし、さっきよりもどきどきしてきた。
「そうか、まだか」
 テツさんがぽつりと言った。
「そもそも、ぼくらはそういう感じでは」
「きみは、木戸のこと、なんとも思ってないんだ」
「もちろんです」
「そうか、かわいそうに」
 まだこんなに人がいるところで話すつもりなのかこの人。
「は?」
「いや、きっと、いや、確実に、きみみたいな子が好きだから」
「なんでですか、そんな」
「だって、ぼくみたいだから」
 とテツさんが言った。
 ぼくはあなたみたいなちゃらちゃらした格好してません、と言おうとしたところで、渋谷駅に到着した。
「遊ばなくていいの? 行きたいとことかないの? ハチ公見るか?」
 駅を降りてテツさんが、完全にぼくをおのぼりさん扱いして(じっさいそうだけど)、言った。
「いや、大丈夫です」
 さっさと三軒茶屋に行きましょう、と言おうとしたとき、テツさんはぼくを上から下まで見て、
「服買おうか」
 と言ってスクランブル交差点のほうへと歩いていった。
「え、どこにいくんですか」
「まあH&Mでいいかな。へんに格好つけすぎると逆にダサいし、あと靴か」
「なんでまた」
「だってきみ、そんな近所のコンビニ行くみたいな格好してたらダメだろ」
 テツさんがはっきりと言い、
「それ、木戸さんにも言われました。
 とぼくはうなだれた。
「ファッションセンス皆無のやつに言われる筋合いはないよなあ」
 どう見ても似たようなセンスの持ち主であるテツさんが、ぼくのかわりになぜか、憤った。
 テツさんは店に入ると、勝手にあれこれと持ってきては、ぼくに試着させた。さんざん試したあとで、
「これでいっか。やっぱ若い子は無難なくらいなほうがかわいい」
 と言って、さっさと店員に、「これ着てくから」と命じて支払いを済ませた。
「あの、ありがとうございます」
 ぼくは店を出て、礼を言った。「いくらですか」
「べつにいいよ、あげる。面白かったし」
 とふたたびぼくを上から下まで眺め、
「かわいい子ってのはさ、変に凝ったものを着るよりか、なんていうの、普通の格好しているほうがいいよね」
 と自分の選んだ服に満足して頷いた。
 ピンクの半袖シャツに、黒のワイドパンツ、そしてスニーカーである。
「あの、ありがとうございます」
 ぼくは店のガラスに映った自分を見た。
 ピンクなんてあまり身につけないので、その自分のいでたちがなんだか新鮮だった。
「さ、じゃあ三茶の敵の根城までいきますか」
「敵じゃないですし」
「どこらへん? 駅から遠いの?」
「それが」
 わからないんですとぼくが言うと、テツさんが顔をしかめた。
「ついたけど、行き止まりなんですが」
 三軒茶屋に降り立って、テツさんは呆れて言った。
「すみません」
「まあいいけどさ、なんか手掛かりないの?」
「それが」
 ぼくは壁井レンの検索画面を見せた。
「壁井……」
 テツさんがぼくのスマホをひったくって、なにやらいじり出した。
「手掛かりないですよね」
 ぼくが肩を落とすと、
「いや」
 とテツさんは言った。「むしろ、それだけですぐわかる」
 そう言って、ぼくのスマホを見たまま歩きだした。
「え、わかるんですか」
「わかるもなにも、三茶の壁井って、あのクソ金持ちだろ」
「有名なんですか」
 ぼくが言うと、テツさんが振り向いた。
「高校生はわからんのか。壁井グループって、あるだろ。不動産から建設までなんでもござれの大財閥じゃねえの」
「そんなお金持ち?」
 ぼくはびっくりして言った。
「うん、三茶っていうより野沢のほうに超豪邸があるよ。ほらよ」
 そう言って画面をぼくに向けた。
 そこには、
『壁井家のご家族。左から妻の三千代さん、壁井正三氏、長男の蓮くんと次男の倫太郎くん』
 とキャプションのある、家族写真があった。庭で撮影されたものらしい。レンが厳しい顔をしていて、隣にいる倫太郎が、にこやかに笑っていた。
「倫太郎……」
 ぼくはひさしぶりに、本物の倫太郎を見た。成長した倫太郎は、昔の面影をわずかに残していたけれど、とても大人びていた。むしろ、レンのほうが、どこか子供時代の倫太郎に似ていた。
「きみ、めちゃ金持ちの友達いるんだね。というか雲の上の。なんならポケットマネーで気軽に宇宙くらいいけちゃうレベルの」
 やっぱ友達に医者と税理士と弁護士と金持ちいるほうがいいよねえ、とテツさんは適当なことを言って歩いていく。
 ぼくは、なんだか、足をつままれたみたいに動くことができず固まってしまった。
「ほら、行くよ。やっぱ服を買っておいてよかったじゃん」
 離れたところで、テツさんが言った。