駅を降りてすぐに、ぼくは木戸さんに掴まれてまま、電話をかけた。
「お兄ちゃんのとこにいく」
 出た途端、おじいちゃんの怒鳴り声にかぶせるようにして言うと、しばらく無言になった。そして突飛な行動を責めることなく、
「あいつらがちゃんとやっているか偵察してきてくれ」
 とおじいちゃんは言っただけだった。
 事情がわかっているのかもしれなかった。なにが起こっているのかわからないのに、信頼してくれているんだ、とわかった。
「ごめんね、すぐに帰るから」
 僕は言った。レンを見つけ出すまで帰るつもりはなかった。それはいつになるのかわからなかったのに、
「いい、いい。とにかくすぐにあいつらに電話しろ。俺からも電話しておく。まさか弟を泊まらせないなんてひとでなしじゃあないだろう。今はどこにいる」
 ぼくは駅を告げた。
「変なところに泊まるなよ。ホテル見つけたら電話しなさい。保護者が許可したって言ってやるから」
「ありがとう」
「嘘だろ」
 ぼくの声だけで、木戸さんは東京行きがOKになったのに気づいて頭を抱えた。「きみんとこのじいちゃん、そんな物わかりいいタイプだったっけ?」
 貸して、とスマホをひったくり、木戸さんがおじいちゃんと話していた。
「おまわりなんだから息子を安全なところに泊めろ、独房に入れたりでもしたらぶっ殺すだってよ」
 通話を切って木戸さんが苦い顔をした。「ろくすっぽ働いてねえんだからこういうときくらいちゃんとやれ、税金泥棒って。言わなくてもいいことをあのくそじじい」
 ぼくらを遠目で見ていた駅員が、一段落ついたと思ったらしく近づいてきた。

「あーあ、なにやってんだろ」
 木戸さんはベッドに倒れこみ、帽子を脱いだ。
 ビジネスホテルの二人部屋にぼくらは通された。ホテルのフロントでは、木戸さんの格好に恐縮し、何事かと思ったらしい。
「木戸さんも泊まらないでもよかったのに」
 ぼくは言った。
「あのな、未成年をほっぽておくなんてできるわけないだろ」
 木戸さんは天井を見たまま言った。「それに、たまにはこういうイレギュラーな事態なも面白いからな」
「うん」
 申し訳なくて、生返事しかできなかった。
「別になんとも思わないでくれていいぞ。こんなことがなきゃ、人生楽しかないだろ。なにもかもが唐突だし、できるだけ早く対応して切り替えていかなくちゃな」
 そう言って木戸さんはぼくのほうを向いて笑いかけた。
「東京に行った友達に会いたい」
 ぼくはもう片方のベッドに座って言った。友達、という言葉は自然に出たけれど、レンと自分はどういう関係なのか、うまく伝えることはできなかった。
「ふーん、喧嘩でもした?」
「そういうとこ」
「ごめん、じつはきみのこと好きなんだ、とか?」
「は?」
 ぼくが顔をしかめると、
「お、いいねえ、いつもの『は?』がでた。そうでなくちゃ」
 と木戸さんが笑った。
「べつに、そこまで深掘りするつもりはないよ。会いたかったら会いに行けばいい。歳をとるとさ、フットワークが重くなるからな。いまのうちでしょ」
「木戸さんそんなにおじさんじゃ」
「いいこと言ってくれるねえ。ほら、さっさと風呂入って寝ろ。明日は東京行きだから」
 木戸さんは言った。

 シャワーを浴びて、ホテルの室内着を着てでてくると、木戸さんが制服を脱いで下着一枚になっていた。
「え」
 ぼくは驚きながらもまじまじと木戸さんの身体を見てしまった。いつも適当に過ごしているし、まったく色気もない人だと思っていたと言うのに、改めて見ると、大人だった。
 レンの身体のしなやかさとは違う、無骨な筋肉と無駄のない全身に、ぼくはただ眺めてしまった。
「なんだよ。風呂入るわ」
 そう言って木戸さんがぼくを横切り、風呂に入っていった。
 なんだか、自分は思っている以上にむっつりなのかもしれない、と思った。

「なあ、恋バナしよーぜ」
 暗闇のなかで声がした。
 ぼくらはさっさと寝ることにして、あかりを消したのだけれど、木戸さんは静かに眠りを待つつもりはないらしい。
「明日もたくさん移動しなくちゃなんないし、早く寝なくちゃ」
「唐突のナウシカ、ウケる」
「そもそも話すことなんてないもん」
「ふーん。あの友達の話でもいいぞ」
「恋バナじゃないじゃん」
「いいじゃんいいじゃん」
「……小学校の頃からの友達」
「大切だな」
「うん」
「友達ってさあ、いつのまにか会わなくなって、そのままタイミングを失って合わなくなっちゃうと、友達だった人になっちゃうから、ちゃんと友達でいるためには会えるときに会っておいたほうがいいぞ」
 木戸さんがゆっくりと、かみしめるように言った。
「もう会わなくなった友達いっぱいいるよ」
「倫太郎ってやつは、そうなりたくない友達なんだろ」
「うん」
 いや、もうすでに友達だったひとだ。レンは、友達ですらない。木戸さんが思っているような関係でないし、木戸さんが察しているような事態でもない。
 なにもかも洗いざらい話してしまいたい気持ちに駆られたけれど、どうしても言えなかった。
 ぜんぶ秘密にして、大人たちが想像しているもののままにしておきたい。
 それはぼくの全部の隠し事につながっている。自分がなにを好きなのか、とか。
 誰かに自分のことを知ってもらいたいたいという欲望。人に知られてしまってどんな顔をされるか、それからどんなふうに関係が変わってしまうか、という恐怖。
 全部蓋をしておけば、うまくいく。
 自分がなにもかもぼんやりしているのは、それは自分も蓋をあけるのが嫌で、存在をなかったことにしたいからなのだ。
 わかってしまった。
 わかってしまったら、もう遅い。
 気づかない嘘より、気づいてからの嘘のほうが、抱えるには重く、辛い。
 ぼくは鼻をすすった。
 クーラーがきついのかもしれなかった。
「泣くなよ」
「泣いてねーし」
「寂しいんならこっちにきてもいいぞ」
 木戸さんが言った。真意が測りかねた。
「誰が」
「じゃ、俺が行こうかな」
 そう言って、シーツの擦れる音がして、そして、木戸さんがぼくのベッドに潜りこんできた。
 息が止まった。
 そのまま木戸さんはぼくのうしろにぴったりくっついた、
 大人と一緒に寝るなんて、いつぶりだろうか、と思った。ハッカの匂いがかすかにした。歯磨き粉の匂いかもしれない。
「こういうのも未成年淫行になるのかな」
 木戸さんが言った。
「べつに、いやじゃない」
「そっちが嫌じゃなくても周りが決めるもんなのだよ」
「だったら」
 と離れようと一瞬して、でも離れがたく、木戸さんにぴったりと預けてしまった。
「秘密厳守で。テルは口が硬いだろ?」
 木戸さんはぼくを抱きすくめたまま、言い、すぐに軽くいびきをかきはじめた。
「抱き枕が欲しかっただけじゃん」
 背中が暖かく、そして、ぼくは、木戸さんの腕に触れ、そのまま手を握って、寝た。