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この村の若い人たちは、生まれ故郷であるここが嫌いで、高校を卒業すると、この街以外の場所へ進学したり就職したりして出て行ってしまう。
働く場所も村にはないし、高校より上の進学先も近くにはないからだ。
そして、ここから山の向こうはとても便利で居心地が良く、みんな帰ってこない。
確かにここは不便だ。本屋も最近潰れてしまったし、念願だったコンビニエンスストアも撤退してしまった。
買い物をするには車か電車で、ここより少しマシな町まで行くしかない。
みんなの一番の不満は遊ぶ場所がどこにもないことだ。
ただ畑が広がり、周囲を山が囲んでいる、なんだかいつ世の中から置いてけぼりにされてもおかしくない場所だ。
観光地もなく、外から人がやってくることもほとんどない。
ぼくには二人の兄貴がいるが、二人とも遠くの大学に入ってそのまま都会で働いている。忙しくしているんだろう。ちっとも帰ってこない。
一緒に暮らしているおじいちゃんも、最後の孫であるぼくが高校を卒業したら出て行くのだろうと心の底では思っている。そういう話題を避けながら、ぼくらは二人きりで暮らしている。
ぼく、出口テルは、幼い頃に両親を亡くし、おじいちゃんに育ててもらっている。
将来なにになりたいという明確なものを持てなかったぼくは、ここで働いて暮らせないかと考えている。
正直、ぼくはわからない。そして、ここで待っていたい気がするのだ。
誰かを。
高校二年の夏休みが始まった日のことだった。
久しぶりに嫌な夢を見てしまい、朝から気分が悪かった。
夢の中でぼくは、都会で頼る人もなく、途方に暮れていた。
もう何もいいことがない、これからどうしたらいいのかわからない、そんな心持ちでふらついていた。
その夢のムードを引きずったまま、一学期が終わった。
暗い気分に追い打ちをかけるような成績表を渡され、もう何もいいことがない気分になっていた。
これからしばらくのんびりと過ごすことになるのに、散々な出だしだった。
歩いていたら汗でべとつくし、これからもっと暑くなる今年の夏に、始まったそばから早く終わってくれないかと願ってしまった。
それにあの夢を見てしまったことが気がかりだった。
まさか、そんなことが起こるわけがない。
そもそも、都会に行く用事なんてない。
もう自分は、ほんとうのことなんて見ないのだと自分に言い聞かせた。
もしかして深層心理で、この地元に嫌気がさしていて現れたのかもしれなかった。
「出口んとこのテルちゃん、成績どうだった?」
駅を出たところで、自転車に乗って手を振る村の駐在の木戸さんに呼び止められた。
「よくもなく悪くもなくかなあ」
馬鹿正直に答えてしまうほど、くたびれていた。
ぼくらは一緒に畦道をゆっくり歩いた。
「冴えねえなあ」
木戸さんに人懐っこく微笑まれても、ぼくのほうはつられることはなかった。木戸さんがウザかったからだった。
木戸さんは二十四歳で(知りたくもないけど教えてくれた。ついでに誕生日も)、村でいちばん歳が近いぼくにやたらと話しかけてくる。「好きな子いないの?」とか「将来どうすんの?」なんて、本当に知りたいわけでもないだろうに、ずけずけと。質問されるたび、適当に受け流していた。
実際のところ、そういう自分のことがいまだにわからなかった。ふわふわと生きている気がする。同級生たちが好きになったり嫌いになったり、未来のことを夢見たり、今の時間を潰そうとやたら遊んでいるとき、ぼくはいつだってぼんやり周りを眺めているばかりだった。
「なんで一緒に歩いてくるんですか?」
のろのろと無目的に自転車をこいでいるようにしか思えなかったので、ぼくは訊ねた。
「パトロールだよ、パトロール」
ぼくがイラついていることなどおかまいなしに、木戸さんはへたくそな口笛を吹きながら横についてくる。
「木戸さんは高校のとき成績」
「悪かったね」
と即答されたので、
「ああ、でしょうね」と反射的に返してしまった。
「なんだ?」
凄みながら顔を寄せてくる木戸さんから、ぼくは一歩離れた。
「いや、きっと勉強以外にやることいっぱいあったんだろうなって」
ぼくは適当な言い訳をした。
「まあな。ていうか、片道一時間かけて通っているんじゃ、なんにもできないだろ」
木戸さんは言った。
近所に高校がないので、ぼくは電車で通っていた。
実際のところ、木戸さんは村の人気者ではあるが、どうも頼りない。駐在所にいても、だいたいゲームをしていたり、プラモデルを作っていたりする。アニメや漫画が大好きである。このあたりに配属されたときは、当初、あまりのなにもなさに絶望していたらしいが、ネットと通販もあると気持ちを切り替え、いまは特にストレスはないらしい。どう考えても言動や見た目が「元ヤンキー、ていうかヤカラ」のようにしか見えないが、親切である。お年寄りのために蛍光灯をつけ替えてやったり、屋根の修繕までしている。警官というより、なんでも屋だった。事件が起きないように自転車をこいでパトロールしているというより、住んでいるお年寄りがなにか困ったことがないかと見守りもしていた。
見た目だって悪くはないが、私服のセンスはゼロだった。ダサい和柄のシャツや、特撮のナントカ戦隊のTシャツを着て、雪駄を履いている。初めてその姿を目の当たりにしたとき、田舎者のぼくですら「やば」と思ってしまういでたちだった。非常にもったいない人である。
「ま、夏休み楽しみなよ。暇ならゲームしようぜ。駅の方にWi-Fiがついたし」
なんならこの人、交番にいるときはゲームをして過ごしている。村には諍いもないし、泥棒にあった話も聞かない。平和すぎた。
「考えときます」
「さっさと成績表見せて、ちょっと怒られたらもう夏だぞ。いいな〜、高校生」
家の前に到着すると、手を振りながら木戸さんは去っていった。片手運転なんて手本にならないんじゃないのか、と言ってやりたかったが、やめた。
この村の若い人たちは、生まれ故郷であるここが嫌いで、高校を卒業すると、この街以外の場所へ進学したり就職したりして出て行ってしまう。
働く場所も村にはないし、高校より上の進学先も近くにはないからだ。
そして、ここから山の向こうはとても便利で居心地が良く、みんな帰ってこない。
確かにここは不便だ。本屋も最近潰れてしまったし、念願だったコンビニエンスストアも撤退してしまった。
買い物をするには車か電車で、ここより少しマシな町まで行くしかない。
みんなの一番の不満は遊ぶ場所がどこにもないことだ。
ただ畑が広がり、周囲を山が囲んでいる、なんだかいつ世の中から置いてけぼりにされてもおかしくない場所だ。
観光地もなく、外から人がやってくることもほとんどない。
ぼくには二人の兄貴がいるが、二人とも遠くの大学に入ってそのまま都会で働いている。忙しくしているんだろう。ちっとも帰ってこない。
一緒に暮らしているおじいちゃんも、最後の孫であるぼくが高校を卒業したら出て行くのだろうと心の底では思っている。そういう話題を避けながら、ぼくらは二人きりで暮らしている。
ぼく、出口テルは、幼い頃に両親を亡くし、おじいちゃんに育ててもらっている。
将来なにになりたいという明確なものを持てなかったぼくは、ここで働いて暮らせないかと考えている。
正直、ぼくはわからない。そして、ここで待っていたい気がするのだ。
誰かを。
高校二年の夏休みが始まった日のことだった。
久しぶりに嫌な夢を見てしまい、朝から気分が悪かった。
夢の中でぼくは、都会で頼る人もなく、途方に暮れていた。
もう何もいいことがない、これからどうしたらいいのかわからない、そんな心持ちでふらついていた。
その夢のムードを引きずったまま、一学期が終わった。
暗い気分に追い打ちをかけるような成績表を渡され、もう何もいいことがない気分になっていた。
これからしばらくのんびりと過ごすことになるのに、散々な出だしだった。
歩いていたら汗でべとつくし、これからもっと暑くなる今年の夏に、始まったそばから早く終わってくれないかと願ってしまった。
それにあの夢を見てしまったことが気がかりだった。
まさか、そんなことが起こるわけがない。
そもそも、都会に行く用事なんてない。
もう自分は、ほんとうのことなんて見ないのだと自分に言い聞かせた。
もしかして深層心理で、この地元に嫌気がさしていて現れたのかもしれなかった。
「出口んとこのテルちゃん、成績どうだった?」
駅を出たところで、自転車に乗って手を振る村の駐在の木戸さんに呼び止められた。
「よくもなく悪くもなくかなあ」
馬鹿正直に答えてしまうほど、くたびれていた。
ぼくらは一緒に畦道をゆっくり歩いた。
「冴えねえなあ」
木戸さんに人懐っこく微笑まれても、ぼくのほうはつられることはなかった。木戸さんがウザかったからだった。
木戸さんは二十四歳で(知りたくもないけど教えてくれた。ついでに誕生日も)、村でいちばん歳が近いぼくにやたらと話しかけてくる。「好きな子いないの?」とか「将来どうすんの?」なんて、本当に知りたいわけでもないだろうに、ずけずけと。質問されるたび、適当に受け流していた。
実際のところ、そういう自分のことがいまだにわからなかった。ふわふわと生きている気がする。同級生たちが好きになったり嫌いになったり、未来のことを夢見たり、今の時間を潰そうとやたら遊んでいるとき、ぼくはいつだってぼんやり周りを眺めているばかりだった。
「なんで一緒に歩いてくるんですか?」
のろのろと無目的に自転車をこいでいるようにしか思えなかったので、ぼくは訊ねた。
「パトロールだよ、パトロール」
ぼくがイラついていることなどおかまいなしに、木戸さんはへたくそな口笛を吹きながら横についてくる。
「木戸さんは高校のとき成績」
「悪かったね」
と即答されたので、
「ああ、でしょうね」と反射的に返してしまった。
「なんだ?」
凄みながら顔を寄せてくる木戸さんから、ぼくは一歩離れた。
「いや、きっと勉強以外にやることいっぱいあったんだろうなって」
ぼくは適当な言い訳をした。
「まあな。ていうか、片道一時間かけて通っているんじゃ、なんにもできないだろ」
木戸さんは言った。
近所に高校がないので、ぼくは電車で通っていた。
実際のところ、木戸さんは村の人気者ではあるが、どうも頼りない。駐在所にいても、だいたいゲームをしていたり、プラモデルを作っていたりする。アニメや漫画が大好きである。このあたりに配属されたときは、当初、あまりのなにもなさに絶望していたらしいが、ネットと通販もあると気持ちを切り替え、いまは特にストレスはないらしい。どう考えても言動や見た目が「元ヤンキー、ていうかヤカラ」のようにしか見えないが、親切である。お年寄りのために蛍光灯をつけ替えてやったり、屋根の修繕までしている。警官というより、なんでも屋だった。事件が起きないように自転車をこいでパトロールしているというより、住んでいるお年寄りがなにか困ったことがないかと見守りもしていた。
見た目だって悪くはないが、私服のセンスはゼロだった。ダサい和柄のシャツや、特撮のナントカ戦隊のTシャツを着て、雪駄を履いている。初めてその姿を目の当たりにしたとき、田舎者のぼくですら「やば」と思ってしまういでたちだった。非常にもったいない人である。
「ま、夏休み楽しみなよ。暇ならゲームしようぜ。駅の方にWi-Fiがついたし」
なんならこの人、交番にいるときはゲームをして過ごしている。村には諍いもないし、泥棒にあった話も聞かない。平和すぎた。
「考えときます」
「さっさと成績表見せて、ちょっと怒られたらもう夏だぞ。いいな〜、高校生」
家の前に到着すると、手を振りながら木戸さんは去っていった。片手運転なんて手本にならないんじゃないのか、と言ってやりたかったが、やめた。