半ば強引に陽菜世先輩から誘われてバンドを始めてからは、僕が想像していた以上に精力的な毎日だった。
 部室での曲作りや練習はもちろん、部室が使えないそれ以外の日でも暇を見つけては活動をしている。
 今はあまり使われていない校舎の奥の方、立ち入り禁止となっている屋上へ続く階段の踊り場。部室が使えない日の僕らが集まる定番の場所になっていた。
「――というわけで大体、そんな感じです。ギターのコードを一定の法則で並べて、そこに鼻歌か何かでメロディを乗せていくのが一番早いかなと思います」
「おおー、ハルの説明わかりやすっ! それができれば無限に曲が書けそう」
 ある日の放課後、踊り場に集まったのは僕と陽菜世先輩の二人。凛と金沢先輩は、他の用事があるらしい。
 バンドメンバーが揃わず練習が捗らないなという気持ちはあるが、それ以上に僕は安心してしまっていた。というか、僕は陽菜世先輩がいないタイミングを無意識のうちに避けている。
 理由はただ一つ。陽菜世先輩抜きで凛や金沢先輩と円滑なコミュニケーションを取れるほど、僕には社交性が備わっていないから。バンドに誘われた程度では、僕のコミュ障は治らない。
 だから陽菜世先輩がいない日には顔を出せない。いたとしても、僕は陽菜世先輩を介さないと上手に他の二人とコミュニケーションを取ることができなかった。
 バンドに誘われたとはいえ、今日みたいな陽菜世先輩と二人だけのほうが、僕としては気が楽だ。
 不思議と、この人ならあまり気負わずに喋る事ができる。相性みたいなものだろうか。原因はよくわからない。
 ちなみに今日は、先輩は曲作りのことがいまいちわからないから教えてくれということで、今日は僕なりの作曲方法を伝授することになった。
 自分の知っていることなら、喋るネタに困ることもない。気楽だ。
「曲を作るときに大切なものは、コード進行……つまり、コードの並べ方の順番です」
「なるほど。確かにCメジャーとかAマイナーとか、並べる順番で雰囲気変わるもんね」
「そうですね。マイナーコードから始めると暗くなったり、メジャーコードから始めてもちょっと不安定な響きを出したり、結構奥が深いです」
「でもコードって無限にあるから、組み合わせも無限にあるんじゃない? 組み立てるだけで骨が折れそうなんだけど」
「実はそうでもなくて、コード進行っていうのは大体パターンが決まってます」
「ふーん。じゃあそのパターンを覚えちゃえば楽勝ってことね!」
 陽菜世先輩は何かしてやったりという顔で僕を見る。
 その大きな瞳はキラキラ輝いていて、直視できない。陰キャラの僕は思わず目をそらす。
「らっ、楽勝……だったらいいんですけどね……」
「違うの?」
「作るだけなら簡単です。それがちゃんといい曲になるかはまた別で……」
「ふーん……まあとにかく実践あるのみだね!」
 先輩は意気揚々とギターをかき鳴らし始める。
 曲作りにはある程度のセオリーがあるが、一朝一夕で身につくかと言えばそうでもない。いくつも駄曲を作り出して、やっと手応えを感じられるものだ。
 陽菜世先輩は想像どおりまずは行動するタイプで、細かいことを考えずとにかくギターを鳴らして鼻歌を歌っていく。しかし、そう簡単には形にならない。
「なーんか違うんだよなあ。ハルの作る曲みたいにしっくりこない」
「そりゃあ僕、考えて作ってますから」
「むう……しれっと自慢された」
「あっ、いえ、そういうつもりで言ったわけじゃ……」
「冗談冗談。私はそんなことで怒ったりしませーん」
「……びっくりさせないでください。でも、陽菜世先輩みたいなやる気があればすぐだと思います。ちょっと頑張ると、何かが見えてきてまた頑張る気になれますから」
 自分の経験上、やっぱり能力が伸びるときというのは少しだけ頑張ることができた時だなと思う。
 そうやって目の前が開けたときは、更に頑張ろうとやる気が湧いてくる。陽菜世先輩なら、多分すぐその域に達するはず。
「でもさー、私は早く曲が作れるようになりたいんだよなー、むう……」
 しかし、なぜかこの人は、今すぐ自分の力で曲が書けるようになりたいようだった。
 どちらかと言うとそれは、自己実現の意欲が高いというより、なんだか焦りに近いような気がした。
 このバンドには一応作曲担当として僕が加入したので、そんなに慌てて曲作りができるようにならなくてもいいはず。
 なぜ先輩がそれほどまでに曲を書きたがるのか、僕は少しだけ気になってしまった。
「……そういえば、どうして先輩はそんなに曲を書きたがってるんですか?」
 僕がそう訊くと、陽菜世先輩は一瞬驚いた顔を見せた。
 でもすぐにいつものテンションに戻る。質問の回答内容は、やっぱり陽菜世先輩っぽい。
「そりゃあもちろん、印税生活のためっしょ」
 サムズアップを見せつける陽菜世先輩の顔は、僕がこれまで見た中で一番輝いている。
 お金がかかったときの人間の原動力というのは、確かにすごいなと、僕は納得しかけていた。
「……っていうのは半分冗談で」
「半分は本気なんですね……」
「お金はあるに越したことないもんね」
「それは……確かにそうです」
「でもそれだけじゃなくて、何か自分の作ったものが形に残るのって、いいなあって思ったんだよ」
「形に残る……ですか?」
「そう。イラストとか小説みたいなものでも良かったんだろうけど、あいにくそっちはセンスがないのがわかっちゃったから。そうなると音楽かなーって。私、こう見えて歌は得意なんだよ?」
「でも、そんなに焦って覚えようとしなくても、大丈夫じゃないですか?」
 そう僕が言ったあと、一瞬の間があった。
 何かまずいことを言ってしまったかと思って発言を取消そうとした。しかし、その寸前で陽菜世先輩の方から「善は急げって言うじゃん?」と返ってきた。
 その違和感が妙に気になった。
 でも、気のせいかなと思って、僕はそれ以上聞き返すことはしなかった。
「それよりもハル、凛とか紡とかとちゃんとコミュニケーションとれてる?」
「い、いきなりなんですか……」
「質問にはちゃんと答える。とれてるの? とれてないの?」
「と……とれてる……はずです」
「ほんとー? ハルってあんまり会話するの得意じゃなさそうだから心配してるんだけど?」
「だ、大丈夫ですよ……業務連絡はちゃんとしてますから」
 苦し紛れの答えを返すと、陽菜世先輩は呆れ気味にため息をつく。
「んもー、業務連絡だけじゃなくて、普段の会話とかもだよ」
 陽菜世先輩はなぜか僕がきちんと他人とコミュニケーションが取れているか、事あるごとに確認してくる。
 そのたびにこんな情けない返答ばかりしているので、ちょっと心苦しい。
「会話は……ほら、僕なんかと話してもしょうがないじゃないですか。僕、面白くない陰キャラですし」
「じゃあ今ハルと話してる私はとってもしょうがないってことじゃん。それはさ、相手に失礼だよ」
「そう言われても……」
 おしゃべりは得意ではない。学力の関係で家から遠い高校に進学してしまってからは友達もほぼいない。
 幼馴染の凛なんかは会話をした記憶を遡るのが大変なくらい話をしていない。
 僕は彼女のことを遠い世界の人だと思ってしまっているし、逆に彼女は僕のことをどう思っているのかわからなくてちょっと怖い。いや、もしかしたら何も思っていないくらい眼中にないかもしれない。
 更にもう一人のメンバー、人望があることで知られる金沢先輩は、もはや存在が眩しすぎてどうしたらいいのかすらわからない。
 バンドは精力的に動き始めているけれども、ちゃんと僕がまともにコミュニケーションを取れているのは陽菜世先輩だけである。それだって、陽菜世先輩から話しかけてくることがほとんどで、僕は聞かれたことに答えているだけ。
「まあでも、いきなり苦手なおしゃべりを頑張れって言われても困るよね。私だっていきなり曲作りしても上手くいってないわけだし」
「た、確かに……」
「じゃあこうしよう。私は曲作りを頑張るから、ハルは私抜きでもバンドのみんなときちんとコミュニケーションを取れるようになろう。それなら一緒に頑張ってる感じがしてよくない?」
 それは無理だと返したくなるところではあったが、先輩の言っていることに間違ったことはない。
 僕が凛や金沢先輩ともちゃんとコミュニケーションを取れるようになることは、決して悪いことではないのだ。
 目指すべき場所は違えど、陽菜世先輩と一緒に目標へ向かって走って行けるのであれば、意気地なしの僕でももしかしたらなんとかなるのではないかと思ってしまった。
「どう? 頑張れそう?」
「……ちょっとくらいなら」
「ちょっと頑張れば、何かが見えてきてまた頑張る気になれるんでしょ?」
 さっきの僕の言葉をリフレインのように陽菜世先輩が繰り返す。
 自分で言い放った言葉を自分で否定してしまうのはさすがにカッコ悪い。
「頑張ってみよ。私も頑張るからさ」
「わ……わかり、ました。……でも、具体的にどうしたら」
「そうだなあー、もうちょっと『他人に興味を持つ』ことを意識してみたら?」
「他人に興味……ですか?」
「そうそう。人間って基本的には自分を知ってほしい生き物なんだよ。私なんかその典型でしょ?」
 そうですね、と返したら怒られそうな気がしたので、僕は考えるふりをする。
「自分のことを知ってもらいたい。でもわざわざ自分から言うのってちょっとウザったいから避けたいじゃん?」
「ま、まあ……」
「だからこっちから質問して、相手の知ってもらいたいことを引き出してあげるの」
 他人に興味を持ちなさいということはすなわち、相手のことを聞き出す力をつけろということ。
 今までコミュニケーションという行為に興味すら持たなかった僕には、結構大きな壁な気がする。
「でもさっきのハルよかったよ。私がどうして曲を書きたがっているのか、自然に聞き出そうとしてくれたし」
「あっ、あれはその……なんというか」
「あれでいいんだよ。他人の行動とか人となりに興味が出てくれば、自然と言葉が出てくるから」
 陽菜世先輩は大丈夫だよと僕の背中をポンと叩く。
 その手の温もりが僕を後押ししてくれている気がした。
「ハル、話を聞くことはきちんとできる子なんだから。相手を知ろうとする気持ちがあれば、きっとうまくやれるよ。がんばっ」
「は、はいっ……」
 陽菜世先輩はそう言ってまたギターをシャカシャカと鳴らす。
 先程教えたばかりの定番コード進行に乗せて、やや調子はずれな鼻歌が階段の踊り場に響いた。
 僕が人並みのコミュニケーションを取れるようになった頃には、陽菜世先輩の渾身の一曲が聴けるかもしれない。
 そう思うと、なんだか楽しみになってきた。ちょっとずつ頑張ってみよう。と、ふつふつ勇気が湧いてきた気がした。