季節は進んで、おおよそ春らしい感じはしなくなった。
武道館を目指した僕たちのバンドは、昨年と同じコンテストへエントリーした。
応募書類のメンバー欄に『相模陽菜世』と書けなかったことが少々心残りではあるけれど、ヒナは全くそんなことを気にしていないようで、応募期限に間に合うかどうかのほうがずっと気がかりだったらしい。
「……よし、応募完了」
軽音楽部の部室で、僕は自分のノートパソコンを開き、コンテストのウェブサイトからエントリーを終えた。
バンドメンバーが全員揃っていたので、ダブルチェックならぬクアドラプルチェックで漏れがないかを確認し、若干手が震えながら送信ボタンをクリックした。
応募受付完了のメールが飛んできたので、僕はそれを確認して安堵する。
「今年こそ行けると良いね、武道館」
僕の後ろで腕組みをする金沢先輩が、なんだか嬉しそうにしていた。
「そうですね。去年はもう少しって所まで行きましたからね」
「強敵だった去年の三年生が卒業していなくなっちゃったわけだし、案外あっさりといけるんじゃないかな?」
「それは……そうかもですけど、逆にすごい一年生たちが出てくる可能性だってあります。油断しちゃだめですよ」
僕が気を引き締めるように言うと、隣にいる凛とパソコン画面の中にいるヒナがうんうんと頷く。
『紡はすぐそうやって余裕こいちゃうからなー。予選ライブで演奏中にスティック落としそう』
「あー、ちょっとわかるかもです……。紡先輩、普段涼しい顔しているくせに、肝心なところでやらかしそうですよね」
「ちょっと二人ともひどいじゃん。さすがにそんな初歩的なやらかしはしないし」
『本当かなあー?』
「ますます怪しいですよ?」
女性陣から疑いの目を向けられ、金沢先輩は下唇を軽く噛んだ。
そんな言われようだけれども、なんだかんだ僕は金沢先輩のドラミングには信頼を置いている。
「まあでも、新曲がちゃんと間に合ってよかったね。去年応募した曲が使えないなんてひどいルールがあるもんだから、大変だったよ」
「わかります……私も慣れないボーカルをやらなきゃいけなくて大変だし恥ずかしいしもう……」
「僕も各楽器のバランスを考えて作るのが大変だったよ……」
ふと春先のことを思い出す。
コンテストの応募要項が公開されたと同時に、僕らはそれを穴が開くまで読み返した。
普通に考えて昨年の曲をそのまま応募すれば書類選考は余裕で突破するのだけれども、「一度応募した曲では再度応募することはできない」という厄介なルールのせいで、バンドは一から曲作りをするところからスタートしたのだ。
幸いなことに僕が引きこもっていたときに作った曲と、ヒナの作りかけだった曲を用意することで応募に間に合わせることができた。
『でも、みんな苦労した分いい仕上がりになったと思うよ? 少なくとも今世紀最高レベルって感じ。なんてったって私が作った曲だし?』
ヒナが画面の向こうでドヤ顔を見せる。
やれやれと呆れてやりたいところだけれども、これが思った以上にヒナの曲は良いものになった。
これで書類選考を通過できないとは思いたくないが、正直これ以上やりようがないくらい全力を出し切った。
人事を尽くすだけ尽くしたので、あとは天命を待つだけ。
無事選考を通過することを祈り、僕らはひたすら練習を続けた。
※※※
選考突破のお知らせが来たのは、夏の一歩手前、雨音が鬱陶しい日だった。
バンドメンバー皆喜びを爆発させるというよりは、やっとステージに立てるという安心した気持ちだった。
軽音楽部の部室だけでなく、市の施設にある音楽室を借りたり、ショッピングモールにある楽器店の練習スタジオを借りたりして、練習時間をたくさん取った。
音楽に打ち込んだ時間だけならば、全国で自分たちを上回る人などいない。そう豪語できるくらい、僕の生活は音楽漬けだった。
あの引きこもりの日々、その前のコミュニケーション能力不足で一人ぼっちだった頃に比べたら、大きな変わりようだ。
それもこれもすべて陽菜世先輩のおかげである。
だから絶対に武道館へ行って、なんなら賞を獲って、陽菜世先輩に恩返しをしてやりたいなんて大それたことまで考えられるようになった。
僕の人生を、みんなの青春を変えてくれたのは、他の誰でもない陽菜世先輩。
今はヒナとしてバーチャル世界の住人になっている。本当はもう二度と会うことができなかったはずなのに、今こうしてまたヒナと日常を過ごすことができている。とてもありがたいことだ。
彼女と一緒にもっと素敵な音楽を作りたい。それができたら、とても素晴らしい人生になる。
そんな日々がずっと続けば良いと、僕はぼんやり考えていた。
※※※
一次予選の日を迎えた。
キャパシティ五百五十人を公称する名古屋のライブハウス、『クラブオットー』には、昨年同様、大勢の観客が詰めかけていた。
『いやー、すんごい人だね。どれくらいだろ?』
控室にて、スマートフォンの中にいるヒナが呑気にそんなことを言う。
「……先輩? 去年も同じこと言ってませんでした?」
『そうだっけ? 最近記憶が曖昧でさー』
「ざっと三百人くらいですよ。……ってか、バーチャル世界の人なのに記憶力って落ちるんですか?」
『うーん、最初はそんなことなかったんだけどなあ。ハルのスマートフォンが古くなってきたからかな?』
「……まあ、確かに型落ちモデルといえばそうですけど」
『でも覚えていることもあるよ? 確か去年の私、最初で最後とか言ってた気がする』
陽菜世先輩が口にした妙な言い回しには、僕も記憶があった。
思えばあれはまだ彼女が自分の余命を皆に明かす前だった。
あのときの陽菜世先輩は、もう自分にできることは全部やりきった上で力不足を突きつけられた。
普通なら来年またやり返そうとなるところだが、陽菜世先輩にはそれがない。
敗退が決まったとき、相当悔しかったに違いない。
そう考えてみると、あのときの自分の不甲斐なさにも腹が立ってくる。
だから今日は絶対に負けられない。普段おとなしい僕でも、何か心の奥に燃えたぎる闘志のようなものがあるのがわかった。
「……今日を最後にさせる気はないですからね」
『もちろん、私もそうだよ。絶対に武道館に行こうね』
僕はゆっくりと頷き、出番に向けてウォームアップを始めた。
しばらく経って出演順が近づいてきた頃、ヒナの一声で皆が集まってきた。
『よーし、出番前だし気合入れようか』
「もしかして、円陣ですか?」
『当たり前でしょ。手のひらをみんなで重ね合わせて、『おー!』ってやるやつに決まってるじゃん』
自分は手のひらを重ねることはできないのに、ヒナはなんだかノリノリだった。
僕らは自然に円陣を組み、中央で皆の手のひらを重ねる。
一番下に僕の手、その上に凛、金沢先輩という順。
最後にヒナの入ったスマートフォンを僕がもう片方の手に握って一番上に添える。
『絶対武道館行くぞー!』
「「「おー!」」」
ヒナの掛け声で気持ちが高まってくる。その熱量が逃げないよう、僕は出番の迫るステージへと向かった。
※※※
ステージに上ってからの記憶はやっぱり曖昧だった。
すごく緊張していた去年とは打って変わり、まるでゾーンに入ったかのように演奏へ集中することができた。
上手くいったのか、そうでなかったのか、自分自身で判断をするならば、間違いなく上手くいった。渾身のライブアクトだった。百点をあげてもいい。
――ただ一つ、ヒナの調子が悪く、彼女のコーラスがところどころ音が出ずに消えてしまっていたことを除けば。
全組の演奏が終わって結果発表を迎えた。
ライブが終わったあとに感じた日本武道館に行ける確信というものは、全くの嘘ではなかった。
審査員からの得点、会場のお客さんからの得点、そのどちらも本日の最高得点を叩き出した。
文句なし、他を圧倒しての武道館――全国大会への切符だ。
金沢先輩は雄叫びをあげ、凛はこれでもかというほど泣いていた。一方の僕はといえば、現実味がなくてぼーっとしてしまっていた。
そして肝心のヒナは、なぜか薄っすらと微笑んだだけだった。
いつもなら喜びを爆発させるはずの彼女がこの様子なのは何かがおかしい。
先ほどスマートフォンが古くなったからかもしれないと言っていたので、僕はこの機会に機種を新しくしようと決めた。
そうすれば多分、ここのところ調子の悪かったヒナも元に戻るだろう。
このときの僕は何の考えもなしに、そんなことを思っていた。
武道館を目指した僕たちのバンドは、昨年と同じコンテストへエントリーした。
応募書類のメンバー欄に『相模陽菜世』と書けなかったことが少々心残りではあるけれど、ヒナは全くそんなことを気にしていないようで、応募期限に間に合うかどうかのほうがずっと気がかりだったらしい。
「……よし、応募完了」
軽音楽部の部室で、僕は自分のノートパソコンを開き、コンテストのウェブサイトからエントリーを終えた。
バンドメンバーが全員揃っていたので、ダブルチェックならぬクアドラプルチェックで漏れがないかを確認し、若干手が震えながら送信ボタンをクリックした。
応募受付完了のメールが飛んできたので、僕はそれを確認して安堵する。
「今年こそ行けると良いね、武道館」
僕の後ろで腕組みをする金沢先輩が、なんだか嬉しそうにしていた。
「そうですね。去年はもう少しって所まで行きましたからね」
「強敵だった去年の三年生が卒業していなくなっちゃったわけだし、案外あっさりといけるんじゃないかな?」
「それは……そうかもですけど、逆にすごい一年生たちが出てくる可能性だってあります。油断しちゃだめですよ」
僕が気を引き締めるように言うと、隣にいる凛とパソコン画面の中にいるヒナがうんうんと頷く。
『紡はすぐそうやって余裕こいちゃうからなー。予選ライブで演奏中にスティック落としそう』
「あー、ちょっとわかるかもです……。紡先輩、普段涼しい顔しているくせに、肝心なところでやらかしそうですよね」
「ちょっと二人ともひどいじゃん。さすがにそんな初歩的なやらかしはしないし」
『本当かなあー?』
「ますます怪しいですよ?」
女性陣から疑いの目を向けられ、金沢先輩は下唇を軽く噛んだ。
そんな言われようだけれども、なんだかんだ僕は金沢先輩のドラミングには信頼を置いている。
「まあでも、新曲がちゃんと間に合ってよかったね。去年応募した曲が使えないなんてひどいルールがあるもんだから、大変だったよ」
「わかります……私も慣れないボーカルをやらなきゃいけなくて大変だし恥ずかしいしもう……」
「僕も各楽器のバランスを考えて作るのが大変だったよ……」
ふと春先のことを思い出す。
コンテストの応募要項が公開されたと同時に、僕らはそれを穴が開くまで読み返した。
普通に考えて昨年の曲をそのまま応募すれば書類選考は余裕で突破するのだけれども、「一度応募した曲では再度応募することはできない」という厄介なルールのせいで、バンドは一から曲作りをするところからスタートしたのだ。
幸いなことに僕が引きこもっていたときに作った曲と、ヒナの作りかけだった曲を用意することで応募に間に合わせることができた。
『でも、みんな苦労した分いい仕上がりになったと思うよ? 少なくとも今世紀最高レベルって感じ。なんてったって私が作った曲だし?』
ヒナが画面の向こうでドヤ顔を見せる。
やれやれと呆れてやりたいところだけれども、これが思った以上にヒナの曲は良いものになった。
これで書類選考を通過できないとは思いたくないが、正直これ以上やりようがないくらい全力を出し切った。
人事を尽くすだけ尽くしたので、あとは天命を待つだけ。
無事選考を通過することを祈り、僕らはひたすら練習を続けた。
※※※
選考突破のお知らせが来たのは、夏の一歩手前、雨音が鬱陶しい日だった。
バンドメンバー皆喜びを爆発させるというよりは、やっとステージに立てるという安心した気持ちだった。
軽音楽部の部室だけでなく、市の施設にある音楽室を借りたり、ショッピングモールにある楽器店の練習スタジオを借りたりして、練習時間をたくさん取った。
音楽に打ち込んだ時間だけならば、全国で自分たちを上回る人などいない。そう豪語できるくらい、僕の生活は音楽漬けだった。
あの引きこもりの日々、その前のコミュニケーション能力不足で一人ぼっちだった頃に比べたら、大きな変わりようだ。
それもこれもすべて陽菜世先輩のおかげである。
だから絶対に武道館へ行って、なんなら賞を獲って、陽菜世先輩に恩返しをしてやりたいなんて大それたことまで考えられるようになった。
僕の人生を、みんなの青春を変えてくれたのは、他の誰でもない陽菜世先輩。
今はヒナとしてバーチャル世界の住人になっている。本当はもう二度と会うことができなかったはずなのに、今こうしてまたヒナと日常を過ごすことができている。とてもありがたいことだ。
彼女と一緒にもっと素敵な音楽を作りたい。それができたら、とても素晴らしい人生になる。
そんな日々がずっと続けば良いと、僕はぼんやり考えていた。
※※※
一次予選の日を迎えた。
キャパシティ五百五十人を公称する名古屋のライブハウス、『クラブオットー』には、昨年同様、大勢の観客が詰めかけていた。
『いやー、すんごい人だね。どれくらいだろ?』
控室にて、スマートフォンの中にいるヒナが呑気にそんなことを言う。
「……先輩? 去年も同じこと言ってませんでした?」
『そうだっけ? 最近記憶が曖昧でさー』
「ざっと三百人くらいですよ。……ってか、バーチャル世界の人なのに記憶力って落ちるんですか?」
『うーん、最初はそんなことなかったんだけどなあ。ハルのスマートフォンが古くなってきたからかな?』
「……まあ、確かに型落ちモデルといえばそうですけど」
『でも覚えていることもあるよ? 確か去年の私、最初で最後とか言ってた気がする』
陽菜世先輩が口にした妙な言い回しには、僕も記憶があった。
思えばあれはまだ彼女が自分の余命を皆に明かす前だった。
あのときの陽菜世先輩は、もう自分にできることは全部やりきった上で力不足を突きつけられた。
普通なら来年またやり返そうとなるところだが、陽菜世先輩にはそれがない。
敗退が決まったとき、相当悔しかったに違いない。
そう考えてみると、あのときの自分の不甲斐なさにも腹が立ってくる。
だから今日は絶対に負けられない。普段おとなしい僕でも、何か心の奥に燃えたぎる闘志のようなものがあるのがわかった。
「……今日を最後にさせる気はないですからね」
『もちろん、私もそうだよ。絶対に武道館に行こうね』
僕はゆっくりと頷き、出番に向けてウォームアップを始めた。
しばらく経って出演順が近づいてきた頃、ヒナの一声で皆が集まってきた。
『よーし、出番前だし気合入れようか』
「もしかして、円陣ですか?」
『当たり前でしょ。手のひらをみんなで重ね合わせて、『おー!』ってやるやつに決まってるじゃん』
自分は手のひらを重ねることはできないのに、ヒナはなんだかノリノリだった。
僕らは自然に円陣を組み、中央で皆の手のひらを重ねる。
一番下に僕の手、その上に凛、金沢先輩という順。
最後にヒナの入ったスマートフォンを僕がもう片方の手に握って一番上に添える。
『絶対武道館行くぞー!』
「「「おー!」」」
ヒナの掛け声で気持ちが高まってくる。その熱量が逃げないよう、僕は出番の迫るステージへと向かった。
※※※
ステージに上ってからの記憶はやっぱり曖昧だった。
すごく緊張していた去年とは打って変わり、まるでゾーンに入ったかのように演奏へ集中することができた。
上手くいったのか、そうでなかったのか、自分自身で判断をするならば、間違いなく上手くいった。渾身のライブアクトだった。百点をあげてもいい。
――ただ一つ、ヒナの調子が悪く、彼女のコーラスがところどころ音が出ずに消えてしまっていたことを除けば。
全組の演奏が終わって結果発表を迎えた。
ライブが終わったあとに感じた日本武道館に行ける確信というものは、全くの嘘ではなかった。
審査員からの得点、会場のお客さんからの得点、そのどちらも本日の最高得点を叩き出した。
文句なし、他を圧倒しての武道館――全国大会への切符だ。
金沢先輩は雄叫びをあげ、凛はこれでもかというほど泣いていた。一方の僕はといえば、現実味がなくてぼーっとしてしまっていた。
そして肝心のヒナは、なぜか薄っすらと微笑んだだけだった。
いつもなら喜びを爆発させるはずの彼女がこの様子なのは何かがおかしい。
先ほどスマートフォンが古くなったからかもしれないと言っていたので、僕はこの機会に機種を新しくしようと決めた。
そうすれば多分、ここのところ調子の悪かったヒナも元に戻るだろう。
このときの僕は何の考えもなしに、そんなことを思っていた。