「……ふう、くたびれた」
翌日、僕は早速近所のスーパーで品出しのアルバイトを始めた。
米の袋や飲料の段ボールを相手取るのは大変ではあるけれども、なんとかやっていけそうだ。
春休みを利用すれば、十分あのギターを買い戻せるくらいのお金になる。
引きこもり生活からの社会復帰にはちょうどいいリハビリだった。
スキマ時間アルバイトのくせに、がっつりシフトを入れる羽目にはなっているけれども。
『頑張ってるね。どう? 続けられそう?』
休憩時間になり、僕はスーパーの建屋裏にある日陰でスマートフォンの中にいるヒナと話していた。
「なんとかなると思います。とりあえず目の前の仕事を片付けることに集中すればいいので、思っていたほど怖くなかったと言うか」
『そっか、良かった良かった。えーっと、こういうのをことわざで何て言うんだっけ……?』
「案ずるより産むが易し……ですか?」
『そうそうそれそれ。やっぱりすぐ言葉が出てくるのはさすがだね』
「いやいや……ってか、先輩はバーチャル世界にいるんだからそういうのもすんなり調べられたりしないんですか?」
『細かいことを言わないの。そういうのはモテないぞ?』
「別に今更モテたところで……」
僕は持参した水筒の中に入っているホットコーヒーをひとすすりした。
『とにかく、これでギターはなんとかできそうだね』
「そうですね。早く買い戻して、たくさん弾きたいです」
『あっ、そろそろ休憩終わりのアラームが鳴るよ』
「じゃあ、もうちょっと働いてきます」
『がんばれー』
画面越しに手を振ってくるヒナを一瞥して、僕は再び労働へと向かう。
アルバイトを始めて一週間くらいが経ったとある木曜日。夕方に差し掛かったころ
いつもの通り売り場でペットボトル飲料の品出しをしていると、とある人に出くわしてしまった。
「あっ……」
「えっ……? か、金沢先輩……?」
目があった瞬間、お互いに固まってしまった。
空っぽの買い物かごを持った金沢紡先輩が、そこに立っていたのだ。
「お……お久しぶり……です」
「ああ……元気にしてた?」
「えっと……元気になる途中というか……その……」
「そっか、頑張ってたんだな」
偶然の再会ということもあって、気まずさからかお互いに顔が強張っていた。
でも僕が元気になる途中だと告げると、金沢先輩はどこかホッとしたように表情を緩めた。
「バイト、いつ終わる?」
「ええっと、あと三十分くらいです」
「そっか、じゃあ俺、終わるまで待ってるわ。ちょっと色々話さない?」
「は、はい。わかりました」
「そんじゃ、あと三十分頑張って」
金沢先輩は買い物かごを近くにあったラックに戻し、店内から出ていった。
仕事を片付けて僕は店の外で待っていた金沢先輩のもとに向かう。
もう少しで春という時期ではあるが、さすがに暗くなってくるこの時間帯は結構寒い。
あまり先輩を待たせてはいけないと思い、僕は小走りで彼の姿を探した。
「こっちこっち。お疲れ様」
「お待たせしてすみません、こんなに寒いのに」
「いいって別に。久しぶりに会えたんだから。とりあえずラーメンでも食べに行かない?」
「は、はい、行きます。……ちょっと家に連絡入れますね」
スマートフォンを取り出して母親にメッセージを打とうとしたら、中にいるヒナが急に叫びだす。
『おぉー!! 紡じゃん! ひっさしぶりー!!』
「えっ? 今の声……陽菜世?」
「うわっ、先輩いきなり喋りだしたらびっくりしますって!」
『せっかくの再会なんだからそのくらいいいじゃん! ここ外だし!』
そういう訳ではないんだよなと心のなかでツッコミを入れる。
僕はすっかりヒナの存在に慣れてしまっていたけれども、何も知らない人からしたら超常現象の連鎖で情報処理が追いつかなくなること間違いなしだ。
とりあえず立ち話をするのはなんなので、金沢先輩と一緒にラーメン屋さんに入ってから話すことにした。
「――へえ、そんなこともあるんだね」
ラーメン屋のテーブル席。僕は金沢先輩に一通り事情を説明した。
死者との再会、バーチャル世界でのびのび過ごしているヒナの姿、僕の社会復帰進捗などなど……。
物語の世界じゃないとありえないような話だったけれども、金沢先輩は疑わずにちゃんと聞いてくれた。
「……金沢先輩は、驚かないんですか?」
「驚いているよ? でも、陽菜世だったらそれくらいやっちゃいそうな気がして、なんだか変に納得してる」
『ちょっと! 私だったらやっちゃいそうってどういうこと!?』
ヒナは画面の向こうでぷんすかと怒っている。キャラクターデザインのせいか、ちょっと可愛らしい。
「まあまあ先輩も落ち着いて。あまり熱くなるとスマートフォンのバッテリー消費も大きくなるんですから」
「しかしまあ、陽菜世そっくりの良いキャラデザだね。意外な才能もあったんだね」
『そうなんだよね。ハルったら自分の能力を隠しまくっててずるいよね。実はもっと他になにか才能あるんじゃないの?』
「い、いやいや、そんなことないですって……。むしろそんな才能より、コミュニケーションがとれて、友だちができて、普通に過ごせる才能が……」
そう言いかけたとき、店員さんが熱々のラーメンを運んできた。
せっかくの再会に水を差すようなことを言いかけた気がしたので、絶妙な着丼のタイミングに助けられた。
ちなみに金沢先輩が奮発して奢ってくれるというので、僕は半ば強制的にこの店の名物である特製ラーメン全MAXを注文した。
全MAXというのは、「麺硬め、味濃いめ、油多め」のことである。当然ながら、味のパンチ力はものすごい。
「いただきますっ……!」
「どうぞ召し上がれ。追いライスを頼んでもいいよ」
「い、いや、さすがにこれにライスを足したら僕の胃がノックアウトされます……」
「そう? このラーメンは味が濃いからライスあったほうがいいよ?」
金沢先輩はちゃっかりライスまで注文していた。麺をすする前に、ラーメンのトッピングの海苔をスープに浸してライスを包んだ。これは絶対美味いやつ。
『いいなあ、私もラーメン食べたいんだけど』
「先輩、バーチャル世界にいるからご飯いらないでしょう?」
『そうだけど……やっぱり美味しそうに見えるんだもん食べたいよ』
「物理的に無理なので今日のところは我慢してください」
ヒナは画面越しにブーイングをしてくる。でもスマートフォンをラーメン丼に浸すわけにもいかないので、我慢してもらうしかない。
久しぶりに食べた熱々のラーメンは格別だった。労働による疲労にはやはりカロリーが一番効く。
「そういえば、金沢先輩はいつもうちのスーパーに買い物をしに来るんですか?」
「いーや、今日は家に誰もいなくてさ。暇してたからテキトーに買い物して家で映画でも見てダラダラしようと思ってたわけ」
「あれ? でも先輩、木曜日はいつも掛け持ちしている他のバンドの練習をしていませんでしたっけ?」
金沢先輩は僕らのバンドだけでなく、軽音楽部内の他のバンドや、部活の外で他校の友人と組んでいるバンドがあった。
学校の規定で木曜日は部活ができないので、その日の金沢先輩は決まって外のバンドの練習に行っていたのだ。
春休み中とはいえ、人望があって引っ張りだこな金沢先輩がこんなに暇を持て余している事があるのだろうか。僕はシンプルに疑問を持った。
「あー……それね。実は全部やめちゃった」
「えっ!?」『えっ!!??』
僕とヒナは同時に驚きの声を上げた。
『ちょ、ちょっと紡! 全部やめちゃったって、うちら以外の他のバンド全部ってこと!?』
「ああ、うん。部内も外も全部」
「ど、どうして……?」
「うーん、なんというか感覚的で説明しにくいんだけど、簡単に言えば俺も陽菜世が死んで身が入らなくなっちゃったって感じかな」
『そんなに私が死んだ影響あったの? 紡が一番ケロッとしてそうだけど』
「俺だってそう思ったよ。でも、他のバンドでやっても楽しくなかったんだよ。なんかぽっかり穴が開いた感じでさ。だから俺なりに、あのバンドが好きだったんだなって、やめてから思った」
金沢先輩は照れ隠しをするかのように、結露したコップでお冷を一口飲んだ。
「でもまさか、こんな感じで陽菜世が戻ってくるとはね」
「確かに……それが一番びっくりですよね」
「んで、さらに引きこもっちゃった君と再会できるとも思ってなかった」
「あはは……」
「あんまり好きな言葉じゃないんだけどさ、こういうのって『運命』なのかなって感じちゃったよ」
「運命……」
「そう。バンドをもう一回やり直せっていう、神様からのお告げみたいな」
金沢先輩はそう言い放ってから、スープにひたひた浸かっているほうれん草を口の中へ放り込む。
緑黄色野菜のビタミンは脂溶性の物が多いので、油と一緒に摂ると栄養の吸収が良いなんて誰かが言っていたなと僕はぼんやり考えていた。
「なあ、またバンドやらない? 晴彦」
少し間を開けてから金沢先輩がそう言い放った瞬間、僕はちょっとした違和に気づく。
出会って結構な時間が経つが、金沢先輩が僕の名前を呼ぶのは初めてだ。
「あの……先輩、僕の名前……」
『おっ、珍しい。紡が女の子以外の名前を呼ぶなんて』
「うるさいなあ。こう見えて名前を呼ぶ相手は選んでるんだよ、女の子以外もちゃんと名前で呼ぶことくらいある」
「そ、そうだったんですか……てっきり男の名前は呼ばない人なのかと……」
「基本的にはそうだよ。でも、晴彦のことはきちんと呼ばないといけないなと思った」
「それは……どうして?」
「晴彦がいなかったら、バンドやってて『楽しい』と思うこともなかっただろうし、コンテストで勝ち上がりたいとか、他のバンドがつまらないとかも思わなかっただろうから」
金沢先輩が言うこと――暗にそれは、彼が僕を必要としているということだった。
「最初は正直さ、陽菜世が連れてきた作曲担当としか思わなかった」
「あはは……それはしょうがないですね……」
「でもバンドをやっていくうちにどんどん晴彦は成長していってさ、『こいつと演るの、楽しいな』って感じてたんだ。……まあ、気づいたのが遅すぎたんだけどさ」
自嘲するように笑った金沢先輩は、箸で麺をリフトアップしてひとすすりする。油が多いせいでまだラーメンが冷めておらず、だいぶ熱そうに咀嚼していた。
太めの麺を飲み込むと、彼は再び箸を置く。
「俺さ、陽菜世が死んで、晴彦が学校に来なくなって、正直このバンドは全部終わったのかなと思った。でもさ、このまま終わるのはなんか寂しいじゃん? バーチャル世界の住人とはいえ陽菜世も戻ってきたし、たぶんこれはもう一度始めるきっかけなんだよ」
「……きっかけ」
「そう、きっかけ。だから晴彦、もう一度バンドやろう。今度こそ、あのコンテストで全国狙おう」
もう一度というチャンスが訪れるなんて、全く考えていなかった。
陽菜世先輩が最後に望んでいた、「コンテストで入賞する」という目標。
生前叶わなかったその目標に、再度トライできる機会がやってきたのだ。
「……僕も、全国大会に行きたいです」
嘘偽りのない言葉だった。右も左もわからず、衝撃の事実まで打ち明けられたあの時の僕は、悔しさすら感じる余裕もなかった。
あのコンテストに、今度こそ真正面から挑める。それに、実体はないとはいえ、陽菜世先輩もいる。
そんなチャンスを絶対に逃したくなかった。
「よかった。晴彦がそう言ってくれて安心したよ。断られるかもと思ってたし」
「えっ……そんな提案、僕が断れるわけないじゃないですか」
「いやいや、だって晴彦、ちょっと前まで引きこもりだったんだよ? バンドはおろか、会話すらできるか怪しかったのに」
「そ、そういえばそうでした……あはは……」
「まあでも、果報は寝て待てって言うのは間違いじゃないんだな。ずっと待ってて本当に良かった」
金沢先輩は何か憑き物が取れたかのように微笑む。それだけ彼は復活をずっと望んでいた。
陽菜世先輩はいなくなり、僕は引きこもってしまい、凛とも関わりが薄くなってしまっただろう。でも金沢先輩は誰か一人でも戻ってきたときに、すぐにバンドをやり直せるよう、じっと待っていてくれた。
それは彼なりの優しさであり、強さでもある。
「それじゃあ晴彦、バンドの復活を祝してもう一杯食べようか」
「さ、さすがに無理です……もともと少食なんですから……」
「陽菜世だったら喜んで食べるのに。人の金ならなおさら」
『ちょっと紡、それじゃあ私が意地汚いみたいじゃない!』
「あー、でも確かに先輩、花火大会のとき食べまくってたな……」
『そんなことは思い出さなくていいの! いいから早くバンド復活させなさい!』
僕と金沢先輩は「はいはい」と半分呆れながら答える。
形は変わったけど、本質は変わっていない、そんな春の日のリスタートだった。
翌日、僕は早速近所のスーパーで品出しのアルバイトを始めた。
米の袋や飲料の段ボールを相手取るのは大変ではあるけれども、なんとかやっていけそうだ。
春休みを利用すれば、十分あのギターを買い戻せるくらいのお金になる。
引きこもり生活からの社会復帰にはちょうどいいリハビリだった。
スキマ時間アルバイトのくせに、がっつりシフトを入れる羽目にはなっているけれども。
『頑張ってるね。どう? 続けられそう?』
休憩時間になり、僕はスーパーの建屋裏にある日陰でスマートフォンの中にいるヒナと話していた。
「なんとかなると思います。とりあえず目の前の仕事を片付けることに集中すればいいので、思っていたほど怖くなかったと言うか」
『そっか、良かった良かった。えーっと、こういうのをことわざで何て言うんだっけ……?』
「案ずるより産むが易し……ですか?」
『そうそうそれそれ。やっぱりすぐ言葉が出てくるのはさすがだね』
「いやいや……ってか、先輩はバーチャル世界にいるんだからそういうのもすんなり調べられたりしないんですか?」
『細かいことを言わないの。そういうのはモテないぞ?』
「別に今更モテたところで……」
僕は持参した水筒の中に入っているホットコーヒーをひとすすりした。
『とにかく、これでギターはなんとかできそうだね』
「そうですね。早く買い戻して、たくさん弾きたいです」
『あっ、そろそろ休憩終わりのアラームが鳴るよ』
「じゃあ、もうちょっと働いてきます」
『がんばれー』
画面越しに手を振ってくるヒナを一瞥して、僕は再び労働へと向かう。
アルバイトを始めて一週間くらいが経ったとある木曜日。夕方に差し掛かったころ
いつもの通り売り場でペットボトル飲料の品出しをしていると、とある人に出くわしてしまった。
「あっ……」
「えっ……? か、金沢先輩……?」
目があった瞬間、お互いに固まってしまった。
空っぽの買い物かごを持った金沢紡先輩が、そこに立っていたのだ。
「お……お久しぶり……です」
「ああ……元気にしてた?」
「えっと……元気になる途中というか……その……」
「そっか、頑張ってたんだな」
偶然の再会ということもあって、気まずさからかお互いに顔が強張っていた。
でも僕が元気になる途中だと告げると、金沢先輩はどこかホッとしたように表情を緩めた。
「バイト、いつ終わる?」
「ええっと、あと三十分くらいです」
「そっか、じゃあ俺、終わるまで待ってるわ。ちょっと色々話さない?」
「は、はい。わかりました」
「そんじゃ、あと三十分頑張って」
金沢先輩は買い物かごを近くにあったラックに戻し、店内から出ていった。
仕事を片付けて僕は店の外で待っていた金沢先輩のもとに向かう。
もう少しで春という時期ではあるが、さすがに暗くなってくるこの時間帯は結構寒い。
あまり先輩を待たせてはいけないと思い、僕は小走りで彼の姿を探した。
「こっちこっち。お疲れ様」
「お待たせしてすみません、こんなに寒いのに」
「いいって別に。久しぶりに会えたんだから。とりあえずラーメンでも食べに行かない?」
「は、はい、行きます。……ちょっと家に連絡入れますね」
スマートフォンを取り出して母親にメッセージを打とうとしたら、中にいるヒナが急に叫びだす。
『おぉー!! 紡じゃん! ひっさしぶりー!!』
「えっ? 今の声……陽菜世?」
「うわっ、先輩いきなり喋りだしたらびっくりしますって!」
『せっかくの再会なんだからそのくらいいいじゃん! ここ外だし!』
そういう訳ではないんだよなと心のなかでツッコミを入れる。
僕はすっかりヒナの存在に慣れてしまっていたけれども、何も知らない人からしたら超常現象の連鎖で情報処理が追いつかなくなること間違いなしだ。
とりあえず立ち話をするのはなんなので、金沢先輩と一緒にラーメン屋さんに入ってから話すことにした。
「――へえ、そんなこともあるんだね」
ラーメン屋のテーブル席。僕は金沢先輩に一通り事情を説明した。
死者との再会、バーチャル世界でのびのび過ごしているヒナの姿、僕の社会復帰進捗などなど……。
物語の世界じゃないとありえないような話だったけれども、金沢先輩は疑わずにちゃんと聞いてくれた。
「……金沢先輩は、驚かないんですか?」
「驚いているよ? でも、陽菜世だったらそれくらいやっちゃいそうな気がして、なんだか変に納得してる」
『ちょっと! 私だったらやっちゃいそうってどういうこと!?』
ヒナは画面の向こうでぷんすかと怒っている。キャラクターデザインのせいか、ちょっと可愛らしい。
「まあまあ先輩も落ち着いて。あまり熱くなるとスマートフォンのバッテリー消費も大きくなるんですから」
「しかしまあ、陽菜世そっくりの良いキャラデザだね。意外な才能もあったんだね」
『そうなんだよね。ハルったら自分の能力を隠しまくっててずるいよね。実はもっと他になにか才能あるんじゃないの?』
「い、いやいや、そんなことないですって……。むしろそんな才能より、コミュニケーションがとれて、友だちができて、普通に過ごせる才能が……」
そう言いかけたとき、店員さんが熱々のラーメンを運んできた。
せっかくの再会に水を差すようなことを言いかけた気がしたので、絶妙な着丼のタイミングに助けられた。
ちなみに金沢先輩が奮発して奢ってくれるというので、僕は半ば強制的にこの店の名物である特製ラーメン全MAXを注文した。
全MAXというのは、「麺硬め、味濃いめ、油多め」のことである。当然ながら、味のパンチ力はものすごい。
「いただきますっ……!」
「どうぞ召し上がれ。追いライスを頼んでもいいよ」
「い、いや、さすがにこれにライスを足したら僕の胃がノックアウトされます……」
「そう? このラーメンは味が濃いからライスあったほうがいいよ?」
金沢先輩はちゃっかりライスまで注文していた。麺をすする前に、ラーメンのトッピングの海苔をスープに浸してライスを包んだ。これは絶対美味いやつ。
『いいなあ、私もラーメン食べたいんだけど』
「先輩、バーチャル世界にいるからご飯いらないでしょう?」
『そうだけど……やっぱり美味しそうに見えるんだもん食べたいよ』
「物理的に無理なので今日のところは我慢してください」
ヒナは画面越しにブーイングをしてくる。でもスマートフォンをラーメン丼に浸すわけにもいかないので、我慢してもらうしかない。
久しぶりに食べた熱々のラーメンは格別だった。労働による疲労にはやはりカロリーが一番効く。
「そういえば、金沢先輩はいつもうちのスーパーに買い物をしに来るんですか?」
「いーや、今日は家に誰もいなくてさ。暇してたからテキトーに買い物して家で映画でも見てダラダラしようと思ってたわけ」
「あれ? でも先輩、木曜日はいつも掛け持ちしている他のバンドの練習をしていませんでしたっけ?」
金沢先輩は僕らのバンドだけでなく、軽音楽部内の他のバンドや、部活の外で他校の友人と組んでいるバンドがあった。
学校の規定で木曜日は部活ができないので、その日の金沢先輩は決まって外のバンドの練習に行っていたのだ。
春休み中とはいえ、人望があって引っ張りだこな金沢先輩がこんなに暇を持て余している事があるのだろうか。僕はシンプルに疑問を持った。
「あー……それね。実は全部やめちゃった」
「えっ!?」『えっ!!??』
僕とヒナは同時に驚きの声を上げた。
『ちょ、ちょっと紡! 全部やめちゃったって、うちら以外の他のバンド全部ってこと!?』
「ああ、うん。部内も外も全部」
「ど、どうして……?」
「うーん、なんというか感覚的で説明しにくいんだけど、簡単に言えば俺も陽菜世が死んで身が入らなくなっちゃったって感じかな」
『そんなに私が死んだ影響あったの? 紡が一番ケロッとしてそうだけど』
「俺だってそう思ったよ。でも、他のバンドでやっても楽しくなかったんだよ。なんかぽっかり穴が開いた感じでさ。だから俺なりに、あのバンドが好きだったんだなって、やめてから思った」
金沢先輩は照れ隠しをするかのように、結露したコップでお冷を一口飲んだ。
「でもまさか、こんな感じで陽菜世が戻ってくるとはね」
「確かに……それが一番びっくりですよね」
「んで、さらに引きこもっちゃった君と再会できるとも思ってなかった」
「あはは……」
「あんまり好きな言葉じゃないんだけどさ、こういうのって『運命』なのかなって感じちゃったよ」
「運命……」
「そう。バンドをもう一回やり直せっていう、神様からのお告げみたいな」
金沢先輩はそう言い放ってから、スープにひたひた浸かっているほうれん草を口の中へ放り込む。
緑黄色野菜のビタミンは脂溶性の物が多いので、油と一緒に摂ると栄養の吸収が良いなんて誰かが言っていたなと僕はぼんやり考えていた。
「なあ、またバンドやらない? 晴彦」
少し間を開けてから金沢先輩がそう言い放った瞬間、僕はちょっとした違和に気づく。
出会って結構な時間が経つが、金沢先輩が僕の名前を呼ぶのは初めてだ。
「あの……先輩、僕の名前……」
『おっ、珍しい。紡が女の子以外の名前を呼ぶなんて』
「うるさいなあ。こう見えて名前を呼ぶ相手は選んでるんだよ、女の子以外もちゃんと名前で呼ぶことくらいある」
「そ、そうだったんですか……てっきり男の名前は呼ばない人なのかと……」
「基本的にはそうだよ。でも、晴彦のことはきちんと呼ばないといけないなと思った」
「それは……どうして?」
「晴彦がいなかったら、バンドやってて『楽しい』と思うこともなかっただろうし、コンテストで勝ち上がりたいとか、他のバンドがつまらないとかも思わなかっただろうから」
金沢先輩が言うこと――暗にそれは、彼が僕を必要としているということだった。
「最初は正直さ、陽菜世が連れてきた作曲担当としか思わなかった」
「あはは……それはしょうがないですね……」
「でもバンドをやっていくうちにどんどん晴彦は成長していってさ、『こいつと演るの、楽しいな』って感じてたんだ。……まあ、気づいたのが遅すぎたんだけどさ」
自嘲するように笑った金沢先輩は、箸で麺をリフトアップしてひとすすりする。油が多いせいでまだラーメンが冷めておらず、だいぶ熱そうに咀嚼していた。
太めの麺を飲み込むと、彼は再び箸を置く。
「俺さ、陽菜世が死んで、晴彦が学校に来なくなって、正直このバンドは全部終わったのかなと思った。でもさ、このまま終わるのはなんか寂しいじゃん? バーチャル世界の住人とはいえ陽菜世も戻ってきたし、たぶんこれはもう一度始めるきっかけなんだよ」
「……きっかけ」
「そう、きっかけ。だから晴彦、もう一度バンドやろう。今度こそ、あのコンテストで全国狙おう」
もう一度というチャンスが訪れるなんて、全く考えていなかった。
陽菜世先輩が最後に望んでいた、「コンテストで入賞する」という目標。
生前叶わなかったその目標に、再度トライできる機会がやってきたのだ。
「……僕も、全国大会に行きたいです」
嘘偽りのない言葉だった。右も左もわからず、衝撃の事実まで打ち明けられたあの時の僕は、悔しさすら感じる余裕もなかった。
あのコンテストに、今度こそ真正面から挑める。それに、実体はないとはいえ、陽菜世先輩もいる。
そんなチャンスを絶対に逃したくなかった。
「よかった。晴彦がそう言ってくれて安心したよ。断られるかもと思ってたし」
「えっ……そんな提案、僕が断れるわけないじゃないですか」
「いやいや、だって晴彦、ちょっと前まで引きこもりだったんだよ? バンドはおろか、会話すらできるか怪しかったのに」
「そ、そういえばそうでした……あはは……」
「まあでも、果報は寝て待てって言うのは間違いじゃないんだな。ずっと待ってて本当に良かった」
金沢先輩は何か憑き物が取れたかのように微笑む。それだけ彼は復活をずっと望んでいた。
陽菜世先輩はいなくなり、僕は引きこもってしまい、凛とも関わりが薄くなってしまっただろう。でも金沢先輩は誰か一人でも戻ってきたときに、すぐにバンドをやり直せるよう、じっと待っていてくれた。
それは彼なりの優しさであり、強さでもある。
「それじゃあ晴彦、バンドの復活を祝してもう一杯食べようか」
「さ、さすがに無理です……もともと少食なんですから……」
「陽菜世だったら喜んで食べるのに。人の金ならなおさら」
『ちょっと紡、それじゃあ私が意地汚いみたいじゃない!』
「あー、でも確かに先輩、花火大会のとき食べまくってたな……」
『そんなことは思い出さなくていいの! いいから早くバンド復活させなさい!』
僕と金沢先輩は「はいはい」と半分呆れながら答える。
形は変わったけど、本質は変わっていない、そんな春の日のリスタートだった。