「じゃあリハーサル入りまーす。まずはドラム三点からお願い」
文化祭当日、本番前のリハーサルが始まるので、音響担当のPAさんがステージに立つ僕らへ合図を送ってきた。
まだ開場前なので、念入りなサウンドチェックが行われる。金沢センパイガ軽快にエイトビートを叩くと、PAさんはオッケーサインを出す。
その後、ベース、ギター、ボーカル、コーラスと順々にチェックが進む。機材トラブルは今のところなさそうで安心した。
「オッケーです、本番よろしくお願いします」
PAさんにそう言われ、僕らはよろしくお願いしますと返事をしてステージを降りる。
うちの高校の剣道部がいつも使っている武道場が今日の会場で、ステージは学校にある机などを組み合わせた寄せ集めだ。
強度的に大丈夫なのかと思っていたが、あの机でもたくさんの数が集まるとさすがに安定するようだ。
一方で、武道場の隅っこには余った椅子やテーブルが並べられ、そこが今日の出演者の控室みたいになっている。
僕らの順番は最後から二番目――時刻でいうと十三時半頃と結構遅めなので、ここで出番を待っていた。
「……いよいよですね、文化祭」
そんな控室の一角。隅っこの席に座りながら僕は声を震わせている。
とても緊張しやすい性格なので、出番までまだ時間があるというのにすでにガチガチだった。
わかりやすく肩に力が入っている僕を見て、陽菜世先輩はくすっと笑う。
「ぷっ、ハルったら緊張するの早くない? 私達の出番、昼過ぎだよ?」
「そ、そうですけど、なんか身が引き締まるというか、ちゃんとやらないといけないというか……」
「学校の文化祭くらい楽しんでやらないと損だよ。ここはもう、オーディションでもなんでもないんだから」
「でも、先輩の最後の晴れ舞台だと思うと――」
その瞬間、陽菜世先輩がまた人差し指を僕の唇に押し当てて発言を制した。
僕も陽菜世先輩も、もちろん金沢先輩や凛も、「最後」とか「晴れ舞台」とか、そういうワードは言わないようにしてきた。
言ってしまえば悲しくなるだけでなく、どんどん得体の知れないものに狭所へと追い込まれて行くようなそんな感覚になるから。
しかし、いざその時を迎えてしまうと、意識せずにはいられない。
「ご、ごめんなさい……。言わないようにはしていたんですが」
「まあね。確かにここまで来たら、意識するなっていうのは無理かも」
「できるだけ意識しないよう気をつけるので……頑張ります」
「……いや、もう気にしなくてもいいのかもね」
陽菜世先輩は、なにか重圧から解き放たれたかのようにそう言い出す。
落ち込んでいるような感じはなく、憑き物がとれたと表現するほうがいいだろうか。彼女はほんのり笑っていた。
「だって気にしたところでその時はやってきちゃうしさ。あんまり意識しすぎると、かえって良くないかなって」
「それはそう……かもですけど」
「ほら、宿題だって期限があるから頑張れるし、お仕事だって納期があるから全力になるじゃん。だから『終わり』は、意識したほうがいい気がする」
あくまでそれは仕事や宿題での話であって、命の終わりが見えたときの話ではない……とは、陽菜世先輩に言い出せなかった。
おそらくその、彼女が抱えている『覚悟』のようなものが、垣間見えた気がしたから。
「ハルには言っておかなきゃいけないことがあるんだ」
「な、なんですか……?」
「私ね、この文化祭が終わったら、入院することになった」
「それは……」
「そう、多分もう、病院の外に出られることはないと思う」
黄泉への片道切符。
今まで通りに制服を着て学校に来て、勉強して友達と遊んで、部活をやったり恋人と過ごしたりする。そういうことはもう、できなくなる。
病室で、日に日に弱っていく身体に何も希望を見出せぬまま、黙って命の終わりを待つ日々。
今日が終わると、陽菜世先輩はそういう生活をしなければならない。
「まあ、本当は文化祭の前には入院しないといけない状態だったんだけどさ」
「ええっ!? ってことは先輩、もしかして無理してるんですか?」
「ううん、全然平気だよ。なんだか不思議と体調が良くてね。お医者さんに駄々こねたら、今日まで延期してもらった」
「そ、そうですか……体調悪かったら、言ってくださいね」
「ありがとう。大丈夫だよ」
「……ごめんなさい、僕が先輩のためにできること全然なくて」
「そんなことないよ? というかハル、むしろ大活躍」
「それまたどうして? 僕、何もやってませんけど」
「なんかね、ハルと付き合いだしてから、症状が緩やかというか落ち着いているんだよ。お医者さんも不思議だねって言ってた」
医学の世界にはたまに超常現象的に不思議なことが起こると聞いたことがある。
不治の病のはずが、その人が強い想いを抱いていたおかげで寛解したり、はたまた今回のように何らかの影響で症状が緩和されたり。
病は気からというのは、確かによく言ったものだと思う。
「だからありがとう。今日のライブができるのは、間違いなくハルのおかげ」
「……そんな、なにも役に立った感じしないのに」
「そこは素直にどういたしましたって言っておきなって。ハルのよくないところは、何でも考えすぎて自責の念に浸っちゃうところだよ?」
「あはは……それは確かにあるかも……です」
「私が死んじゃうのは私のせい。運良く症状が穏やかになって文化祭でライブができるのはハルのおかげ。それでいいじゃん」
確かに陽菜世先輩の言うとおりだ。僕一人だったら、因果関係とか科学的に成り立たないとしても自分のせいだと考えてしまいそうだ。
この先、陽菜世先輩がいなくなって僕一人になったとき、またこんなふうに僕の自責思考を正してくれる人は現れるのだろうか。
彼女のいない世界のことを考えると、怖くなってきた。
「……ずっと、先輩が近くにいてくれたらいいのに」
思わずそんな言葉が出た。まるで甘ったれのようだった。
でも陽菜世先輩は、そんな僕の言葉を真っ向から否定することはなかった。
それどころか、僕が予想だにしないことまで言ってくる。
「私もね、ずっとハルがそばにいてくれたらいいのにって、よく思ってたよ」
「……それなら、ずっとそばにいます」
「ははは、さすがに無理だって」
「無理じゃないです。……先輩が入院しても、毎日お見舞いに行きます」
「そんなの大変だよ。岡崎の市民病院って、ずいぶん山のほうだよ?」
「関係ないです。絶対に行きます」
何に対して必死になっているのかわからなかった。けれども、陽菜世先輩はそばに僕がいてほしいというのであれば、自分の持っている時間を全部そこに注ぐ覚悟はあった。
「わかったわかった。ハルって弱気だけど、結構頑固だもんね」
「す、すみません……」
「ううん、待ってるよ、毎日」
陽菜世先輩はいつの間にか、僕の手を握っていた。
その手を僕はためらうことなく握り返す。
「――それじゃあ聴いてください『若者のすべて』」
ざわめく会場。陽菜世先輩がタイトルコールをして、ドラムの金沢先輩が同期音源の再生ボタンを押す。
曲はフジファブリックの『若者のすべて』。陽菜世先輩がやりたいとリクエストした曲だった。
文化祭ライブは佳境に差し掛かっていて盛況だ。トリ前という順番もあってお客さんはまあまあの数入っている。
最後の晴れ舞台にするには、なかなか悪くない光景だと思った。
キーボードがいない僕らのバンドでは、事前に制作しておいたピアノ音源がリズムの基準となる。
音源からテンポがずれないよう、金沢先輩が慎重にビートを刻み、凛が重低音を重ねていく。
決して派手なフレーズはないこの曲なのだが、その分丁寧に丁寧に音を重ねていった。
陽菜世先輩が、すこし苦しげに歌う。もう彼女の歌声は、限界に近い状態だった。
少し力が抜けたらかすれてしまいそうで、しかし全力で歌ったらすぐに枯れてしまいそうな、ギリギリの声。それでも彼女は歌いきった。
ふと、陽菜世先輩が後ろを振り返り、僕らの方を向く。
彼女の大きな瞳は涙で潤んでいて、ステージの照明と相まってまるで宝石のように見えた。
お客さんは盛り上がっている。といっても、文化祭のステージなのでほとんど身内。そうだとしても、今僕が見ているこの光景は、瞼の裏に刻んでおきたいそんな光景だった。
「ハル、ありがとう」
ざわめきの中、陽菜世先輩が僕に向けてそう言った。
はっきり聞き取れたわけではない。口の動きでそうだとわかっただけ。
それだけなのに、僕は涙が止まらなかった。この瞬間が終わってしまうことが、とても辛かった。
※※※
文化祭が終わり、季節は少し進んで秋が深まってきた。
陽菜世先輩は予定通り市民病院での入院生活が始まり、僕は毎日のようにお見舞いに行くようになった。
肌寒くなり、山の上にある病院へ自転車で向かうのはなかなか大変だ。僕は十六歳の誕生日を迎えたのを機に原付バイクの免許を取り、家にあったスクーターを拝借して陽菜世先輩の病床に通い詰めた。
「今度ハルのバイクのうしろに乗せてよ」
「原付じゃ二人乗り出来ませんって」
「むう、そこをなんとか」
「法律を変えるしかないです」
「じゃあ大統領になるしかないかあ……」
「先輩、日本の立法制度ご存知で?」
入院して最初の頃はこんな感じに軽口を叩けるくらい陽菜世先輩は元気だった。
しかし、次第に起きている時間が短くなり、僕がお見舞いに行っても寝ているという状況が増えた。
十一月に入ると、陽菜世先輩は呼吸器をつけるようになった。
もうまともに会話は出来ない。
彼女は起きている時間になんとか力を振り絞って、僕に書き置きをしたためていた。
僕と彼女とのやり取りは、声から文字になって、最後には目と目をあわせるだけになった。
そして十二月二十五日、クリスマスの日。
午後二時三十四分に、陽菜世先輩はその短い生涯を終えた。
僕がその知らせをもらったのは、期末テストを終えて病院に向かおうとした時だった。
今年最初の雪が、ただ立ち尽くす僕の身体に、まるで悲しみのように降り積もった。
文化祭当日、本番前のリハーサルが始まるので、音響担当のPAさんがステージに立つ僕らへ合図を送ってきた。
まだ開場前なので、念入りなサウンドチェックが行われる。金沢センパイガ軽快にエイトビートを叩くと、PAさんはオッケーサインを出す。
その後、ベース、ギター、ボーカル、コーラスと順々にチェックが進む。機材トラブルは今のところなさそうで安心した。
「オッケーです、本番よろしくお願いします」
PAさんにそう言われ、僕らはよろしくお願いしますと返事をしてステージを降りる。
うちの高校の剣道部がいつも使っている武道場が今日の会場で、ステージは学校にある机などを組み合わせた寄せ集めだ。
強度的に大丈夫なのかと思っていたが、あの机でもたくさんの数が集まるとさすがに安定するようだ。
一方で、武道場の隅っこには余った椅子やテーブルが並べられ、そこが今日の出演者の控室みたいになっている。
僕らの順番は最後から二番目――時刻でいうと十三時半頃と結構遅めなので、ここで出番を待っていた。
「……いよいよですね、文化祭」
そんな控室の一角。隅っこの席に座りながら僕は声を震わせている。
とても緊張しやすい性格なので、出番までまだ時間があるというのにすでにガチガチだった。
わかりやすく肩に力が入っている僕を見て、陽菜世先輩はくすっと笑う。
「ぷっ、ハルったら緊張するの早くない? 私達の出番、昼過ぎだよ?」
「そ、そうですけど、なんか身が引き締まるというか、ちゃんとやらないといけないというか……」
「学校の文化祭くらい楽しんでやらないと損だよ。ここはもう、オーディションでもなんでもないんだから」
「でも、先輩の最後の晴れ舞台だと思うと――」
その瞬間、陽菜世先輩がまた人差し指を僕の唇に押し当てて発言を制した。
僕も陽菜世先輩も、もちろん金沢先輩や凛も、「最後」とか「晴れ舞台」とか、そういうワードは言わないようにしてきた。
言ってしまえば悲しくなるだけでなく、どんどん得体の知れないものに狭所へと追い込まれて行くようなそんな感覚になるから。
しかし、いざその時を迎えてしまうと、意識せずにはいられない。
「ご、ごめんなさい……。言わないようにはしていたんですが」
「まあね。確かにここまで来たら、意識するなっていうのは無理かも」
「できるだけ意識しないよう気をつけるので……頑張ります」
「……いや、もう気にしなくてもいいのかもね」
陽菜世先輩は、なにか重圧から解き放たれたかのようにそう言い出す。
落ち込んでいるような感じはなく、憑き物がとれたと表現するほうがいいだろうか。彼女はほんのり笑っていた。
「だって気にしたところでその時はやってきちゃうしさ。あんまり意識しすぎると、かえって良くないかなって」
「それはそう……かもですけど」
「ほら、宿題だって期限があるから頑張れるし、お仕事だって納期があるから全力になるじゃん。だから『終わり』は、意識したほうがいい気がする」
あくまでそれは仕事や宿題での話であって、命の終わりが見えたときの話ではない……とは、陽菜世先輩に言い出せなかった。
おそらくその、彼女が抱えている『覚悟』のようなものが、垣間見えた気がしたから。
「ハルには言っておかなきゃいけないことがあるんだ」
「な、なんですか……?」
「私ね、この文化祭が終わったら、入院することになった」
「それは……」
「そう、多分もう、病院の外に出られることはないと思う」
黄泉への片道切符。
今まで通りに制服を着て学校に来て、勉強して友達と遊んで、部活をやったり恋人と過ごしたりする。そういうことはもう、できなくなる。
病室で、日に日に弱っていく身体に何も希望を見出せぬまま、黙って命の終わりを待つ日々。
今日が終わると、陽菜世先輩はそういう生活をしなければならない。
「まあ、本当は文化祭の前には入院しないといけない状態だったんだけどさ」
「ええっ!? ってことは先輩、もしかして無理してるんですか?」
「ううん、全然平気だよ。なんだか不思議と体調が良くてね。お医者さんに駄々こねたら、今日まで延期してもらった」
「そ、そうですか……体調悪かったら、言ってくださいね」
「ありがとう。大丈夫だよ」
「……ごめんなさい、僕が先輩のためにできること全然なくて」
「そんなことないよ? というかハル、むしろ大活躍」
「それまたどうして? 僕、何もやってませんけど」
「なんかね、ハルと付き合いだしてから、症状が緩やかというか落ち着いているんだよ。お医者さんも不思議だねって言ってた」
医学の世界にはたまに超常現象的に不思議なことが起こると聞いたことがある。
不治の病のはずが、その人が強い想いを抱いていたおかげで寛解したり、はたまた今回のように何らかの影響で症状が緩和されたり。
病は気からというのは、確かによく言ったものだと思う。
「だからありがとう。今日のライブができるのは、間違いなくハルのおかげ」
「……そんな、なにも役に立った感じしないのに」
「そこは素直にどういたしましたって言っておきなって。ハルのよくないところは、何でも考えすぎて自責の念に浸っちゃうところだよ?」
「あはは……それは確かにあるかも……です」
「私が死んじゃうのは私のせい。運良く症状が穏やかになって文化祭でライブができるのはハルのおかげ。それでいいじゃん」
確かに陽菜世先輩の言うとおりだ。僕一人だったら、因果関係とか科学的に成り立たないとしても自分のせいだと考えてしまいそうだ。
この先、陽菜世先輩がいなくなって僕一人になったとき、またこんなふうに僕の自責思考を正してくれる人は現れるのだろうか。
彼女のいない世界のことを考えると、怖くなってきた。
「……ずっと、先輩が近くにいてくれたらいいのに」
思わずそんな言葉が出た。まるで甘ったれのようだった。
でも陽菜世先輩は、そんな僕の言葉を真っ向から否定することはなかった。
それどころか、僕が予想だにしないことまで言ってくる。
「私もね、ずっとハルがそばにいてくれたらいいのにって、よく思ってたよ」
「……それなら、ずっとそばにいます」
「ははは、さすがに無理だって」
「無理じゃないです。……先輩が入院しても、毎日お見舞いに行きます」
「そんなの大変だよ。岡崎の市民病院って、ずいぶん山のほうだよ?」
「関係ないです。絶対に行きます」
何に対して必死になっているのかわからなかった。けれども、陽菜世先輩はそばに僕がいてほしいというのであれば、自分の持っている時間を全部そこに注ぐ覚悟はあった。
「わかったわかった。ハルって弱気だけど、結構頑固だもんね」
「す、すみません……」
「ううん、待ってるよ、毎日」
陽菜世先輩はいつの間にか、僕の手を握っていた。
その手を僕はためらうことなく握り返す。
「――それじゃあ聴いてください『若者のすべて』」
ざわめく会場。陽菜世先輩がタイトルコールをして、ドラムの金沢先輩が同期音源の再生ボタンを押す。
曲はフジファブリックの『若者のすべて』。陽菜世先輩がやりたいとリクエストした曲だった。
文化祭ライブは佳境に差し掛かっていて盛況だ。トリ前という順番もあってお客さんはまあまあの数入っている。
最後の晴れ舞台にするには、なかなか悪くない光景だと思った。
キーボードがいない僕らのバンドでは、事前に制作しておいたピアノ音源がリズムの基準となる。
音源からテンポがずれないよう、金沢先輩が慎重にビートを刻み、凛が重低音を重ねていく。
決して派手なフレーズはないこの曲なのだが、その分丁寧に丁寧に音を重ねていった。
陽菜世先輩が、すこし苦しげに歌う。もう彼女の歌声は、限界に近い状態だった。
少し力が抜けたらかすれてしまいそうで、しかし全力で歌ったらすぐに枯れてしまいそうな、ギリギリの声。それでも彼女は歌いきった。
ふと、陽菜世先輩が後ろを振り返り、僕らの方を向く。
彼女の大きな瞳は涙で潤んでいて、ステージの照明と相まってまるで宝石のように見えた。
お客さんは盛り上がっている。といっても、文化祭のステージなのでほとんど身内。そうだとしても、今僕が見ているこの光景は、瞼の裏に刻んでおきたいそんな光景だった。
「ハル、ありがとう」
ざわめきの中、陽菜世先輩が僕に向けてそう言った。
はっきり聞き取れたわけではない。口の動きでそうだとわかっただけ。
それだけなのに、僕は涙が止まらなかった。この瞬間が終わってしまうことが、とても辛かった。
※※※
文化祭が終わり、季節は少し進んで秋が深まってきた。
陽菜世先輩は予定通り市民病院での入院生活が始まり、僕は毎日のようにお見舞いに行くようになった。
肌寒くなり、山の上にある病院へ自転車で向かうのはなかなか大変だ。僕は十六歳の誕生日を迎えたのを機に原付バイクの免許を取り、家にあったスクーターを拝借して陽菜世先輩の病床に通い詰めた。
「今度ハルのバイクのうしろに乗せてよ」
「原付じゃ二人乗り出来ませんって」
「むう、そこをなんとか」
「法律を変えるしかないです」
「じゃあ大統領になるしかないかあ……」
「先輩、日本の立法制度ご存知で?」
入院して最初の頃はこんな感じに軽口を叩けるくらい陽菜世先輩は元気だった。
しかし、次第に起きている時間が短くなり、僕がお見舞いに行っても寝ているという状況が増えた。
十一月に入ると、陽菜世先輩は呼吸器をつけるようになった。
もうまともに会話は出来ない。
彼女は起きている時間になんとか力を振り絞って、僕に書き置きをしたためていた。
僕と彼女とのやり取りは、声から文字になって、最後には目と目をあわせるだけになった。
そして十二月二十五日、クリスマスの日。
午後二時三十四分に、陽菜世先輩はその短い生涯を終えた。
僕がその知らせをもらったのは、期末テストを終えて病院に向かおうとした時だった。
今年最初の雪が、ただ立ち尽くす僕の身体に、まるで悲しみのように降り積もった。