「実はさ、あと半年くらいで死んじゃうらしいんだよね。私」
まるで他人事のような能天気な口調で、相模陽菜世先輩が衝撃の事実を打ち明けた。そのとき、僕――足立晴彦の頭の中は真っ白になった。
どうして今までこの人は黙っていたのだろう。
なぜこのタイミングで打ち明けたのだろう。
なんでそんな深刻な話なのに笑っているのだろう。
この話を聞いて、どんな反応を返してあげたらいいのだろう。
なにもかも僕にはわからなかった。
それだけじゃない。
半年後、陽菜世先輩との別れが来てしまったあと、僕はどうやって生きていけばいいのだろうか、得体の知れない恐怖感にも苛まれていた。
なんのことかさっぱりわからないだろうから、とりあえず時系列に沿って話を整理していこう。
※※※
僕が陽菜世先輩と出会ったのは今年の春。軽音楽部でのことだった。
高校に進学したばかりの僕には全く友達や知り合いがいなかった。
影が薄いおかげでいじめられるようなこともなく、ましてや誰かと駄弁ったり遊んだりするようなこともない。学校と家を往復する生活。
家に帰ったらすぐにパソコンを開いて、DTM漬けという毎日だった。
DTMというのは「デスクトップミュージック」の略で、要はパソコンを使って音楽制作をすることと言い換えていい。
すっかり市民権を得たボーカロイド曲なんかは、クリエイターがパソコンとにらめっこしながら作っている。
僕はそんな感じで音楽を作ることが好きで、制作環境が性に合っていたおかげでどっぷりDTMにのめり込んでいた。
そんなぼっちの僕が軽音楽部に入ろうと思ったきっかけ。それは、インターネット上でつながっているDTM仲間から、やはり外部から刺激を受けたほうがより良い創作に繋がると言われたことにある。
最初はあんなチャラチャラした部活に入るなんてごめんだと思った。しかし、部活動紹介でオリジナル曲を演奏してくれた三年生のバンドが思っていたより良い演奏をしたものだから、とりあえず入部だけはすることにした。
部活に入っておけば担任の先生から面倒事を押し付けられたときなどに言い訳ができる。
部費もライブに出演する人しか負担しなくていいらしいので、金銭的にも申し分ない。
ぼっちながら音楽家の端くれとして、なかなか悪くない選択をしたなとその時の僕は思っていた。
ある日のことだった。
軽音楽部の練習は、あらかじめ決めた時間枠がそれぞれのバンドや個人に分け与えられる。
ぼっちの僕は別に部室で練習をする必要などないわけなのだが、その日はどうしてもエレキギターの音を録りたいという事もあって、珍しく個人で部室を使うことにしていた。
エレキギターはアンプに繋いでスピーカーから音を出さなければ大きな音は出てこない。
いつも家ではヘッドフォンアンプを使って練習しているし、録音したいときはPCのオーディオインターフェースに繋ぐので、騒音問題になったことは一度もない。
ただ、エレキギターの音というのがどうも特殊で、「一度スピーカーから出た音」じゃないと表現出来ない音というのがある。
実際のロックバンドのレコーディングなどではギターアンプのスピーカーの前にマイクを立てて録音をするのが当たり前だ。
なんだか二度手間で、ちょっとオカルトくさくも見えるけれども、不思議とそのほうがいい音で録れるのだ。
しかし、家ではうるさくなるのでそれが出来ない。だから僕は、音を出しても大丈夫な部室で録音をしようと考えたのだ。
部室においてあるギターアンプのスピーカーに向けて、僕は持参してきたマイクを立てる。
そのケーブルはオーディオインターフェースを経てノートPCに繋がっている。
今現在制作中の曲に、ここで録ったエレキギターの音を重ねようとしているのだ。
久しぶりに大きな音でエレキギターを鳴らせたものだから、僕は思わず時間を忘れて没頭してしまっていた。
気持ちよくギターを弾いていたらいつの間にか僕が確保した練習時間が終わっていて、次の時間枠を予約していた人が来ていることに気が付かなかった。
だから肩をトントンと叩かれたときは、この世の終わりがそこにやってきたんじゃないかと思うくらい僕は驚いた。
「キミ、もう時間過ぎてるよー……って、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
振り向くと、そこに立っていたのは女子生徒だった。制服のリボンの色から察するに、二年生の先輩だろう。
サラサラとした長い黒髪が印象的で、柔らかな雰囲気が印象的な綺麗な人だった。
僕は壁掛けの時計が示している時刻を見てもう一度驚いた。
ぼっちなりに無害な存在でいようと思っていただけに、たった数分の時間オーバーが重罪のように思えてしまっていた。
「ご、ごごご、ごめんなさい! す、すぐに退きますから!」
「たかだか数分オーバーしたくらいなんだからあわてなくていいよー。それに、うちのメンバーまだ揃ってないし」
「で、でも、先輩にご迷惑をおかけしたのは事実なので……」
「ぷっ、めっちゃ真面目じゃんウケる。ってかキミ、見ない顔だね。本当にうちの部員?」
「は、はい、一応……」
「ふーん。それじゃ、パソコン開きながらギター弾いて何やってたの? バンドは組んでないの?」
「こ、これはその……DTMってやつで……いつもは家でやってるんですけど、ちょっとエレキギターの音が欲しくなって部室で……。バンドはその……組んでないです……」
だんだん文末に向けて声が小さくなるような情けない喋り方で、僕は目の前の先輩に言い訳のような説明をする。
そんなザマなので、「陰キャがキモいことをやっている」とこの先輩に嘲笑われるとばかり僕は思い込んでいた。
こんなに綺麗な人なのだから、スクールカーストだってきっと高い。クラスの中心で輝いていて、イケメンで背の高い彼氏がいて、僕のような日陰者には興味すら持たない。おそらくそういう類の人。
しかし、そんな弱々しい返事をした僕に対する先輩の反応は予想外のものだった。
「へえ! ってことはキミ、曲作りとかできるんだ」
「え、ええ、まあ人並みに……」
「すごいじゃん! 私なんて曲作りがちっともわかんないんだよね。尊敬しちゃう」
「そ、そんなすごいことじゃないですよ……」
「ちなみにどんな曲書いてるの? せっかくだし聴かせてよ」
「あっ、いや、でも……今作ってるの、まだ途中なんで」
「途中でも良いよ。聴いてみたい」
まさか自分の曲を聴かせてほしいと詰め寄られるなんて思ってもいなかった僕は、さっきとは違う焦りのような気持ちに襲われる。
変な曲を書いているつもりはない。ウェブにも楽曲を投稿しているので、他人に聴かせるのが初めてというわけでもない。
ただ、面と向かって「聴いてみたい」と言われたのが初めてだったので、僕は恥ずかしくてたまらなかった。
ここで断ることもできるけれども、それではあまりにも陰キャラである僕の心象が悪くなってしまう。
僕みたいな奴は空気のように気づかれないくらいがちょうどいいのだ。だからここはとりあえず先輩に曲を聴かせて、そのあと逃げるように帰ろうと考えた。
僕はヘッドフォンを先輩に渡し、制作中の楽曲を頭出し再生する。
先輩がどんな反応をするのかビクビクしながら、ヘッドフォンから楽曲が鳴っている。
微妙な反応をされたり、どうリアクションしたら良いのかわからずごまかされるのを想定していた僕は、この数分の再生時間によって胸が張り裂かれそうになっていた。
「……めっちゃ良いじゃん。なにこれ、キミこんなすごいの書いてるの!?」
返ってきたのは、またも予想外の反応。
滅多に褒められることなどないので体中がむず痒くなる。いっそ微妙な反応をされたほうが良かったかもしれない。
「そ、そんなに凄くないですよ……。投稿しても再生数なんてたかが知れてるし……」
「謙遜すな謙遜すな、これでしょうもないとか言われたら、全然書けない私はどうなるのさ」
「あっ、いや……それは、その……すみません」
また先輩に対して失礼なことを言ってしまったと僕は頭を下げる。
なんだか最近謝ることが多い気がするが、僕はそういう星のもとに生まれてしまっているのだ。余計なことはしないほうが吉。
「そっ、そろそろ失礼します。貴重な練習時間なのにオーバーしちゃってすみませんでした」
ペコリと頭を下げ、一気に片付けたせいでまだケースやカバンに収まりきっていない機材を持ち上げる。
綺麗な先輩に自分の曲を褒められるというイベントがあまりにも特異過ぎて、早く帰らなければ何かバチが当たるのではないかという、そんな気持ちだった。
「ちょっと待って、キミ、名前は?」
「あ……足立です」
「下の名前は?」
「晴彦です。足立晴彦」
「なるほど。ハルって呼んで良い?」
「距離の詰め方がエグいですね……」
「ちなみに私は相模陽菜世です。ヒナって呼んでいいよ」
「いえ……そ、そこはせめて陽菜世先輩で……」
陽菜世先輩は「むう……」とジト目で僕を見てくる。
陽キャの人たちはみんな、こんな感じでコミュニケーションを取るのだろうか。もしそうならば、コミュ障の僕は会話のエネルギーコストが高くてすぐにガス欠を起こしてしまいそうだ。
「そんなハルにお願いがあります」
「あっ、はい。なんですか……?」
「一緒にバンドやらない? うちのバンド、オリジナル曲がやりたいんだけど、曲作れる人とリードギターが足りなくてさ」
突然の勧誘だった。陽菜世先輩は両手を合わせて僕を拝んでいる。
しかし僕はその勧誘文句の違和に気づく。
「で、でも、オリジナル曲やりたいのに曲作れる人がないって……ちょっと変じゃないですか?」
「それはしょうがないの! 最初はボーカルギターの私が書くつもりだったんだけど、後から無理なことに気づいちゃったんだもん」
「えーっとそれはつまり、曲が作れるかわからないのに見切り発車でバンドを組んだってことですか……?」
「そういうこと」
ドヤ顔でそう主張する陽菜世先輩。しかし、まったくもって威張れるような事は言っていない。
僕は厄介なことに巻き込まれてしまったなと、やれやれ感たっぷりのため息をつく。
バンドを組むことに否定的な訳では無い。自分の作った曲を自分たちで演奏するのは、たしかにちょっと楽しそうではある。
ただ僕はやっぱり、一人でパソコンに向かって音楽制作をするのが好きだ。他人と一緒につるんでどうこうするような性格ではない。
おそらくバンドを組んだところで遅かれ早かれ人間関係で苦労をするはずなのだ。そういう未来がわかりきっている以上、陽菜世先輩のお誘いに対して何の躊躇いもなく首を縦には振れない。
いくら美人からの頼まれ事でも、これだけは気乗りしなかった。
「ごめんなさい。やっぱりバンドは無理です」
「えー、どうして? やっぱり計画性のない人間のいるバンドは嫌?」
「そういうわけではなくて……。僕がこんな感じの人間なので、馴染めないかなって」
慎重に言葉を選ぶ。陽菜世先輩が悪いのではなく、僕自身に問題があることにして断れば角は立つまい。
でも陽菜世先輩そんな僕の「逃げ」の一手を封じ込めてくる。
「大丈夫大丈夫、うちのバンドみんな気さくだから。むしろ冷静な人がいてほしいというか? それに、あんなにかっこいい曲を書けるしギターも弾けるのに何もバンドをやっていないのはもったいないって。日本音楽界の損失」
「そんな大げさな……」
「とにかく一度うちのメンバーに会ってみてよ。もう少しで来るはずだから……って、もう来てたわ」
部室の入口に目をやると、二人の生徒が立っていた。
片方は男子生徒、この人は僕もよく知っている。この軽音楽部の副部長である金沢先輩だ。
爽やか系のいわゆる「塩顔」な人で、派手さはないけどモテそうな雰囲気がある。
確か部活の説明会のとき、自分はドラムをやっていると言っていた。美人の陽菜世先輩と並んでも違和感のない、間違いなくカースト上位のひと。
そしてもう一人は女子生徒。ベースギターの入ったギグバッグを背負っている。
ロングヘアの美しい陽菜世先輩とは対象的に、さっぱりと切りそろえたショートヘアが印象的だ。
この女子にも覚えがある。なぜなら彼女は――
「あれ? 晴彦?」
「……えっ?」
お互いに存在を確認するかように名前を呼ぶ。そんな不思議な状況を陽菜世先輩は見逃さない。
「んー? もしかしてハルと凛、知り合い?」
「一応、家が近所で小中一緒でした」
答えたのは彼女――小牧凛だった。
彼女の言う通り、僕と凛は小学校から同じ、いわゆる幼馴染みたいなもの。
しかしもう長いこと会話なんてしたことがない。それどころか僕は、凛が音楽をやっていたことすら知らなかった。
僕の知っている小牧凛はどちらかといえば体育会系で、小学校高学年の時はソフトボールクラブでエースを務めていた記憶がある。
そんな凛が陽菜世先輩と一緒にバンドをくんでいるのだから、世間は狭いものだ。
「なーんだ。知り合いなら話は早いじゃん。そういうわけでハル、よろしくね」
「……え? いや、僕まだ何も」
「というわけでうちのバンドの新メンバー足立晴彦くんでーす。みんなもハルって呼んでね」
僕の意思など関係なく、陽菜世先輩は二人に新メンバーとして僕を紹介してしまった。
いきなりそんなことを言われた金沢先輩と凛がどんな反応をするのか不安で仕方がなかった。
けれども、二人は僕に対して「大変だったね……」と言いたそうな、まるで労をねぎらうかのような眼差しを向けてくる。
それで僕はなんとなく察した。
このバンドは、陽菜世先輩による陽菜世先輩のためのバンドなのだと。
そのバンドに僕は、吸い込まれてしまったのだと。
まるで他人事のような能天気な口調で、相模陽菜世先輩が衝撃の事実を打ち明けた。そのとき、僕――足立晴彦の頭の中は真っ白になった。
どうして今までこの人は黙っていたのだろう。
なぜこのタイミングで打ち明けたのだろう。
なんでそんな深刻な話なのに笑っているのだろう。
この話を聞いて、どんな反応を返してあげたらいいのだろう。
なにもかも僕にはわからなかった。
それだけじゃない。
半年後、陽菜世先輩との別れが来てしまったあと、僕はどうやって生きていけばいいのだろうか、得体の知れない恐怖感にも苛まれていた。
なんのことかさっぱりわからないだろうから、とりあえず時系列に沿って話を整理していこう。
※※※
僕が陽菜世先輩と出会ったのは今年の春。軽音楽部でのことだった。
高校に進学したばかりの僕には全く友達や知り合いがいなかった。
影が薄いおかげでいじめられるようなこともなく、ましてや誰かと駄弁ったり遊んだりするようなこともない。学校と家を往復する生活。
家に帰ったらすぐにパソコンを開いて、DTM漬けという毎日だった。
DTMというのは「デスクトップミュージック」の略で、要はパソコンを使って音楽制作をすることと言い換えていい。
すっかり市民権を得たボーカロイド曲なんかは、クリエイターがパソコンとにらめっこしながら作っている。
僕はそんな感じで音楽を作ることが好きで、制作環境が性に合っていたおかげでどっぷりDTMにのめり込んでいた。
そんなぼっちの僕が軽音楽部に入ろうと思ったきっかけ。それは、インターネット上でつながっているDTM仲間から、やはり外部から刺激を受けたほうがより良い創作に繋がると言われたことにある。
最初はあんなチャラチャラした部活に入るなんてごめんだと思った。しかし、部活動紹介でオリジナル曲を演奏してくれた三年生のバンドが思っていたより良い演奏をしたものだから、とりあえず入部だけはすることにした。
部活に入っておけば担任の先生から面倒事を押し付けられたときなどに言い訳ができる。
部費もライブに出演する人しか負担しなくていいらしいので、金銭的にも申し分ない。
ぼっちながら音楽家の端くれとして、なかなか悪くない選択をしたなとその時の僕は思っていた。
ある日のことだった。
軽音楽部の練習は、あらかじめ決めた時間枠がそれぞれのバンドや個人に分け与えられる。
ぼっちの僕は別に部室で練習をする必要などないわけなのだが、その日はどうしてもエレキギターの音を録りたいという事もあって、珍しく個人で部室を使うことにしていた。
エレキギターはアンプに繋いでスピーカーから音を出さなければ大きな音は出てこない。
いつも家ではヘッドフォンアンプを使って練習しているし、録音したいときはPCのオーディオインターフェースに繋ぐので、騒音問題になったことは一度もない。
ただ、エレキギターの音というのがどうも特殊で、「一度スピーカーから出た音」じゃないと表現出来ない音というのがある。
実際のロックバンドのレコーディングなどではギターアンプのスピーカーの前にマイクを立てて録音をするのが当たり前だ。
なんだか二度手間で、ちょっとオカルトくさくも見えるけれども、不思議とそのほうがいい音で録れるのだ。
しかし、家ではうるさくなるのでそれが出来ない。だから僕は、音を出しても大丈夫な部室で録音をしようと考えたのだ。
部室においてあるギターアンプのスピーカーに向けて、僕は持参してきたマイクを立てる。
そのケーブルはオーディオインターフェースを経てノートPCに繋がっている。
今現在制作中の曲に、ここで録ったエレキギターの音を重ねようとしているのだ。
久しぶりに大きな音でエレキギターを鳴らせたものだから、僕は思わず時間を忘れて没頭してしまっていた。
気持ちよくギターを弾いていたらいつの間にか僕が確保した練習時間が終わっていて、次の時間枠を予約していた人が来ていることに気が付かなかった。
だから肩をトントンと叩かれたときは、この世の終わりがそこにやってきたんじゃないかと思うくらい僕は驚いた。
「キミ、もう時間過ぎてるよー……って、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
振り向くと、そこに立っていたのは女子生徒だった。制服のリボンの色から察するに、二年生の先輩だろう。
サラサラとした長い黒髪が印象的で、柔らかな雰囲気が印象的な綺麗な人だった。
僕は壁掛けの時計が示している時刻を見てもう一度驚いた。
ぼっちなりに無害な存在でいようと思っていただけに、たった数分の時間オーバーが重罪のように思えてしまっていた。
「ご、ごごご、ごめんなさい! す、すぐに退きますから!」
「たかだか数分オーバーしたくらいなんだからあわてなくていいよー。それに、うちのメンバーまだ揃ってないし」
「で、でも、先輩にご迷惑をおかけしたのは事実なので……」
「ぷっ、めっちゃ真面目じゃんウケる。ってかキミ、見ない顔だね。本当にうちの部員?」
「は、はい、一応……」
「ふーん。それじゃ、パソコン開きながらギター弾いて何やってたの? バンドは組んでないの?」
「こ、これはその……DTMってやつで……いつもは家でやってるんですけど、ちょっとエレキギターの音が欲しくなって部室で……。バンドはその……組んでないです……」
だんだん文末に向けて声が小さくなるような情けない喋り方で、僕は目の前の先輩に言い訳のような説明をする。
そんなザマなので、「陰キャがキモいことをやっている」とこの先輩に嘲笑われるとばかり僕は思い込んでいた。
こんなに綺麗な人なのだから、スクールカーストだってきっと高い。クラスの中心で輝いていて、イケメンで背の高い彼氏がいて、僕のような日陰者には興味すら持たない。おそらくそういう類の人。
しかし、そんな弱々しい返事をした僕に対する先輩の反応は予想外のものだった。
「へえ! ってことはキミ、曲作りとかできるんだ」
「え、ええ、まあ人並みに……」
「すごいじゃん! 私なんて曲作りがちっともわかんないんだよね。尊敬しちゃう」
「そ、そんなすごいことじゃないですよ……」
「ちなみにどんな曲書いてるの? せっかくだし聴かせてよ」
「あっ、いや、でも……今作ってるの、まだ途中なんで」
「途中でも良いよ。聴いてみたい」
まさか自分の曲を聴かせてほしいと詰め寄られるなんて思ってもいなかった僕は、さっきとは違う焦りのような気持ちに襲われる。
変な曲を書いているつもりはない。ウェブにも楽曲を投稿しているので、他人に聴かせるのが初めてというわけでもない。
ただ、面と向かって「聴いてみたい」と言われたのが初めてだったので、僕は恥ずかしくてたまらなかった。
ここで断ることもできるけれども、それではあまりにも陰キャラである僕の心象が悪くなってしまう。
僕みたいな奴は空気のように気づかれないくらいがちょうどいいのだ。だからここはとりあえず先輩に曲を聴かせて、そのあと逃げるように帰ろうと考えた。
僕はヘッドフォンを先輩に渡し、制作中の楽曲を頭出し再生する。
先輩がどんな反応をするのかビクビクしながら、ヘッドフォンから楽曲が鳴っている。
微妙な反応をされたり、どうリアクションしたら良いのかわからずごまかされるのを想定していた僕は、この数分の再生時間によって胸が張り裂かれそうになっていた。
「……めっちゃ良いじゃん。なにこれ、キミこんなすごいの書いてるの!?」
返ってきたのは、またも予想外の反応。
滅多に褒められることなどないので体中がむず痒くなる。いっそ微妙な反応をされたほうが良かったかもしれない。
「そ、そんなに凄くないですよ……。投稿しても再生数なんてたかが知れてるし……」
「謙遜すな謙遜すな、これでしょうもないとか言われたら、全然書けない私はどうなるのさ」
「あっ、いや……それは、その……すみません」
また先輩に対して失礼なことを言ってしまったと僕は頭を下げる。
なんだか最近謝ることが多い気がするが、僕はそういう星のもとに生まれてしまっているのだ。余計なことはしないほうが吉。
「そっ、そろそろ失礼します。貴重な練習時間なのにオーバーしちゃってすみませんでした」
ペコリと頭を下げ、一気に片付けたせいでまだケースやカバンに収まりきっていない機材を持ち上げる。
綺麗な先輩に自分の曲を褒められるというイベントがあまりにも特異過ぎて、早く帰らなければ何かバチが当たるのではないかという、そんな気持ちだった。
「ちょっと待って、キミ、名前は?」
「あ……足立です」
「下の名前は?」
「晴彦です。足立晴彦」
「なるほど。ハルって呼んで良い?」
「距離の詰め方がエグいですね……」
「ちなみに私は相模陽菜世です。ヒナって呼んでいいよ」
「いえ……そ、そこはせめて陽菜世先輩で……」
陽菜世先輩は「むう……」とジト目で僕を見てくる。
陽キャの人たちはみんな、こんな感じでコミュニケーションを取るのだろうか。もしそうならば、コミュ障の僕は会話のエネルギーコストが高くてすぐにガス欠を起こしてしまいそうだ。
「そんなハルにお願いがあります」
「あっ、はい。なんですか……?」
「一緒にバンドやらない? うちのバンド、オリジナル曲がやりたいんだけど、曲作れる人とリードギターが足りなくてさ」
突然の勧誘だった。陽菜世先輩は両手を合わせて僕を拝んでいる。
しかし僕はその勧誘文句の違和に気づく。
「で、でも、オリジナル曲やりたいのに曲作れる人がないって……ちょっと変じゃないですか?」
「それはしょうがないの! 最初はボーカルギターの私が書くつもりだったんだけど、後から無理なことに気づいちゃったんだもん」
「えーっとそれはつまり、曲が作れるかわからないのに見切り発車でバンドを組んだってことですか……?」
「そういうこと」
ドヤ顔でそう主張する陽菜世先輩。しかし、まったくもって威張れるような事は言っていない。
僕は厄介なことに巻き込まれてしまったなと、やれやれ感たっぷりのため息をつく。
バンドを組むことに否定的な訳では無い。自分の作った曲を自分たちで演奏するのは、たしかにちょっと楽しそうではある。
ただ僕はやっぱり、一人でパソコンに向かって音楽制作をするのが好きだ。他人と一緒につるんでどうこうするような性格ではない。
おそらくバンドを組んだところで遅かれ早かれ人間関係で苦労をするはずなのだ。そういう未来がわかりきっている以上、陽菜世先輩のお誘いに対して何の躊躇いもなく首を縦には振れない。
いくら美人からの頼まれ事でも、これだけは気乗りしなかった。
「ごめんなさい。やっぱりバンドは無理です」
「えー、どうして? やっぱり計画性のない人間のいるバンドは嫌?」
「そういうわけではなくて……。僕がこんな感じの人間なので、馴染めないかなって」
慎重に言葉を選ぶ。陽菜世先輩が悪いのではなく、僕自身に問題があることにして断れば角は立つまい。
でも陽菜世先輩そんな僕の「逃げ」の一手を封じ込めてくる。
「大丈夫大丈夫、うちのバンドみんな気さくだから。むしろ冷静な人がいてほしいというか? それに、あんなにかっこいい曲を書けるしギターも弾けるのに何もバンドをやっていないのはもったいないって。日本音楽界の損失」
「そんな大げさな……」
「とにかく一度うちのメンバーに会ってみてよ。もう少しで来るはずだから……って、もう来てたわ」
部室の入口に目をやると、二人の生徒が立っていた。
片方は男子生徒、この人は僕もよく知っている。この軽音楽部の副部長である金沢先輩だ。
爽やか系のいわゆる「塩顔」な人で、派手さはないけどモテそうな雰囲気がある。
確か部活の説明会のとき、自分はドラムをやっていると言っていた。美人の陽菜世先輩と並んでも違和感のない、間違いなくカースト上位のひと。
そしてもう一人は女子生徒。ベースギターの入ったギグバッグを背負っている。
ロングヘアの美しい陽菜世先輩とは対象的に、さっぱりと切りそろえたショートヘアが印象的だ。
この女子にも覚えがある。なぜなら彼女は――
「あれ? 晴彦?」
「……えっ?」
お互いに存在を確認するかように名前を呼ぶ。そんな不思議な状況を陽菜世先輩は見逃さない。
「んー? もしかしてハルと凛、知り合い?」
「一応、家が近所で小中一緒でした」
答えたのは彼女――小牧凛だった。
彼女の言う通り、僕と凛は小学校から同じ、いわゆる幼馴染みたいなもの。
しかしもう長いこと会話なんてしたことがない。それどころか僕は、凛が音楽をやっていたことすら知らなかった。
僕の知っている小牧凛はどちらかといえば体育会系で、小学校高学年の時はソフトボールクラブでエースを務めていた記憶がある。
そんな凛が陽菜世先輩と一緒にバンドをくんでいるのだから、世間は狭いものだ。
「なーんだ。知り合いなら話は早いじゃん。そういうわけでハル、よろしくね」
「……え? いや、僕まだ何も」
「というわけでうちのバンドの新メンバー足立晴彦くんでーす。みんなもハルって呼んでね」
僕の意思など関係なく、陽菜世先輩は二人に新メンバーとして僕を紹介してしまった。
いきなりそんなことを言われた金沢先輩と凛がどんな反応をするのか不安で仕方がなかった。
けれども、二人は僕に対して「大変だったね……」と言いたそうな、まるで労をねぎらうかのような眼差しを向けてくる。
それで僕はなんとなく察した。
このバンドは、陽菜世先輩による陽菜世先輩のためのバンドなのだと。
そのバンドに僕は、吸い込まれてしまったのだと。