テッちゃんにフラれた日、浮上できない最悪な気持ちを持て余していた時、現れたその人は私のお母さんだった。
ドアを開けると、柔らかい表情で泣きそうな目をして「会いたかった」とう言葉を聞いたと思ったら抱き締められた。
お母さんは死んだはずだって思った。それに、お母さんがこんな優しい人のはずがないって。
よく似ているけど、六歳の私がいつも顔色を窺っていた、あのお母さんとは絶対に別人なんだと思った。
「お母さんは死んだって。お父さんもおばあちゃんも……、みんなそう言っているから。あなたがお母さんのはずがない!」
その日の私はテッちゃんにフラれて情緒不安定だったこともあり、十年以上も前に亡くなったはずのお母さんが現れてショックで混乱していた。
どういう涙かわからないけど、涙がどんどん流れて止まらなくなった。
お母さんは何度も「ごめんね、夕璃」と言って抱き締めた。
その柔らかな温もりが私には切なく感じた。
それは小さな私が、六歳の頃やそれより幼かった私が求めていたはず。
その頃のお母さんは笑いかけてさえくれなかった。私を見ることさえしなくなっていった……。
だけど、目の前にいるお母さんは温かみのある人で、とてもあの頃のお母さんと同じ人に見えなかった。
「ごめんね、夕璃。あの頃のお母さんは心の病気だったのよ。お母さんにも生き別れた母親がいてね。お母さんは十七で家を出て、真樹紅の夜のお店で雇ってもらって何とか生き延びてきたの。お父さんと結婚して間もなくあなたが生まれて、しばらくは本当に幸せだったの」
その言葉で、佐間川でバーベキューをしていた、笑顔のお母さんの思い出が脳裏に浮かぶ。
そうだ、そんな過去だってあった。そんな雰囲気と今目の前にいるお母さんとはよく似ている。
「だけどね、夕璃が四歳の頃かしら? 生き別れだったお母さんと連絡が取れてね。あちらが探していたの。末期がんでね……」
最後のひと言を小さな声で呟くと、お母さんは遠くを見つめて薄っすらとほほ笑んだ。
「私はきっとずっと会いたかったのね。やっと会えたのに、お母さんは末期がんであっという間に亡くなったわ。最後に会えて良かったねって皆に言われたけど。私はもっと早く会いたかったと後悔したの。どんどん自分を責めて、少しでも幸せを感じたらとにかく罪悪感が押し寄せてきた」
「だから……私にまで幸せを感じさせなかったの?」
私の言葉に、お母さんが傷ついたのはわかった。だけど、なんの罪もない母親に愛されたかった幼い私が可哀想だという気持ちが溢れて抑えられなかった。
「あの頃、私はずっとお母さんの顔色を見ていたよ。少しでも怒りそうだったら近くに寄らなかった。ぼんやりしているお母さんは、いつか笑ってくれるんじゃないかと思って、一生懸命〝いい子〟でいたの。お母さんに私を見て欲しくて」
「夕璃……」
「だけど、全然見てくれなかったよ。死んじゃったわけじゃないなら、どうしていなくなっちゃったの?」
お母さんを責めないで! せっかく笑ってくれたのに! 抱きしめてくれたのに! と私の中の小さな私の叫び声がする。
だけど、口からこぼれ落ちる言葉だって、あの頃の私の本音だった。
絶対に言えなかった、思うことさえ許されなかった本音なのに。